第23話 蝉の声が聞こえない - Part4
その剣の赤い輝きを――
サミジーナは、『切ない』気持ちで見上げていた。
あの赤は、血の赤だ。
ジャックが今まで手に掛けてきた者の――ではない。
ジャック自身が流した血の、真紅……。
彼が今まで傷つけ、痛め、殺してきた心。
それから流れた血が、刃の形を取った……。
サミジーナには、そういう風に見えてならなかったのだ。
(どうして……)
サミジーナは思う。
(どうして、陛下だけ、こんな……)
きっと、ジャックだけではないのだろう。
彼と同じように心に血を流している人間は、世界にはごまんといるのだろう。
それでも、思わずにはいられなかった。
どうして彼だけ、と。
「……寸前」
空。
ジャックは地上から上がった土煙を見下ろしている。
「ギリギリで【巣立ちの透翼】に切り替えたな――俺の『たそがれの剣』の質量を奪いきることはできずとも、自分の重さを消せばダメージはゼロに等しくなる。土煙に隠れたところで、見え透いているぞ」
「……正解」
立ちこめた土煙から、ラケルの声がする。
「優位に立ったときこそ警戒しろって、教えたものね」
「……ああ」
「あと、こうも教えた」
そのとき。
地上から見ていたサミジーナだから、それに気付いた。
「あっ……!」
突如として。
忽然と。
ジャックの背後に、ラケルが現れたのだ。
「――表面的な情報に惑わされるな」
「……っ!」
ジャックはすぐに気付いて振り返ったが、ラケルが手を伸ばすほうが早かった。
ジャックの首が掴まれる。
振り下ろそうとしていた『たそがれの剣』は、手首を押さえられることで止められた。
(どうして……!?)
声は土煙からしていた。
最初だけではない。
ジャックの背後に現れた後もだ。
答えは一つだった。
(音を操る精霊術で……!?)
古典的な誤導。
だが、ゆえにこそ、警戒が高まっていたジャックの意識に強く作用した……。
「ジャック。あなたの【巣立ちの透翼】の強みの一つは、自身の質量消去による圧倒的な防御能力にある」
「くっ……!」
「でもその受け流し性能は、掴みに対しては機能しない」
ヴァヂィッッ!!!
という、身が竦むような音がした。
同時、ラケルに捕まったジャックの身体が跳ねる。
電撃だ。
掴まれた首と手首から、電撃を流し込まれたのだ。
「どれだけ優れた術師でも、肉体は人間」
「うっ……ぐっ……!」
「強烈な電撃を何度か喰らえば、筋肉が動かなくなる」
ヴァヂィッッ!!!
ジャックの身体が跳ねる。
「手放しなさい、その剣を。
――そんなもの、あなたにはいらない」
幾度となく恐ろしい音が空に響き、そのたびにジャックの身体が不自然に跳ねた。
しかし、ジャックは剣を放さない。
手に張り付いているかのように、赤い剣を握り続ける。
「どうして放さないの……!」
圧倒的に優位なのはラケルだ。
なのに――
「放して……! 放しなさいっ! 早く!!」
――サミジーナには、電撃を繰り返すたびに、彼女のほうが追いつめられているように見えた。
「このままじゃ……このままじゃ、死んじゃう……! だから放して、ジャック! その剣を手放すだけでいいの!」
「…………でき、ない…………」
麻痺で舌なんて動かないはずなのに、それでもジャックは言った。
できない、と。
「どうして……!? あなたはもう何もしなくていい! 休んでもいいの! あとはわたしがやっておいてあげるから……!!」
「ああ……いいな、それは……。疲れたんだ、俺……。もう休みたいよ……」
「そうでしょう……!? だから!」
「…………眠れないんだ…………」
「え……?」
譫言のように。
寝言のように。
ジャック・リーバーは言う。
「どんなに疲れてても……休みたくても……眠くても……眠れないんだ……。たとえ、幸せな夢を見れたとしても……また、『アイツ』が出てくるんじゃないかって……」
「……『アイツ』……? 何を言ってるの、ジャック!」
サミジーナは、あの朝のことを思い出した。
健やかだったジャックの寝顔が、どんどん険しくなっていって……。
「ずっと、眠りたかった……眠ってしまいたかった……。そしたらさ……きっと、フィルに会えるだろ……? 眠ってしまって、『向こう』に行けば、フィルにだって……」
(……あ……)
不意に、悟る。
今まで、ジャックのことを、強い人だと思っていた。
あれほどに絶望しても、あれほどに悲しくても、それでも逃げることのない、強い人だと。
でも、違う。
彼は、逃げなかったのではなく――
「…………また、繰り返す…………」
茫洋と。
世界から浮き上がったような声で。
ジャックは、確かに言った。
