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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・第2回:あなたがどれだけ汚れても

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第54話 求めた幸せは自分のじゃなく


 わたしは、アゼレアとジャックの暮らしぶりを見せてもらうことにした。

 元々、わたしは二人を連れ戻すつもりでいたのだけど……それが正しいのかどうか、二人の姿を見て計りかねてしまったのだ。


「アゼレア、釣ってきたぞ」


「わっ。大漁じゃない」


「ラケルさんはよく食べる人なんだろ?」


「ふふ。そうね。これだけじゃ足りないかも」


 食い扶持は、基本的に狩猟と採集で賄っているみたいだった。

 魔王軍が追ってくれば逃げなければならないことを考えると、悠長に畑を耕しているわけにはいかなかったのだろう。


「そういうの、ジャックが結構詳しいんです。食べられる草とかも見分けられて……」


「なんでかな。なんとなくわかるんだよな」


 ……昔、わたしが教えたのである。

 貴族だからサバイバル技術になんか興味ないかと思ったけど、思ったより熱心に聞いてくれたのをよく覚えている。


「調味料が心許ないので、味には自信がないんですけど……」


「アゼレアって、料理なんてできたっけ?」


「それは……まあ、7年も経ちますから、それなりに……特に理由があったわけじゃありませんけど!」


 あー。

 理由があったんだろうなあ、と察した。

 きっと、ジャックに作ってあげたい料理があったんだろう。

 7年間、わたしが強さを求めて旅をしている間、彼女は色あせない恋心を胸に秘めたまま暮らしていたんだと思うと、なんだかむずむずしてくる。


 実際、それはすごいことだ。

 魔王となり、災厄を振りまき、世界中に嫌われてゆくジャックを、それでも好きでい続けた。

 7年間、一度として会うこともなかったのに、まったく変わることなく。


 羨ましいくらいに、強くて純粋な恋心。

 それがようやく叶ったのだから……ますます邪魔をしたくない。


「はい、ジャック。あ~ん」


「だ、大丈夫だって」


「まだ体力、戻りきってないでしょ? あ~ん」


「んぐ……」


 ……というか、わたし、すでに邪魔じゃない?

 目の前でイチャイチャを見せつけられて、居心地が悪くなった。

 あえてイチャついている風でもなく、完全な自然体でやっているのが、肩身の狭さを加速させる。


 ……少なくとも、わたしには。

 今のアゼレアとジャックは、過去のいつよりも、幸せそうに見えた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「よっと」


 ジャックがくいっと竿を引くと、川から魚が飛び出して、ふわふわと空中に浮いた。

 精霊術の使い方は直感で覚えているらしい。

 狩猟と採集だけで二人分の食い扶持をあっさり賄えている理由でもあった。


 ジャックは魚から針を外して魚籠(びく)に放り込む。


「あと1匹くらいかな」


 隣に座ったわたしは、魚籠の中を覗き込んだ。

 両手に乗るくらいの魚が5匹、ビチビチと跳ねている。


「たまにアゼレアに怒られるんです。こんなに釣ってきても腐らせちゃうだけだーって」


「贅沢な悩みね」


「今日はラケルさんがいるから、あんまり気にしなくて済みますよ」


 言いながら、ジャックは再び川面に糸を垂らした。

 ……ジャックに敬語を使われるなんて、一体いつぶりのことだろう。

 なんだか奇妙な気持ちだった。

 ジャックは弟子のくせに、師匠(わたし)の調子を狂わせるようなことばかりする子だったから……。


 ――信じてくれ。自分が育てた弟子を。


 不意に、いつかジャックに言われた言葉がリフレインした。

 あのときも、子供らしからぬ真剣な声と顔に、うっかりドキリとしてしまったんだっけ……。


「――ラケルさん?」


「えあっ?」


 突然、ジャックの顔が目の前に現れて、わたしは仰け反った。

 手を突こうとした場所には何もなく、身体がぐらりと傾く。

 しまった――!


