第15話 ロマンティック・ラブ・イデオロギー
サミジーナは、後宮の庭園から望遠鏡を覗いていた。
魔王城ほどでもないが、この後宮も小高い丘の上に建っている。
ゆえに、望遠鏡を覗けば、ダイムクルド外延に浮遊するサテライトの様子も、おぼろげながら見ることができるのだ。
「ほえ~。すごい人ですねえ~」
隣で同じく望遠鏡を覗きながら、間延びした声で言ったのは、浅黒い肌に豪奢なドレスを着た少女だった。
第五側室のヴラスタだ。
「あんな大勢の人、お祭りでも見たことないですよお~」
言いながら、白いテーブルに置かれたお菓子をぱくぱく食べている。
庭園には、サミジーナと彼女の二人しかいなかった。
この庭園は、かつてはジャックが精霊術の訓練をするのに使われていたという。
花壇などで美しく整えられている一方で、なぜか先端のほうが地面にめり込んだ逆三角形の岩山が、そのままに放置されていた。
すぐそばには森があり、そこはジャックが直々に立ち入りを禁じていた。
さして危険な獣がいるわけではないが、何か特別な理由があるらしい。
なぜサミジーナが、この庭園でヴラスタとたった二人、お菓子を食べているのかと言うと――
……実のところ、よくわからない。
いきなりこの浅黒い肌の少女に『お菓子食べましょ~』と誘われて、あれよあれよという間にこの状態だった。
(彼女は、デイナ様の……その)
取り巻き、という言葉が浮かんだが、少し失礼な気がした。
(……お友達? じゃ、なかったっけ……)
デイナはあの通り、サミジーナを目の敵にしているわけで。
こんな風にしているところを見られたら、マズいんじゃないだろうか。
「大丈夫ですよお~」
その心配を気取られたか、のんびりした口調でヴラスタが言った。
「デイナさん、あっち以外に友達いないんで~。このくらいで絶交されたりしませんって~」
「そ、そうですか……」
この人も案外、油断できない人種らしかった。
「世界、本当に終わっちゃうんですねえ~」
不意に、ヴラスタは空を見上げる。
空に浮かぶ『浄化の太陽』を。
「あっちの村も、なくなっちゃうんですねえ~……。ちょっと、寂しいです~」
「ちょっと……ですか?」
すごく寂しいものなんだと、勝手に思っていたが。
「元から、あるんだかないんだかわかんない、ちっちゃい村だったんで~。
でも、家族には、もう一回くらい会いたかったかも……ですね~」
「家族……」
サミジーナにはピンと来ない概念だった。
悪霊術師ギルドに道具として養育された彼女にとって、家族と呼べるのは、せいぜいシトリーくらいのものだった。
「お父さんと~、お母さんと~、お兄ちゃんと~、お姉ちゃんと~、弟と~、妹と~……まあ、いっぱいいるんですよね~。何人いたか忘れちゃいました~」
「わ、忘れたんですか……」
「食べ物がない食べ物がないって言うくせに、子供はパコパコ作っちゃうんですよね~、あっちの村~。
なんでですかねえ~。エロい民族なんですかねえ~」
「そうなんですか……?」
「わかんないですよう~。でも、そうですね~。一時期、お父さんとお母さんの部屋から、変な声が毎日聞こえてきたことはありますよお~」
サミジーナは少し顔を赤くした。
当然ながら、他人のそういうシーンに出くわした経験はなかった。
強いて言うなら、この前、デイナがジャックを誘惑したときくらいだろう。
「そういえば、聞きましたよお~。この前、デイナさんが見事玉砕したらしいですねえ~」
「え? どなたから……?」
「使用人の子の間で噂になってましたぁ~」
誰かが見ていたのか、あの場面を。
(……も、もしかして、わたしのときも?)
