第39話 神意の接収
ジャックとエルヴィスによる、数キロもの距離を挟んだ攻防が、街の空で繰り広げられる。
それを見上げながら、わたしはブレイディアを囲う城壁に近付いた。
城壁の上は、竜騎兵たちが投げ落とした爆弾によって大わらわになっている。
そこに魔物たちが詰めかけて、兵士たちが壊乱しているところだった。
……ここを抜けるのは、難しいか。
エルヴィスの方にジャックの目が向いている今なら、わたしも比較的自由に動けるはずだ。
けれど、戦場を監視している彼の部下がわたしに気付き、その情報がジャックに渡れば、未来が変わってしまう公算が大きい。
できるだけ目立たずに、街の外に抜けないと。
もちろん、一番楽なのは【絶跡の虚穴】で瞬間移動してしまうことだけど、あれは使うと大気に独特の流れを生む。
魔王軍がそれを感知する仕組みを用意していないとは、とても思えない。
【一重の贋界】を使うのが無難か。
何らかの手段で感知されてしまう可能性はあるけど、視覚だけ欺瞞して、あとは戦場の混乱に紛れてしまおう。
【一重の贋界】で姿を隠し、【巣立ちの透翼】で城壁を超える。
その後は、補給のため撤退していく魔物たちに混ざった。
ここでも【一重の贋界】が活躍して、わたしはゴブリンの姿に自分を偽装する。
男に化けるのはいい加減慣れたけど、ゴブリンになるのは不思議な感覚だ。
空で応酬されていた、ジャックとエルヴィスの攻防が終わる。
……そろそろだ。
天空魔領ダイムクルドが領する浮島の一つ――比較的小さな衛島が、ゆっくりとブレイディアに移動し始める。
それは、周囲の大気をすごい勢いで吸い込んでいた。
無質量爆弾。
街ひとつ簡単に消し去ってしまう、脅威の兵器。
そのうえ、きちんと処理できたとしても、すでに充分な大気を吸い込んでいたら、その分はしっかり撒き散らされてしまう。
前回は、すんでのところでわたしが相殺して事なきを得た。
でも、今回は違う。
あの爆弾が威力を増す前に処分する。
わたしは地上から飛び上がった。
瞬間、きっとダイムクルド側もわたしのことに気付いただろうけれど、もう遅い。
動き出したばかりの無質量爆弾。
まだほとんど大気を吸い込んでいない、ただの巨大な岩塊でしかないそれに、わたしは接近した。
懐から扇子を取り出した。
模倣する精霊術は【清浄の聖歌】。
その昔、嫌ってくらい叩きのめされた、師匠の精霊術。
「―――『空震』―――!!」
扇子を振るうと同時に、大気に強烈な震動を纏わせた。
無質量爆弾のコアがそれを受けて、亀裂に覆われる。
悪質かつ凶悪な破壊兵器は、しかしその真価を発揮する前に、無数の岩の欠片に変わった。
これでよし。
無質量爆弾の処理に成功したわたしは、そのままさらに空を飛翔する。
……未来を知っている、というだけで、こんなにも簡単に事が進むものなのか。
なんだかやってはいけないことをしている気分になる。
世界の流れから自分が浮遊していくような、何とも言えない恐怖感があった。
けれど、知ったことか。
これがどれだけ悪いことでも、ジャックが理不尽に不幸な末路を辿るのを見過ごすわけにはいかない。
ブチ壊すのだ。
運命なんて、呪いなんて、この手で全部壊してしまえ―――!!
