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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期:あの日の扉を開くために

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第4話 あの日の扉


 ブレイディアの街を覆うかのように、光を歪ませる蜃気楼が広がっていく。

 その上を軽快に走っていく4人の男女がいた。


 エルヴィス=クンツ・ウィンザー。

 ガウェイン・マクドネル。

 ルビー・バーグソン。

 アゼレア・オースティン。


 彼らが一直線に向かう先には、すべてを呑み込み、やがて炸裂させる球状の無質量空間―――史上最悪の爆弾『ヴォイド・ボム』。

 ゆっくりと街に近付くそれを止める方法は、空間中心にある岩塊を破壊することだけだった。


「で!? どうやって壊すの!? いくら私の炎でも、あれだけの大きさの岩を完全に燃やすのには、そこそこ近付かないといけないわよ!!」


「突っ込みますか、殿下!?」


「いや! 無質量空間の中ではあらゆる慣性が無効化される! どれだけ勢いを付けたって中心には辿り着けないよ!!」


「だったら、ジャックの力を一時的にでも遮断すりゃーいいだろ!」


 ルビーが野性味のある笑みを浮かべた。


「あたしが連れてってやるぜ、お嬢様! 乗り心地は保証しねーけどな!」


「四の五の言ってられないわね……!!」


「決まりだ! それじゃあガウェイン君、ぼくたちは―――」


 エルヴィスは視線を空に向ける。

 そこには天を覆うほどのワイバーンが羽ばたき、無数の竜騎兵が戦意を込めた瞳で4人を見下ろしていた。


「無論ッ! 道を作ります……!!」


 エルヴィスは頷いて、第三の眼で竜騎兵たちを睥睨する。


「―――『万民勅令』!」


 数十に及ぶそれらに対し、通常の何十倍もの気圧を叩きつけた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「そうはいかねえぜ、懐かしいジャリガキども」


 魔王城・大指令室。

 魔王に代わって指揮官となったアーロン・ブルーイットが、歯を剥いて笑った。


「そいつらにはお守りを渡してあるんでな。魔王様印のありがたーいお守りをよ」


 ワイバーンとそれを駆る竜騎兵たちには、ダイムクルドの石や土、木の枝などを身に着けさせていた。

 それらひとつひとつがジャックの精霊術の端末として働く。

 すなわち―――


「あの4人を『ヴォイド・ボム』に近付けるなッ!! 気圧倍加攻撃はもう効きやしねえッ!!」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「落ちない……っ!?」


 依然、羽ばたき続けるワイバーンたちを見上げ、ガウェインが愕然と呻いた。

 一方、エルヴィスは予期していたように苦笑する。


「……そう甘くはないね。来るよ、ガウェイン君!!」


 上空を飛ぶワイバーンたちが、一斉に炎の息吹を吐き出した。

 波濤のごとく襲い来る紅蓮を前に、足を踏み出したのは大盾の騎士、ガウェイン・マクドネル。


「ぬうん―――ッ!!」


 盾が巨大化し、火炎を受け止める。

 膨大な熱の嵐を受けて、しかし、ガウェインは足を止めない。

 たった一人で、数十に至る火炎の息吹を押し返してゆくのだ。


 炎の息吹が途切れたその瞬間、大盾に隠れていたエルヴィスが素早く飛び出した。

 その手には、すでに蜃気楼の剣が握られている……!


 轟然と振るわれる反転風景の剣は、竜騎兵たちを一息に薙ぎ払った。

 それでいて、その切っ先は精密にコントロールされ、傍を走る仲間たちには傷一つ付けることがない。


「まだ来るぜッ!」


 ルビーが指差す上空で、ワイバーンたちが群れ成して飛び交い、無数の影を次々と投げ落としていた。

 エルヴィスたちの行く手を阻むようにして蜃気楼の床に着地するそれらは、ゴブリンとオークが入り混じった異形の歩兵たちだ。

 ワイバーンを利用した空挺降下。

 飛竜たちは凄まじい速度で後方との間を往復し、見る見るうちに魔物の壁を築き上げていく。


 10。

 20。

 50。

 100。


 すぐに数え切れなくなった。

 何者も届き得ないはずの空中に、大隊規模の部隊があっという間に出現し、なおも増殖し続ける。


「めんどくせえッ!!」


 ルビーが背中に背負っていた弓を手に取った。

 素早く弦が引き絞られるが、一見、そこには何も番えられていない。

 しかし、それはまやかしだ。

 ルビーが作り出した贋界膜(ヴェール)の向こう側に、矢は確かに存在している……!


