第38話 快刀乱麻
アゼレアを無力化する。
いや――アゼレアの姿をした何者かを無力化する。
とはいえ、いきなりエルヴィスたちに襲いかかってアゼレアを捕まえるのは得策ではないと思う。
他の3人の抵抗を受けている間に、アゼレアの姿をしたあの子に何をされるかわからない。
……いつまでも『アゼレアの姿をした何者か』だと面倒だ。
わたしは便宜的に、アゼレアの姿でわたしを殺した彼女を――星空の世界で出会ったあの謎の女の子を、『少女X』と仮称することにした。
呼び名を付けてみると、矮小化というか、そいつは確かに居るのだと実感することができる。
運命や呪いといった曖昧な概念ではなく、今この瞬間も世界のどこかで呼吸している誰かなのだと、そう感じられることが、重要なことであるように思えた。
本当の名前が――もしそんなものがあればだけれど――わかるなら、もっといいのだけれど。
話を戻そう。
少女Xの無力化は、行動を共にしているエルヴィスたちに気付かれない間にやってしまいたい。
エルヴィスたちの協力を得られるならもちろんそれが一番だけど、『アゼレアの中にいる危険な誰かが未来でとんでもないことをするのだ』と言って信じてもらえるほど、今のわたしに信用はないと思う。
黙って姿を消したのが、ここで仇になってしまった。
それに、わたしに未来の知識があることを少女Xに知られるのは避けたい事態だ。
それによって未来がわたしの知らない方向に進んでしまうと、せっかくの有利が無に帰してしまう。
事は妨害の余地すらないくらい、静かかつ迅速に進めるべきだ。
幸い、わたしにはスムーズに少女Xを無力化できるタイミングに心当たりがあった。
セーブポイントの日から数えて、2日目。
魔王軍によって、ロウ王国が侵攻される日。
遠くから様子を窺っていた当時のわたしの記憶が正しければ、首都ブレイディアに駆けつけたエルヴィスたちは、急ぐばかりに一時的にバラバラになる。
まず、エルヴィスがヘルミーナ王女を救い。
ガウェインがジャックの攻撃から二人を守り。
ルビーが敵兵から情報を収集してから合流し。
然る後に、アゼレアが追いついてくる。
狙うなら、あのとき。
アゼレアが――少女Xが孤立した、あの瞬間だ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
前回よりも早くブレイディアに入ったわたしは、彼方の空に浮遊するダイムクルドを見やった。
「……ジャック……」
わたしの記憶にある最後の彼は、激昂して少女Xに襲いかかっていた。
あの後、いったい彼がどうなったのか、わたしは知らない。
それでも、人類の死に絶えた世界で、幸せになれたはずはない。
級友を手に掛けて、人類さえ滅びに追いやり、最期はたった一人、絶望に沈む。
あんな結末でいいはずがない。
ジャックの人生が――あんな結末で、いいはずがないんだ。
『今』は、ジャックも、エルヴィスたちも、みんな生きている。
けれどこのままなら、今から7日後に、彼らはみんな悲劇めいた結末に辿り着く。
否定するのだ。
塗り潰すのだ。
あんな未来は、あの子たちには必要ない。
やがて、魔王軍とロウ王国軍とで戦端が開かれた。
この戦争を無理やりにでも止めることは、きっと今のわたしには難しくない。
けれど、やっぱりそのためにも、あの得体の知れない少女Xが邪魔だった。
エルヴィスたちがブレイディアに到着したのを遠目に確認する。
遠目なのは、近づきすぎるとエルヴィスの『王眼』に気取られるからだ。
ジャックとの戦いが始まってからなら、きっと彼の優秀な眼もそちらに向いてくれることだろう。
「先に行くよっ!!」
「んなっ……! お待ちください、殿下!」
「んじゃ、あたしもちょっくら……」
「ルビーまで!? ああもう! 協調性がないんだからっ……!」
空を直接走って王城上部のバルコニーへと向かうエルヴィスと、それを追いかけるガウェイン。
ルビーも情報収集のため単独行動を始めて、アゼレアはバラバラに動く仲間たちに当惑して取り残された。
……今だ。
戦争中の首都ブレイディアに、通行人の影はない。
ただ一人、アゼレアだけが、石畳の通りを走っていた。
わたしは路地の暗がりで息を潜め、彼女の足音を聞く。
……引きつけよう。
できる限り……。
一瞬で終わらせる。
恐れる必要はない。
アゼレアの姿を真似ているだけなのか、何らかの精霊術で身体を乗っ取っているのか――考えたくはないけれど、アゼレア本人がジャックを出し抜き、全人類の絶滅を画策しているのか。
詳しいことはまだわからない。
けれど、彼女はわたしが未来から戻ってきていることを知らないのだ。
わたしに正体がバレていることを、彼女は知らないのだ―――
今こそ、千載一遇の好機。
逃しは、しない。
足音が目の前まで来た瞬間、わたしはアゼレアに掴みかかった。
「えっ? きゃっ……!?」
狙うは首。
首を掴んで電撃を流し、一気に失神させる!
