第12話 世界を救いに行ってくる
『浄化の太陽』出現の夜が明け、翌朝――
王城の窓から見下ろした首都ブレイディアの城下町は、一見して浮き足立っていた。
「……みんな、まだどうしていいかわからないみたいだね」
「無理もありませんわ……。いきなりあのように言われては……」
エルヴィスの隣に立つヘルミーナが、物憂げに溜め息をつく。
「お父上はどうするおつもりなんだい?」
「まずは混乱を鎮静化しようと動いておられます。昨夜の宣言は魔王軍による攪乱に過ぎない、惑わされるな、と……」
「まあ、各国似たようなものだろうね。できるのはそのくらいだ……。でも、あの太陽は依然として空にある」
「はい……」
あれがある限り、人々の心から不安が拭い去られることはないだろう。
いくら国がお触れを出したところで、さほどの効果は見込めまい。
「行くしかないみたいだ、一刻も早く」
この事態を解決する方法は、たった一つ。
魔王ジャック・リーバーを倒すこと。
「……やはり、行かれるのですね」
「うん。あの太陽は、おそらく一昨日この街を襲ったあの爆弾に似て非なるものだ。
光の中は十中八九、超高圧と超熱量に支配されている。一昨日と同じ方法では処理できない。
……これはぼくの推測だけど、ジャック君は、あの太陽を維持するためのパーツとしてきみの【不撓の柱石】を欲したんだと思う。
【巣立ちの透翼】には媒体が必要だ。でも並の物質では、あの高圧と熱によってすぐに壊れてしまう。
きみの精霊の力を使って、媒体となる物体に無限の耐久力を与えようとしたんだろう……」
「では、わたくしはここにいるのに、なぜあの太陽が?」
「計画には常に保険をかけるものさ。何らかの手段で代替したとしか言えない」
だけど、とエルヴィスは言う。
「ジャック君自身に代わりはいない。魔王に予備は存在しない。それこそが、ダイムクルドという国家の最大の弱点なんだ。
幸い、ダイムクルドへの潜入手段は、向こうが自ら用意してくれたしね」
ジャックは昨夜、条件を呑み、地上と女を捨てた男たちを、ダイムクルドに迎え入れると宣言した。
ならば、それに紛れ込めばいい。
ルビーの精霊術を使えば、決して難しくないはずだ。
エルヴィスはふと未来の伴侶に微笑みかける。
「少し、お別れだね」
エルヴィスは王女の髪を愛おしげに指で掬い、柔らかな声で語りかけた。
「昨日、話したことを覚えているかい? 7年前のことにケリをつけたら、ぼくは真っ先にきみのもとへ戻ってくる。そのとき――」
「エルヴィス様」
瞬時のことだった。
「んッ―――!?」
ヘルミーナの両手がエルヴィスの顔を掴んだかと思うと、二人の唇は重なっていた。
たっぷりと10秒ほども静寂が続いて、ようやく、ゆっくりと、二つの唇が離れる……。
くすっ、と。
ヘルミーナがいたずらっぽく笑った。
「そんな顔も、なさるんですね?」
エルヴィスの顔は、耳まで真っ赤になっていた。
勇者としての、王子としての、希望と威厳を背負った姿とはまるで異なる、一人の少年の顔。
その顔をこそ、ヘルミーナは何よりも愛しげに見つめる。
「き……昨日は、待ってくれるって……言ったじゃないか……」
「あれはエルヴィス様のほうからしてくださるという話であって……わたくしのほうからしないとは、申しておりませんわ」
「ははは……!」
降参して笑ってしまったエルヴィスに、ヘルミーナはそっと囁きかける。
「100年、待つと申しました。……でも、お気を付けくださいね? 100年なんて、あっという間なのですから―――わたくし、自分から会いに行ってしまうかもしれませんわ」
「ようくわかったよ……ロウ王国のお姫様と一緒になるっていうのが、どういうことなのか」
ラエス王国第三王子でもある少年と、ロウ王国第一王女でもある少女は、こつんと額をぶつけ合って、くすくす笑い合う。
あどけないやり取りはほんの数秒で終わった。
二人は身を離すと、偽物の太陽が放つ光の中で向かい合う。
