第47話 対価なき最大の娯楽
太陽が中天に上る直前。
ジャックの移送が完了した。
外交都市スノーモーの中心に当たる処刑広場には、早くも多くの見物人たちが詰めかけている。
ピリピリとした厳戒態勢――あからさまな戦争の空気の中、こうまでも一般民衆が集まっているのは、あまりに異例なことと言えた。
見物人たちの間には、一種異様な空気が満ちている。
高揚感とも期待感ともつかない雰囲気が、時を経るごとに熱を増している。
世界を恐怖に陥れた魔王の処刑。
この世界に、これほど刺激的な娯楽は、他に存在しないのだ。
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処刑開始3時間前。
三国連合軍の配置は、あらかた完了していた。
普通ならば、前線の砦にも兵を配置し、そもそも敵を街に近付けさせないようにする。
しかし、今回の敵はダイムクルド。
空を飛ぶ国だ。
遥か高空を通過されては矢も精霊術も届かない。
ゆえに三国連合軍は、その戦力のすべてをスノーモーに集中させ、いきなりの決戦に臨むしかなかった。
士官として人員配置に尽力していたガウェインは、体力を温存するため、ラエス王国騎士団に宛がわれた休憩室にやってくる。
「む?」
その一隅に、ゆらゆらと揺れる猫の尻尾を見た。
ルビーだ。
ルビーはガウェインに気付くと、彼にしかわからない合図を送ってくる。
『外行こうぜ』
ガウェインは静かに頷き、ルビーが休憩室の外に出ていくのを待ってから、続くように休憩室を出た。
この7年、ガウェインは王国の騎士として、ルビーは騎士団専属の諜報員として、同じ職場で働いてきた。
普段は単に同僚として接するが、たまにこうして、半プライベートの逢引きをすることがある。
逢引きと言うと聞こえが怪しいが、基本的には、ただガウェインがルビーの愚痴を聞いているだけだ。
それに対してガウェインは『それが貴様が悪いのだろう』とか『それはこうすればよかっただろう』などと言ってしまうので、ルビーからは『だからモテねーんだよ、お前は!』と大層不評であった。
しかし、それでも時々は、級友としての時間を共有する。
あるいはこれも、過去に縛られているからこその習慣なのかもしれなかった。
ルビーが呼び出す場所は、いつも薄暗くてひと気がない。
今日もルビーが待っていたのは、市壁から少し街の中に入ったところの路地だった。
スラム育ちのルビーにとっては、こういう場所の方が落ち着くらしい。
「どーだよ、首尾は?」
ルビーは何の前振りもなく、いきなり話を振ってきた。
「地上の防備は完璧だ。ネズミ一匹通すまい。もしブレイディアのときほどの軍勢が攻めてきても、今度は対応できるだろう。しかし……」
ガウェインは屋根と屋根の間に覗く、雲一つない晴天を見上げた。
「ダイムクルドは空を飛ぶ。もし頭上から降ってこられたら対処のしようがないな」
「いんや、それはねーだろ」
ルビーは空を指差して言った。
「今日は見ての通りの晴天。もしダイムクルドが真上から来るなら、地上に到達する何時間も前に目視で発見できるはずだ。それを見て処刑を中止するなり、王子様が『天剣』をぶっ放すなり、いくらでもやり放題だぜ。
何せ真上から来るってことは、どてっぱらを大開帳してるってことだからな。ぶっ壊してくださいとお願いしてるよーなもんだぜ。今日はさすがに地上から来るはずだと見てるけどな、あたしは」
ルビーはスラム育ちだが、その地頭の良さについては、ガウェインも認めるところだった。
生まれによっては賢者とでも呼ばれていたのではないか、と思えるほどに。
だがそれも、この猫女に真面目に勉強するなどという概念があればの話だが。
「さすがに今日は真面目だな」
皮肉含みにそう言うと、ルビーは「へッ」と鼻を鳴らす。
「あたしはいつも真面目だっつーの」
「そうだったか」
ぽつりと返して、ガウェインは再び空を見上げた。
その彼方に、きっとダイムクルドはある。
それを預かっているという少女の声を、ガウェインは思い出した。
そして、世界を敵に回す決意をした恩師の姿も―――
「……先生も、あの少女も……あそこまで、できるものなのだな」
「あん?」
不意に呟かれたガウェインの言葉に、ルビーは怪訝そうな顔をした。
「彼女たちは、ジャック・リーバーへの想いゆえに、世界を敵に回すのだろう?」
「きっもちわりー。似合わねーな、想いとかいう言葉」
「やかましい」
混ぜっ返すようなルビーの応答に、ガウェインが淡白な口調で返すと、ルビーは調子を狂わされたようにカリカリと猫耳の裏を掻いた。
「……そりゃ、できるだろ」
それは、付き合いの長いガウェインですら滅多と聞かない、ルビーの真摯な声だった。
「好きなんだったら、さ……できるさ、なんだって」
「貴様もか?」
思わず尋ねると、ルビーはぷいっと顔を背ける。
「知らね」
「……そうか」
短く答えて、それっきり、沈黙が二人を包んだ。
しばらくその中に身を委ねると、ガウェインは気負わずに言う。
「そろそろ、行くか」
「そだな。抜かるなよ」
ガウェインとルビーの仕事は違う。
それぞれの配置に向かうべく、二人は別の方向に足を向けた。
しかし、別れる寸前。
ルビーがきびすを返して、ガウェインの背中に言葉を投げる。
「じゃーな、ガウェイン」
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処刑開始2時間前。
手錠に両手を繋がれたジャックが、民衆の前に姿を現した。
刑吏に腕を引かれてゆっくりと歩く魔王の、あまりに弱々しい姿に、民衆は息を呑む。
この吹けば飛んでしまいそうな儚い少年が、本当にあのダイムクルドの王なのか?
