第19話 蝉の声が聞こえない ‐ Part1
「ガウェインくん!!」
双子の狙撃手が魔王城の方角に消えた後。
エルヴィスは宿屋の客室へと取って返した。
「容態は!?」
アゼレアとルビーはガウェインの応急処置の手を止めないまま、しかしこう答えた。
「血が止まらないの……! 手持ちの道具じゃとても足りない!」
「くそっ!! ガウェインっ!! この馬鹿野郎!! 自分で傷口ぐちゃぐちゃにしやがって……!!」
絶え絶えに息をするガウェインは、もはや意識を手放している。
エルヴィスは歯噛みした。
冷静な自分が告げているのだ。
彼はもう助からないと。
これが剣による切り傷や刺し傷であったなら、ルビーとアゼレアでも応急処置くらいはできた。
ガウェインも命を取り留めただろう。
だが……あの武器は。
『銃』の猛威は世界各国が散々思い知らされ、銃創の治療にもある程度のノウハウが貯まっている。
ルビーやアゼレア、エルヴィスもそれを知識として理解している。
しかし、あれほどの遠間から正確に狙ってくる銃を、エルヴィスは知らない。
きっと世界の誰も知らない。
そのうえガウェインは、傷口を自らほじくり返してしまったのだ。
エルヴィスたちを守るために。
「せめて〈ブエル〉の術師がいりゃあ……!!」
ルビーが呟いたのは、きっと泣き言だった。
治療の力を司る精霊〈ブエル〉の術師ならば、ガウェインの傷を塞ぐ程度のことはできる。
しかし、元より〈ブエル〉は希少な精霊だ。
この旅に同行させられるほどの術師は、7年前より弱体化したラエス王国には存在しなかった。
(――どうすればいい?)
同時に冷静な自分が言う。
(――諦めるしかない)
それが論理的帰結。
あの狙撃手は退けたが、いつまでもここにいたら追っ手が来るかもしれない。
そうなったら治療どころじゃない。
ガウェインを見捨てて、早く移動するのが一番――
ガッ!
と、エルヴィスは自分の頭を殴りつけた。
わかっている。
これは遊びじゃない。
『勇者』とは、わがままを言うのが許されるような立場ではない。
冷酷な判断を下す必要は、どこかで絶対に来る。
それがおとぎ話の主人公と、現実の救世者の違いだ。
それでも、と。
理屈もなしに反駁するのだ。
それでも、見捨てられるものか。
4人全員で、ジャックのもとへたどり着く。
それが目的。
それがゴールだ!
その一点だけは、どうしても妥協できない……!!
―――でも、どうやって?
思考が堂々巡りに陥ったことを知り、エルヴィスの頭が割れそうになった。
そのとき。
「ここかッ!!」
何者かがドアを勢いよく開けて、部屋に飛び込んできた。
「―――ッ!?」
もう追っ手が来たのか、と身構えたエルヴィスだったが――
その男には、見覚えがあった。
「きみは……!」
ダイムクルドに上陸する前。
突如としてエルヴィスたちの前に現れ、国へ帰るよう一方的に言いつけてきた、外套の男。
外套の男は床に倒れたガウェインを見つけると、苦々しげな表情になった。
そして、
「そこをどけ! 邪魔だッ!!」
応急処置をしていたアゼレアとルビーを押し退けて、ガウェインのそばにしゃがみ込んだ。
「何をするんだっ!!」
「黙っていろ!!」
その怒鳴り声に、なぜだかエルヴィスは――のみならず、アゼレアとルビーさえも、すぐに口をつぐむ。
なぜだ?
こんな見ず知らずの男の言うことなど、聞く義理はないはずなのに。
男はガウェインの胸の傷口を見ると、そこに手をかざした。
ぼうっと、手から柔らかな光が溢れる。
「これって……」
アゼレアが呟いた。
エルヴィスもまた目を見張る。
「〈ブエル〉の……【癒しの先鞭】……」
怪我や病を治癒する精霊術。
男は、ガウェインの怪我を治しているのだ。
ガウェインの胸から流れ出していた血が、程なく止まる。
虚のように空いていた穴も、少しの跡を残して塞がった。
男は続いて、右足に穿たれた銃創にも手をかざす。
そちらも程なくして、血は止まり傷が塞がった……。
「……これで、とりあえずは保つだろう」
男は立ち上がり、エルヴィスたちを睨みつけた。
「――――だから帰れと、おれは言った!!」
怒鳴り声に、思わず肩が跳ねる。
まるで叱られた子供のように。
「おれには到底理解しがたい! お前たちのような未熟な子供を、どういう神経で『勇者』などと祭り上げられるのか!!