「じゃあ、世界を救いに行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
エルヴィスたち勇者一行は、ロウ王国首都ブレイディアを出発し、一路東を目指した。
ロウ王国の情報網が最後にダイムクルドを捉えたのが、その方向だったのだ。
そちらには昨夜崩壊したばかりの霊峰コンヨルドがある。
「ま、場所としちゃ一番わかりやすいわな。何せ昨夜、派手にぶっ壊したばっかだ」
「移民の受け入れを一度にやるとは思えないんだけどね。整理が大変になるし、移民の負担も大きい」
「効率のことを考えれば、ダイムクルドが各地を回るのが一番いいわよね?」
「いや、そうとは限らん。流民が自国の領土で集合するなど、どんな国も歓迎せん。その点、霊峰コンヨルドは列強三国いずれの領土でもない」
「トラブルを最小限に抑えられる土地ってわけか……」
ラエス王国、ロウ王国、センリ共和国のいわゆる列強三国の他にも、この大陸には様々な小国家や民族がある。
それらからも民が集まることも考えれば、どこかの国の領土内で移民受け入れを行うのは得策ではないのだ。
「にしたって、一ヶ所に全部集めちまうってのは危険じゃねーのか? 実際、あたしら不穏分子がそれに紛れ込もうとしてるわけだしよ」
「……もしかすると、ジャック君はそれほど大勢集まるとは思ってないのかもね」
「えっ? どういうことなの?」
「みんながみんな本当に命惜しさで恋人や家族を捨てるとは、心の奥底じゃあ思ってないってことさ……」
「……殿下。お言葉ですが、それは希望的観測ではないかと」
「そうかな」
「……ううん。私もそう思う。だって、あのジャックよ? 好きな人も親しい人もみんな捨てろだなんて、本心からそんなこと言うわけ……」
「恋は盲目って言うしなー。悪りーけど、お嬢様の意見はあんまアテにできねーな」
馬を操りながら、アゼレアが不服そうにルビーを睨んだ。
ルビーはそれを肩を竦めていなし、
「あたしらが知ってんのは飽くまで7年前のあいつだ。いま判断すんのは早計すぎるって話さ」
「……人間の根っこのところは、そうそう変わらないわ」
「そう思いたいだけだろ? そのくれー自分でもわかってんじゃねーの、お嬢様?」
「……………………」
押し黙ったアゼレアに、ルビーは困ったものを見る視線を向けた。
「ジャックは、変わっちまったのかもしんねー。
逆に、変わってねーのかもしんねー。
それを確かめに行くんだろーが。
いずれにせよ……真実を受け止める覚悟ってやつを、しておくべきだぜ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
霊峰コンヨルドの崩壊跡まで、早馬で4日かかった。
昼も夜も中天に輝き続ける浄化の太陽が具体的にいつ炸裂するのかは不明だが、ジャックは『数日のうち』と告げていた。
時間がないのは間違いない。
その曖昧な時間指定が、むしろエルヴィスたちを焦らせていた。
「……まだ集まってないものと思ってたけど」
「移民が、もうこんなに……!?」
霊峰の残骸の上に浮遊するダイムクルド。
その周囲の様子を高台の森から偵察したエルヴィスたちは、そこにある大群衆に目を見張る。
100……500……いや、1000はいるだろうか。
ちょっとした街の人口と同程度の人数が、すでに集合していた。
肌の色も種族も違う。
共通するのは男であることだけ。
世界中の男たちが、浄化の太陽の出現からわずか4日で集まっていた。
「どういうことだ……!? 一体どんな手段で、こんな短期間に……!」
「……おい、空見ろ。どうやらあれが答えのようだぜ」
ルビーの声で頭上を見上げた直後、エルヴィスたちがいる場所を巨大な影が通り過ぎた。
浮遊する船だった。
それはコンヨルド跡地の外縁に降下すると、次々と地面に人を降ろしていく。
浮遊船は一つではなかった。
