第30話 あの日の扉を開くために - Part6
黄昏色の剣の一振りで、嵐にも勝る風圧が暴れ回った。
「くっ……!」
エルヴィスたちは蜃気楼の床の上で踏ん張って耐える。
しかし、部品となって空中に散らばったかつての魔王城はそうもいかなかった。
吹き散らされ。
ぶつかり合い。
砕けて混ざり。
徐々に、まったく別の形を取ってゆく。
そのプロセスが、何をモチーフとしたものなのか、エルヴィスたちにはわからない。
「世界再構築―――」
『たそがれの剣』を指揮棒として、魔王は神がごとく告げた。
「―――『いつか見たビル街』」
かつて魔王城だった建材が形成したのは、巨大な柱のような高層建築。
下がどこまであるのか、上がどこまであるのか、まるで想像もつかないそれが、まるで雑木林のように建ち並んで、周囲を取り囲んだ。
「……!? これは……!」
高層建築の側面には、銃眼のようなガラス窓が無数に並んでいる。
その向こう側から。
大量の銃弾が、一斉に飛び出した。
「―――!!」
砕け散ったガラス片が、星々のように夕日を反射する。
それに紛れて飛来する銃弾は、しかしそれだけが、拒絶するかのように漆黒だった。
「このっ!!」
アゼレアの蒼炎が奔る。
全方位から迫り来る銃弾のすべてが、その内に呑み込まれて熔解したが、果たしてそれで終わりはしなかった。
窓の向こうに、銃口は健在。
次なる銃火が弾けるまで、幾許もありはしない。
「全員集まれッ!!」
ガウェインが大盾を変質、ドーム状にして、銃弾を阻む。
ガガガガガガンッ!! とけたたましい金属音が反響した。
「なんだよこりゃあ! ただの瓦礫がいきなり街に変わりやがった!」
「ただの瓦礫じゃない。元は魔王城だ……!! つまり元から、あの巨大な城そのものが―――!!」
いったい誰が信じるだろう。
天空魔領の象徴でもあった魔王城、それそのものが、魔王専用の決戦兵器だったなどと……!!
「周りを破壊しても無駄だ! どうせ積み木細工、すぐに再生する……!」
「本人を狙えってことでしょ! わかってるわ!!」
金属音が途切れた隙にガウェインがドームを解除し、アゼレアが高層建築の狭間に浮遊するジャックに蒼炎を放った。
しかし、魔王は指一本動かさない。
周囲に浮遊させていた瓦礫で城壁を構築し、蒼炎をあっさりと遮断する。
「開け―――!!」
その間に、エルヴィスは天に第三の眼を開眼させた。
世界そのものを見る視力『王眼』を全開にし、だが、直後に愕然とする。
(ほとんど何も視えない……!?)
周囲の高層建築群や、その内に潜む無数の銃。
それらの存在がすべて、もやがかかったように霞んでしまっていた。
世界に在る諸々の存在を本質的に繋いでいる、道とでも言うべきもの。
普段、『王眼』が辿っているそれが、断ち切られたように寸断しているのだ。
まるで、この世界にそんなものはないとでも言うかのように。
(違う! あるんだ! 今、目の前に!)
