第10話 救われるためのただ一つ
ロウ王城で1日を過ごしたエルヴィスたちは、夜になるとエルヴィスに宛がわれた客室に集合した。
「よお、王子様~。お邪魔しちゃってよかったわけ? お姫様とシたいことがあったんじゃねーの~?」
「おいっ! バーグソン! 殿下に向かって下品な……!」
「へーへー。デカい図体して無垢なこって。あたしらもう18だぜ? こんくらい普通だろーよ」
「時と場所を弁えろと言うのだ!」
「そんなお堅いことだから許嫁に浮気されんだよ」
「……………………」
ガウェインは急速に押し黙った。
エルヴィスとアゼレアが『あーあ』という顔をしてルビーを見る。
さすがのルビーも『しまった』という表情をして、慌ててフォローに入った。
「ま、まあ、ほら! ぶっちゃけ、貴族の女が旦那の他に愛人囲ってるとかよくある話だしさ! 結婚する前にそういう奴だってわかってよかったんじゃね!?」
「……………………」
「なんだったら、お前も愛人作りゃあいーじゃん! それでおあいこだろ、おあいこ!」
「…………オレにそんなことができると思うか」
「思………………わねー」
ふふふ、とエルヴィスが笑い声を漏らす。
「じゃあルビーさんがなってあげればいいじゃないか。愛人」
「はあ!?」
「いいわね、それ! どうせ奥さんってガラでもないでしょ?」
「お前らめちゃくちゃ言うな! 誰がこの朴念仁の愛人なんて――」
「……………………」
「……あーもう!! あたしが悪かったよ! 謝るから落ち込むなよ! 打たれ強いのは身体だけかよ!!」
「すごい。ルビーさんが謝った」
「初めて見たかも」
「お前らな……!」
豪奢な客室に笑い声が弾ける。
それがひとしきり済んだところで、4人はめいめいの場所に腰を下ろした。
エルヴィスはベッドの縁。
アゼレアとガウェインは備え付けの椅子。
ルビーは絨毯の上に胡座をかいた。
ここからが本題だ。
「……さっき、有識者会議の結果を陛下から聞いてきたよ」
エルヴィスが口火を切る。
「結論から言えば、有効なダイムクルド潜入方法は出てこなかった。単に侵入するだけならともかく、そのあとがね……」
「ダイムクルド全体がジャックの野郎の精霊術の端末になってるってのがうぜーところだな」
この7年、ラエス王国騎士団専属の諜報員として働いていた潜入のプロ、ルビーが言う。
「単に入るだけなら、王子様の【争乱の王権】を使って正面突破ってのもないではねーけど、それだとジャックの【巣立ちの透翼】に速攻とっつかまる。
人間ってのは、宙に浮かされちまうとマジで何もできなくなっからな」
他の3人は揃って頷いた。
それが学院時代から変わらない、ジャックの精霊術の恐ろしさなのだ。
浮かされたらほぼ終わり。
当時の彼の武装であった『あかつきの剣』の威力もあって、学院生たちによるジャック対策は、まず近付かせないことから始まるのがほとんどだった。
「ダイムクルドの潜入には、『ジャックの奴に気付かれねー』ってのが絶対条件だ。じゃねーとアイツのとこまでたどり着くのは難しい。
ただ殺せばいいってんなら、前みたいに王子様が遠距離からバシバシ叩きまくるってのもアリだけどな」
「ぼくらの目的はジャック君を倒すことだけじゃない。彼から話を聞くことも含まれるんだ。そのためには、彼自身に近付く必要がある」
「わあってるよ」
アゼレアが口元に手を添えた。
「せめて、もうちょっとタイミングが早ければね……。ダイムクルドがあちこちから鉱山だのなんだのを奪っていた頃なら、それに乗じて潜入できたかも……」
「今のダイムクルドは滅多に地上に近付かん。あの浮遊領地での自給自足の目処が立ったということだろう」
「それもにわかには信じられない話だね。今や人口も少なくないはずなのに、たったあれだけの領土で全員の食い扶持を賄えるなんて……」
「噂によると、例の『科学者』どもが導入した新農法やら珍奇な道具やらで、地上のどこよりも食い物に溢れてるって話だぜ。
まあ、農業に関しては、他のどの国にもねー反則じみたアドバンテージがあるからな。当然って感じもする」