「……眠っても……終わっても……また、始まるかもしれない……。『アイツ』が2回も転生したんだから……俺だって、きっと…………」
「……テン……セイ……?」
ジャックの声にあるのは、死への誘惑に打ち勝たんとする勇気などではなかった。
怯えだ。
恐怖だ。
死ぬことを誰よりも欲していながら――
同時に、死を誰よりも恐れている。
誰もが持つ、死による喪失への漠然とした恐怖ではない。
もっと確固とした。
何か。
「……テンセイって……なに? 何を言っているの、ジャック!」
間近で叫ぶラケルに――
ジャックは、笑みの残骸を向けた。
「ほら……やっぱり、お前にも理解できない」
直後だった。
乾いた、弾けるような音が――
銃声が。
――空に、高く響きわたった。
「……ッあ……!?」
ラケルの足から鮮血が散った。
穿たれたのは、銃痕。
横ざまに飛来した銃弾が、彼女のふくらはぎをまっすぐに貫いたのだ。
それは、宙に浮遊していた。
1丁、2丁、3丁――
いや、数えきれるものではない。
無数の銃が、撃ち手すら必要とせず、独りでに群れを成して飛来していた。
「戦場に投入している銃は見せかけだ。せいぜい近世レベルから近代レベル」
ラケルの手から力が抜け、ジャックが解放される。
「この世界の『科学者』は本当に優秀だよ――俺のあやふやな知識から、第二次世界大戦レベルの兵器を再現してみせたんだからな」
編隊を組んだ無数の銃が、一斉に火を噴いた。
蜂の巣になる前に、ラケルは射線から逃れる。
その場に残されたジャックは全身に弾丸を受けたが、それらはすべて質量を奪われて無効化された。
「お前の【神意の接収】は、ルースト級の出力を出すことはできない。数百発と迫り来る弾丸のすべてを、出力の劣る【巣立ちの透翼】で無効化しきれるか?」
魔王は無数の銃を自らの前に整列させる。
「魔王を殺すのは『世界』だと言ったな、ラケル――」
かつての師匠に、ジャックは世界に有り得べからざる力の矛先を向けた。
「――だったら、俺も『世界』で応えるまでだ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
銃声で耳が飽和していた。
「うっ……! くっ……!」
無数の銃が渡り鳥のように整然と空を舞い、マズルフラッシュで辺りを染め上げる。
「このっ……!」
ラケルは迫り来る銃弾を見事にかわしながら、銃を次々に撃ち落としていった。
だが。
銃は魔王城の方角から間断なく補充される。
撃ち落とすペースを緩めれば、むしろ数が増えてしまうほどに。
そして。
「――っあ……?」
淀みがなかったラケルの動きに、不意に戸惑いが生まれた。
地上から見上げるサミジーナには、具体的に何が起こったのかはわからない。
しかしその一瞬で、銃弾が彼女に殺到していた。
「『陣形が綺麗すぎると読まれやすい』――だったな」
「……!!」
ジャックが『たそがれの剣』を指揮棒のように振り、銃の編隊を操る。
対してラケルは、下に動いた。
地面に降りようとしているのだ。
彼女は2種類までしか精霊術を同時に使えない。
空中にいる限り、そのうち一つは【巣立ちの透翼】に使わなくてはならない。
一瞬だけ切り替えることなら可能なものの、その一瞬すら、あの無数の銃は許してくれないのだ。
だから、地面に降りる。
妥当な判断だった。
妥当すぎることを無視すれば。
「『相手に不利を押しつけろ』」
森の中から大量の銃口が現れた。
「『不利は選択肢を狭める。選択肢が狭まれば不利になる。そしてその不利が、また選択肢を狭める』」
銃火が瞬いた。
ラケルは超人的な反応力で、その射線上から逃れた。
けれど、目指した地面からは遠ざかり。
頭上からは追随する銃の群れ。
天地で挟まれた格好となって―――
ラケルは消える。
瞬間移動。
テレポート。
精霊〈バティン〉【絶跡の虚穴】――
ラケルはジャックの頭上に現れた。
そのまま重力に任せ、
「『狭まった選択肢からは』―――」
ジャックが悠々と頭上を見上げる。
「―――『「意外な一手」など生まれない』」
伸ばされようとしたラケルの手が、唐突に弾かれた。
遅れて、遠くから銃声が長く響いてくる。
認識範囲外からの銃撃。
スナイパーライフル。
「すべて……お前に習ったことだったな、ラケル」
満を持して、『たそがれの剣』が振るわれた。
赤々と染まった刃は、まるで世界そのものを断つように、輝きを振りまきながら跳ね上がる。
わずかに掠るだけで、致死に充分。
死の塊を前にして、ラケルは―――
「その教えには、続きがある」
―――師匠が弟子にそうするように、柔らかに微笑んだ。
「『だから、「意外な一手」は不利になる前に打て』」
「……!?」
ズズンッ……!!