お前たちもお前たちだ! 自分たちがただ、大人のどうしようもないふがいなさを押しつけられただけだということに、どうして気がつかない!? それがわからないほど子供でもないだろう!!」
反論する気持ちにはなれなかった。
事実として、仲間を一人、失うところだったのだから。
「子供は未来を担うものだ! 現在を守るのは大人の役目……!! それを公然と放棄することの、何が『救世合意』!! そんなものは綺麗事の誤魔化しでしかっ……!!」
男はそこで言葉を詰まらせ、忌々しそうに顔を歪める。
「……おまえたちに説教している暇はない。すぐに動け」
「え?」
「ガウェインは、このままでは死ぬ」
「!?」
端的に告げられた言葉に、3人は目を剥いた。
「ど、どういうことだよっ!? 治したんじゃねーのか!?」
詰め寄ったルビーに、男は冷静に語る。
「ただの応急処置だ。止血をしたに過ぎん。【癒しの先鞭】はその名の通り、先鞭でしかない。元より怪我や病を完全に治癒できるような力ではないんだ――それも、ルーストの力を除けば、だが」
「ルースト……?」
精霊〈ブエル〉の本霊憑き。
その力があれば、ガウェインは助かると言いたいのか?
「でも確か、〈ブエル〉のルーストは……」
「そうだ。魔王に攫われた。今は後宮にいるだろう」
「後宮……」
アゼレアが言葉を繰り返す。
「しかし、そちらに行っても意味はない。術の主導権は、精霊励起システムによって奪われているからだ」
「……治癒装置!」
エルヴィスは思い至った。
「〈ブエル〉の力を利用した治癒装置があるんだね!? この島のどこかに!」
「魔王城だ」
外套の男は短く告げた。
「〈ブエル〉を利用した治癒装置は、戦場のセオリーを丸ごと破壊しかねない戦略兵器。当然、最も守りの堅い場所に置いてあると考えるのが賢明だ。おそらくは魔王城の地下にある。詳しい場所は自分たちで探せ」
男は腰を屈め、ガウェインの身体に軽く触れる。
すると、190センチ以上ある巨体が、ふわふわと浮き始めた。
(え……!?)
「運びやすいようにしておいてやる。急ぐがいい。お前たちが城でひと悶着起こしている間に、おれはやるべきことをやる」
一方的に言い置くと、男は砕け散った窓から飛び降りた。
いや、飛び降りたのではない。
飛び立ったのだ。
何もない空中を走るようにして、男の姿は彼方へと消えていった。
その姿を見送り――
エルヴィスたちは、誰ともなく呟く。
「今の……」
「ああ……」
「そう、よね……?」
ガウェインを治すのに、【癒しの先鞭】。
そして、その巨体を浮かせるのに、【巣立ちの透翼】。
「…………精霊術を……二つ使った…………」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
魔王城を出たサミジーナは、後宮への道を歩いていた。
側には女性の近衛兵が3人ついている。
浄化の太陽が中天で輝いているためわかりにくいが、時間はすでに夜だ。
しかし、城やその周囲から人が減ることはない。
兵士や官吏たちがせかせかと歩いてきては、サミジーナに気付いて頭を下げた。
(……陛下……)
そうした周囲の様子は、サミジーナの意識には入ってこなかった。
気付けばジャックのことばかり考えている。
そして、『悲しい』にも似た、『切ない』にも似た、奔流のような感情が次々に湧いてくるのだ。
それが身体の中をぐるぐると回る。
収まりどころが見つからずに、暴れ狂っている。
シトリーに相談すれば、きっとすぐにこの感情の名前を教えてくれるだろう。
でもなぜか、それが惜しい気もしていた。
この気持ちを、下手に名付けず、普遍化しないまま、ずっと自分だけのものにしておきたいような……。
(これは……欲望かな?)
食欲?
性欲?
睡眠欲?
(……強いて言えば……)
性欲。
「……………………」
『恥ずかしい』が襲ってきた。
思い出されるのは、唯一ジャックと二人きりで過ごせる夜のこと。
フィルの魂を口寄せするため、ジャックの前で服を脱ぐときのこと。
「~~~~~~!!!」
ついこの前までは平気だったはずなのに、今は思い出すだけで『恥ずかしい』。
と同時に、ドキドキしている。
これは『期待』?
ジャックに裸を見られることが、嬉しいとでも言うのだろうか。
(……こ、こういうの……へ、変態……って、言うんじゃ……)
まさか自分に、こんな特殊な嗜好があるだなんて。
こんなことがバレたら、ジャックに嫌われてしまう。
……なぜだろう。
もし本当にそうなったら、と思うと、絶望感が胸の中を埋め尽くす。
「…………やめよ」
一人で恥ずかしがったり落ち込んだり忙しくしているうちに、城からはだいぶ離れていた。
後宮までは近い。
シトリーにいろいろ相談するべきだろうか……。
バタッ。
バタッバタン。
「……え?」
あまりに唐突で、認識が追いつかなかった。
サミジーナの側を固めていた3人の近衛兵が、いきなり倒れたのだ。
「えっ、えっ……? だ、だいじょう――」
声をかけようとした。
が、その前に。
倒れ伏した近衛兵たちは、地面に染み込むように消えてしまった。
(――え?)
サミジーナの思考は完全に停止する。
しかしお構いなしに、現実は進行した。
「……なるほど。こういう使い方もあるのか」
いつの間にか、すぐ側に男が立っていた。
外套で風体を隠した男だった。
その存在を認識して、ようやくサミジーナの思考が動き出す。
「どっ……どなた、ですかっ……!?」
「おまえの旦那の知り合いだ」
旦那?
――ジャックの?
「単刀直入に言おう、第一側室」
男は一方的に告げた。
「魔王に用がある。奴を釣り出すための人質になってもらおう」




