第27話 あの日の扉を開くために - Part3
「第二巨獣、陥落!」
「残る巨獣は《ジ・アース》のみです!」
報告を聞いたアーロン・ブルーイットは、苦々しさと笑みをない交ぜにした表情を浮かべた。
「虎の子の巨獣を4体もごぼう抜きたぁな。さすがは勇者に選出されるだけはある……。7年前みたいなガキじゃあねえってか」
彼は大指令室の大上段に立つ主の姿を振り仰いだ。
アーロンに限らず、大指令室に詰めたすべての者たちが同様にした。
魔王の隣に、副官の姿はもはやない。
勅令は、彼自身から直接下される。
「総員」
感情の窺えない声で、魔王は宣告した。
「可及的速やかに、王城より退去せよ」
沈黙が漂う。
それは当惑の間か、それとも納得の間か。
いずれにせよ――
魔王に忠を誓った終焉の輩たちは、無言で敬礼をした。
取るものも取りあえず、オペレーターたちが次々と大指令室を辞してゆく。
そんな中、一歩たりとも動かない魔王は、アーロンにだけこう告げた。
「お前は残れ。最後の仕事が残っている」
言われるまでもなく。
アーロンもまた、一歩たりとも動いていなかった。
「残業代は弾んでもらおうかい」
「……そうだな」
魔王は背を向けて退室しようとして、しかしすぐに立ち止まった。
「アーロン。……俺はな、7年前のあの日、ひとつだけ奇跡を見たよ」
「へえ。なんだい?」
「俺の手で破壊したはずの動く死体が、なぜか復活して動いたんだ」
アーロンは鋭く息を吸って無言になる。
ジャックは少しだけ感傷的な響きを声音に乗せて続けた。
「あのとき、確かに……父さんには、魂が戻っていた。俺を庇ったのは、確かに父さんだった。
あれがどういう原因で起きた現象だったのか、まだわからない……。しかし、起こった。現実に、起こったんだ」
「…………そうかい」
「残業代には足りそうか」
「退職金も一緒にもらった気分だ」
無言で頷いて、今度こそ出ていこうとしたジャックを、アーロンは一度だけ呼び止める。
「大将。あんたはどこに行く?」
ジャック・リーバーは答えた。
「わからない。……しかし、とりあえず今は、後宮だ」
「そりゃあいい」
アーロン・ブルーイットの残像は、口元に笑みを刻む。
「結局、嫁さんを持つ気持ちってのは、オレにゃあわからなかったからな」
ひと気の失せた広大な指令室で、アーロンはただ一人、千里眼モニターを睨む。
「さあ、今度こそ本当にお開きだ」
かつて確かに存在した男の残像は、最後に残った己の分け身と、腐れ縁となった少年少女に語りかけた。
「たっぷり遊ぼうぜ――オッサン相手で悪いがな」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
強く地面を叩いていた雨はどこぞへと消えて、青い空が見渡す限り広がっていた。
浮上し続けたダイムクルドが、ついに雨雲さえも突っ切ったのだ。
浄化の太陽でさえ、眼下に落ちた。
サミジーナは、庭園の真ん中にある東屋から、西の空に浮かぶ本来の太陽を見上げていた。
「……なんだか、現実感がないわ」
第三側室のデイナが、白い雲海をぼうっと眺めながら言う。
「本当に、終わってしまうのかしら。人って、こんなに簡単に滅ぶものなの?」
「滅ばないですよぉ~。あっちたちは生きてるんですから~」
第五側室のヴラスタが、デイナを見つめながらのんびりと話す。
「人類滅亡っていうのは、言葉の綾っていうか~。まあ、女の人が大勢死んじゃうみたいですから、いずれは滅んじゃうかもですけど~。あっちたちがまおーへいかにはらまされちゃわない限りは、ですけどね~」
「……もしかして、わたくしたちって、精霊のためだけじゃなくて、そのためにも生かされているのかしら?」
「だとしたら、とっくにヤられちゃってる気がしますけどね~」
「そうよね。……そうよね! あれは、別にフラれたとかじゃあないんだから……! ただあの男が、意地悪なタマナシだっただけで……!」
最後までこの人たちはあまり変わらないなあ、とサミジーナは思った。
デイナが自分で言った通り、現実感がないのだろう。
これから人類が滅びますなどと言われても、想像が及ばないのが普通なのだ。
サミジーナも、似たようなものだった。
本当に……これで、終わりなんだろうか。
