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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期:あの日の扉を開くために

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第20話 蝉の声が聞こえない ‐ Part2


 ジャックは、居場所が判明したエルヴィスたちに対処しようとしていた。

 大抵の外敵は【巣立ちの透翼】で質量を奪ってしまえば無力になる。

 しかし、エルヴィスたちが相手となると、必ずしもそうとは言えない。


 勇者が来ていると知れれば、移民たちに動揺が走るであろうことは想像に難くない。

 それによって移民受け入れの進行に支障を来たすと厄介だ。

 勇者についてはできる限り秘密裏に処理したい、というのが、ジャック含むダイムクルド首脳陣の一致した見解だった。


「ガウェインが負傷している。これを治すために、勇者たちは城に侵入してくる可能性が高い。

 これをあえて見逃し、城内でケリをつける。異存は?」


 反論は誰からも上がらなかった。

 実作業に移ろうとしたところで、ジャックのもとに報告が入る。

 やけに急いでやってきた伝令兵から、やけに慎重そうに耳打ちされたジャックは、眉間にしわを寄せた。


「……サミジーナが……?」


 しばらく黙り込んだあと、ジャックは同席していたアーロンにこう告げた。


「エルヴィスたちのことは任せる」


「さらっと大役を押しつけてくれるねえ」


「それと、後宮の周りには決して近付かないよう、全員に厳命しておけ。さもなくば死ぬぞ、とな」


「……ついにお出ましか?」


 意味深なアーロンの質問に、ジャックは一瞥しただけで答えなかった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 エルヴィスたちは、高層建築街の中心にある魔王城に迫っていた。


「『王眼』で警備の配置は大体把握したよ」


「視覚、聴覚、嗅覚まではあたしが欺瞞する。でもこの程度で抜けられるようなザルじゃあなさそーだぜ」


「いざとなったら強行突破よ。露払いは任せて!」


 ガウェインはエルヴィスに背負われている。

 かすかだが、確かに息をしていた。

 急いで魔王城の地下にあるという治癒装置を使えば、必ず助かるはずだ。


 有事とあって、やはり門は閉まっていた。

 しかし、数メートル程度の城壁は、エルヴィスたちにとっては障害にならない。

 高圧大気の足場を作り、城壁を乗り越える。


「あそこの窓が開いてるな。中に人は?」


「……大丈夫。誰もいないよ」


「ぃよしっ……!」


 潜入のプロであるルビーと、『王眼』による索敵能力が組み合わされば、城への侵入自体は簡単だった。

 しかし、武器庫らしきごみごみした部屋に入った瞬間、そう簡単ではないことにエルヴィスたちは気付く。


「……この空気……!」


「おいおい……。ずいぶん懐かしいじゃねーの」


「あのときの……!!」


『王眼』の視野が狭くなっている。

 そして、その視野の範囲内で、人ならざるものの気配がいくつも蠢いていた。


「ダンジョン……! 【試練の迷宮】!!」


 7年前、惨劇の引き金となった力が、再びエルヴィスたちの前に立ちふさがる。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 後宮のそばに広がるその森は、立ち入り禁止だと厳命されていた。

 特別、獰猛な動物が出るわけでもなければ、危険な地形があるわけでもない。

 むしろピクニックにでも使えそうな、のどかな森だった。


 この森が立ち入り禁止である理由を、サミジーナは知らない。

 しかし、推察することはできた。


 この森があるのは、後宮のそば。

 そして後宮は、ジャックの生家――リーバー伯爵邸を流用する形で設けられている。

 だから、きっと、この森にはジャックの思い出があるのだ。

 おそらくは……幼なじみだったという彼女との思い出も、また。


 その森の中。

 木々が開けた広場に、サミジーナは連れてこられた。


 外套の男は、サミジーナを縛るわけでも、捻りあげるわけでもない。

 この広場に連れてきたあとは、用済みでもあるかのように放置して、切り株の上に腰掛けていた。

 そして、草が生え放題になっている広場を、無言で眺めている。


(この人は……いったい、陛下のなんなんだろう?)


