第26話 あの日の扉を開くために - Part2
ガウェイン・マクドネルは忘れない。
大恩ある師匠の亡骸を前にしたときの無念を。
一面の白骨に立ったときの不甲斐なさを。
そして、それらを感じることすらできなかった崩壊の時を。
気付いたとき、すべては終わっていた。
八つ首の竜にやられたと思ったら、それまでだった。
民草を守るのが騎士の役目。
弱き者を盾の後ろに庇ってこその騎士。
そう教えられ、そう在るべきだと思ってきた。
そして、それを当たり前に実践するつもりだった。
しかし、7年前のあの日。
何もかもが打ち砕かれた。
守るべきものなど、一面白骨の世界には何もなく――
――携えた大仰な盾は、級友に手を差し伸べることもできない無用の長物。
あの日をやり直したい、と。
そう願ったことは数知れない。
一体、いくつの命を救えたのだ。
一体、いくつの死を阻めたのだ。
教えてくれ、ジャック・リーバー。
オレの盾では、お前を守ることはできなかったのか?
――空を泳ぐ鯨が、高く天に潮を噴く。
――大雨の中にあり、その巨影はまさに悠々。
――天と水の支配者は、母なる巨躯で迎え撃つ。
――第七巨獣。
――悠々たる母鯨《ロビエール》。
「今度こそ、この盾が人々への惨禍を阻む」
ガウェインの大盾が、急激に質量を増した。
「あの日の贖罪になどならなくとも―――それでも進むのだ。拾えなかった命を拾うために!!」
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ルビー・バーグソンは忘れない。
あの地下迷宮で思い知った自分の無力を。
届きもしなかった自らの手を。
そして、その両方を突きつけられたあの日を。
すべて一人でやれると思っていた。
仲間も、相棒も、必要ない。
人は結局のところ、最後には自分でどうにかしなくちゃならない。
他人を当てにしていたら、ここぞというところで足を掬われるのだ。
相互利用はしても、協力はしない。
親交はあっても、馴れ合いはしない。
そうして彼女は、スラムと精霊術学院という二つの戦場を生き抜いた。
それでいいと思っていた。
それがいいと思っていたのだ。
けれど、あの日。
7年前。
自分の手では、届きようもない事態が起きた。
拾ってくれた師匠が死に。
友人の一人が死に。
学院が丸ごと潰れて。
級友の一人が、どこぞへと消えた。
何もかもが、彼女の与り知らぬ場所と理由で起こった。
防げるはずがなかった。
どうにかできるはずがなかった。
……ああ、どうでもいいことさ。
あたしの手が届かないってことは、あたしにとっちゃどうでもいいってことなんだから。
そのはずなんだから。
それは欺瞞だった。
事件の後、凄まじいショックを受けている自分を発見して、ルビーは否応なしに自分の欺瞞を突きつけられた。
自分はただ、怯えていただけなんだと。
失うことが怖くて、取りこぼすことが怖くて、一人になろうとしていただけだったんだと。
まるで雨の日に震える子猫のように。
彼女は、差し伸べられる手も、差し伸べる手も、意地になって否定していただけだ。
――二つの陽光を受けて、黄金が輝く。
――天へと突き立つ、その偉容。
――黄金の巨人は泰然と、勇ある者に立ちはだかる。
――第六巨獣。
――燦然たる偽神《ゴルドガント》。
「もう誤魔化しも言い訳もなしだ」
紛い物の世界が、ルビーの周囲を塗り変えた。
「腹を割って話そうぜ――夜の闘術場のときみてーにさ」
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アゼレア・オースティンは忘れない。
彼と過ごした日々を。
彼女と過ごした日々を。
そして、その両方を失った日を。
きっと、自分は甘かったのだろう。
優柔不断で、どっちつかずで、中途半端で。
少し才能に恵まれて図に乗っただけの子供だったのだ。
だから、気付けば憧れていた。
何かを一心に見据えている彼の瞳に。
彼を無心で支えている彼女の姿に。
……ああ、だから、最初から叶いはしなかった。
自覚もしないうちから、私は負けを認めていたんだ。
それが、恋心を頑なに否定していた理由なんだと、後から今更のように気が付いた。
生まれて初めてできた好きな人。
生まれて初めてできた心からの友達。
半端な才能とそれを褒めそやす周囲でできたハリボテの自分は、あの二人のおかげでようやく支えられていた。
あの二人がいればきっと大丈夫だって……蒼い炎を初めて出したあのときに、思ったのに。
どうして。
私だけ置いていくの?
