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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・第2回:あなたがどれだけ汚れても

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第51話 望み


『――ラケル。おぬし、何かやりたいことはないのか?』


 トゥーラがふとわたしにそんなことを尋ねたのは、記憶を失ってから何年目のことだっただろう。

 日課の訓練でわたしを散々叩きのめしたあと、トゥーラは――わたしのたった一人の師匠は、優雅にお茶を飲みながら言ったのだ。


『儂は隠居の身じゃからの。こうして茶でも飲んでおるのが似合いというものじゃが。おぬしはまだ若かろう――なんぞやりたいことがあってもおかしゅうない』


『やりたいこと……』


『名を上げたいでもよい。贅沢をしたいでもよい。無論、いい男に抱かれたい、でもな?』


『……っ』


 わたしが答えに詰まると、トゥーラはからからと笑った。


『おぬしの器量ならば引く手数多じゃろうて。ま、独身貴族を気取っておる儂に言えたことではないがの』


 後に精霊術学院で生涯の伴侶と出会うことになるトゥーラは、他人事の調子で言って、唇をお茶で濡らす。

 ……男。

 トゥーラのその冗談が、空っぽの頭の中を、じくっと刺激したのを覚えている。

 それと同時に、ときおり湧き上がる奔流のような欲求が、身体の中を暴れ狂ったのだ。


『やりたいことは……ある』


 あるいは。

 やらなければならないことが。


『でも……それがなんなのか、わからない』


 失われた記憶の中に、その答えがあるのだろうと、このときはまだ、そう思っていた。

 けれど。

 生まれてからトゥーラに出会うまでの記憶を取り戻した今のわたしにも、その奔流めいた欲求の原因は、わからない。


 記憶は取り戻した。

 自分が何をしていたのかを思い出した。


 ――でも、なぜそうしたのかがわからない。


 生まれ育った里を出て。

 世界を放浪し。

〈アガレス〉の老師を見つけ出して――


 まるで、やがて自分が、あの少女Xと戦うことになることを、生まれたときから知っていたみたいだ。


『……そうか。ま、エルフの人生は長い――ゆっくりと見つけ出すがよかろう』


 ただ、とトゥーラは続けた。


『もし惚れた男でもできたなら、ぼやぼやしておる暇はないぞ。何せ人生が長いのはエルフだけの特権じゃ――命短し恋せよ乙女。まあこの場合、短いのは男のほうの命じゃがの?』




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 わたしはベッドの上で目を覚ました。


「……………………」


 サミジーナにトゥーラの技を見せつけられたからか、久しぶりに100年前の夢なんて見てしまった……。

 それ以前の記憶を取り戻した今ですら、トゥーラと過ごした10年間は思い出深い。

 でも、残念ながら、思い出に浸っている暇はなかった。


 ジャックの公開処刑――そして三国連合軍と魔王軍の正面対決から、もうすぐ1週間が経とうとしていた。


 わたしは、あれからずっと、ジャックを連れ去ったアゼレアの足取りを追っている。

 センリ共和国をほとんど横断して、辺境と言ってもいい土地まで来てしまった。


 エルヴィスやヘルミーナたちのことも気にはなったけれど、彼らを気にかけている余裕は、わたしには存在しなかった。

 精神的なこと以上に……時間的に。


 前回のセーブポイントから、すでに1ヶ月以上が過ぎている。


 時間感覚が長いエルフならば、セーブポイントの間隔も長くなるはずだと老師は言っていたけれど、いい加減、限界は近いはずだ。

 いつ新しいセーブポイントが来てもおかしくない。

 あるいは、もう来ているのかもしれない。

 いずれにせよ、セーブポイントを跨いだタイムリープにはリスクがある。


 寿命を縮めることになる――と、老師は言っていた。

 魂に負担をかけることになる、と。

 それが具体的にどういう現象なのか、説明してもらうことはできなかったけれど、できるだけ避けるべきなのは間違いない。


 ……セーブポイントは眠っている間に来る。

 そろそろ、眠るのを控えたほうがいいのかもしれない。


 もしくは、今すぐやり直すか?


「……………………」


 何か不測の事態があるたびに、わたしはその最終手段を検討してきた。

 以前は、何のプランもなく時間をさかのぼっても意味がないと、その考えを棄却した。

 でも、今度は……。


「…………っ」


 ルビーの顔がチラつく。

 笑っているようで笑っていない笑みがチラつく。


 ――この力で、本当にあの女の子を出し抜けるの?


 タイムリープ――【因果の先導】。

 この精霊術さえあれば、得体の知れないあの少女Xにも勝てるはずだと思った。

 でも、実際には……。


 前回の世界。

 彼女は確かに、アゼレアだった。

 なのに、今回はルビーになっていた。

 わたしが過去改変をしない限り、世界は変わらないはずだ。

 なのに――一体、どうやって?


