第20話 蝉の声が聞こえない ‐ Part2
ジャックは、居場所が判明したエルヴィスたちに対処しようとしていた。
大抵の外敵は【巣立ちの透翼】で質量を奪ってしまえば無力になる。
しかし、エルヴィスたちが相手となると、必ずしもそうとは言えない。
勇者が来ていると知れれば、移民たちに動揺が走るであろうことは想像に難くない。
それによって移民受け入れの進行に支障を来たすと厄介だ。
勇者についてはできる限り秘密裏に処理したい、というのが、ジャック含むダイムクルド首脳陣の一致した見解だった。
「ガウェインが負傷している。これを治すために、勇者たちは城に侵入してくる可能性が高い。
これをあえて見逃し、城内でケリをつける。異存は?」
反論は誰からも上がらなかった。
実作業に移ろうとしたところで、ジャックのもとに報告が入る。
やけに急いでやってきた伝令兵から、やけに慎重そうに耳打ちされたジャックは、眉間にしわを寄せた。
「……サミジーナが……?」
しばらく黙り込んだあと、ジャックは同席していたアーロンにこう告げた。
「エルヴィスたちのことは任せる」
「さらっと大役を押しつけてくれるねえ」
「それと、後宮の周りには決して近付かないよう、全員に厳命しておけ。さもなくば死ぬぞ、とな」
「……ついにお出ましか?」
意味深なアーロンの質問に、ジャックは一瞥しただけで答えなかった。
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エルヴィスたちは、高層建築街の中心にある魔王城に迫っていた。
「『王眼』で警備の配置は大体把握したよ」
「視覚、聴覚、嗅覚まではあたしが欺瞞する。でもこの程度で抜けられるようなザルじゃあなさそーだぜ」
「いざとなったら強行突破よ。露払いは任せて!」
ガウェインはエルヴィスに背負われている。
かすかだが、確かに息をしていた。
急いで魔王城の地下にあるという治癒装置を使えば、必ず助かるはずだ。
有事とあって、やはり門は閉まっていた。
しかし、数メートル程度の城壁は、エルヴィスたちにとっては障害にならない。
高圧大気の足場を作り、城壁を乗り越える。
「あそこの窓が開いてるな。中に人は?」
「……大丈夫。誰もいないよ」
「ぃよしっ……!」
潜入のプロであるルビーと、『王眼』による索敵能力が組み合わされば、城への侵入自体は簡単だった。
しかし、武器庫らしきごみごみした部屋に入った瞬間、そう簡単ではないことにエルヴィスたちは気付く。
「……この空気……!」
「おいおい……。ずいぶん懐かしいじゃねーの」
「あのときの……!!」
『王眼』の視野が狭くなっている。
そして、その視野の範囲内で、人ならざるものの気配がいくつも蠢いていた。
「ダンジョン……! 【試練の迷宮】!!」
7年前、惨劇の引き金となった力が、再びエルヴィスたちの前に立ちふさがる。
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後宮のそばに広がるその森は、立ち入り禁止だと厳命されていた。
特別、獰猛な動物が出るわけでもなければ、危険な地形があるわけでもない。
むしろピクニックにでも使えそうな、のどかな森だった。
この森が立ち入り禁止である理由を、サミジーナは知らない。
しかし、推察することはできた。
この森があるのは、後宮のそば。
そして後宮は、ジャックの生家――リーバー伯爵邸を流用する形で設けられている。
だから、きっと、この森にはジャックの思い出があるのだ。
おそらくは……幼なじみだったという彼女との思い出も、また。
その森の中。
木々が開けた広場に、サミジーナは連れてこられた。
外套の男は、サミジーナを縛るわけでも、捻りあげるわけでもない。
この広場に連れてきたあとは、用済みでもあるかのように放置して、切り株の上に腰掛けていた。
そして、草が生え放題になっている広場を、無言で眺めている。
(この人は……いったい、陛下のなんなんだろう?)
