第5話 あれから7年
―――7年前。
ラエス王国・王都レイナーディアにて燦然たる威光を放っていた精霊術学院が、突如として白骨の海に沈んだ。
原因、不明。
犯人、不明。
ただ悪霊王ビフロンスという名が事件の生き残りたちの口から上っただけで、それが具体的に誰であったのかは、ついぞわからずじまいだった。
残ったのは、惨憺たる結果だけ。
永世霊王トゥーラ・クリーズを含む、精霊術師ギルド所属の実力者が軒並み死亡。
ギルドは機能不全に陥り、仕事を得る手段を失った術師たちが次々と野盗に堕ちた。
高い実力を誇った元ギルド術師の鎮圧は、王国騎士団の手には余る。
各地の治安レベルは致命的に悪化し、1年と経たずして人々は安全の二文字を失った。
ラエス王国の急速な治安悪化は、他の列強諸国にも影響を及ぼし、犯罪率は過去50年で最悪を記録した。
この危難に立ち上がったのが、当時元服すらしていなかったラエス王国第三王子、エルヴィス=クンツ・ウィンザーである。
彼は精霊術師ギルドの建て直しを図った。
術師たちに働き口を与えることで、治安維持に協力させると同時に彼らの犯罪を未然に防いだのだ。
さらに、かつての段位制度に変わる新たな格付けシステム、『ランク制度』を策定。
ギルドが発注するクエストの達成度や、各地で行われる賞金付き闘術大会の成績により、新ギルドに所属する全精霊術師をC~AAAランクに格付けして、その能力を明示したのだ。
これによって、クエストの発注や交渉、派遣術師の選定などが容易になり、より迅速に適切な精霊術師を活動させることが可能となったのだった。
これらの施策により、精霊術学院崩壊の余波は徐々に治まっていった。
総仕上げとして、新ギルドは全所属術師による統一闘術大会を開催する。
これに新ギルド発起人であるエルヴィス自身が参戦し、炎神天照流の実質的な師範であるアゼレア・オースティンを決勝戦にて撃破。
新体制における初代『霊王』の座に自ら収まり、精霊術師ギルドの完全復活を宣言したのだった―――
―――そうした派手派手しい社会情勢の裏で、魔王は着々と力を貯めていた。
最初は、本当になんてことのない出来事のはずだった。
学院崩壊で早逝した両親に代わり、当時わずか11歳のジャック・リーバーが伯爵位と領地ダイムクルドを継いだ。
彼は子供とはとても思えない手腕を発揮し、劇的に低下した治安から自らの領地を守りきった。
しかし、その裏で。
彼はかつて悪霊術師ギルドと名乗っていた犯罪組織の残党を、何らかの伝手を使って吸収する。
同時に、変わり者や鼻つまみ者として各地で不遇を囲っていた『科学者』を名乗る者たちを次々と探し出し、自分の臣下に加えた。
今まで誰にも理解されなかった彼らの能力を、ジャック・リーバーは十全以上に引き出し、自らの領地ダイムクルドをほんの3年ほどで目覚ましく発展させる。
その発展ぶりは、文明を3世代は先に進めたかのようなものだった。
建国以来と言ってもいい混乱に見舞われていた各領主もさすがにこれは見過ごせない。
ジャックの手腕に敬意を表する者。
ジャックの年齢を侮ってかかる者。
まちまちのポジションで、彼らはダイムクルドに対して硬軟織り交ぜたアプローチをかけた。
対して、ジャックの応答は―――
なし。
完全なる、没交渉。
この常識外れの対応に、領主たちは怒るよりも不気味に感じた。
15歳にも満たない少年の意図を、大の大人が揃いも揃って判じかねたのだ。
彼らには、ジャックの考えが、わからなかった。
今から3年前。
ダイムクルドが大地を離れたそのときまで。
伯爵領ダイムクルドは、ラエス王国からの独立を宣言した。
捨て置けるはずもない王国側は、王国騎士団とできたばかりの新・精霊術師ギルドの連合軍を彼の地に派兵する。
しかし、攻めるべき土地は、すでに遙か天空に浮遊していた。
前例のない状況に兵たちが右往左往しているうちに、無数の矢が降り注いで、呆気なく撤退を余儀なくされたという。
以来、行動が比較的大人しかったこともあって、ダイムクルドはアンタッチャブルな存在となった。
精霊術師ギルドの建て直しと、各地の治安回復のほうが優先されたのだ。
それがゆえに、ジャックの級友であったエルヴィスたちにも、ダイムクルドを訪れることは叶わなかった。
