第31話 あの日の扉を開くために - Part7
「世界再構築―――」
無数の瓦礫が激突を繰り返して混じり合い、積み木のように世界を組み上げてゆく。
「―――『毎日通ったはずの校舎』」
組み上げられたのは、何棟かの建物と大きな広場から成る空間。
先ほどの高層建築街に比べれば、規模は比べるべくもない。
しかし、どうしてだろう。
この風景は、エルヴィスの胸を、より強くノックした。
(ここは、学院……? いや――)
似た雰囲気だが、違う。
横に大きく広がる3階建ての建物は、精霊術学院の校舎に似た機能こそ感じるものの、建材からしてまったく異なっていた。
ジャックの姿は屋上にあった。
柵の向こうからこちらを見下ろしていたかと思うと、背を向けて消えてしまう。
「……行こう!」
エルヴィスは仲間たちに言った。
先ほどジャックが告げたことは、まだ消化しきれていない。
本当に、理解できなかった。
知らない言語を聞いたかのようだった。
しかしそれでも、退くわけにはいかない。
たとえ彼の言うことが理解できなかったとしても。
エルヴィスたちにとって、ジャックは―――
4人は入口から校舎の中に飛び込む。
玄関には背丈以上もある大きな箱のようなものが並んでいた。
エルヴィスたちがその間を通り抜けようとすると、箱のようなものに無数に付いている扉から、一斉に銃口が首を出す。
「わかってるのよっ!!」
即座にアゼレアが蒼炎を渦巻かせ、箱ごと銃を焼き払った。
玄関はあっという間に炎に包まれて、箱はことごとくが朽ちて薪となる。
銃弾の一発すら発射を許さなかったが、自らが生み出したその光景を見るなり、アゼレアは自分の胸を掴んだ。
「……なに、これ……。胸が苦しい……。まるで、大切なものを踏み躙っているような……」
エルヴィスもまた、その感覚に襲われている。
これは――そう。
罪悪感だ。
こんな建物に見覚えはない。
壁の雰囲気や調度の様式に至るまで、ひとつたりとも見覚えはない。
だから、これは錯覚だ。
あるいは、ジャックの言葉が何一つ理解できなかった事実が、まだ尾を引いているだけ……。
エルヴィスは頭を振り、ジャックを探すため階段に走る。
床もまた奇妙な材質だった。
大理石のように輝いているのに、大理石ほどの冷たさを感じない。
見た目は蝋のような質感だが、蝋より明らかに硬い。
だからなのか。
ジャックの姿を探して階段を駆け上るたび、入ってはいけない場所に入っているかのようなそら寒さを感じた。
不気味?
恐怖?
否、それらともほんの少し違う。
「……どうして……?」
階段を駆け上がりながら、アゼレアがぽつりと呟いた。
「この建物の中にいると……どうして、こんなに寂しく感じるの……?」
そう……この感覚は、孤独感だ。
人里離れた山奥に一人取り残されたような心許なさが、建物を構成するすべてから襲いかかってくるのだ。
あれほど疎ましく思っていた銃を、今はむしろ求めていた。
少しでも知っているものが出てきてほしい。
時を経るごとに、そんな気持ちが胸を満たしていった。
3階に上がったところで、願いが叶う。
一本道の廊下の向こうに、ジャックの背中が見えたのだ。
彼は廊下沿いに並ぶ部屋の一つに姿を消した。
ガララッ――バタン。
そんな風な、扉の閉まる音が聞こえた。
4人は廊下を走る。
部屋がある側にも窓があり、室内の様子を覗くことができた。
長方形の部屋、教壇、前には黒板。
これは教室?
整然と並んだ机と椅子は、一部屋につき30個ほどもある。
それらは木と金属を両方使って作られたもののようで、精霊術学院のものとは、やはり根本的に異なっていた。
ジャックが消えた部屋の前に辿り着く。
引き戸を開ければ、そこもやはり、他の部屋と同じ内装の教室だった。
30個ほども並んだ席の一つ。
窓際の席に、ジャックは座っている。
魔王であるはずの彼が、まるで十把一絡げの一般人のように――
「……最後の記憶は、ここだったな……」
夕焼けに染まる窓外を見やって、ジャックは呟いた。
「……ああ……そういえば、あいつは大丈夫だったのかな……」
「―――ジャック君っ!!!」
エルヴィスは強く呼んだ。
理由はわからない。
だが、そうしなければ、彼がどこか遠くに消えてしまうように思えたのだ。
無言で立ち上がったジャックを見据えて、エルヴィスは一歩、教室の中に踏み込んだ。
「……確かに、ぼくにはきみの言うことはわからなかった。
―――でも!」
4人は恐れなかった。
理解できなかった衝撃。
彰顕した断絶。
それでも変わらない、と教室への一歩で証明する。
「わかることはある。これだけはわかるんだ!
