第37話 ルールとゴールと初手
『――心しな』
人里離れた僻地に住処を構えていたその老人は、わたしに向かってしわがれた声で警告した。
『この力――【因果の先導】は、決して万能の力じゃあない。
時間を逆戻りできるなんて聞いちゃあできねえことなんざねえように思えるだろうが、実際にはいくつかの制限がある……』
『制限……ですか?』
『まず第一に、何年もの長い時間を遡行することはできねえ。一週間か……長くても一ヶ月ってところか。そのくらいが限界だ。エルフのお前さんなら、もう少し長く行けるかもしれんがな』
『時間制限が……? なぜ?』
『人ってのは、知らねえうちに更新され続けている』
老人は白髪だらけの頭をコツコツと指で叩いた。
『変わっていないように思えても、変わり続けている――過去の自分と現在の自分は、完全な他人だ。感覚上の話じゃあなく、実際にそうなっている。記憶も経験も積み重なるし、身体だって変わるんだから、考えてみりゃ当たり前の話だ。
過去の自分が、未来の自分を受け入れた時、その齟齬を調整しようとして、魂に負担がかかる。
あまりに遠い過去に跳びすぎると、寿命を縮めることになるぜ』
と言いながら、老人は皺だらけの老体でキセルを吸っていた。
『不思議なのは、その「変化」が、どうやら段階的に起こっているらしいことだ。
過去から未来にかけて、1秒ずつ1分ずつ徐々に変わるのではなく、ある時ある瞬間にピッと変わる―――
経験上、眠っている間が多い。どうやら「夢」ってやつにそういう機能があるみてえだ』
『その「変化の瞬間」にしか、時間遡行――ええと、「タイムリープ」はできないんですか?』
『基本的にはな。未来から戻ってきた自分と現在の自分との調整作業が、一番うまくいきやすい瞬間なんだろうさ。
この瞬間を、おれは「セーブポイント」と呼んでいる』
聞き慣れない言葉であるはずだったが、この時のわたしは、なぜかすんなりと老人の説明を聞き入れた。
『何も考えずにタイムリープをすれば、直近のセーブポイントに戻ってくることになる。それより過去のセーブポイントに遡るには、寿命を犠牲にしなけりゃならない。それでも一つか二つならどうにか無事に済むと思うがな。
セーブポイントが来る間隔は、おれの場合は平均で一週間くらい、早ければ24時間以内に来たこともある。
が、お前さんはおれよりずっと時間感覚が速いエルフだ。もっと間隔が長いと見ていいだろう。さっきも言った通り、1ヶ月程度は自由に行き来できる可能性がある。
これは憶測だからな。鵜呑みにするなよ』
『……あの』
『なんだ?』
『……仮に、1つ前のセーブポイントにタイムリープをして、そこからさらに1つ前のセーブポイントに――と繰り返していけば、代償を払わずにいくらでも過去に遡ることができるのでは……?』
『当然そう思うだろうな。無論、無理だ』
『なぜ……?』
『詳しいことは知らん。だが、一気に遡行するのと少しずつ遡行するのとで、魂への負担が変わったようには思えなかった。
……少しずつ遡行すりゃあ、ヤバいと思ったところで思い留まれる、って利点は、確かにあるがな』
それは経験者の語り口だった。
彼も何か認めたくない過去を変えるために、寿命を犠牲にする覚悟をしたことがあるのだ。
しかしそれも、途中で断念された……。
『とにかくこれが、この力の制限の一つ。制限はもう一つある。
……つっても……これは、この力の制限というより、世界の制限と呼ぶべきだろうがな』
『世界の、制限……。それは……?』
『なあに、当たり前の話さ』
皺だらけの唇を自嘲するように歪めて、老人は言った。
『過去はなかったことにできても、あったことはなかったことにはならない。――絶対にだ』
わたしが言葉の意味を理解する前に、老人はこう続ける。
『これを、「因果」と言う』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
過去遡行――タイムリープの成功を確認したわたしは、宿屋を飛び出して世界の状況を調べて回った。
この街には覚えがある。
ロウ王国が侵攻されると聞いて、その王都ブレイディアに向かっている途中、一泊した街だ。
記憶が正しければ、浄化の太陽が炸裂して人類が滅亡した日の8日前。
魔王軍によるロウ王国首都ブレイディアへの本格的な侵攻が始まった日の前日だ。
お店の人などからそれとなく話を聞いて、その記憶が正しいことを裏付けた。
明日、魔王軍によってブレイディアが侵攻される。
勇者となったエルヴィスたちと魔王となったジャックが初めて対峙し、あの巨大な無質量爆弾が街を襲い、炸裂したそれをわたしが除去する――
……少し、時系列を整理してみよう。
今日、この日を1日目として、ジャックやエルヴィスたちの行動を中心に、起こったことを思い出していく。
●1日目
・セーブポイント
●2日目
・ロウ王国首都ブレイディア侵攻
・勇者一行、その救援へ
・魔王軍撤退
●3日目
・勇者一行、ロウ王城に宿泊
・夜、浄化の太陽出現
●4日目~6日目
・勇者一行、霊峰コンヨルド崩壊跡を目指して移動
●7日目
・勇者一行、ダイムクルドに潜入
・夜、ガウェイン狙撃に倒れる
・深夜、ラケルとジャックが戦闘
・雨が降り始める
●8日目
・昼頃、ダイムクルドへの移民が終了
・日没時、浄化の太陽炸裂
こんなところか……。
こうして見ると、浄化の太陽はたったの5日で炸裂してしまったことになる。
5日で充分な移民が済むだなんて、さすがにジャックも考えていなかったと思うから、これはダイムクルドとしても想定以上に早い炸裂だったんじゃないだろうか。
そうなってしまったのは、おそらくヘルミーナの誘拐に失敗したから。
浄化の太陽のコアに使う金属を、彼女の精霊術で制御することができれば、炸裂のタイミングもある程度、制御できたはずだと思う。
でも……。
「問題は、そこじゃない……」
仮に、浄化の太陽の炸裂タイミングをコントロールできるようにしてみたところで、意味はあるだろうか。
そもそも、わたしの目的はなに?
時間を遡ってまで、わたしは何がやりたいの?
決まっている。
ジャックを助けることだ。
そのためにはどうすればいい?
一つは、魔王として暴走するあの子を止める。
浄化の太陽の炸裂を阻止する。
そして―――
あの子を陥れようとする何かから、あの子を守ることだ。
だから、初手は決まり切っていた。
わたしの頭に浮かぶのは、アゼレアの姿をした何者か。
前回のわたしの命を直接的に刈り取った、わたしの『敵』。
真っ先に、アイツを排除する。
すべては、そこから始まるのだ。