ジャックの知り合いだと、彼は言った。
その言葉は嘘ではないと、サミジーナは思った。
なぜなら――
この広場にやってくるまで、彼は一瞬たりとも迷わなかったのだ。
まるで、この広場に、何度となく足を運んだことがあるかのように……。
「……なあ」
「えっ?」
不意に、男が話しかけてきた。
視線はサミジーナに向いていない。
「おまえは、ジャックの第一側室なんだろう?」
「は……はい。一応……」
魔王を呼び捨てにしていることに驚きつつ、サミジーナは頷いた。
「おまえから見て、ジャック・リーバーはどういう男だ?」
「どういう……」
サミジーナは自分の中にある感情と記憶を反芻した。
時間をかけて、それを適切な言葉に変換していく。
「……とても……悲しい人だと、思います」
「悲しい?」
「ええっと……わたしには、陛下は本来、魔王を名乗るような人には、思えなくて……。本当はもっと優しい方なのに……いろんな不幸が重なって、魔王になるしかなかった……そういう方なんじゃ、ないかって……」
言葉にすればするほどに自信がなくなっていったが、それが偽らざる気持ちだった。
できれば、魔王ではないジャックを見てみたい。
きっととても素敵な人だと、確信をもって言える。
彼がダイムクルドの人々から信奉されているのは、魔王としての暴威のためばかりではない。
彼が元来、素敵な人だからこそ、ああして人々に慕われるのだ。
それがこうして、世界の破壊者となってしまっているのは――
神様や運命といったものが、彼にひどい意地悪をしているからだとしか、サミジーナには思えなかった。
「……そうだな」
男の答えは、意外にも優しいものだった。
てっきりジャックに恨みを持っている人間だと思っていたが、その声には、親愛が多分に含まれていた。
「本来、ジャック・リーバーはそういう人間だ……。魔王になどなるはずもなかった。何かが彼を歪めたんだ。おれたちには及びもつかない何かが……」
――何か。
その表現は、妙にしっくり来た。
サミジーナも、折に触れて感じていたのだ。
ジャックが、他の誰にも見えない何かと戦っていることを。
「だから、止めなくてはならない……。間違った道を進もうとする彼を、止めなくてはならない。
魔王を倒すんだ。そのために……」
浄化の太陽を見上げながら呟く彼を見て――一瞬、サミジーナの胸に嵐のような感情が渦巻いた。
(……なに、これ……?)
名付けるどころか、形さえもわからない。
いろんな感情が混ざり合っていて、原形を留めていない。
ポジティブなものなのかネガティブなものなのか、それすらも捉えられない。
(……彼は……いったい、なに?)
改めて、疑問に思った。
そのときだった。
広場の地面に、影が落ちた。
中天に輝く、浄化の太陽。
世界に終焉をもたらすそれを、背に負うようにして。
一人の青年が、広場を見下ろしていた。
その姿を見上げ、外套の男も立ち上がる。
「安心した」
ほのかに笑って、男は魔王に語りかけた。
「仮にも嫁を見捨てるようなクズになっていたら、どうしようかと思った」
「サミジーナを返してもらおう」
「返すさ。おまえが魔王なんてやめてくれたらな。いくらでも幸せな結婚生活を営んでくれ」
ジャックは不快そうに眉をひそめる。
そして告げた。
「そろそろ、正体を現したらどうだ?」
男はほのかに笑った。
「俺の記憶が確かなら、お前は精霊術を同時に2種類までしか使えない。その姿では窮屈だろう――片手間で相手が勤まるほど、今の俺は弱くはないぞ」
男は――
――今までとはまったく別の声で答える。
「ええ……そうね」
男の身体が淡い光に包まれた。
中肉中背だった身長が10センチほども縮み、輪郭さえも変わっていく。
長い髪が背中に広がった。
直線的な身体つきが、曲線的な起伏を帯びた。
そして、耳が三角に尖り、長く伸びる。
それはエルフ族に特有の形だった。
淡い光が消えたとき。
そこに立っていたのは、男ではなく、ジャックと同程度の年齢の少女。
長い髪は海のように青い。
身体のラインが出にくいローブを、豊かな胸が大きく押し上げている。
少女らしく華奢な体格なのに、全身から発される存在感は圧倒的だった。
「遅くなって、ごめんなさい」
澄み渡った声で、エルフの少女は魔王に告げる。
「弟子の不始末を片付けに来たわ……ジャック」