白昼夢でも見ているかのような気分を振り払い、エルヴィスは『王眼』を補助に回して通常五感でジャックを睨み上げた。
「全員、動けッ!!」
叫んだのはルビーだった。
「遠隔操作で精密な照準なんてできるわけねーっ!! 散開して動き回れ!! 弾幕に捕まるなッ!!」
窓から覗く銃口が三度火を噴く。
その寸前、エルヴィスたちは四方に散開していた。
立体的に配置された蜃気楼の床を跳び回り、弾雨の間隙をすり抜ける。
そうしながら4人が一様に目指すのは、泰然と浮遊する魔王である。
四方向から迫る勇者たちを、魔王は無表情で睥睨した。
そして、くるりと背を向ける。
無言のまま、彼は高層建築の間を逃走し始めた。
「逃がすものかッ……!!」
追いすがるエルヴィスたちの行く手を弾丸が阻んだ。
ジャックの背中を守るように銃が舞い来て、轟音を連ならせた。
横合いから大砲が砲火を放ち、高層建築を崩して壁とした。
そのすべてを乗り越える。
かわし、弾き、突っ切って。
弾雨と轟音と粉塵を抜けた先で、振り向いたジャックが待ち構えていた。
「届くぞ、ジャック君……ッ!!」
腰から抜き放った『天の剣』が、太陽のような輝きを放つ。
しかし――
その輝きが、本領を発揮する前に。
ジャックの手のひらが輝くほうが早かった。
エルヴィスたちは、今この時点まで、気付かなかったのだ。
両脇に建ち並ぶ高層建築の間隔が、徐々に狭まっていたことに。
自分たちがいる空間が、逃げ場がないほど縮小していたことに。
ジャックの手が豪風を放つ。
圧縮空気を解放した指向性のある嵐。
『太陽破風』。
高層建築の窓ガラスをことごとく砕け散らせながら、その巨大なるアギトがエルヴィスたちを呑み込まんとした。
策に嵌まった。
そう気付いたエルヴィスは、しかし止まらない。
ならば、その策ごと、踏みつけていくまでッ!!
「―――『天の剣』よ!!」
ラエス王国に代々伝わりし至宝『天の剣』。
遥か古の時代、邪神の討伐に使用されたとされるそれが、薄い翅のような刃を、だが力強く輝かせる。
光と化した『天の剣』が、『太陽破風』を正面から受け止めた。
ロウ王城で受けたときとは距離が違う。
威力は些かも減殺されていない。
だが。
だが。
だが!
「おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」
輝きを増す光の剣が、豪風の巨槍を真っ二つに割り砕いた。
行き場を失った威力が、周囲の高層建築にばら撒かれる。
見る見る元の瓦礫に戻ってゆく街並みの中心で、『天の剣』の輝きは、ついに豪風のすべてを塗り潰した。
欠片余さず凪いだ空中を、『天の剣』を携えたエルヴィスが突っ切る。
もはや、勇者と魔王を隔てるものはない。
『天の剣』が振り上げられた。
『たそがれの剣』が持ち上げられた。
光の刃と、黄昏の刃が激突する。
伝播した衝撃と音は、世界を震撼させるに十二分。
彼方まで広がる夕焼け色の雲海が、束の間、海のように波打った。
ついに間近に迫ったエルヴィスは、かつての級友の顔を睨み据えて言う。
「……これほどの破壊を人に向けておいて、眉一つ動かさないんだね、きみは」
「……………………」
「どんな理由があって、きみが魔王になったのか、それは知らない。だからこそぼくらはここに来た。
でも……! たとえ! それがどんな理由だとしても!!」
ゆっくりと。
光の剣が、黄昏の剣を押し込んでいく。
「世界を、社会を――人々の暮らしを!!
自分勝手に、破壊していいはずがないッ!!!」
拮抗が崩れた。
押し込まれたジャックが弾かれたように吹き飛び、背後の高層建築に叩きつけられた。
「そうよ……! どうしてそんなことができるの!?」
体勢を立て直したジャックに、アゼレアが蒼炎を迸らせる。
「誰にでも、学院での私たちみたいな、かけがえのない暮らしがあるって、わかっているはずなのに! それがわかるあなただから、私は好きになったはずなのに―――!!」
悲しみの色を乗せた炎がジャックを呑み込んだ。
かに思われたが。
まったく別の場所の窓から、彼は姿を見せる。
高層建築の中を移動したのだ。
だが、そちらにはルビーが先回りしていた。
「そりゃあツラいことはあったぜ! 学院が潰されたのも、フィルの奴が死んじまったのも、死にたくなるくらいしんどいことだったよ!!
でも、お前、まさかわかんねーのか!?」
紛い物の壁が一瞬、ジャックを取り囲む。
ジャックはすぐにそれを斬り裂いたが、その一瞬ですでに、ルビーは不可視の攻撃を完了していた。
「そんなもん―――誰でもそうだろうがッ!!!」
ジャックの姿を紅蓮の爆発が覆う。
常人ならば即死を免れない。
だが、彼が常人とはかけ離れていることは、この場の誰もがわかっていた。
粉塵が晴れるのも待たず、盾を構えたガウェインが突っ込む。
「理解できぬ貴様でもあるまいッ!!」
ガウェインはジャックもろとも高層建築の中に突っ込み、魔王をその床に押し倒した。
「悲しいことはあった!! 絶望的にもなった!! 真っ暗な闇を、ひとり孤独に彷徨うような気分にもなっただろう!!