本当に……。
「……ん~?」
不意にヴラスタが屋敷のほうを振り返った。
「まおーへいかが来たみたいですよ~」
「えっ」
なぜかデイナが顔を赤くする。
「も、もしかして……人類滅亡記念、とかで? もしかして? 湯浴みしたほうがいいかしら?」
記念って。
サミジーナは少しだけ呆れた。
ジャックに(結果的に)辱められたような形になって以来、過敏になっているようだ。
女王ぶっている割に乙女思考で、大人ぶっている癖に単なる耳年増。
この段に至ってようやく、デイナのことがわかってきたかもしれない。
屋敷からジャックが姿を現し、庭園の中を歩いてきた。
デイナが手櫛で前髪を整えて、座っていたチェアから立ち上がる。
「陛下! 今はお忙しいのでは……?」
「すぐに戻る。お前たちに命令を下しに来た」
「め、命令……ですか」
まだピンクな想像をしているのか、デイナは挙動不審になった。
対し、ジャックは厳然と告げる。
「現時点より、この屋敷の敷地を出ることを禁じる。他の側室にも伝えてある。何か必要があれば、小間使いに命じるがいい」
「えっ……」
デイナは戸惑いの表情を浮かべた。
「それは……一体?」
「お前たちの安全のためだ」
ピクッと肩を跳ねさせて、デイナは頬を染める。
「わ……わたくしの……ため……」
当然ながら、ジャックの言葉をそんな風に捉えたのは、デイナただ一人。
ヴラスタを見ると、彼女もこちらを見て淡く笑った。
彼女には、わかっているのだろう。
サミジーナにも、なんとなくわかっていた。
「――陛下!」
立ち上がりながら、サミジーナは勇気を振り絞ってジャックに尋ねる。
「わたしたちに――わたしに、何か、お手伝いできることは、ありますかっ……?」
虚のような瞳で、夫であるはずの青年は、妻であるはずの少女を見た。
「ない」
切り捨てるように。
魔王は告げる。
「ここにいろ。それだけだ」
「……はい」
サミジーナは再び、椅子に腰を下ろす。
そしてジャックは、別れの言葉すらもなく。
後宮の庭園から、姿を消した……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
もう少しだ。
もう少し。
もう少し……っ!
もう少し!
――天に輝く星々は、地に降りては災禍となる。
――其は、大眼開きし意思持つ魔星。
――生み育てた文明は、ただ殺人のために。
――第一巨獣。
――殺人する魔星《ジ・アース》。
巨大な衛島そのものが変異して生まれた最後の巨獣。
いつかの《パラボール》を思わせる巨大な眼がぎょろぎょろと動き、球状の巨体から体毛のように生やした銃や大砲から、弾丸の壁が押しつぶすように迫る。
アゼレアの蒼炎がそれらを溶かし、あるいはガウェインの盾がそれらを弾いた。
エルヴィスが作った蜃気楼の床を走り、ルビーが砲火に負けないよう叫ぶ。
「行けっ、エルヴィス!! 道は作ってやる!!」
展開した贋界膜が、世界を限定的に塗り変えた。
ジ・アースの巨大な眼に向かって伸びたのは、地下道のようなトンネル状の廊下。
かつて。
地下に広がった迷宮で、このような廊下を走り回った。
かつて。
たどり着いたその先で、圧倒的な怪物に膝を屈した。
かつて。
最後の最後の扉の向こうに、彼らをたった二人で行かせてしまった。
そう、すべてはかつてのことだ。
あれから7年。
ようやく、先に進むときが来た。
エルヴィスは腰の鞘から剣を抜く。
その刀身から目映い輝きを振りまきながら、ルビーが作った廊下を駆け抜ける。
殺到した砲弾や銃弾が、駆け抜けた端から廊下を破壊した。
崩れゆく紛い物の道を、それでもエルヴィスは走り続けた。
ジ・アースの巨眼。
その目前で、『天の剣』は輝く。
先を示すように。
道を標すように。
「おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!!」
魔王の力の根源。
『知識の泉』、その結晶。
黒々とした兵器に覆われた魔星は――
――聖なる輝きによって、真っ二つに両断された。
かくして、七大巨獣は陥落する。
魔王への道を阻むものは、もはやなく。
しかし。
世界はすでに、黄昏に移り変わろうとしていた。
[浄化の太陽炸裂まで、残り約1時間30分]




