第28話 あの日の扉を開くために - Part4
1日ぶりに再訪したダイムクルド惑島は、ひっそりと静まり返っていた。
高層建築が建ち並ぶ剣山のような城下町にも、人影ひとつ見受けられない。
まるで一足先に、人間が死に絶えてしまったかのようだった……。
魔王城に辿り着いても、警護の一人もいはしない。
あろうことか、城門が開け放たれてさえいた。
地面には無数の足跡。
夜に備えて準備されたのだろう篝火の薪。
ついさっきまで、確かに人がいたことを示す痕跡の数々。
打ち捨てられたわけでもない城に、一人として人間がいない。
その異世界めいた空間を、エルヴィスたちは黙々と通り過ぎる……。
今度は、城内がダンジョンと化しているようなこともない。
昨夜とは違い、地下ではなく上階を目指した。
階段を上る。
階段を上る。
階段を上る―――
やがて、ひときわ大きな部屋を見つけた。
ガラスのような、水晶のような、不可思議な材質の壁で囲われた部屋。
入口から入り、ふと振り向いてみれば、入口側の壁には多数の巨大な鳥籠があった。
巨大な鳥籠には、それぞれ陽炎のように揺らめき立つ異形が収まっている。
精霊励起システムによって自由を奪われた精霊たちだった。
あるいは、この鳥籠を破壊すれば、ダイムクルドは壊滅的な被害を受けるかもしれない。
しかし、それよりもエルヴィスたちの目に止まったのは、多数の椅子やテーブルの合間に、まるで紛れるようにして倒れていた、一人の男だった。
アーロン・ブルーイット。
7年前より、エルヴィスたちに試練を与え続けたダンジョンマスター。
その残像――
彼はすでに、眠りに就いていた。
いや、むしろ、夢から覚めたと言うべきなのかもしれない。
この物言わぬ骸こそが、彼の本来の姿なのだから……。
男の寝顔は安らかだった。
きっとハリボテではない。
そう信じることくらいは、自由なはずだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
階段を上る。
階段を上る。
階段を上る―――
やがて辿り着いた最上階に、その部屋はあった。
一切の光が射さない、暗黒の一室。
謁見の間。
闇の只中に、まるで己を閉じ込めるようにして、玉座がポツンと置かれている……。
中に入り、柔らかな絨毯を踏んだ直後、異臭が鼻についた。
それは血の匂いだった。
匂いの形をした、数多の人々の断末魔だった。
この暗黒の中に、どれだけの悲嘆と絶望が煮しめられているのだろう。
そして、玉座の主たる彼は、一体どんな気持ちでこの闇に身を浸していたのだろう。
ふと、視線を上げた。
そこに、彼の心の一端を示す証拠があった。
憎悪。
嫌悪。
怨念。
黒々とした粘つくような感情が形を取った、陰惨なる処刑の口。
内に無数の棘を備えたアギトは、今は堅く閉じている。
誰も逃がさないように。
誰も入らないように。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
階段を上る。
赤い空があった。
冷たい風が吹き、頬を撫でる。
横ざまに照りつける日光には、しかし暖かみは感じなかった。
黄昏に彩られた空と、赤みの差した雲海とが、彼方で世界を二分している。
庭園の花々は、黄昏に満ちる世界に抵抗するかのごとく、とりどりの色彩をもって咲き誇っていた。
天空の頂点。
世界で最も、空に近い場所。
その端で、たった一人。
魔王と呼ばれる少年は、終わりゆく世界を見下ろしていた。
無言で近付いたエルヴィスたちに、魔王は振り返らない。
風に身を委ねるようにしながら、赤く染まった太陽を見やっている。
あまりに寂しい場所だった。
あまりに寂しい眺めだった。
勇者と魔王が対峙するには、あまりにも寂寞とした舞台だった。
呪いに満ちているわけでもない。
神に祝福されているわけでもない。
世界の運命を担うには、この場所は空っぽすぎる。
けれど――
きっと、この虚無こそが、彼らには相応しいのだろう。
勇者と魔王ではなく。
級友と級友として。
いろんなものを埋めていくことのできる、この虚無こそが。
「―――ああ―――」
不意に、ジャックが腕を持ち上げた。
沈みゆく夕日を掴もうとするように、手を伸ばす。
彼は、指の隙間からすり抜けるばかりの陽光を、しばらく見つめた。
そして、結局――
何を掴むこともなく、手を下ろす。
「久しぶり……ジャックくん」
エルヴィスは言った。
ジャックは答えない。
「会いたかった……ジャック」
アゼレアは言った。
ジャックは答えない。
「思ったよりデカくなってんじゃん、ジャック」
ルビーは言った。
ジャックは答えない。
「ずいぶんと不愛想になったものだな、ジャック・リーバー」
ガウェインは言った。
ジャックは答えない。
彼が求める声は、きっとその中にはなかった。
もはや尋ねるまでもなく。
彼がなんと呼ばれたがっているのか、全員がわかっている。
――じーくん
――大きくなったね!
だから、彼らは残骸でしかなかった。
彼女の欠けた彼らは、それだけで不完全だった。
皮肉なものだ。
6人の中で、彼女だけがクラスメイトではなかったのに。
7年も経って、ようやく彼女の大きさを理解する。
彼らと彼の間には、本来、こんなにも分厚い壁が隔たっていたのだ。
それを彼女が、仲立ちしてくれていた。
彼の手を優しく引いて、壁の向こうから連れ出してくれていたのだ。
しかし、彼女はもういない。
壁は厳然と存在して。
悲しいほどに、はっきりとすべてを拒絶していた。
それでも、時間は進む。
それでも、世界は進む。
誰も待ってはくれなかった。
彼らがどれだけあの頃のままでいたいと言っても、聞き届けてくれる者はいなかった―――
だから。
「終わらせようよ、ジャックくん」
エルヴィスは遊びにでも誘うように告げた。
「7年前、終わり損ねたものを、今度こそ」
魔王は――
ジャックは――
ゆっくりと、振り返る。
何も浮かんでいない、虚無めいた表情が、初めてエルヴィスたちの視界に映った。
同様に、7年を経て成長したかつての友の姿を、ジャックもまた、初めて直に目にしただろう。
7年越しに再会した、かつての少年と少女たちを。
雲海に沈まんとする夕日だけが、静かに目撃していた。
[浄化の太陽炸裂まで、残り約52分]