「シッ!」


 光が閃くほどの早業で、不可視の矢が連続して放たれた。

 ゴブリンやオークを運んでくるワイバーンたちが、鱗に守られていない喉元を次々に射られ、墜落していく。

 エルヴィスの気圧攻撃を無効化した仕掛けは、それ以外には反応しないらしい。

 ならば、音も姿も見せずに襲い来る矢の数々を、避けるも防ぐも不可能だった。


「空のトカゲはあたしが始末してやるよ! 地上は任せたッ!!」


 3人は頷いて、蜃気楼の剣を、白銀の長剣を、そして青い炎を宿した右手を、それぞれ構える。


「「「「「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッッッ!!!!」」」」」


 怪物たちの鬨の声が重なった。

 と同時に、彼らがエルヴィスたちに向けたのは、一見、武器とは思えない奇妙なものだ。


 一言でいえば、黒光りする鉄の筒(・・・・・・・・)


 そう。

 エルヴィスたちは、これまでに魔王軍と戦った者からの伝聞で、その新兵器のことを知っていた。


 曰く、『銃』。

 指先一つで生物を殺傷できる、有史以来最も簡便な殺人兵器だ。

 金属を操る力を持つルースト、ヘルミーナを狙ったのも、銃を量産するためだというのが大方の予想であった。


 それが放つのは死の轟音。

 弾けるたびに命を刈り取る死神の閃光(マズルフラッシュ)


 高密度の銃列から放たれた無数の鉛玉は、一瞬にしてエルヴィスたちから生存可能な領域を奪い取った。

 ガウェインが大盾を構え、少しばかりの生存域を取り戻すが、盾の表面に大量の火花が飛び散り、ガリガリと彫刻のように削り始める。


「ぐッ……!!」


 ガウェインの表情がかすかに歪んだ。

 火炎の息吹にはなかった、盾を伝ってくる衝撃。

 無数の銃弾によるそれが、彼の手にダメージを与えているのだ。


「耐えろ、ガウェイン君!」


「言われずとも……!」


「アゼレアさんっ!!」


「言わずもがな、よっ!!」


 アゼレアが右手から蒼く輝く火球を放つ。

 それはガウェインの大盾を飛び越え、ゴブリン・オーク集団の頭上まで辿り着くと、閃光を放って炸裂した。


 火の粉とはとても侮れない蒼炎の雨が、怪物たちに降り注ぐ。

 それが燃やすのは、何も異形の魔物の身体ばかりではない。

 彼らが手に持つ銃すらも、赤熱させては溶解させた。


 散り散りに逃げ惑い、総崩れとなった銃列の中に、ガウェインの盾が突っ込んだ。

 蒼炎の雨は未だ降り続けているが、それがエルヴィスたちを燃やすことはない。

 アゼレアの炎は今や、可燃不燃に拘らず、燃やすものと燃やさないものを恣意的に選択できるようにまで至っているのだ。


「おおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」


 ガウェインが天を震わすような雄叫びを上げる。

 盾を前面に置いたその突進は、まるで輓馬(ばんば)に曳かれた戦車(チャリオット)だ。

 ゴブリンやオークが激突しては空に舞い上がり、周囲を巻き込んで転がっていく。


「ったく! 魔物よりもおめーのほうが野蛮だっての!!」


 ガウェインの後ろに隠れたルビーが、そう言いながら何かを放り投げる仕草をした。

 ガウェインが守る前方を迂回し、背後から襲おうとしていたオークたちが、突如炸裂した爆発に呑み込まれる。

【一重の贋界】によって不可視・不可触にした爆弾であった。


「そう言う貴様は卑怯千万だな!!」


「ひっひ! 褒め言葉だね!」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 空中に展開された蜃気楼の大地で行われるその戦いを、ロウ王国軍の兵たちは市壁の上から見上げていた。

 不利だと知りながら、それでもと誇りと忠義を胸に挑んだ魔王軍との戦い。

 しかし現実は想像以上に無慈悲で、剣を交えることすら許されず、彼らは敗北の2文字を叩きつけられた。


 そんな中、突如として希望が射したのだ。


 もはや抗し得ない絶望として迫っていた怪物たちが地に伏し、進軍を止めた。

 今のうちにと、わけもわからないなりに態勢を整えていれば、何もかもを呑み込む不可視の破壊が迫り―――

 ―――絶望するなと叱咤するかのように、彼らが現れた。


 そう。

 伝説は語る。


 大地に邪なる神迫りし時、勇者率いし戦士たちが、これを打ち払った。

 以来、政治的利害を超えて、戦士たちを祖とする三国が『世界を救うべし』と合意したときにのみ、当代最強の者にその称号と使命が与えられる。


 街に迫る破壊の吸引。

 その未曽有の絶望に、たった4人で立ち向かわんとする彼らこそ。

 救世の先触れにして希望の象徴。

 邪悪の天敵にして人類正義の執行者。


 伝承で、伝説で、御伽噺で。

 人が、国が、神がこう呼んだ。


 ―――勇者、と。 




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「……ああ、わかってるさ。全世界の希望を背負ったお前らを、この程度じゃ止められねえことはな」


 魔王軍代理司令官、アーロン・ブルーイットは自嘲的に唇を歪めた。

 魔王は――それに傅いた者たちは、世界を敵に回している。

 それは、決して楽な道ではない。

 欲望のままに振る舞っていればいいような、気楽な仕事ではない。


 誰もが咎を背負う。

 誰もが罪を宿す。


 誰も褒めてはくれない。

 何もかもが自分たちを否定する。


 きっと魔王軍に参集した男たちは、誰もが魔王に忠義すると共に、深く恨んでもいるだろう。


 よくも道連れにしてくれたな、と。


 彼らは天災である。

 意思を持たぬ絶望である。

 そういう在り方しか選べなかった、みじめな敗残者たちである。


 ゆえに、それでも。

 希望ごときには怯まない。

 正しいもの(・・・・・)には――

 ――ああ。

 だからこそ、叛逆する!