苦しんでいるんだろう……!?
苦しんでいたんだろう……!?
たった一人で! 誰に打ち明けることもなく!」
ざわざわと。
ジャックの髪が逆立ったように見えたかと思うと、教室中の机や椅子が本当に浮かび上がった。
「わかるものか」
虚のような瞳が、はっきりとした拒絶を示す。
「わかるものかッ! お前たちにッ!!!」
浮かび上がった机と椅子が、一斉にエルヴィスたちへと殺到した。
あたかも獲物を見つけた蜂の群れ。
しかし、アゼレアが。
しかし、ガウェインが。
しかし、ルビーが。
そのことごとくを弾き返してみせた。
そして、真打がやってくる。
『たそがれの剣』を手に接近したジャックと、『天の剣』を手に迎え撃ったエルヴィスとが、教室の中心で激突した。
「そりゃあわからないことくらいあるさ……! 当然だろう!? ぼくときみとは他人なんだ! 何もかもが通じ合えるなんて思い上がっちゃいない!!
でも!
それでも―――!!」
ジャックが眉を上げる。
『天の剣』が。
『たそがれの剣』を。
押し返す。
「―――ぼくらは、友達じゃないかッ!!!」
エルヴィスの足が動いた。
ジャックの身体を押した。
押して押して押して窓際に押さえつけ、壁に亀裂を走らせ、破壊して、さらにさらにさらに―――!!
校舎の外にある、大きな運動場に叩き伏せる。
舞い上がった粉塵の中に、壊れた壁から飛び出した4人が躍り込んだ。
「なんで相談してくれなかったのっ!?」
アゼレアの蒼炎が迸る。
「なぜ頼らなかったッ!!」
ガウェインの剣が巨大化して薙ぎ払う。
「わからねーなりに、できることはあっただろーがッ!!」
ルビーの矢が透明化して乱れ舞う。
「そうさ! わからないなりに、話を聞くことくらいはできただろう!! お菓子でも食べながらさ、愚痴ることくらいできたはずじゃないかッ!!
フィリーネさんは、きっとそうしてくれただろう!?」
粉塵が渦を巻いた。
竜巻の中心にある魔王の表情は、もはや鉄面皮にあらず。
苦悶に堪えるような、後悔に喘ぐような、歪みを帯びていた。
「友達だと、思っていたのはッ―――」
エルヴィスが。
アゼレアが。
ルビーが。
ガウェインが。
一斉にジャックへと躍りかかる。
「―――ぼくら、だけだったのかッッ……!!??」
四種の攻撃がジャックを襲った。
激甚な衝撃と轟音とが、かつて魔王城だった地面を震わせ―――
瞬間、すべてが瓦解する。
校舎が、運動場が、すべて魔王城の建材へと逆戻りした。
あたかも原初の海のような、無数の瓦礫が浮遊する混沌空間。
まるで子供の遊び場だ、とエルヴィスは思った。
そう。
原初の海なんて大仰なものじゃない。
これは、積み木が雑多に散らばった、子供部屋だ―――
「……頼れと? 助けを乞えと? 異世界人に?」
その中心で、ジャック・リーバーは一人きりだった。
たった一人で、世界のすべてを睨みつけていた。
「ほざけよ。お前らに何ができる!! 見ろ、今の世界の有様をッ!!
たかが学生の一般教養を活用しただけでこのザマだ!! 未開文明の異世界人が、現代人の何を救えるって!?