地面が揺れた。
地震?
いいや……大地から離れて浮遊しているダイムクルドに、地震など起こるものか。
だとしたらこれは、世界が揺れているのだ。
それほどの衝撃が、どこかで―――
「……あっ……!」
サミジーナは気付いた。
ジャックの『たそがれの剣』の刀身が、消失している。
【絶跡の虚穴】。
そこだけが別の場所に飛ばされているのだ。
すなわち、剣がもたらした膨大な衝撃も、また―――
ズズンンンッ……!!
まただ。
また揺れた。
しかも……揺れが、大きく……!
「ラケル……! お前! 俺に何を壊させたっ!!」
ジャックはラケルから飛び離れながら、激しく詰問した。
彼がこうも感情を露わにするのは、極めて珍しいことだった。
「別に……。ちょっと大地をマッサージしただけ」
「……まさか」
「急いだほうがいいわ。大事なものなんでしょ、この空飛ぶ島は」
「くっ……!」
サミジーナはフラついて、地面に這いつくばる。
地面が動いていた。
震動なんてものではなく、明確に。
ダイムクルドが、急激に移動している……!?
(これって……緊急回避移動……)
事前の通達なく、こんなにも急激にダイムクルドが動くのは、何らかの脅威から逃れるため以外にはない。
何かから逃げようとしているのだ。
いったい何から?
今、ダイムクルドは崩壊した霊峰コンヨルドの真上に停泊していて、周囲には脅威となる国すらも――
「――あっ……!?」
霊峰コンヨルドの。
真上。
「うそ……?」
荒唐無稽な想像は、しかし真実だった。
ダイムクルドが霊峰コンヨルドの直上から逃れた直後。
世界が、爆発した。
浄化の太陽よりもなお眩しい真紅の光。
地面より噴き上がったそれは、あっという間に天までを貫いた。
赤々と輝く大地の血潮。
霊峰の地下に封じ込められていた、大量のマグマ。
噴火したのだ。
何百年、何千年と活動していなかったはずのコンヨルドが、息を吹き返して。
「結構苦労したわ。ほとんど死んでる火山を復活させるのは」
天に突き立つ真紅の柱を背に、ラケルは落ち着いた調子で言った。
「おかげで時間を喰って、あの子たちを助けてあげられなかった……。もうちょっと早く作業が終わっていたら、ガウェインも傷つかずに済んだかもしれないのに」
「ラケル……! お前、正気か! 地上には順番待ちの移民たちもいる! 大勢死人が出るぞッ!!」
「一応、配慮はしてる……。この噴火は、比較的小規模で限定的。コンヨルドが本当に爆発したら、この程度じゃあ済まない。
でもね、ジャック」
愛おしむような。
悲しむような。
複雑な微笑を浮かべて、ラケルは告げた。
「魔王を止めるって言うのに、正気でなんかいられないの」
マグマの赤い輝きが、彼女の姿に陰影を作る。
「わたしは世界を救いたいわけじゃない。人類を救いたいわけじゃない。
わたしが救いたいのは―――あなたなの、ジャック」
そのとき。
サミジーナは初めて、ジャックの表情が崩れるのを見た。
「……俺なんかどうでもいいのに」
壊れた鉄面皮の奥から現れたのは、ただの少年のような泣き顔。
「どうして、どいつもこいつも、俺なんかのためにそこまでするんだよ……」
「さあ、どうしてかしら」
ラケルは困ったように笑った。
「わたしにも、わからない」
ジャックは強く歯を食いしばる。
無数の銃が、彼の周囲に侍った。
真紅の剣を腰だめに構え。
ジャック・リーバーは、己の敵を見据える。
「マグマを止めろ」
「嫌」
「なら力ずくで止める」
「なら力ずくで壊す」
ラケルの周囲に、見えない穴が開いた。
空間に穿たれた穴から覗くのは、大地のエネルギーたる赤いマグマ。
「思い出は胸の中にある。
だから――あなたを魔王にするこんな場所は、壊れてしまえばいい」
そして。
一足先に、終末が開幕した。