デイナと同じく見事に砕け散った――というか、宙ぶらりんにされたときのことを思い出し、サミジーナはそわそわした。
恥ずかしい。
そう、『恥ずかしい』だ。
「デイナさん、口だけなんで~。そうなるんじゃないかって、思ってたんですよねえ~」
「口だけ……」
「そういうところが可愛いんですけどね~」
サミジーナは朗らかに笑うヴラスタを見た。
「ヴラスタ、様……って」
「様なんていらないですよお~」
「……ヴラスタさん、って……もしかして、同性愛者の方ですか?」
「え~?」
ヴラスタはきょとんと首を傾げた。
「どーせーあい、って、なんですか~?」
「え、えっと……同じ性別の人に、恋愛感情を持つ人のことです。男の人なら男の人に……女の人なら女の人に」
「え~?」
またしても彼女はきょとんと首を傾げる。
「それって、何かおかしなことですか~?」
「え?」
「男の子でも~、女の子でも~、好きになるときは、なりますよね~?」
「え、えっと……そうなん、でしょうか?」
「そうですよぉ~。あっちの村では、普通でしたよ~。男同士のカップルも、女同士のカップルも、いっぱいいました~」
「で、でも……それだと、子供が作れませんよね?」
「え~? それとこれとは別じゃないですか~?」
「あ……」
そうか、とサミジーナは理解する。
彼女の村にとって、結婚、および出産というのは、あくまで労働力を得るための手段なのだ。
それらと恋愛は別の概念なのである。
恋愛、結婚、出産。
この三つの概念がひと固まりで扱われるのは、列強三国で信仰されている指輪教の考え方だ。
サミジーナの思想にも、基本には指輪教が存在する。
だが……そうだ。
それこそ、同性愛の存在が証明している。
恋愛と結婚と出産は、必ずしも結びついた概念ではない。
恋愛しても結婚しないカップルはいる。
結婚しても出産しない夫婦はいる。
現実として、彼らはいるのであって――
『でも、好きになったら結婚したいじゃん』とか。
『でも、結婚したら子供欲しいじゃん』とか。
そういう発想は、単なる個々人の思想でしかない。
(わたしにも……思想が?)
サミジーナは驚いた。
感情の名前すらろくに知らない自分にも、指輪教の思想がしっかり根付いていたことに。
そして、同時に――
(……子供は産めなくても……恋愛はできる)
――と、いうことは。
まだ子供を産めない自分でも、誰かの恋愛対象になりうる……?
誰か?
誰の?
「ありゃ~? 顔、赤いですよぉ~? 大丈夫ですかぁ~?」
ヴラスタに話しかけられ、サミジーナはハッとした。
「だ、大丈夫です。大丈夫です、本当に」
「そうですかぁ~?」
のんびりしたヴラスタの顔を見て、サミジーナはちょっと気になった。
「あの……もしかして、ヴラスタさんって……恋愛経験がおありだったり……しますか?」
「え~? そんなの、あるに決まってるじゃないですか~」
「えっ!」
意外だ。
なぜかわからないが、とても意外だった。
「だって、14のときに~……あっ、そうか~、これ、あっちの村だけかもですねえ~」
「な、なんですか?」
「あっちの村ではですね~。14歳で大人になるんですよぉ~。だから、14歳の年に、一斉にですね~、好きな子に夜這いするんですよぉ~」
「よばっ!?」
夜這い。
それは、あれか。
人知れず寝室に忍び込んで、自ら性的な交渉を誘うという……。
前にデイナが他の側室たちをけしかけていたが、ヴラスタが口にするそれは妙に生々しかった。
「好きな子が被ったら、取り合いになっちゃうんですけどね~。でも、大体、あっちの村では、みんな14で経験するんで~」
「あ、あの……ヴラスタさんも、その……されたってことですよね?」
「はい~」
「お相手は……お、男の方ですか? それとも……」