身の程を知れよッ!! お前たちはたった一人のガキに滅ぼされかかったひ弱な世界の住人だ!!! 結局異世界人は、現代人とは違う人種なんだよッッ!!!!」
「ジャック」
アゼレアが静かに尋ねる。
「それは……もしかして、フィルにも言ってるの?」
「……ッ!!」
「心にもないことを言わないでッ!! 一番傷付くのは自分だってわかってるでしょう!!?」
魔王の表情がぐしゃりと歪んだ。
それは泣き顔のように見えて――
しかし、涙は一滴も流れない。
「……そうよね、私も知ってる」
アゼレアは、柔らかに微笑みかける。
「本当につらいとき。……涙って、流したくても流れないのよ」
ジャックの歯が、強く食い縛られた。
「わかるものか……! わかるものかッ……! わかるものかッ!!」
黄昏色の剣が振るわれ、嵐が起こり、浮遊する積み木めいた瓦礫が、新たな形を作ってゆく。
「あのときの絶望……いや、それすら許されなかった俺の……何が……何が……一体、何がッッ…………!!!!」
瓦礫はエルヴィスたち一人ひとりを閉じ込めるかのように組み上がっていった。
横ざまに射す夕日さえも遮られ、やがて―――
「世界再構築―――」
真っ暗。
に。
なる。
「―――『血の匂いのする暗い部屋』」
目が慣れてくるにつれ、状況がわかってくる。
決して広くはない部屋だった。
ベッドを一つ置くだけで三分の一を占めてしまうような、狭い部屋だった。
しかし。
その狭い部屋に、おびただしい闇が詰まっている。
見たところ、何もおかしい箇所はなかった。
血の跡があるわけでもなければ、痛々しい爪痕が残っているわけでもない。
ただ。
匂いが充満していた。
それは血の匂いであり、肉の匂い。
転じて言えば、死の匂いだった。
一体この部屋で、いくつの命が失われたのか。
そして……どのような方法で失われたのか。
注意深く観察すれば、ヒントのようなものはあった。
机の上に放置されたコルク抜き。
ベッドの下から覗く包丁。
クローゼットの取っ手にぶら下がったハサミ。
部屋に不審点はなくとも、それら不自然に配置された道具にだけは、乾いた赤黒い液体が、べったりと付着していた。
エルヴィスはようやく得心する。
謎の高層建築街。
奇妙な校舎。
そしてこの部屋。
ジャックが突きつけてくるこれらの光景は、単なる攻撃ではない。
彼の心の叫びなのだ。
言葉にできない、しても理解されない何かを、泣き喚く子供のように我武者羅に見せつけているのだ。
ああ――この不器用な感じ。
まさに、エルヴィスの知っているジャック・リーバーだ。
誰が見たって相思相愛だったくせに、彼女と婚約するのに何年もかかった、あの――
「……わかっているさ。友達じゃ婚約者の代わりになんてならないってことくらい」
エルヴィスの右手に握られた『天の剣』が。
一層の輝きを放つ。
「それでも、一緒に悲しむことくらい、できるじゃないか。
肩に手を置いて、涙を流すことくらい、できるじゃないか。
お互い、大人になったんだ――お酒を酌み交わすことだってできるだろう?」
『天の剣』の輝きは、松明を100本束ねたよりもなお眩しく。
部屋の中を埋め尽くす闇を、散り散りに斬り祓っていく―――!!
「よかったんだよ、たったそれだけで!
このっ――――馬鹿野郎ッ!!!」
光の刃が、闇の部屋を斬り裂いた。
血の付いたコルク抜きも、包丁も、ハサミも、すべてが水のように蒸発する。
闇の部屋が消え散った後には、元の瓦礫だらけの空間が残るのみ。
エルヴィスと同じく、アゼレアも、ルビーも、ガウェインも、同様に闇の部屋を内側から打ち破って、ジャックを見上げていた。
エルヴィスは『天の剣』を頭上に掲げる。
夕日の中に浸し、その力を取り込むかのように。
ジャックが輝きを増した刃を見て瞠目した。
「その……剣は……?」
「ラエス王国に伝わりし、古の四勇者が使った邪神討伐の神器、その一つ。
遥かな太古、異界の精霊から譲り受けたとされる、聖なる力宿りし剣。
――――ここに、その真の名を解放する」
光の剣が、音もなく振動を放つ。
世界そのものに割り込みをかけたかのように空間が波打ち、浮遊する瓦礫が畏怖するように吹き散らされた。
伸長し、膨張した光は、もはやイデアより引き出された、『剣』という概念そのもの。
剣という剣が、武器という武器が、この光の紛い物に過ぎなかったのだと、そう言われても誰も驚きはしないだろう。
その刃は、100本束ねた松明よりも明るく輝き――
一振りにて、平原に並んだ一軍を焼き払う。
「――――照現せよ、《天剣エクスカリバー》――――ッ!!!」
光の切っ先が天を衝いた。
赤く染まっていた夕空が、黄金に染まってゆく。
世界中の人々が、その瞬間を目撃しただろう。
血のように赤く染まった、浄化の太陽の下で。
それでも、空が黄金に輝いた瞬間を。
世界を遍く照らし出す、唯一絶対の灯火。
聖剣にして天そのものたる、四種の神器が一角。
―――《天剣エクスカリバー》。
「…………エクス、カリバー……だと…………?」
愕然と、ジャックは天を衝いた光の刃を仰いでいた。
「は―――は、は、は、は、はッ!!
