第43話 取り戻したかったもの
世間の機微には割と鈍い方のわたしだけれど、さすがに自分が距離を置かれていることくらいはわかっていた。
特定の誰かに、ではなく、世界すべてから。
単騎で魔王を倒してしまったわたしは、いわゆる『高度に政治的な存在』になってしまっていて、かねてから縁があるラエス王国に滞在しても、ジャックとの決着をつけたロウ王国に滞在しても、そのどちらでもないセンリ共和国に滞在しても、世間に波風を立ててしまう。
だからどこの国も、わたしとの距離を積極的に詰めてこようとはしなかったし、わたしも特定の国と懇意にしているように思われる行動は控えるしかなかった。
そういうわけで、わたしは三国の首都に順番に滞在しながら、ジャックのいる監獄との間を往復する日々を送っていた。
わたしは、ルーチンワークが得意だ。
わたしは、というより、エルフは、といった方が正しいかもしれないし、ルーチンワークが得意だ、というより、ルーチンワークが得意すぎる、といった方が正しいかもしれない。
人間よりずっと長命で、100年、200年という長きに渡って記憶を積み重ねるエルフは、人間よりも時間感覚が早いのだ。
だから、同じことをほんの少し続けているつもりが、いつの間にか1週間や2週間という、驚くほど長い時間が過ぎ去っていることがある。
まさにそういう状態だった。
ジャックを救うためにどういう行動を取るべきなのか、ルーチンワークで監獄との間を行き来しながら悩んでいるうちに、公開処刑はすぐそこまで迫っていた……。
「……ダメだ……」
わたしは、あまり物事を深く考えるべきじゃない。
考え事をすると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
だからとにかく行動するべきなのに、その選択肢が全然思い浮かばなかった……。
「ラケル先生、おはようございます」
今日は、ラエス王国に滞在する日だった。
朝、いつものようにジャックに会いに行こうと王城を出たとき、エルヴィスに話しかけられた。
隣には彼の婚約者であるヘルミーナの姿がある。
「……?」
疑問は二つあった。
まず一つは、ジャックを倒して以来、エルヴィスはわたしを避けていたはずなのに、どうして今朝に限って挨拶をしてきたのか。
そして、もう一つ。
……ヘルミーナが、エルヴィスの腕に公然と抱きついている上、妙にニコニコと上機嫌そうなのはなぜ?
「……………………」
わたしは二人の様子を観察する。
なんというのか……いつもと雰囲気が違う気がした。
エルヴィスは心なしか疲れているように見えるし、ヘルミーナは逆に肌がツヤツヤして元気そう……。
ヘルミーナには、ロウ王国に滞在する時にお世話になっているけれど、いつもの凛とした雰囲気とは似ても似つかない。
「……何かあった?」
わたしは思わず、二人に訊いていた。
反応はあからさまだった。
「ええ、まあ、ちょっと……ふふふ」
「……………………」
ヘルミーナが意味深に、そして艶やかに微笑む一方、エルヴィスは少し耳を赤くして目を逸らす。
エルヴィスの表情から、ここ最近の彼にへばりついていた陰が薄くなっているのを見て取るにつけ、ついにわたしは二人に起こったことを察した。
「あっ……あー……そう……ふうん……」
激烈に反応に困る。
……そうかー。
ついこの間まで、あんなに小さかったエルヴィスが……。
18歳だし、婚約者もいるし、当たり前といえば当たり前なのだけれど、感覚がついてこない。
「おめで……とう?」
とりあえず祝福してみると、ヘルミーナがはにかみながらエルヴィスの腕をぎゅっと引いた。
「ええー? 別におめでたいことなんて何もありませんわよ? ねっ、エルヴィス様?」
「う、うん。そうだね。うん」
……うーん。
そうとわかれば無視できない、このラブラブオーラ。
正直ちょっと癪に障る。
…………そういえば、教え子に先を越された形になるのか。
「――あっ! あそこにいるじゃん、王子様」
「おはようございます、殿下! 今、朝のご報告に伺おうと――」
わたしが無視できない事実に気付いたのとほぼ同時に、ルビーとガウェインがやってきた。
けど、二人はエルヴィスとヘルミーナの様子を見た瞬間に、ピシリと停止する。
「…………へえ? ほう? ふふーん?」
硬直からいち早く抜けたルビーが、興味深そうに婚約者たちを眺め回した。
……嫌な予感。
「ああ、そう。そういうこと? そういやゆうべ、報告帰りにお姫さんとすれ違ったっけ?」