「反則じみたアドバンテージ?」
「ああ」
興味を示したエルヴィスに、ルビーは説明を始めた。
「ダイムクルドは空を飛んで、あちこちを動き回ってる。アドバンテージってのはそのことだよ」
「なぜそれが農業において有利になるのだ?」
「よく考えてみろって。農業をやるに当たって、一番厄介なのはなんだ?」
「……害虫かしら? それとも病気?」
アゼレアの呟きに、ルビーは首を横に振る。
「――天気だよ」
「あっ……!」
エルヴィスがハッとして声をあげた。
「ダイムクルドは移動できる……! だから……!」
「そういうこと。普通、土地は移動できねー。畑もだ。だから、天気のご機嫌次第で不作だったり豊作だったりする。これはどうしようもねーことだ。普通はな。
でもダイムクルドはどうだ? 各地を自由に移動できる。だったら、晴れていてほしいときは晴れている場所に、雨が降ってほしいときは雨が降っている場所に行けばいい。ダイムクルドの飛行速度なら充分可能だ。
実質、天気を操作してるのに等しいんだよ。だからダイムクルドの畑は、常に最高の収穫量を叩き出せる」
「まさに反則だね……。世の為政者は全員、泣いて羨ましがると思うよ」
「それにジャックの奴、やろうと思えば雨雲なんざ力ずくで吹っ飛ばせるからな。たとえ嵐に遭遇したって、大した問題にはならねーだろーよ」
エルヴィスは先日見たジャックの力の一端を思い出した。
エルヴィスの蜃気楼の剣を完全に吸収しきり、空に向かって解放したあのときのことを……。
エルヴィスもこの7年、必死に研鑽を積んだつもりだった。
だが……きっと今のジャックは、自分を遙かに上回るだろう。
学院時代はほとんど互角だったはずなのに、どうしてここまで差がついたのか。
彼は何を思って、あそこまで自分を鍛え上げたのか……。
「こうして考えてみると、まるで理想郷ね、ダイムクルドは……」
アゼレアの呟きに、ルビーは肩を竦める。
「弱点もあるけどな。ジャックが死んだら全部おしまいだ」
「そうだな……。【巣立ちの透翼】の効力が切れれば、ダイムクルドは墜落する他にない。代わりは誰にも務まらんだろう」
「でも……」
エルヴィスは考えながら言う。
「学院の結界は、何十年もの間、働き続けていたんだ……。精霊励起システムとやらが、あの結界の仕組みを流用しているんだとしたら、精霊術の効力を永続させる何かしらの手段があるはずだ」
「あるだろーな。要は生きてりゃいーんだ。氷漬けにでもしときゃあ何とかなるんじゃねー?」
「氷漬けって……そんな……」
アゼレアがぎゅっと手を握った。
ジャックが……ダイムクルドを存続させるため、永遠の眠りに就く。
そんなことは……エルヴィスには、許せない。
その前に必ず、すべてを話してもらわなければならない……。
「実のところ、これも結構こえー話でさ。人間を生きたまんま永遠に保存できる技術があるってことは、ルーストを永遠に独占できるってことなんだぜ。一人いるかいないかで国力が変わるとすら言われるルーストをだ」
エルヴィスはハッとなった。
「ルーストが死ねば、精霊の本霊はまた別の誰かに乗り移る……。ぼくの〈パイモン〉みたいな例外はいるにせよ、乗り移り先は誰にもわからない。だからどの国も、ルーストをずっと保持しておくことはできなかった」
「そう。ところがルーストをずっと生かし続けていられるならその限りじゃねー。
72柱いる精霊のうち、常に全部が人間に宿ってるわけじゃねーけど、それでも、ひとつひとつ集めて保存していけば、いつかは全部揃う。
1柱だけでも、あのバカでけー土地を浮かせられちまうような力がだぜ? 72も揃ってみろよ。この世の誰にも、どうやったって敵わねー。
そうなったとき……ジャックの奴は、『王』なんてもんじゃねー。『神』になっちまうよ」
72の精霊を使役する……世界の神。
神話の中にしか存在しなかったはずのそれが、現実に出現する……。
「ジャック・リーバーの目的は……あるいは、それなのか?」
ガウェインが厳しい顔つきで呟いた。
