第40話 ただ、彼だけを救う覚悟
指輪教の総本山、ラエス王国王都レイナーディアの聖ノモラス大霊拝堂は、しばしば国際的な会議の場として使用される。
今回も、ステンドグラスに囲まれた部屋に置かれた円卓に、列強三国の代表者たちが席を並べていた。
ラエス王国国王エリアス4世が名代、第三王子エルヴィス=クンツ・ウィンザー。
ロウ王国国王ヒルデブラント4世が名代、第一王女ヘルミーナ・フォン・ロウ。
そして、センリ共和国大統領エヴェリーナ・アンツァネッロが名代、国家安全保障問題担当大統領補佐官ベリザーリオ・ブリンクマン。
大陸を支配する列強三国、その国家元首の権限をひとどころに集めて話し合うに足る議題など、今の世界には一つきりしか存在しなかった。
「―――フフフ。どうやら意見を擦り合わせるまでもなく、我ら三国の意思は一致していると見える」
油断ならない笑みを口元に刻んで発言したのは、センリ共和国が大統領補佐官、ベリザーリオだった。
「まあ、当然ではありましょうな。この状況、この時機にあって、我らが採るべき選択肢は一つしか有り得ない……」
「……それは早計ではありませんこと? 大統領補佐官様」
諫めるように視線と言葉を向けたのは、ロウ王国が第一王女、ヘルミーナだ。
「未だ戦の傷の癒えぬ今、ダイムクルドを下手に刺激することが得策とは限りません」
「ほう。ではロウ王国は、今しばらく様子を見ると? なるほど、勇猛果敢と讃えられるロウの勇者たちも、喉元に剣を突きつけられた直後は弱気にもなるということですか」
「…………それは我が国への侮辱でしょうか?」
「いいえぇ? 人として、ごくごく自然なことでございましょう。これが侮辱であれば、私は人間という種そのものを侮辱したことになる! いやはや、まさかそのような大それたこと―――魔王でもあるまいし」
くつくつと含みのある笑みを、補佐官ベリザーリオは浮かべた。
ヘルミーナは細く息を吐く。
「……父の意見は、貴国と同様です」
「ほう。では先ほどの発言は、王女殿下ご自身の個人的な意見ということに?」
「…………その通りですわ」
「フフフ! さすがは王女殿下、お優しくていらっしゃる……」
そう言いながら、しかしベリザーリオは、ちらりと横目でエルヴィスの方を窺った。
「まさか婚約者どころか、そのご親友まで庇い立てなさろうとするとは。それも、ご自身が手籠めにされかかったばかりだと言うのに! その海のように深い愛情に、わたくし、感服するばかりでございます―――」
「あなたね―――!!!」
ヘルミーナが激発して円卓を叩こうとした寸前に、エルヴィスが手を出して制した。
「会議中です、ヘルミーナ王女殿下」
「で、でも、エルヴィス様……」
「会議中です」
エルヴィスは今一度、語気を強めて彼女を諫める。
今ここにいるのは、エルヴィス=クンツ・ウィンザーという少年と、ヘルミーナ・フォン・ロウという少女ではない。
ラエス王国第三王子と、ロウ王国第一王女という公人なのだ。
私的な感情を差し挟むことは許されない―――エルヴィスは暗に、そうヘルミーナに言い含めたのである。
「補佐官殿。我が国の国王、エリアス陛下のお考えをお伝えします」
口元に笑みを滲ませ、ベリザーリオは頷いた。
「魔王ジャック・リーバーを、可及的速やかに公開処刑とする。日時・場所等は、社会的影響を考慮に入れ、三国での協議をもって調整する」
飽くまで平静に言い切ったエルヴィスに対し、ヘルミーナは辛そうに顔を俯かせた。
ベリザーリオは満足そうに頷く。
「公開処刑とはまた旧弊的で野蛮ですが、今回ばかりは事が事です。魔王が死んだその瞬間を全世界が目撃しなければ、人々の心に安寧は戻ってこない……。
意見が一致したことを喜ばしく思います、エルヴィス殿下。では、具体的な日時と場所について提案させていただいても?」
「どうぞ。いずれにせよ、一度持ち帰って検討することにはなりますが」
「承知しております」
その後は極めて事務的なやり取りが続き、それぞれの国が希望する公開処刑の日時と場所について提示し合った。
会議が終わると、補佐官ベリザーリオは真っ先に席を立ち、「ではわたくしめはこれにて」と柔和な笑みを浮かべて、議場を立ち去った
それから、エルヴィスは無言で席を立つ。
「エルヴィス様! ……よろしかったんですの……?」