そうか……。それもそうか。何も俺たちだけが、特別というわけではなかったか……!!」
天空を黄金に染め上げたエクスカリバーを両手で握り、勇者エルヴィス=クンツ・ウィンザーは、魔王ジャック・リーバーを睨み据えた。
「ラケル先生の遺志だ」
「…………!!」
「ジャック・リーバー―――きみという魔王を、ここで殺すッ!!!」
屹立した光の剣が、魔王に向かって振り下ろされる。
否。
その様はもはや、倒れると呼んだほうが相応しかった。
「おお―――おおお―――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!?!?!?」
倒れ、迫り来るは、世界のすべてを背負った斬撃。
対して魔王は、瓦礫を掻き集めて城壁を成し、これを受け止めた。
【巣立ちの透翼】。
重さを消し去る精霊術。
魔王の唯一の武器にして、最大の権能たるその力は―――
―――なのに、天剣の重さを消し去れない。
「うっ……ぐっ……! おおおおッ……!! おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ―――――――――!!!!」
成した城壁は砕け散った。
積み木めいた瓦礫は、もはや何の用も為さない。
天空を支配した魔王は、しかし今。
天空そのものたる剣に―――
―――容赦なく、押し潰された。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
かつて魔王城だった瓦礫が、雨のように降り注いでいた。
それらと共に地面へと着地したエルヴィスたちは、瓦礫の只中で仰向けになった、一人の少年を見やる。
服も、身体も、ボロボロで。
満身創痍としか表し得ない彼を見て、誰も『魔王』などと呼びはしない。
そこには、一人の少年がいるだけだった。
傷だらけの、一人の少年がいるだけだった。
「……ジャック君……」
エルヴィスは、駆け寄って助け起こすつもりだった。
手を差し伸べて、肩を貸して――
すべてをそこから、始めるつもりだった。
しかし。
ふらふらと。
覚束ない足で。
ジャック・リーバーは――自ら立ち上がる。
「…………まだ、だ…………!!」
『たそがれの剣』を、杖のように地面に刺し。
瓦礫となった魔王城の中央で、それでも魔王は世界に立つ。
それはまるで、彼の人生を象徴するような姿。
生まれたときから、こうして一人で立ち上がってきたのだと――
――そう語るかのような、弱々しく、力強い、立ち姿。
「……なんっ、で、だよ……っ!?」
声を詰まらせながら、ルビーが言い募った。
「一人じゃどうにもなんねーことだってあるって、お前はわかってるはずだろっ!? なのになんで手を伸ばさねーんだッ!! お前が手を伸ばしてくれさえすりゃあ、あたしらが掴んでやるって、ずっと言ってんのにッ!!」
ジャックは絶え絶えに息をしながら、空を仰ぐ。
エクスカリバーが染めた黄金はすでになく、天を占めるのは夕焼けの赤。
「……ああ……なんでだろうな」
何もかも抜け落ちたような無表情で、彼は呟いた。
「わからない。わからないんだ……。
自分のやりたかったことすら、判然としない……。
俺は何がしたかったんだ……?
どういう風に生きたかったんだ……?