「すべての精霊を手中に収め、神として君臨することが……」
「さあな。そこまではわからねーよ。第一、精霊の本霊ってのが、ホントに72柱もいんのかも定かじゃねーしな。
ほら、いるだろ? 〈ビフロンス〉とか〈バアル〉とか〈アスモデウス〉とか、実在すら怪しい奴がさ」
「精霊を『奴』呼ばわりするのは気に喰わんが……確かにそうだ。歴史上、確認されていない精霊は何柱か存在する……」
〈ビフロンス〉の名を聞いて、エルヴィスの意識が不意に過去へとさかのぼった。
ジャックと共に追いかけていた、同じ名を持つ犯罪者――
そして、7年前のあの日、精霊術学院の第一闘術場で『悪霊王』を名乗った何者か――
結局、その正体はわからずじまいだった。
それを知っているのはおそらく、あの扉の向こうに行ったジャックと、死んでしまったフィル――
それと、もう一人。
学院の崩壊以来、姿を消してしまった、あの人だけだろう……。
「話が脱線しちゃったわね」
パン、と手を打って、アゼレアが話題の舵を取った。
「とにかく、これ以上ここで悩んでても意味がないわ。休息は充分取ったし、明日になったら出発して、ダイムクルドを追いかけるべきだと思うんだけど」
「非効率だけど、それしかねーわな。なんかの拍子に地上に降りてくるかもしんねーし。
王子様はどうする? 出発前に子種を残しときてーってんならもう一晩――」
「しつこいぞバーグ――」
ガウェインがルビーを怒鳴りつけようとした――
そのとき。
不意に、夜が明けた。
「……は?」
4人は一斉に窓に振り向く。
閉められたカーテンの隙間から、光が射し込んでいた。
「あ、朝……?」
「馬鹿な! 夜明けにはまだ何時間もある!」
エルヴィスたちは慌てて窓に駆け寄り、カーテンを開けた。
窓の外は、まるで真っ昼間のような明るさだった。
影が伸びる方向を見て、エルヴィスは戦慄する。
「……上……!?」
窓を開け放ち、身を乗り出して、空を見上げた。
青い空の真ん中。
中天に。
巨大な太陽が、あった。
「な……なんだよ……!? いつの間に昼間になっちまったんだ!?」
「ち、違う……違うわ。まだ夜よ! よく見て! あそこに月がある!」
他の窓から身を乗り出したアゼレアが、空の一点を指さす。
そこにはうっすらとではあるが、丸い月があった。
太陽があるうちに見える位置ではない。
そもそも、今日は満月ではないはずだった。
「だ、だったら、あの太陽はなんだ!? なんなのだ!!」
「でかいぜ……。普通の太陽の2倍はある!」
『――――未だ地上に縛られた哀れなお前たちに告げる』
どこからか、声が響き渡ってきた。
記憶より低い声色だったが、それが誰のものなのか、エルヴィスには直感でわかった。
「ジャック君……!!」
ダイムクルドの影は空にはない。
それでも、17柱集まっているといういずれかの精霊の力なのか、声は世界全体に響く。
『これよりお前たちに夜は訪れない。中天に輝く我が「浄化の太陽」が、お前たちがしがみつく旧態依然とした営みを、欠片も残さず焼き尽くすからだ』
声は淡々としていた。
決まりきった作業をこなすかのように。
『証拠をご覧に入れよう――お前たちがへばりつく地上の中で、最も高き場所を見よ』
「最も高き場所……?」
エルヴィスたちの視線は、自然とある場所を向いた。
地平線近くに薄くそびえる影。
大陸で一番の標高を誇る、霊峰コンヨルドだ。
大陸のちょうど中心にあり、よほど辺境の地でなければ、どこからでもその頂を臨むことができる。
『しかと目に焼き付けろ――お前たちを待つ運命を』
瞬間だった。
中天に出現した太陽が、ひときわ強い輝きを放った。
数秒後。
じらすような静寂ののち。
かすかに見えていた霊峰コンヨルドが――消滅した。
「えっ……?」
エルヴィスは目を疑った。
しかし、さらに何秒かしてからやってきたそれに、否応なく現実を突きつけられる。
砂塵の波濤。
地平線より迫り来る、可視化された衝撃。
それを視認した頃に、先んじて轟音が耳をつんざいた。
――― ゴ オ オ オ オ ―――!!