魔王城の屋上まで一気に飛翔した。
屋上庭園には3人の人影がある。
一つは、ジャックの副官、ベニー。
一つは、ジャックの側室、サミジーナ。
そして、魔王ジャック・リーバー―――
わたしが空から彼らを睥睨すると、ジャックがこちらを見上げて眉を上げた。
「……師匠……?」
わたしは何も言わない。
もう、問答は必要ないの。
ただ、ここで、あなたを止められさえすればいい。
「―――ッ!!」
わたしが出した敵意を、ジャックが明敏に捉えた。
サミジーナとベニーの重さを消しながら、強く突き飛ばす。
直後、どこからともなく無数の銃が湧いて出た。
浮遊する銃が編隊を作るのを眺め、わたしは自嘲的に笑う。
前回は、この銃の編隊に、ずいぶん手を焼かされたっけ。
でも――今のわたしには、もう通用しない。
「〈シャックス〉」
わたしが精霊の名を呼ぶと、背後にコウノトリの姿をした化身が揺らめき立った。
もう忍ぶ必要もない。
出力を全開にする。
選択する精霊術は【黎明の灯火】。
わたしは右手から、炎を迸らせた。
蒼い炎が、銃の編隊を焼き払う。
「なに……!?」
ひと薙ぎ――いいや、ひと撫でだった。
銃のすべてが、一瞬にして溶解した。
脅威を取り除いたわたしは、ジャックがいる魔王城の屋上へと、軽やかに降り立つ。
「……ラケル。お前……どうして、蒼い炎を……」
「さてね」
どうしてわたしが、〈切り開く松明のアイム〉のルーストにしか使えないはずの蒼炎を使えるのか。
ヒントはひとつ。
今もわたしの背後で陽炎のように揺らめいている、〈忠実なる影法師のシャックス〉のアバター。
「師匠……ルーストに……!」
「なんて驚いてみせながら、兵器としての魔王城を起動しようとしてる?」
「っ……!?」
今度こそ、ジャックは本当の驚愕で固まった。
ああ……少しだけ、寂しい。
未来を知っている上に、こんな術まで使えたら―――
―――精霊術戦なんて、もう成立すらしない。
「悪いけど、戦ってあげるつもりはないの。わたしはただ、あなたを止めに来た」
わたしは頭上に右腕を掲げた。
そして、第三の眼を開眼させる。
世界を構成する情報そのものを知覚するその目で、右腕の先にある大気の質量を分析し、これを改竄。
――倍加。
わたしの右腕の先に、巨大な蜃気楼の剣が伸びた。
「…………ああ…………」
それを見上げて、ジャックが漏らしたのは、悟ったような声だった。
「賢いあなたは、もうきっとわかってしまっただろうけれど。介錯として、ちゃんと説明する」
蜃気楼の剣を振るう前に、わたしは情報の刃を振るう。
「これが、わたしの精霊術【神意の接収】の本当の力。
模倣した精霊術を、3種類まで同時に、ルースト級の出力で扱える」
ジャックの瞳から戦意が失われ、代わりに諦念が過ぎった。
「ごめんね。――だから、どうやってもまともな戦いにはならない」
く、く、と。
かすかに、ジャックは残骸めいた笑いを零す。
「―――どうせなら、俺の能力も、そういうバカげたチートにしてくれればよかったのにな」
わたしは蜃気楼の剣を振り下ろした。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
何が起こったのか、うまく掴めなかった。
ヴォイド・ボムが動き出した直後に砕け散ったかと思えば、空に女の人が現れて、サミジーナはジャックに突き飛ばされた。
そして、戦いとも言えない一方的な展開の末に、ジャックは屋上庭園の地面に倒れ伏していた。
ふわふわと浮遊していたサミジーナとベニーが、急に重さを取り戻して地面に落ちる。
それが意味するのは、ジャックが気を失ったということだった。
(陛下が……負けた……?)
……現実感が追いつかない。
まるで夢でも見ているよう。
まさか、こんなにあっさりと?
まさか、こんなに呆気なく?
まさか、こんなに簡単に?
いくつもの『まさか』が重なって、それでも現実は、そのすべてをことごとく否定する。
こんなにあっさりと、こんなに呆気なく、こんなに簡単に。
魔王は、負けたのだ――と。
突然に現れた女性が、気を失ったジャックを抱え上げた。
「あっ……!」
瞬間、サミジーナの胸中に、現実感の欠如などどうでもよくなるくらいの感情が吹き荒れる。
「だめ……だめっ……!」
手を伸ばす。
足を踏み出す。
それでも、ジャックには届かなかった。
ジャックを抱え上げた女性は、ふわりと空に浮き上がる。
(だめ……おねがい……お願いだから……!)
女性はサミジーナたちに背を向けて、ブレイディアの方へと飛び去っていく。
その背中は見る見る小さくなって、それでも、サミジーナは手を伸ばすのをやめられなかった。
ただ。
胸の中に開きつつある、巨大な空白に衝き動かされて。
(その人を、持っていかないで―――!!)
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
……こうして、あまりにも呆気なく、魔王ジャック・リーバーは捕らえられた。
領主を失ったダイムクルドはロウ王国から兵を引き、戦もまた終結する。
この2年ほどの間、世界を脅かし続けた天空魔領は、たった一人のエルフの少女によって、嘘のように沈黙した。
そして、因果は新たな世界を紡ぎ出す。
[浄化の太陽炸裂まで、残り∞時間]
[浄化の太陽――発生せず]