胸の中にぽっかりと空いた二人分の大穴は、7年程度じゃ埋まらない。
今も空いているのだ。
二人がいてもいい場所が、ちゃんと。
――漆黒の巨躯はまだ見ぬ炎獄。
――白き双眸は永遠の無謬。
――気高き獣は、終焉の訪れを歓待する。
――第五巨獣。
――僭越なる神狼《フェンコール》。
「居場所なんてどこでもいい」
健やかな朝のような蒼炎が、降りしきる雨を蒸発させた。
「たとえどれだけ遅くても――あなたたちの帰る場所は、ここにあるんだからッ!!」
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エルヴィス=クンツ・ウィンザーは忘れない。
彼とぶつけ合った剣の重みを。
彼女と話すたび疼いた胸の甘さを。
そして、それらを悪くないと思っていた自分を。
すべては最強の王になるため。
亡き母の思いを継いで、エルヴィスはそのためだけに戦い、学び、精霊術学院へと入った。
初めて彼の戦いを見たときの気持ちを、どんな風に例えよう。
学院に入ってよかった、と思った。
これでもっと強くなれる、と思った。
自分が求める最強への道の途中に、確かに彼の姿があったのだ。
実際に戦い、エルヴィスは負けた。
言い訳のしようのない完敗だった。
それは、自分にまだ強くなる余地が残されているということであり――
自分に、望みを成就する可能性が残されていることを意味していた。
……あの頃。
天才王子と、誰もがぼくをそう呼んだ。
けれど、今にして思えば、あの頃ほど余裕のなかった時期はない。
母さんから受け継いだ思いを、ちゃんと果たせるのかどうか、ぼく自身が一番、わからなかったんだから。
ごまんと浴びた称賛。
それはどれも無責任なもので、エルヴィスには空虚に感じられた。
なのに、彼女のそれだけが。
何の抵抗もなく、自分の中に入ってきたのだ。
……我ながら、簡単なものだと思う。
ちょっと褒められただけで、コロッとやられてしまうなんて。
きっと、不意打ちだったのだ。
彼女は彼のことしか眼中にないから、自分が褒められるなんて思いもしてなくて――
その隙を、さくっと突かれてしまった。
しかし、不思議なものだ。
それ以来、彼女を目で追う日々が続いて――
なのに、欲みたいなものは少しも出てこなかった。
きっと、アゼレア辺りならわかってくれるだろう。
エルヴィスは、彼女を目で追ううちに。
彼のことを好きでいる彼女のことが、好きになってしまったのだ。
……まったく、ひどいよ、きみたちは。
ぼくたちのことを翻弄するだけ翻弄して、消えてしまうだなんて。
だから、勝ち逃げは許さない。
あの日、あの扉の先で、何があったのか。
どうして彼は、魔王にならなくてはならなかったのか。
どうして彼女は――死ななければならなかったのか。
――空を覆う極彩色の翼。
――太陽よりも太陽らしい光の権化。
――雨の中でさえ、不死の怪鳥は世界を照らす。
――第二巨獣。
――永遠なる怪鳥《ガル・テラス》。
「さあ、終わらせよう」
エルヴィスの手元に限って、雨が空に向かって降る。
「7年もの初恋は、あまりに長すぎた」
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そして、ジャック・リーバーは忘れない。
あの手の感触を。
あの首の感触を。
彼女の最期の顔を。
彼女の最期の声を。
お前の声を。
お前の言葉を。
妹への憎悪を。
妹への呪詛を。
妹への。
妹への。
妹への。
妹への。
妹への。
忘れない、忘れない、忘れない。
忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない。
忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない忘れない!
絶対に。
忘れない。
[浄化の太陽炸裂まで、残り約2時間45分]