身体を芯から震わせるその音の正体を、できれば考えたくはなかった。
だが、理解せざるを得ない。
これは、あの霊峰が崩壊した音――!
ならば、地平線から来る、あの砂塵は―――
「みんな伏せて―――ッ!!!」
叫びながら、エルヴィスは窓の下にうずくまった。
直後、窓枠が激しく吹き飛ぶ。
室内に嵐が吹き荒れ、豪奢な調度品が壁や天井を跳ね回った。
枕から飛び散った羽毛が部屋中で渦を巻く。
これは、衝撃。
遙か彼方で発生した衝撃が、何十キロもの距離を超えてここまで届いたのだ。
これほどの衝撃。
霊峰コンヨルドは、山頂が少し削れただけではない。
完全に崩壊したのだ。
雲すらも遙か眼下に睥睨する巨峰が、丸ごとすべて……!!
衝撃が止み、立ち上がって窓の外を見る。
中天の太陽は、未だ健在。
これほどの大破壊を起こしても、なお。
『ご覧の通りだ』
世界に魔王の声が響く。
『今のは、ほんの一部を解放しただけに過ぎない。
お前たちの頭上に輝く「浄化の太陽」は、数日ののちに完全に炸裂し、溶岩をも超える熱と、嵐をも超える風をもって、地上の一切を焼き払う。
断言しよう――誰も生き残ることはできない』
声も出せなかった。
真実に『世界を滅ぼせる力』を実感したとき、人は逃避することもできなくなるのだ……。
『ただし、猶予と機会を与えよう』
もはやその声は、神のそれに等しかった。
『ある条件さえ満たしていれば、私は喜んで諸君を我が天空魔領に受け入れる。そうして、地上を襲う災禍から救い出すことを約束しよう。
その条件とは、たったひとつ―――』
天から糸を垂らすように。
魔王は、絶望的な希望をもたらす。
『―――男であることだ』
エルヴィスは最初、すぐには理解が及ばなかった。
男?
たったそれだけ?
いや……たった、なんてことはない。
ただひとつ、その条件だけで、彼は人類の半分に死刑を宣告したのだ。
『女性諸君に対しては、我々は滅びの道しか用意してはいない。大人しく最期の日を待つがいい。
男性諸君、妻を捨てろ。
恋人を、母を、娘を、姉を、妹を捨てろ。
恋も愛もすべてを地上に捨て置いて、我がダイムクルドへと上がれ。
ただ一つ。
お前たちが救われるには、それだけしかないのだ』
エルヴィスの口元にひきつった笑いが浮かぶ……。
あまりに理不尽な言い分に、笑うしかなかった。
「ずいぶんと過激な男尊女卑じゃないか、ジャック君……」
無論、これはそんな話ではない。
これは人類という種の否定だ。
男と女が両方あることで、人類はここまで子孫を繋いできた。
彼はその営みすらも、根底から否定しようと言うのだ。
これほどの敵対行為が、他にあるか。
何を、どこまで、何のために。
敵に回そうというのだ、ジャック・リーバー――!!
『男たちよ、我が領地の影を追え。
天上にて、諸君と出会える日を待っている―――』
それっきり、声は潰えた。
代わりに、世界の終末が始まった。