「おっと、危ない」


 川面に落ちていこうとした寸前、ジャックに手首を捕まれて事なきを得る。

 ジャックは申し訳なさそうな顔をした。


「すみません。俺がいきなり話しかけたから」


「い、いえ……わたしが勝手にびっくりしただけだから」


 手首を掴むジャックの手は、思ったよりずっと大きかった。

 体力が戻りきっていないという話だったけど、それでも力強いと感じてしまうのは、まだわたしの中で、ジャックが11歳の子供だからなのか。


 今のジャックは18歳。

 外見年齢で言えば、わたしとほとんど同じ。

 思えば、成長したジャックとは、前回の世界も含めて、戦ってばかりだった。

 こうして、こんな距離で、穏やかな時間を過ごすのは、初めてのことで……。


 ……なんだろう。

 急に動悸が速まってきた。


「ラケルさん? 大丈夫ですか? まだ具合が……」


「うあっ!?」


 ジャックが心配そうな顔で近付いてきたので、わたしは反射的に距離を離した。


「ご、ごめんなさい……あんまり近付かないで」


「あ、はい……すみません」


 ……ふう。

 わたしはジャックとの間に人間一人分の距離を開けて座り直す。

 このくらいの距離が適正だという気がした。


 動悸が治まってくるのを感じながら、横目でジャックの顔を見る。

 糸の落ちる川面を見下ろすその横顔は、穏やかそのものだった。

 あるいは――

 魔王になる前の、フィルを失う前の彼よりも、なおいっそう。


「……ジャック」


「はい?」


「今……幸せ?」


「……んー」


 ジャックは釣り糸から目を外さないまま、難しそうに眉根を寄せた。


「不安になることはありますけど……アゼレアがいるので、大丈夫です。彼女と一緒にいると、細かいことはどうでもよくなってくるんですよ。……だから、幸せです」


 そう言って、ジャックは本当に幸せそうにはにかんだ。


 ……ああ。

 もう、わたしの出る幕はないな。

 心から、そう思った。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 一晩だけ泊まって、翌朝には出ていくことにした。

 これ以上、わたしがここにいてもいいことはない。

 むしろ、わたしが囮になって、魔王軍の目を引きつけておくべきだと思ったのだ。


「先生はそっちの寝室を使ってください。掃除はしておいたので」


 本当はすぐにでも出ていこうかと思ったのだけど、わざわざ寝室を用意してくれたので、むげにはできなかった。

 二人と別れて一人で寝室に入り、ベッドに腰掛ける。


 ……もう、セーブポイントのことを気にする必要はないだろう。

 わたしの目的は達成された。

 タイムリープは、もうする必要がない。


 かと言って、安心しきってぐっすり眠るわけにもいかない。

 まだ魔王軍という脅威が残っているのだ。

 まあ、眠っているくらいのことで危険を察知できないほど平和ボケはしていないつもりだけど、用心に越したことはない――


『――……んっ、ちょっと……』


 ん?

 暗い寝室の中で、辺り一帯の気配に身を委ねていると、壁の向こうから囁くような声が聞こえてきた。


『……だめ……隣に、先生が……』


『静かにするから……声、我慢して……』


『んんっ……! ばかぁ……』


 んんんんん?

 これは……。

 まさか……。

 聞いてはいけないやつでは?


 思わず耳をそばだてると、息の漏れる音がかすかに聞こえてくる。


『……んっ……ふっ……』


 いかにエルフの耳が長いと言っても、音だけでは何をしているかよくわからない。

 ……いや、『王眼』を使えばあるいは?

 いやいやいや、そんな覗きみたいなことをするわけには……。


 わたしが半ば混乱しているうちに、壁から聞こえてくる音は言い訳不可能なものに変わっていった。

 二人はときおり、甘い声で互いの名前を囁きつつ、荒い息を重ね合わせてゆく。


 わたしは、心臓をバクバク跳ねさせる一方で、それもそうか、と冷静に納得してもいた。

 若い二人が一つ屋根の下で暮らしていれば、多少、放埒にもなるだろう。

 実は昼間は、わたしの手前、抑えていたのかもしれない。


 幸せそうだなあ、と思った。

 少し寂しくなるくらい……今の二人は、幸せそうだ。


 だんだん遠慮がなくなってくる隣室の声を聞きながら、わたしは暗い天井を見上げた。


 ズキリと胸が痛む気がするのは、きっと寂しいからだ。

 わたしなしでもあっさりと幸せになってしまった二人に、拗ねているからだ。

 なんて子供っぽい。

 これの何が先生か、何が師匠か。


 初心を思い出そう。

 わたしは、ジャックさえ幸せになれるなら、それでいい。

 だって、そうでしょう?

 そのためだけに、世界さえ敵に回したのだから。


 ねえ。

 そうでしょう?


「……っ?」


 ぴくりと、身体が無意識に跳ねた。

 意識が内側から外側へと向き直る。

 これは――

 ――何か、いる?


 わたしは窓から外に目を向けた。

 広がるのは夜の森。

 木々の隙間には、何の影も見て取れない。


「……………………」


 いや、今のは勘違いじゃない。

 確かに、何かの気配を感じた。

 わたしはちらりと、隣室側の壁に視線を投げる。

 ……二人は、きっと気付いていない。

 このかすかな敵意にまで気を配るには、今の二人はあまりに幸せすぎる。

 心が、自分たちの幸福を受け入れるので精一杯なのだ。

 だから。


 あの二人の幸せは――わたしが、守ってあげなくちゃならない。


 隣室の二人に気付かれないよう足音を忍ばせつつ、わたしは窓から外に出た。


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