だが、まさか、思ってはおるまいな!!
こんなに悲しくて苦しいのは自分くらいのものだ――などと!!」
そして、ガウェインは剣ではなく拳を振り上げる。
「言わせはせん! 言わせはせんぞ、それだけはッ!!
貴様が味わい、オレたちも味わった絶望を、まさに貴様が、世界に振り撒いているのだからッ!!!」
勢いよく振り下ろされた拳が、ジャックの頬をしたたかに打った。
あまりの膂力に、床に亀裂が走る――
――だけに留まらなかった。
すべてが崩れる。
壊れる。
解体される。
高層建築のすべてが、不意に元の瓦礫に戻ったのだ。
「ぐおっ!?」
足場を失ったガウェインは胸に衝撃を受け、背後に吹き飛ばされる。
墜落する前にエルヴィスが受け止めたが、ガウェインの表情は苦々しかった。
おそらく、手応えがなかったのだ。
至近から殴りつけたのにも拘らず。
「―――は、は、は」
浮遊する瓦礫と粉塵の中から聞こえてくるのは、乾き切った笑声のハリボテ。
「こんなに悲しくて苦しいのは俺くらいのものだ――と?」
鳴り響く轟音の中で、なぜか魔王の声だけがはっきりと届いた。
「その通りだ。俺に比べれば、お前たちは全員マシだ」
エルヴィスたちは絶句する。
それは、世間知らずの戯言などでは、決してなかった。
普通ならそうとしか聞こえないはずのその言葉は――
しかし、はっきりと、確信的な響きをもって、エルヴィスたちの心に突き刺さった。
「家族を喪う。恋人を喪う。婚約者を喪う。
よくあることだ。ありふれたことだ。お前たちの言う通り、そんな絶望は、そんな悲嘆は、どこの世界にだって溢れ返っている。何も特別なものじゃない。免罪符になどなりはしない。
―――だが!」
初めて、魔王の声が感情を帯びる。
憤怒。
怨念。
憎悪。
一語では表し切れない感情が、ついに言葉に表出した。
「お前たちは一度で済む!!
どんなに悲しくても、どんなに苦しくても、どんなに辛くても!
死ねばそれまで。二度、三度と同じ責め苦を味わうことはないッ!!」
粉塵の中から、ジャックの姿が浮かび上がる。
そこにいるのは、魔王であり――
一人の少年であり――
一人の人間であり――
そして。
「何度思ったことかッ! あの日、トラックに轢かれてそこで終わっていたなら、どんなに幸せだっただろうと!!」
エルヴィスは、理屈もなく、反射的にこう思った。
(…………誰、だ…………?)
幻覚だ。
だけど、何の幻覚だ?
ジャックの姿に、誰かもう一人被って見える気がする―――
「感謝しろ」
ジャックは黄昏色の剣を振り上げた。
「安堵しろ」
振り下ろすと同時、嵐が吹き荒れた。
「お前たちは、たった一度で終わることができるのだから―――!!」
浮遊する瓦礫が攪拌され、ぶつかり合い、砕けて混じり。
別の形に変わっていく。
「ジャック君……」
再構築されていく世界の中で、エルヴィスは問うた。
問わずにはいられなかった。
「きみは……何と戦っているんだ?」
ジャックの唇が歪む。
自嘲的に。
自責的に。
「妹だよ」
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「前世の妹が生まれ変わって追いかけてきて、俺を手に入れようとしてるんだ。そのために、あいつは前世でも現世でも、俺の大切な人を殺しまくった。だから俺はあいつを殺すために、世界中の女という女を殺さなければならないんだ」
――――――――ジャックの言った言葉は。
ことごとく。
エルヴィスの頭の中に、入ってこなかった。
「ほら」
ジャックは平坦な声で言った。
「理解できないと、そう言っただろう?」
[浄化の太陽炸裂まで、残り約26分]