 わからない。

 まったく、わからない。

 タイムリープすら遙かに凌駕する、何か超越的な力が働いたとしか思えない。


 例えば、そう。

 神様のような……。


「…………たとえ、神だとしても」


 自分を鼓舞するように、わたしは一人つぶやいた。


「ジャックに悲劇を、押しつけさせはしない」


 それが運命だとしたら否定する。

 それが宿命だとしたら拒絶する。

 そう、自分に言い聞かせて――わたしは恐怖を飲み込んだ。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 アゼレアはうまく足取りを隠しているようで、追跡は一筋縄ではいかなかった。

 でも幸い、わたしには70種類近くもの精霊術がある。


 詐称の精霊術を使った聞き込みで情報を引き出し、五感を明敏にする精霊術や完全記憶の精霊術を駆使してアゼレアとジャックの足跡を追った。

 すると、とある空き家にたどり着く。


【争乱の王権】――『王眼』で中を確認するけど、人の気配はない。

 出かけているのか……もう去ったあとか。

 いずれにせよ、踏み込まない理由はない。


 わたしは足音を忍ばせながら中に入り、部屋を一つずつ確認していった。

 ろくに管理されていないみたいで、まるで廃墟だ。

 埃は降り積もり、床はところどころ腐食して穴が空いている。


 そんな中、比較的綺麗な部屋を見つけた。

 寝室のようで、ベッドがひとつ置いてある。


 ベッドに近付いて、そっと触ってみた。

 ……冷たい。

 でも、確かに誰かが寝ていた形跡がある。

 枕の辺りに、毛が何本か落ちていた。

 2種類あり、片方は特徴的な赤毛だ――アゼレアの毛髪である。

 アゼレアとジャックは、このベッドで一夜を明かしたのだ。

 けれど、もうだいぶ前に出ていったみたい……。


「……ん?」


 掛け布をめくると、シーツにぽつっと赤い染みがあった。

 ……なんだろう、これ。

 血?


 それに触れようとした瞬間、背後で気配がした。


「っ!?」


 わたしは即座に『王眼』を使用する。

 怒濤のごとく流れ込んでくる情報を処理するのは、慣れていないわたしには骨の折れる作業だが、かろうじて気配の位置を探知することができた。


 窓から外に飛び出す。

 ちょうどその下に、空き家内から逃げ出してきた少女が飛び込んできた。

 少女はハッとこちらを見上げるけど、もう遅い。

 落下の勢いで地面に組み伏せる。

 

「何者?」


 アゼレアでないことはわかっていた。

 特徴的な赤い髪が見当たらないし、アゼレアならとっさに炎で迎撃するくらいのことはやってくる。

 女の子は背中から組み伏せられたまま、わたしの顔を見上げて唇を曲げた。


「どうも……お久しぶりですね。(ワタシ)のこと、覚えてます?」


「……あなたは……」


 見覚えがあった。

 学院崩壊の直後、ジャックが塞ぎ込んでいた時期に、一緒にリーバーのお屋敷で暮らしていたことがある。

 ビニー。

 悪霊術師ギルドに所属していた、双子術師の片割れ……。


「あなた……確か、今、魔王軍に……」


「本当に……今更出てきて、余計なことをしてくれましたよね、ラケルさん」


 ビニーの瞳には、憎悪がこもっていた。

 それを叩きつけるように、わたしを睨みつけていた。


「あなたは、ジャックさんを否定した……。絶望したままでも、傷ついたままでも、それでも進もうとしたジャックさんを、あなたは否定した! その挙げ句がこのザマ……! ジャックさんは晒しものにされて、石を投げつけられて、今や行方不明! 満足ですかッ!! これで満足なんですか、あなたはッ!!」


「……っ」


 家族も、婚約者も、何もかも失ったジャックの傍に残ったのは、わたしと……彼女たち双子だけだった。

 塞ぎ込んだジャックを、わたしたちなりに必死に支えて……その果てに、魔王の道を選んだジャックを、わたしは否定し、彼女たちは支持した。


 確かに、ジャックのやることを大上段から否定したわたしは、うまくなかったかもしれない。

 でも、魔王としてのジャックを肯定したとしても、待っているのは破滅なのだ。


「……教えて、ビニー」


 だからわたしは、彼女の憎悪をあえて無視した。

 彼女と議論したところで、答えが出ないのはわかっているから。


「魔王軍はジャックの居所を掴んでいるの? どこまでやってきているの?」


「はッ! もっと無理やり聞き出してみたらどうですか。ジャックさんにやったみたいに……!」


 ……手段を選んではいられない。

 多少は、痛い目を見て―――


「―――ッ!?」


 それ(・・)を気取ったわたしは、即座にビニーから飛び離れた。

 直後、ドオウンンッ……!! という長い銃声が轟いて、横合いの壁に弾痕が生まれる。

 狙撃……!!


 その隙にビニーが立ち上がった。

 彼女が何かを地面に投げつけたかと思うと、辺りを白い煙が包む。

 煙幕弾か……!


 わたしは『王眼』でビニーを追跡しようとした。

 だけど、


「いッ……!!」


『王眼』から入ってくる情報はノイズだらけだった。

 顔をしかめて空を見上げれば、昼間だというのに無数のコウモリが飛び交っている。


 くっ、そうか……!

 10年近く前、ジャックがエルヴィス相手に使った、超音波による『王眼』ジャミング……!

 エルヴィスほど『王眼』の扱いに習熟していないわたしは、超音波のノイズの中からビニーの位置を割り出すことはできなかった。


 煙幕が晴れてきた頃、辺りがざわざわとし始めた。

 街の住民がさっきの銃声を聞きつけたんだろう。

 わたしはビニーの追跡を諦めてその場を離れる。


 ……『王眼』には、あまり頼りすぎるべきじゃない。

 勇者であるエルヴィスの対策を練り続けてきた魔王軍には、付け焼き刃の『王眼』なんて通用しないのだ。


 ――これで満足なんですか、あなたはッ!!


 ビニーの詰問が頭の中に響く。

 ……満足なわけ、ない。

 わたしは……わたしは、ただ。

 ジャックに、幸せになってほしい……ただ、それだけ。


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