腕を全力で伸ばし、指先が、アゼレアの白い首に―――
―――触れた!
……おしまいだ。
退場しなさい、少女X!
「……ッ!!」
わたしが指先から電撃を流した、その瞬間。
ボウッ、と。
一瞬だけ、アゼレアの全身を蒼い炎が纏った。
「……!?」
起こったことを理解して、わたしは驚愕する。
電撃を燃やした!?
「このっ!!」
アゼレアの手から蒼炎が迸り、わたしは距離を取らざるを得なかった。
髪の先がチリッと燃えるけど、地面の石畳には焦げ一つつかない。
そうか……。
【黎明の灯火】という精霊術は、極めると燃やすものと燃やさないものを完全に選ぶことができると言う。
これは、本来なら燃えるはずのものを燃やさないこともできる、という意味ではない。
本来なら燃えないものも燃やすことができるようになる、という意味だ。
だから、電撃という決して燃えるはずのないものも、アゼレアなら燃やすことができる。
そして、燃やさないこともできるから、自分の身体には火傷ひとつ残らない―――
なんて万能性……!
さすがは、世界で一番と言っていいくらいポピュラーな術のルースト!
「何者っ!? まさか魔王軍がもう街中まで―――って、え?」
アゼレア――の姿をした少女Xは、改めてわたしの顔を見て目を丸くした。
「ら……ラケル先生? ラケル先生よね!?」
以前は、ジャックに足取りを掴ませないためにも、【一重の贋界】で男に化けていた。
教師としての、師匠としての役割を全うできなかった引け目から、合わせる顔がなかった――という理由も、一応あったけれど。
今や、そんなことを気にしている場合じゃない。
使える限りの精霊術をいつでも全力で使えるように、わたしは素顔のままでいた。
「どこに行っていたんですか、今まで!? 急にいなくなって……私たち、先生に聞きたいことがあって、あれからずっと……!!」
「……白々しい」
わたしは白けた気持ちで、少女Xを見据えた。
「あなたが目論んでることはわかってる。……もう、あなたにジャックは渡さない」
「え? ……どういう、ことですか……?」
少女Xは戸惑いの表情を見せるが、おそらくはこれも演技だ。
人類が滅亡し、絶好の状況が整うあの瞬間まで、彼女はすぐ傍のエルヴィスたちをも騙し続けた。
きっとこれも、少女Xの恐ろしい部分の一つなんだろう。
あまりに完璧すぎる、演技力。
時間はかけられない。
戦闘になって目立つのも論外だ。
電撃が効かないのがわかった以上、彼女を迅速に無力化する手段は、これくらいしかない。
わたしは【絶跡の虚穴】を使用した。
「えっ?」
「じゃあね」
一瞬。
本当に一瞬。
呆気ないほどに、一瞬で―――
赤い髪の少女の姿は、わたしの前から消滅していた。
「……………………」
注意深く、わたしは警戒を持続させる。
……いない。
大丈夫。
本当に……消えた。
「……よしっ……!」
なんてことはない。
しばらくの間、わたしのやることに手を出さないでいてくれればいいのだ。
だから、彼女には旅に出てもらった。
【絶跡の虚穴】による空間移動で、遥か世界の果てへ。
帰ってくるのに、果たして何ヶ月かかるだろう。
その頃には、きっとすべてが終わっている。
「……次だ」
最大の障害が消えた。
でも、これで終わりじゃない。
むしろ増えた問題もある。
この後、ジャックが巨大な無質量爆弾を首都ブレイディアに向かって放つ。
前回は、そのコアをアゼレアが焼き尽くすことで、街に至る前に処理することができた。
けれど、アゼレアはもういない。
……あの無質量爆弾を処理できる人間がいなくなった。
このままだと、この街は爆弾に吹き飛ばされる。
そして、わたしの目的の一つは、ジャックの計画を食い止めること。
やがて世界の中天に輝く浄化の太陽の炸裂を阻止すること。
この2つの問題を一挙に解決する方法が、今のわたしになら存在する。
つまり―――
わたしは街の外に浮かぶダイムクルドを見やった。
「いま行くからね…………ジャック」
―――つまり、だ。
まだ浄化の太陽が出ていない今のうちに、ジャックを倒してしまえばいいんでしょう?