そんな疑問すら、民衆の間には漂っていた……。
しかし。
「よくもっ……おれの故郷をッ!」
ある一人の男が石を投げつけ、魔王のこめかみに当たった。
魔王は何も言わない。
身じろぎ一つしない。
無抵抗だった。
その事実が、民衆の堰を切る―――
無数の石、酒瓶、包丁、そして言葉。
肉体と心、その両方を傷付けるために、あらゆるものが一人の少年に投げつけられる。
それは復讐であった。
必ずしも、民衆のすべてが魔王軍の被害者であるわけではない。
しかし、それでも復讐であった。
悪を誅する正義の執行であった。
正義という名の麻薬が、民衆から倫理を剥ぎ取る。
善人が善人のままに、寄ってたかって悪を誅する鬼となる。
彼らは明日、何事もなかったかのように仕事へと出かけるだろう。
晴れ晴れとした笑顔で、友人たちと語り合うだろう。
罪悪感というコストを、人数で希釈し、正義で免罪し。
何の対価も払うことなく興じられるエンターテインメント。
国家主導で行われる中でも最大の支持を集める一大コンテンツ―――
それが、市中引き回しの刑である。
鬱憤という名の膿を絞り出せるだけ絞り出したのち、かつて魔王であった少年は処刑台へと上らされる。
衆人環視の中、刑吏の手によって、彼の手足と身体が柱に括りつけられた。
魔王の命を奪う手段として選択されたのは、火刑。
精霊術【巣立ちの透翼】によって多くの物理攻撃を無効化できる彼をも殺しうる処刑方法であり―――
―――数ある刑の中でも、有数の痛みと苦しみを伴うやり方であった。
処刑実行のそのときまで、彼はこのままの状態で民衆の前に晒される。
無論、その間も、彼を傷付ける『正義』の石と言葉が止むことはない。
罪を犯したことのない者だけが、彼に石を投げなさい。
そんな風に言う救世主は、この場には一人もいなかったし―――
―――仮にいたとしても、魔王の罪はあまりに大きすぎた。
ジャックの頬に紫色の痣が滲む。
口の端から赤い血が滴り、それでも少年は表情一つ変えない。
――――そして、遥か彼方の地平より、この世のものとは思えぬいななきが響き渡ってきた。
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「……来た……」
「……来たぞ……!」
スノーモーの市壁に詰める兵士たちは、東の地平線の上に巨大な影を発見した。
空に浮遊する大小の島々。
今や世界すべてにとっての恐怖の対象。
天空魔領ダイムクルド。
その周囲には、7つの巨影が侍っていた。
一つ、天を泳ぐ巨鯨。
二つ、眩い黄金の巨人。
三つ、漆黒の巨躯の神狼。
四つ、混沌たる姿の合成獣。
五つ、八つ首をのたくらせる龍帝。
六つ、極彩色に輝く大怪鳥。
七つ、異端の武具に鎧われた魔星。
その名を《ロビエール》。
その名を《ゴルドガント》。
その名を《フェンコール》。
その名を《キメラ・リメア》。
その名を《エイトザドラ》。
その名を《ガル・テラス》。
その名を《ジ・アース》。
魔王軍が誇る、最強の七大巨獣であった。
大陸に覇を唱える列強三国。
世界滅亡の天災たる天空魔領。
その総力が、今、ただ一人の少年を巡って激突する。
新作始めました。
『最低ステータスの最賢勇者』
本作はサスペンスとかホラーに寄せてますが、
今度はミステリー寄りです。
よろしければあとがき下の直リンクからどうぞ。