「女の子でしたねえ~。あっち、ガツガツいきたいほうなんで~。男の子だと、ガツガツいけないじゃないですか~、つまんないじゃないですか~」
そういうものなのか。
ヴラスタの言うことは、サミジーナには別次元のことに聞こえた。
「すっごい可愛い子で~、男の子からの人気がすごかったんですけど~、あっちを選んでくれたんですよ~。
夜でもわかるくらい顔を真っ赤にして~、いや~、も~、なんていうかですね~、エロかったですね~。おっぱいも大きかったですし~」
ドキドキと動悸が止まらない。
気付けば身を乗り出していた。
「む、胸とかって……ヴラスタさんから見ても、気になるものなんですか?」
「あっち、見ての通りペッタンコなんで~。だからですかね~。ちょー好きですよ~」
そう言ってから、彼女はサミジーナを見て補足した。
「でも、サミジーナさんみたいな子も好きですよ~。あと3年くらいしたら、ビビッと来るでしょうねえ~」
「そ、そうですか」
嬉しいやら困るやら不思議な気分だった。
「……ち、ちなみに……デイナさんは?」
そう、そこから始まった話だった。
デイナに対する彼女の口振りから、ヴラスタが同性愛者ではないかと思ったのだった。
「……それ、訊いちゃいますかぁ~?」
ヴラスタはほんの少し、にやりと口角をあげた。
「正直言うとですね~……まあ、狙ってますよね~」
「や、やっぱり……」
「すっごい好みなんですよぉ~。偉ぶってるくせに打たれ弱いところとか~、口ばっかで実は乙女なとことか~」
散々な言いようだが、褒めているらしい。
「あと、身体がエロいですね~。ちょーエロいです~。押し倒して泣かせたいです~」
「は、はあ……」
そこまでオープンにしろと言ったつもりはなかったが、これがヴラスタの普通なのだろう。
彼女に対するサミジーナの認識は、完全に覆っていた。
「だからですね~、正直、まおーへーかには、嫉妬しかないですよね~。ズルいですよぉ~」
「……魔王陛下は、デイナ様に手を出してはいませんけど」
「そこもまた憎いっていうか~、なんで我慢できるんですかね~? あっちなら、すぐに手ぇ出しちゃいますけどね~。他の側室の子も、あんなに可愛い子ばっかりなんですから~」
「陛下は、だって……心に決めた方がおられますから」
「そこがわかんないんですよぉ~。だって、死んじゃうときは死んじゃうじゃないですか~。好きな女の子だろうが、誰だろうが~。そりゃあ残念ですし、寂しいですけど~……」
もしかして、と思った。
彼女が14のときに関係を持ったという女の子も、もしかして……。
「幸せにならなきゃいけないと思うんですよね~。くら~くしてばっかりいたら、死んだ人もくら~くなっちゃうぞって、お父さんたちが言ってました~」
価値観の違いだ、と思った。
彼女が生まれ育った場所では、それが普通なのだ。
「だから、あっち、楽しく生きることにしてるんです~。好きな人も、新しく作るんです~」
「確かに、ヴラスタさんはいつも楽しそう――」
「ムラッとしたら我慢しちゃいけませんよね~」
のんびりと言う浅黒い肌の少女を見て、サミジーナは思った。
(……価値観の違いというか、ただこの人が性欲モンスターなだけじゃ……)
と。
そこで、サミジーナははたと思い至る。
一度考えがよぎってしまうと、もう訊かずにはいられない。
「あ、あの……ちなみに。ちなみに、訊くんですが」
「はい~?」
「まさか、とは思うんですけど……まさか、デイナさん以外の側室の方に――」
ヴラスタはにやっと笑った。
「サミジーナさん~。一つ、いいこと教えてあげます~。デイナさんには内緒ですよ~?」
「は、はい」
「デイナさんにイジめられた子に優しくするとですね~、コロッとオチちゃうんですよね~。入れ食いですよ~」
「……………………」
よくわかった。
いったい誰が、この後宮の本当の女王なのか。
[浄化の太陽炸裂まで、残り約31時間]