「お、おいバーグソン! 余計なことは―――」
「お前ら、ヤッただろ?」
ガウェインの制止は、残念ながら間に合わなかった。
直接に過ぎるルビーの物言いに、エルヴィスはわかりやすく顔を赤くし、ヘルミーナは恥ずかしそうにはにかむ。
「うふふふ。何のことやらわかりませんわ? うふふふふふ!」
「やったなお姫さん! 満願成就じゃん!」
「ええ、まあ、何のことやらわかりませんけれど、祝福には謹んでお礼申し上げますわ、ルビーさん!」
「どうだった? やっぱ王子様はそういうときも王子様なわけ?」
「いえいえ、それはもう獣のようにたくましく情熱的で―――あ、いえいえいえ! 何のことやらわかりませんっ! うふふふふ!」
女子たちが割と明け透けに盛り上がる一方で、男子たちには気まずい空気が漂っていた。
「あの、殿下……」
「……ごめん、ガウェイン君。何も言わないでくれるかな。本格的にいたたまれなくなる」
「しょ、承知しました」
そんな光景を眺めて―――
「……ぷっ」
わたしは思わず、噴き出してしまった。
瞬間、4人の顔が一斉にわたしに向く。
「……笑った」
「笑った……」
「笑いましたわ」
「笑ってんじゃん!」
次々と指摘されて、わたしは戸惑った。
「え……えっと……何か、おかしい……?」
「ラケル先生……久しぶりに会ってから、ずっと厳しい顔をしてらっしゃったので」
「先公が笑ったの7年ぶりに見たぜ。なあ?」
「ああ。元々あまり笑う人ではなかったが……」
「なんだか安心しましたわ。エルヴィス様たちから聞いていたお人柄とご本人の印象が、まったく違っていましたので……」
そう……だっただろうか。
確かに、時間を戻ってきてから――いいや、そのもっと前から。
ジャックを止めなきゃ、助けなきゃ、って頭の中がそればっかりで……。
こんな風に気の抜けた瞬間は、まったくなかったかもしれない。
「……あ」
不意に、視界が広く感じた。
頭の中にあったつかえが取れて、今までの自分がどれほど狭い視野で世界を捉えていたのか、わかったような気がした。
ジャックか、世界か?
いいや、そういうことじゃない。
わたしが欲しかったのは。
わたしが取り戻したかったのは。
まさに、こういう光景だったはずだ。
だったら、捨てていいはずがない。
放置していいはずがない。
わたしが求めるのは、この光景の中にジャックを帰すこと。
だったら。
「…………ふう」
やるべきことが、ようやくわかってきた。
でも、きっと、わたしだけじゃ足りない。
あらゆる精霊術をルースト級の出力で扱える、最強の精霊術。
そんな程度のもので勝ち取れるほど、ハッピーエンドというやつは安くないらしい。
「エルヴィス……みんな」
意を決して、わたしは4人に言った。
「わたしに、協力してほしい。その代わりに、わたしはわたしの知る限りのことを話す。
7年前のこと。フィルのこと。ビフロンスのこと。……それに、姿を消したアゼレアのことも」
最後の言葉に、ルビーが強く反応した。
「アゼレアの奴がどこに行ったのか知ってんのかっ!? 無事なのか!? アイツはどこに―――」
「ルビーさん」
エルヴィスがやんわりとルビーを制して、わたしに一歩近付く。
「ぼくらからも、お話があります。……本当に、すべて話してくれるんですね?」
「あなたたちが知りたがってることは、きっと全部話せる。
……でも、それをあなたたちが信じられるかどうかはわからない」
「…………わかりました」
エルヴィスは神妙な顔で頷いた。
「場所を移しましょう。誰にも聞かれない場所を―――」
『―――未だ地上に縛られた哀れなお前たちに告げる』
突然、声が降ってきた。
4人は即座に臨戦態勢になって、声が降ってきた空を見上げた。
そこには、なにもない。
晴れ渡った青空があるだけだ。
「なんだ……?」
「どこから聞こえる!?」
「どこのどいつだよ……!」
困惑するエルヴィスたちだったけど、わたしだけは、その言葉に、この現象に、覚えがあった。
浄化の太陽が出現した、あのとき。
ジャックが世界に突きつけた最後通告も、そう、この言葉から始まった。
――未だ地上に縛られた哀れなお前たちに告げる。
しかし。
ひとつ、違うのは。
「……どういうこと……?」
ジャックはもはや、ダイムクルドにはいない。
今も監獄の中で骸のように沈黙しているはずだった。
そして、実際。
その声は。
『畏怖と共に胸に刻むが良い。わたしの名は――――』
女の子だった。
それは、幼い女の子の声だった。