――いや、そもそも。
予想以上の速度での治安悪化の裏に、ジャック・リーバーの密かな暗躍があったことは、今となっては明らかである。
数年に渡って各国各地を苦しめた混乱は、ダイムクルドを『天空魔領』とするための時間稼ぎであり―――
かつての級友たちを自分に近付けないための、壮大な撒き餌だったのだ……。
ダイムクルドが天空魔領を。
ジャック・リーバーが魔王を名乗り。
各地のルーストを拐かし始めたのは――
それからさらに、1年が経ってからのことである。
各地の治安がようやく落ち着き始めた頃のこと。
人々がようやく、精霊術学院の惨劇を忘れ始めた頃のことだった―――
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魔王軍との戦いより一夜が明けた。
元より精強かつ勇敢で知られるロウ王国民は、朝から壊れた市壁や建物の修繕に取りかかっている。
現実的に考えれば、もしもう一度魔王軍に襲撃されれば、今度こそ明日は訪れない。
しかし、彼らの胸には希望が灯っていた。
幾千もの怪物を薙ぎ払い、街に迫る破壊を退けてみせた、救世の徒たち――
――今は王城に宿泊する勇者たちが、彼らに今日を生きる力を与えているのだった。
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「よくお休みになられましたか、皆さん?」
ロウ王城の広大な食堂に4人の勇者たちが姿を現すと、王女ヘルミーナ・フォン・ロウが艶やかな笑顔で出迎えた。
金髪をきらびやかに輝かせる勇者エルヴィスが柔らかに微笑む。
「うん。久しぶりによく眠れたよ。ここのところ野宿ばっかりでさ。ありがとう、ヘルミーナ王女殿下」
「お、王女殿下はいりませんわ、エルヴィス様。だって、わたくしたちは、その……ですし。で、できれば呼び捨てていただけると……」
「え? いいのかな? じゃあ……ヘルミーナ?」
「はうっ……!」
「あはは。なんか照れくさいな」
「い、いえ! いえ! とても、とても素敵です! ええ!」
顔を赤くしてこくこく頷くヘルミーナを、ルビーが「ほーん?」と無遠慮に眺め回した。
「なんだ、超美人じゃねーか。エルヴィスの婚約者っつーから、オークばりのやつを期待したのに」
「おい、バーグソン貴様! 無礼にも限度があるぞ!」
ガウェインに怒鳴られても、ルビーは飄々と続ける。
「だってよー。イケメン王子の婚約者が美少女お姫様って、当たり前すぎるっつーか。普通にお似合いすぎて、嫉妬もしてねーのにヒガみたくなんだけど」
「お、お似合いだなんて……」
ヘルミーナが頬に両手を当てて腰をくねくねさせた。
ルビーはにやにや笑って、エルヴィスの脇腹を肘でつつく。
「やるじゃん王子様。人畜無害そうな顔してよー」
「婚約者って言っても親が決めた許嫁だからね。会ったことだって、新ギルドの立ち上げ前に1回だけかな。そうだよね?」
「は、はい! ……あ、あのときは、そのう……無礼なことを言ってしまって……」
「ははは。気にしてないよ、そんな昔のこと」
「おー? なんだ? なんかあったのかよ? はーい! あたし聞きたーい!」
「はいはいそこまでよルビー! 遊びに来たわけじゃないんだから!」
アゼレアが割って入ると、ルビーは口を尖らせる。
「へーへー。学生の頃から変わんねーよなー、その委員長気質」
「あなたがあの頃からこれっぽっちも成長してないからでしょー!? ちょっとガウェイン! 騎士団のほうで責任持って躾てるんじゃなかったの!?」
「それに関してはオレも忸怩たる思いだ」
ルビーはこの7年、主にラエス王国騎士団の諜報員として活動していた。
爆発的に増加した盗賊や犯罪組織を内側から瓦解させたり、摘発するための情報を入手したりしていたのだ。
なので、仕事の都合上、4人の中ではガウェインと関わることが一番多かった。
「はははは! 意外と賑やかなものなのだな、救世の勇者一行というものは」
食堂に笑い声が響きわたり、豪奢な身なりをした壮年の男が扉から姿を現す。
「お父様!」
ヘルミーナがそう呼びかけると、エルヴィスたちはすぐさま頭を下げた(ルビーはガウェインに頭を押さえつけられた)。