エルヴィスは立ち止まり、そのまま、振り向かなかった。
煌びやかな光に満ちる議場内を仰いで、彼はぽつりと呟く……。
「……覚悟は、してたさ。彼は、あまりにやりすぎた……。今さら命だけは――なんて、どうやったって通らない」
「ですが……!」
エルヴィスはヘルミーナに振り返った。
その顔を見た瞬間、ヘルミーナは言葉を失う。
あの『天才王子』エルヴィスが―――
今にも、泣きそうな顔をしていたのだ。
「いくら精霊術が強くても、どうしようもないことはあるんだよ」
その言葉は。
今、この場にはいない、別の人間へと向けられたものだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「…………ジャック」
「……………………」
この世で最も堅牢と言われる監獄。
あらゆる精霊術への対策を施したとされるこの巨大な檻の中に、今は彼一人しか収監されていなかった。
たった一人。
彼たった一人を戒めることに全力を注ぐために、他の囚人たちは一時的に移送されたのだ。
「ジャック……」
「……………………」
わたしは鉄格子越しに何度も呼びかけるが、手錠と鎖に繋がれた彼は、壁際に座り込んだまま微動だにしない。
出された食事も、ほとんど手を付けていないようだった。
「ジャック……お願いだから、返事をして……? わたしに、顔を見せてよ……」
「……………………」
返ってくるのは、浅い呼吸の音だけ。
ただそれだけが、ジャックがまだ死んでいない証明だった。
「……………………」
……でも、それは、ただ死んでいないだけで……。
生きているとも……とても言えない。
まるで呼吸する骸。
7年前、学院に跋扈したゾンビたちの方が、まだしも生命的だと思えるくらい、ジャックは生きていなかった。
「……ジャック……」
魔王としての彼を倒せば、ひとまずは問題が解決すると思っていた。
その後にもいろいろと問題が山積するだろうけれど、それを順番に解決していけば、きっとジャックが幸せになれる未来に辿り着けるだろうと思っていた。
でも……。
打ち負かし、救い出したはずのジャックは、物言わぬ人形と化した。
きっと、彼には、魔王であることが必要だったのだ。
魔王として活動することが、彼にとって唯一の、生きる目的だった。
なのに……わたしが、それを、奪ってしまった……。
彼ならば、生きてさえいれば、また別の何かを見つけ出すかもしれない。
フィルを喪って失意に沈んでいた日々から、魔王という形ではあれど、復活してみせたように。
そう――生きてさえいれば。
ジャックの処刑が、つい今朝、公示された。
執行日までは、1週間ほどしかない。
それまでに彼が生きる意義を見いだすことは、きっと不可能だった……。
『ラケル先生は、大人しくしていてください』
エルヴィスは王子としての顔と言葉で、わたしにそう言った。
『ジャック君を――魔王を捕まえてくれたことには、本当に感謝します。あそこで捕まえていなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれません。
――でも、列強三国は、今、先生との距離を測りかねています。
単騎で魔王軍を突破し、魔王本人を一瞬で捕えてみせたその力が、今度は自分たちに振るわれるんじゃないかと。
もし、先生がジャック君を助けるために動いたら、きっと先生は世界を敵に回すことになる。
そして、勝ってしまう』
必死に平静な顔を繕っていたけれど、その声は痛みに耐えるものだった。
『先生なら、ジャック君を助けることは、きっと簡単です。
でも……お願いです、それはやめてください。
ジャック君が助かる代わりに―――せっかく救われた世界が、滅びてしまうかもしれません……』
……わたしが直接手を下さないとしても、魔王の処刑に失敗した三国は、今度こそ完全に威信を失うだろう。
そうなれば各国の情勢は乱れに乱れて、魔王軍との戦争以上に多くの人たちが死ぬかもしれない。
国の一つや二つ倒れることだって、容易に想像がついた。
―――ジャックのために、世界を見捨てる覚悟はあるか?
わたしの中で、そう問いかける声があった。
それはエルヴィスの声でもあったし、老師の声でもあったし、少女Xの声でもあった。
わたしは答えない。
答えられない。