 ジャックの知り合いだと、彼は言った。

 その言葉は嘘ではないと、サミジーナは思った。


 なぜなら――

 この広場にやってくるまで、彼は一瞬たりとも迷わなかったのだ。

 まるで、この広場に、何度となく足を運んだことがあるかのように……。


「……なあ」


「えっ?」


 不意に、男が話しかけてきた。

 視線はサミジーナに向いていない。


「おまえは、ジャックの第一側室なんだろう?」


「は……はい。一応……」


 魔王を呼び捨てにしていることに驚きつつ、サミジーナは頷いた。


「おまえから見て、ジャック・リーバーはどういう男だ?」


「どういう……」


 サミジーナは自分の中にある感情と記憶を反芻した。

 時間をかけて、それを適切な言葉に変換していく。


「……とても……悲しい人だと、思います」


「悲しい?」


「ええっと……わたしには、陛下は本来、魔王を名乗るような人には、思えなくて……。本当はもっと優しい方なのに……いろんな不幸が重なって、魔王になるしかなかった……そういう方なんじゃ、ないかって……」


 言葉にすればするほどに自信がなくなっていったが、それが偽らざる気持ちだった。

 できれば、魔王ではないジャックを見てみたい。

 きっととても素敵な人だと、確信をもって言える。

 彼がダイムクルドの人々から信奉されているのは、魔王としての暴威のためばかりではない。

 彼が元来、素敵な人だからこそ、ああして人々に慕われるのだ。


 それがこうして、世界の破壊者となってしまっているのは――

 神様や運命といったものが、彼にひどい意地悪をしているからだとしか、サミジーナには思えなかった。


「……そうだな」


 男の答えは、意外にも優しいものだった。

 てっきりジャックに恨みを持っている人間だと思っていたが、その声には、親愛が多分に含まれていた。


「本来、ジャック・リーバーはそういう人間だ……。魔王になどなるはずもなかった。何か(・・)が彼を歪めたんだ。おれたちには及びもつかない何か(・・)が……」


 ――何か。

 その表現は、妙にしっくり来た。

 サミジーナも、折に触れて感じていたのだ。

 ジャックが、他の誰にも見えない何か(・・)と戦っていることを。


「だから、止めなくてはならない……。間違った道を進もうとする彼を、止めなくてはならない。

 魔王を倒す(・・・・・)んだ。そのために……」


 浄化の太陽を見上げながら呟く彼を見て――一瞬、サミジーナの胸に嵐のような感情が渦巻いた。


(……なに、これ……?)


 名付けるどころか、形さえもわからない。

 いろんな感情が混ざり合っていて、原形を留めていない。

 ポジティブなものなのかネガティブなものなのか、それすらも捉えられない。


(……彼は……いったい、なに?)


 改めて、疑問に思った。

 そのときだった。




 広場の地面に、影が落ちた。




 中天に輝く、浄化の太陽。

 世界に終焉をもたらすそれを、背に負うようにして。

 一人の青年が、広場を見下ろしていた。


 その姿を見上げ、外套の男も立ち上がる。


「安心した」


 ほのかに笑って、男は魔王に語りかけた。


「仮にも嫁を見捨てるようなクズになっていたら、どうしようかと思った」


「サミジーナを返してもらおう」


「返すさ。おまえが魔王なんてやめてくれたらな。いくらでも幸せな結婚生活を営んでくれ」


 ジャックは不快そうに眉をひそめる。

 そして告げた。


「そろそろ、正体を現したらどうだ?」


 男はほのかに笑った。


「俺の記憶が確かなら、お前は精霊術を同時に2種類までしか使えない。その姿では窮屈だろう――片手間で相手が勤まるほど、今の俺は弱くはないぞ」


 男は――


 ――今までとはまったく別の声で答える。




ええ(・・)……そうね(・・・)




 男の身体が淡い光に包まれた。

 中肉中背だった身長が10センチほども縮み、輪郭さえも変わっていく。


 長い髪が背中に広がった。

 直線的な身体つきが、曲線的な起伏を帯びた。

 そして、耳が三角に尖り、長く伸びる。

 それはエルフ族に特有の形だった。


 淡い光が消えたとき。

 そこに立っていたのは、男ではなく、ジャックと同程度の年齢の少女。


 長い髪は海のように青い。

 身体のラインが出にくいローブを、豊かな胸が大きく押し上げている。

 少女らしく華奢な体格なのに、全身から発される存在感は圧倒的だった。


「遅くなって、ごめんなさい」


 澄み渡った声で、エルフの少女は魔王に告げる。


弟子(あなた)の不始末を片付けに来たわ……ジャック」





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