意気軒昂そうなその男こそ、ロウ王国国王、ヒルデブラント4世である。
ヒルデブラント王はエルヴィスたちの低頭を手で制した。
「まあ掛けてくれ。まずは朝食をいただこうじゃないか。我が国に長く伝わる箴言に、こんなものがある――『腹が減っては戦はできぬ』とな」
精強で知られる軍事国家・ロウ王国の王が言うとなれば、その言葉には重みがある。
エルヴィスたちとヘルミーナは、それぞれ用意された朝食の前に腰掛ける。
入口から最も遠い上座にヒルデブラント王が腰を下ろすと、両手を組み合わせて祈りを捧げた。
「人と精霊を繋げし大いなる指輪よ。今日もまた日が昇り、命が生まれ、巡ることに感謝し、これを捧げます。――ネーマ」
ネーマ、と祈りの言葉が唱和され、ようやく食事が始まる。
テーブルマナーに沿って粛々と食べ進める面々の中にあって、ルビーだけがガツガツとマナーもへったくれもない勢いで貪っていた。
「……おい」
とうとうガウェインが我慢しきれず、こめかみをひくつかせながら呟く。
「テーブルマナーならば学院でも騎士団でも教わっただろう」
「ああん? 忘れた」
「…………。だとしてもだ、それが18歳にもなる淑女の食べ方か。まるで飢えた犬のようではないか!」
「はン! 淑女なんてシャレたもんになった覚えはねーし、飢えたら犬も人間も貴族も一緒だっつーの! そこに差があると思ってんのは、食いもんに困ったことのねーお坊っちゃんとお嬢ちゃんだけさ」
「貴様な……!」
「かははははは!! 然り、然り!!」
不意にヒルデブラント王が大笑し、ガウェインは口を閉じざるを得なかった。
「君の言う通りだとも、ルビー・バーグソン君。飢えれば身分など関係ない。みな獣になるとも、生きるためにな。それを受け入れられぬ者から死んでゆく。
私は戦場でそれを学んだが、さしづめ君の教師はスラムかな?」
「……へー。あたしらの素性は調査済みってわけ?」
「失礼ながらな。我々が『救世合意』で選出したのは、勇者であるエルヴィス王子だけだ。彼が選んだ仲間である君たちは、言ってしまえば、どこの誰とも知らぬ馬の骨、というやつでね。
国を救ってもらった英雄といえども、素性のわからない者を王城に泊まらせるほど、我が国は平和ボケしていない」
「結構なこったぜ」
ルビーのその言葉は皮肉ではなかった。
そのしるしに、口元には笑みが滲んでいる。
「とはいえ、今回は運がよかったな、バーグソン君。ここにいるのが私でなかったら――例えば、ラエス王国やセンリ共和国の元首であったなら――即刻斬首されても文句は言えなかったぞ?」
「淑女なんざになった覚えはねーが、これでも18歳のオトナじゃーあるんでね。無礼を働く相手はきちんと選ぶさ」
「ははは! 無用の心配だったか」
アゼレアが息をついた。
ルビーの無礼が王の逆鱗に触れたのではないかと、気が気ではなかったのだろう。
「さて。あらかた食事も終わったか? では、そろそろ本題に入ろう」
ヒルデブラント王はそう言うと、いきなりテーブルに手を突いて頭を下げた。
「まずは改めて、我が国を――我が娘をお救いいただき、心より御礼申し上げる。私の軽い頭一つで済ませてしまうことを、どうか今は許してほしい」
「いっ、いえ! そのような……!」
アゼレアが腰を浮かせて恐縮すると、王はようやく顔を上げた。
「感謝の言葉も、悔恨の言葉も、自嘲の言葉もまだまだ足りはしないが、今は未来に目を向けよう。
エルヴィス君――君たちの目的は、天空魔領ダイムクルドに赴き、魔王ジャック・リーバーを討つこと。……それでいいのかね?」
エルヴィスは――
首を、横に振った。
「違います。……ぼくたちはただ、昔の友達に会いに行くだけです。それがたまたま魔王と呼ばれているだけのこと。
友人として、ぼくたちは彼と戦う。そうして、彼に然るべき罰を受けさせて――引き戻すんです、こちら側に」
ヒルデブラント王は静かに瞑目した。
「……こちら側、か。魔王は――それに忠義する者たちは、あちら側だと?」
「彼らは世界という舞台から降りたつもりでいる。だからあんなにも道理に合わないことができるんです。あたかも、伝説に謳われる邪神のように」
