第41話 ただ、彼だけのために在る自分
今日も一日、何もできなかった。
「……………………」
サミジーナはベッドの上に寝転がり、天蓋を見上げていた。
……大丈夫。
サミジーナに限らず、今はダイムクルドのどこもかしこも、似たようなものなのだ。
ベニーやアーロンたち幹部がどうにか取り仕切っているようだけど、魔王という圧倒的カリスマが欠けた影響はあまりにも大きい。
結局、どこまで行っても、天空魔領という国は魔王ありきの場所だったのだ。
そして……その国の一部である、サミジーナも。
「……サミジーナ?」
気遣わしげに声をかけてきたのは、シトリーだった。
「身体に悪いよ、こんな暗い部屋で……」
「……………………」
回答を拒否するように、ごろんと寝返りを打つ。
「髪もぼさぼさじゃない。お風呂も入ってないみたいだし……。そんなんじゃ、陛下が帰ってきたとき、嫌われちゃうよ?」
「…………帰って、くるのかな」
「それは……」
シトリーは口ごもって、結局、何も答えなかった。
サミジーナはジャックのために生きていた。
生きる目的は、ただそれだけだった。
なのに、ジャックはここにはいない。
もう帰ってこないかもしれない。
だったら……。
……自分は、生きている理由が、ない……。
「サミジーナ―――」
シトリーがさらに何か言おうとしたとき、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「サミジーナさん~? いますかぁ~?」
それは、第五側室のヴラスタの声だった。
サミジーナは答える気力がなかったが――
「あ、開いてる~。入っちゃいますよ~」
ガチャリ、とヴラスタは勝手に入ってきた。
シトリーは慌てて部屋の隅に行き、メイドらしく畏まる。
「あちゃ~。見事な有様ですねぇ~。いくらなんでも、女捨てすぎじゃないですかぁ~?」
(……どうでもいい)
頭の中だけで呟いて、サミジーナは黙殺した。
「よいしょっと」
ぎしっとベッドが軋む。
ヴラスタがベッドの縁に腰掛けたのだ。
「……ご飯、もっとちゃんと食べた方がいいですよ~?」
「……………………」
「重症ですねぇ~……。デイナさんもめっきり覇気がなくなっちゃって~」
ヴラスタはシーツの上に広がったサミジーナの髪先を指でイジる。
「うあ~、若いっていいですねぇ~。手入れしなくても全然綺麗じゃないですかぁ~」
自分も充分若いくせに、妙におばさんくさいことを言う。
「…………この髪も、まおーへーかに可愛がってもらってたんですかぁ?」
突然、そんな囁きが耳元でして、サミジーナは身体をビクリとさせた。
「こんなちっちゃな身体でへーかを慰めてあげてたんですよねぇ~。うわ~、ホントに入ったんですかぁ……?」
お尻をいやらしい手つきで触られるにつけ、サミジーナは弾かれるように起き上がった。
ヴラスタを睨み据えて、
「だから、陛下は、わたしなんて―――!」
「やっとこっち向いてくれましたぁ~」
ヴラスタはほんわかと柔らかな笑顔を浮かべた。
(……あっ……)
引っかかってしまった。
こんなわかりやすい挑発に……。
「ホント好きなんですねぇ、サミジーナさん~。側室の中で、そんなにへーかにベタ惚れなの、たぶんサミジーナさんだけですよぉ~。デイナさんはだいぶ打算入ってますしぃ~」
「ベタ……惚れ?」
「まあ、仕方ないかもですねぇ~。あっちらは、攫われてきたっきり、ほとんど喋ってもいないですし~。好きになりようがないっていうか~。その点、サミジーナさんはよく一緒の部屋で過ごしてますもんね~」
……話したことなんて、サミジーナだってほとんどない。
ジャックがジャック自身のことを話してくれたことなんて、ただの一度だってないのだ。
ただ、その表情が。
姿が。
生き方が。
どうしても、どうしても、目を離させてくれないだけ。
「わたしは……ただの、モノです」
何かに抵抗するように、サミジーナは呟いていた。
「陛下のための、ただの道具……。ただ、陛下の望みを叶える……ただ、それだけで……わたしは……」
「だ~か~らぁ~」
ヴラスタは間延びした声で、しかしピシッとサミジーナの顔を指さした。
「それが、恋してるってことじゃないんですか~?」
「……え……?」
サミジーナは当惑して、ヴラスタの顔を見返す。
「その人のためになりたい、ただそれだけでいい、それ以外はいらない――典型的な恋する乙女ってヤツだと、あっちは思いますけどねぇ~。あっちも、デイナさんのためになれるなら、それですっごく満足ですよ~?」
「えっ」
聞き捨てならない発言があった気がする。
ヴラスタが、デイナのために……?