わからないんだ……。すっかり、わからなくなっちまったんだ……」
そこにあるのは、抜け殻だった。
かつてジャック・リーバーという少年だった、ただの抜け殻だった。
入っていたはずの中身は―――
―――きっと彼女が、自らの命と共に持っていってしまった。
「……終わらせろって、言うのか……?」
嗚咽を堪えながら。
エルヴィスは、勇気をもって問う。
「ぼくらに……きみを、終わらせろって――そう言うのかっ!?」
空洞のような瞳が、エルヴィスたちに戻った。
その無表情に滲むもの。
それの正体を、エルヴィスは、誰に教えられることもなく悟る……。
「そうできたら、どんなによかっただろうな」
それは―――諦念。
「どうせ終われはしない。そういう運命に、俺は呪われた。
だから、進むしかないんだ。
それがどんな場所であったとしても……どこかに、辿り着くまで」
「……ダメだ……!!」
エルヴィスはかぶりを振った。
ジャックの言葉を否定した。
根拠なんてない。
否定したいから否定した。
「ぼくらが止めるんだ、きみは!! どこかになんて行かせない……!! 引き戻すんだ、ぼくらの場所へ!!」
構えた天剣は、すでに輝きを帯びてはいなかった。
薄く脆そうな、ガラス細工めいた儚い刃が、夕日を透かしている。
それを目を細めて見つめ―――
ジャックは、黄昏色の剣を、ボロボロの腕で構えた。
アゼレアが涙を零す。
ルビーが唇を噛む。
ガウェインが拳を震わせる。
こうまでしても。
その剣を、ジャックの手から引きはがすことができなかった。
天剣を振り上げながら、エルヴィスは走る。
その儚い剣に、もはや威力などろくに残ってはいない。
それでも、決着をつけなければならなかった。
降参はしない、と。
彼が言う以上は―――
構えはしても、ジャックの身体に力など残っていない。
剣戟など交わせるはずもない。
だから、これは通過儀礼。
降参のすべを持たないキングが、それでも負けを認めるための、単なる手順。
……そのはずだった。
鮮血が、華のように散る。
斜めに大きく斬り裂かれた身体は、力を失い。
ぐらりと傾いて、倒れてゆく。
―――しかし、それはジャックの身体ではなかった。
「……え……?」
エルヴィスは当惑した。
彼の天剣が斬り裂いたのは、ジャックの身体ではなく。
突然。
横から。
割り込んできた―――
―――10歳程度の、少女だった。
力を失った少女の身体を、ジャックが抱き留める。
少女の顔を見て、ジャックの両目が、驚愕で見開かれた。
彼は。
少女の名前を呼ぶ。
「…………サミ、ジーナ…………?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
サミジーナは、すべてを見ていた。
ジャックとエルヴィスたちの最後の戦い――そのすべてを。
そして、ようやく理解したのだ。
彼は――ただ、寂しかっただけだ。
誰にも理解してもらえないことが、誰にも共感してもらえないことが、どうしようもなく恐ろしかっただけなのだ。
ああ。
思えば、自分も同じ。
何も与えられないまま、悪霊術師ギルドに育てられていた――
(――あの頃のわたしと、同じ……)
だから、こんなにも、寄り添ってあげたかった。
今のわたしは、寂しくないから。
だからあなたも、寂しくないよ――と。
急激に抜けてゆく力を掻き集めて、サミジーナは、やっとの思いで手を持ち上げる……。
驚いた顔でこちらを見る、最初で最後の想い人の頬に、幼い手をそっと添えさせた。
「…………わたしは……お役に、立てました、か…………?」
ジャックの表情が崩れた。
冷酷な魔王でも。
形だけの夫でもない。
ただのジャック・リーバーのそれに。
「……ああ」
ジャックの左手が、サミジーナの手を掴む。
そして、
「ありがとう」
かすかに。
ほんのかすかに。
サミジーナに向かって、微笑みかけた。
(……ああ……)
これを。
この顔を。
ずっと、見てみたかった―――
だから、サミジーナの答えも決まっていた。
彼女もまた、微笑を生涯ただ一人の夫に向けた。
それから、そのままの顔で―――
―――ジャックの黄昏色の剣に、胸を貫かれた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ほのかに微笑したまま、動かなくなった少女を、ジャックは丁寧に地面に横たえる。
「未練は、消えた」
はっきりとした声だった。
その声には、先ほどまでのような、茫洋としたブレは存在しなかった。
「これで、俺のやりたいことは、やるべきことは、たった一つ。
―――『アイツ』を殺す。
それ以外に、結末はない」
安らかに横たわった少女から、ジャックはエルヴィスたちに視線を移す。
表情は穏やかに見えた。
しかし――
一見で、エルヴィスは理解する。
自分の知るジャック・リーバーは、たった今、完全に消えたのだと。
「さっきの質問に答えるよ、エルヴィス」
少女の血を滴らせる黄昏色の剣は、もはや持ち上げられない。
「俺も、友達だと、思ってた」
ジャックに、その力が残っていないから―――
「思えてたよ、あの頃は」
―――では、ない。
「でも…………もう、無理だ」
ジャックは笑う。
寂しそうに笑う。
「タイムアップだ」
夕日が、西の空から消えた。
[浄化の太陽炸裂まで、残り0秒]