あちこちから無数の船が飛んできては、人々を地面に降ろしていた。
それが終わると、どれもすぐに飛び去ってしまう。
「……なるほどね。ダイムクルド本島はここに置いておいて、あの船を使って、移民を運搬しているのか」
「うまく考えるものだ……。国々が領するのは飽くまで大地。空に関しては誰のものでもない。上空をどこの誰がどれだけ通過しようと、文句を言われる謂われはない……」
「その辺は、ちょうど各国で議題に上がっているところだけどね。ダイムクルドの出現で、領土ならぬ『領空』の概念が必要になったんだ。でも、少なくとも現時点では、空はどの国のものでもない」
強いて言えば、ダイムクルドだけが支配している。
そう考えれば、ダイムクルドこそが世界最大の領地を持つ国だとも言えるのだ……。
「……ダイムクルドに入るには、あの船に乗る必要があるみてーだな。見ろ、ぞろぞろと人が列を成してるぜ」
群衆の正面に降下した浮遊船に、多くの人が密集している。
それら一人一人を、兵士がチェックしているように見えた。
「何をチェックしてるのかしら……? 武器とか?」
「性別に決まってんだろ。ダイムクルドに入れるのは男だけなんだから」
「ええっ!? も、もしかして、あちこちまさぐられないといけないの……?」
「安心しろよ。あのくらいのチェックなら、あたしが透明にするだけでパスできる。中に入ったあとは、男に見せかけねーといろいろ不便だろーけどな」
「そっか……」
アゼレアがホッと息をつくのを見て、エルヴィスは少し笑った。
「よし。偵察はこのくらいでいいよね。群衆に紛れよう」
「馬はどうしますか、殿下?」
「……放してあげよう。ここに戻ってこられるとは限らない」
ここまで連れてきてくれた馬たちから、手綱と鞍を外す。
これで、来た道を引き返す手段はなくなった……。
ジャックを倒し、浄化の太陽を消滅させ、ダイムクルドを地に叩き落とすことでしか、帰る方法はない。
「さて―――」
行こう。
と。
動き出そうとした寸前だった。
「―――やめておけ」
知らない声が、すぐ近くから割り込んできた。
「「「「―――っ!?」」」」
4人は一斉に身構える。
木に背中を預けるようにして、一人の男が立っていた。
薄汚れた外套を羽織り、風体を隠している。
背丈は、エルヴィスより低く、アゼレアより高いくらいか。
フードを目深に被っていて、顔つきはほとんど窺えなかった。
エルヴィスの脳裏に、記憶が去来する。
その男に、見覚えがあった。
ブレイディアに迫る無質量爆弾を処理した直後。
吹き荒れた暴風が不意に消え――
空に、男が一人、浮遊していた。
「きみは、あのときの……!!」
外套の男は答えなかった。
緩く腕を組んだまま、淡々と言葉だけを連ねる。
「お前たち、魔王を倒そうと言うのだろう。無謀なことだ。やめておけ……」
「……申し訳ないけど、どこの誰ともしれない人に言われることじゃないね。ぼくは……ぼくたちは勇者だ。列強三国の『救世合意』による使命を帯びている」
「そんな古びた仕組みで、あの魔王に敵うとでも思うのか? おめでたい考えだな……」
「それだけじゃない。ぼくたちは会わなきゃいけないんだ、彼に……!」
「それは、命を支払ってまでしなければならないことか?」
エルヴィスは、ガウェインは、アゼレアは、ルビーは、揃って外套の男を睨みつけた。
しかし、男は動じた風もなく、淡々と告げる。
「魔王はおれが倒す」
エルヴィスは眉をひそめた。
「……なんだって?」
「魔王は、おれが倒す。邪魔をしてくれるな。さっき放した馬を捕まえて、さっさと国へ帰ることだな――」
「――あっ」
瞬きの間に、外套の男は消えてしまった。
以前と同じだ。
ついさっきまで彼が見えていたのが嘘だったかのような、唐突な消え方……。
「……誰だかわからないけど、退くわけにはいかないよ」
すでに姿を消した男に、エルヴィスは答える。
「行こう。ジャック君に会いに」