あれ、でも、性別が……?
「もちろん、デイナさんもあっちのためになってくれたら、もっと幸せですけどねぇ~。差し当たっては、あのすっごいカラダを触らせてくれるだけでいいんですけどぉ~」
「ええっ……!?」
カーッと顔が熱くなる。
朗らかな声と顔で、とんでもないことを言っていた。
ヴラスタはサミジーナを見て、目だけで笑う。
「……これ、デイナさんにはナイショですよぉ?」
こくこくこく、と頷いた。
今のヴラスタは妙に妖美で、抗しがたい迫力があった。
胸がドキドキと早鐘を打っている。
「ふっふ~、よかったです。ちょっと元気になりましたねぇ~」
「あっ……」
気付くと、身体中を埋め尽くしていた倦怠感が、少しだけどこかに行っていた。
「その様子なら……話しても、いいですかねぇ?」
「えっ?」
「小間使いの子に聞いたんですけどぉ~、へーか、処刑されちゃうらしいです~」
「…………えっ?」
ヴラスタの口振りがあまりに軽すぎて、とっさには理解できなかった。
処刑?
誰が?
……ジャックが?
「それで、今、お城の方が大わらわらしいんですよぉ~。『助けに行こう!』って人と『もうやめとこう』って人に分かれてるらしくて~」
ああ……。
考えてみれば、当たり前の話。
あれほどまでに、世界に敵対的な行動を繰り返してきたのだ。
捕まれば、そうなるのが必定……。
「ま~、いちおう、教えておいた方がいいかなって思いまして~」
「……ヴラスタさんは」
「はい~?」
「どっち……だと、思いますか? 助けに行くか、それとも……」
「ん~」
ヴラスタは悩ましげに首を傾げた。
「正直言って~、あっち、別にへーかのこと好きでもなんでもないですし~、どっちでもいいんですけどぉ~」
(それもそうか……)
愚問だった、と思い直した瞬間、
「――でも、旦那を見世物にされて黙ってるってゆーのは、どうかなって思いますねぇ~」
意外な言葉が聞こえて、サミジーナは慌てて顔を上げた。
「泣き寝入りする女は幸せになれないって、あっち、思うんで~。取り返したいものがあるなら、きっと、取り返しに行くべきなんじゃないかなーって~」
そこにあったのは、いつものヴラスタの朗らかな笑顔だった。
「ま~、誰が決めるのか知りませんけど~、自分の好きにした方が、人生お得ですよね~」
極めて能天気な発言に、サミジーナは爽快さすら覚える。
今のダイムクルドでこんなことを言うのは、きっと彼女くらいのものだろう。
しかし……。
「……自分の好きにした結果……他の誰かの迷惑になるとしても、ですか?」
「当たり前じゃないですか~」
即答が来て、サミジーナは目を見張った。
「たいていの恋敵は、蹴っ飛ばすためにいるんですよ~?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
その夜。
サミジーナは、一人でとある部屋を訪れた。
正妻室。
ある一人の少女が眠り続けている場所だ。
サミジーナは幾度となく、ジャックと二人でこの部屋を訪れた。
そして幾度となく、『彼女』の降霊を試み―――
―――幾度となく、それに失敗した。
部屋の奥に掛けられたカーテンに向かい、横に引く。
その向こうに置かれた棺に、一人の女の子が眠っている。
彼女を綺麗なまま保っている冷気を肌に感じながら、サミジーナはそっと手を伸ばし、途中で止めた。
(わたしが、願うのは……ただひとつ)
ジャックに望まれたこと。
ジャックが、自分だけに、望んだこと。
ジャックと、彼女を、再会させる。
ただそれだけ。
ただそれだけのために、サミジーナはこの世に在る。
ならば、そうだ。
迷う必要なんてないし、躊躇う必要なんてない。
立ち止まる必要も――また、ない。
「……フィリーネさん」
少女の――ジャック・リーバーにとって、たった一人の伴侶である少女の、美しい寝顔を覗き込みながら、サミジーナは呟く。
「わたし、きっと、あなたと彼を、会わせてみせますから……。どんな手を使ってでも、必ず、二人を、幸せにしますから……」
だから。
サミジーナは、着ていたドレスをその場に脱ぎ捨てた。
暗い部屋の中で一糸纏わぬ姿となり、祈るようにひざまずく。
魂の世界にリンクした。
探す名前は、いつものようにフィリーネのそれではない。
悪霊術師ギルドがサミジーナに強制した、数々の訓練。
それによって彼女が体得した、【迷魂の人形】という精霊術の最も実戦的な使用法。
サミジーナは初めて自分の意思で、それを発動する。
「――――『限定転生』」