ダイムクルドが真っ当な国であるならば、あれほどの無法を働くはずはない。
国益に繋がらないからだ。
戦争は多くのコストを必要とする。
無論、勝てばそれに見合ったリターンが見込めるが、ダイムクルドの場合は別だ。
今回の場合で言えば、あれほどの戦乱を巻き起こしておいて、ダイムクルドが要求したのはヘルミーナたった一人である。
領土の割譲も、鉱山の採掘権も求めなかった。
ヘルミーナに宿る精霊、金属を司る〈偽られし散華のベリト〉が莫大な利益を生むにしても、割に合わない。
一国の姫を公然と拐かそうとした、という事実は、今だけではない、未来永劫、末代にまで渡って、ダイムクルドという国家の信頼を地に貶めるだろう。
ヘルミーナの精霊が、自国の未来を丸ごと売り払ってまで手に入れなければならないものだとは、エルヴィスにはとても思えないのだ……。
「彼らはぼくらの常識では動かない。どんな政治家も、彼らの存在を計算に入れることはできません。
まさに天災――地震や嵐と同列のものです。
だから、彼らは魔王を潰した程度じゃ終わらない。
きっちりぼくらの常識の中に引き戻して処理し、『人は天災なんかになれやしないんだ』と知らしめなくちゃいけないんです」
「魔王という方法論に、失敗という前例を作る、か……」
ヒルデブラント王は深くうなずいた。
「『救世合意』――すなわち、利害関係を越えて世界を救うべし、とした我々三国は、勇者たる君への支援を惜しみはしない。
我が国も苦しい折だが、魔王軍を何とかしない限り、全人類に希望がないのでね……」
魔王軍の軍事力は圧倒的である。
無限に湧き出す魔物たちに、イレギュラーに高度な文明によって生み出された兵器。
多少人員に損害が出ても、治療の力を持つ〈ブエル〉によって、あっさりと回復できてしまう。
ラエス王国、ロウ王国、センリ共和国の列強三国が完全に手を取り合ったとしても、対抗できるかは怪しい……。
「対立して久しい三国が『救世合意』に至ったことだけでも奇跡的なことだ。せっかくの奇跡を無駄にしてはならないしな」
冗談めかして言うヒルデブラント王に、エルヴィスもまた笑みを返した。
「して、肝心のダイムクルドへの侵入手段はどうするつもりかね? さすがの君たちでも正面から乗り込むのは自殺行為だと思うが……」
「それを検討しているところで貴国の危機が耳に入り、馳せ参じた次第です、陛下。
何かよい方法があればいいのですが、今となっては、ダイムクルドは地上に近付くことすら滅多にありません」
「少し前までは、鉱山だの森だのを大地からひっぺがして回っていたがな。まさか領土を文字通りに持ち去ってしまう強盗がこの世にいようとは思いもしなかった」
ダイムクルドは不足する資源を、各国から物理的に領土を奪い取ることで賄っているのだ。
それが元・伯爵領の周囲に浮かぶ無数の浮島群である。
ヒルデブラント王はしばらく腕を組んで考え込んだが、やがてそれを解いた。
「……天空魔領への侵入方法については、こちらでも有識者を集めて検討してみよう。
君たちは戦いに備え、旅の疲れを癒すといい。歓迎の宴を開きたいところだが……かえって気疲れさせてしまうかな?」
「寝床さえあれば結構です」
エルヴィスが苦笑しながら言うと、ヒルデブラント王もにやりと笑った。
それから、自らの娘――ヘルミーナに視線を移す。
「……ヘルミーナ。お前にも苦労をかけた。しばらく公務はいいから、彼らと一緒に休みを取りなさい」
「えっ……? ご配慮は嬉しいのですが、お父様、この大事なときにわたくしだけ休むわけには――」
「やれやれ。鈍感な娘だ。父の気配りをむげにしてくれるな」
そう言って、王はエルヴィスのほうをちらりと一瞥した。
ヘルミーナの視線もまたそれに釣られる。
エルヴィスと目と目が合い、途端、彼女の頬がかあっと紅潮した。
「……お……お言葉に、甘えます……」
ヘルミーナが俯いて呟くと、父王は呵々と笑う。
「まったく! 嬉しいのやら寂しいのやら! ……エルヴィス君、娘を頼む」
「ええ。もちろん」
「いい返事だ。娘に男を見る目があったことに、父として安心したよ」
ますます俯いてしまうヘルミーナを、エルヴィスは大切なものを見る目で見つめた。