「質量無効化フェーズ終了! いつでも行けます!」


「よおっし!!」


 オペレーターの報告に、アーロンは手のひらに拳をぶつけた。

 アーロンは思う。

 これは世界の強度実験だ。


 世界(おまえたち)はどこまで耐えられる?

 社会(おまえたち)はいつまで生きられる?

 今まで散々人間(おれたち)を試してきたんだ。

 いい加減、試される側に回ってみろ―――!!


「空気を読まずに食い止めてやれ! 勇者サマとやらをなッ!!」


 そうしてアーロンは、最大級の絶望を世界に送り込む。


「第三巨獣《エイトザドラ》――投下ッ!!」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 それは、やはり空より降りてきた。

 最初に現れたのは、一瞬それとわからないほどの巨影である。

 局所的超高気圧による足場はそれを透過し、その下にある市壁を闇に呑み込んだ。


 市壁にて勇者たちの戦いを見守っていた兵士たちが、一斉に慄きに染まる。

 彼らの位置からでは、その全容を把握することはとても不可能だっただろう。

 それでも、恐怖を得ることは容易だったのだ。


 その大きさ。

 その禍々しさ。


 人類という種に恐怖を与えるには、そいつ(・・・)の足裏があれば充分だった。


 ゴブリンとオークの壁を切り抜けたエルヴィスたちの前に、立ち塞がるようにして現れた巨獣。

 それは一言で言えば、八つの首を持つ巨竜である。

 その大きさは、ロウ王城とも比肩しよう。

 それぞれが運河ほどもある八叉(やまた)の首を持ってすれば、国境を引く険峻な山ですら半時で平らげるに違いない。


 剣を向けるのが馬鹿馬鹿しく思える暴威の権化。

 まさに天災。

 矮小な人の身では、大人しく沙汰を待つことしかできはしない。


 これぞ、魔王軍が誇る七体の巨獣が一角。

 魔物たちの頂に君臨する、最強の絶望執行者。

 第三の巨獣――《エイトザドラ》。


「……ふ」


 その圧倒的と呼ぶも生ぬるい威容を前にして、しかし、エルヴィスは笑った。


「懐かしい顔じゃないか。……なるほど。7年前の自分たちすら超えられないようなら、対峙する資格もないってわけかい」


 エルヴィスも。

 ガウェインも。

 ルビーも。

 アゼレアも。

 この怪物を知っていた。


 7年前。

 精霊術学院が崩壊したあの日。

 4人は、この怪物に為す術なく敗れた。


 その直後に駆けつけたジャックとフィルによって危うく救われ――

 ――それがゆえに、その後、2人と共に先に進むことができなかった。


 もし、あのとき。

 この怪物に、自分たちが負けることがなければ―――


「詮の無いことだって、もしかしたらきみは言うのかもしれない。でも、ぼくたちにはわからない。わからないんだよ、ジャック君―――」


 八つ首の竜を通じて、級友に問いを投げる。


「―――だから、訊かなくちゃいけないんだ、ぼくたちは。

 あの日、あのとき、あの場所で、いったい何があったのかを。

 どうしてフィリーネさんが死に、どうして君が魔王なんてものにならなくちゃならなかったのかを!

 ぼくたちは何も知らない!! 何も知らないんだっ!!

 ぼくたちの魂は、7年間ずっと、あの扉の前で止まってるんだ!!」


 ジャックとフィルだけが入った、結界制御室の扉。

 エイトザドラとの戦いで力尽き、ついぞ入ることのできなかったあの扉。


「ようやく来たんだ、あの扉を開ける時が!!

 ようやく始められるんだ、7年前の続きを!!

 だから―――」


 勇者は――エルヴィスは。

 巨竜を睨み上げ、左腰の剣に手を掛けた。




「―――そこをどいてもらおうか、怪物ッ!!!」




 鞘走った刃が、鈴が鳴るような清らかな音を響かせた。

 それは、薄く透き通った白銀の刃。

 一合打ち合うだけで断ち折れてしまいそうなほどの、儚い剣。

 しかし、陽の光を受けて放たれる輝きは、太陽にも伍するほどの眩さだった。


 誰もがそれを、仰ぎ見る。

 誰もの頭上に広がる、天空のように。


「見ろ、ラエス王国の至宝が一つ―――邪神を屠りし救世の剣―――!!」


 エルヴィスは光り輝く剣を天高く掲げた。

 何の攻撃力もないその輝きに、エイトザドラが唸り声をあげて後退る。

 エイトザドラだけではない。

 誰もがその輝きを目にして、恐怖し、あるいは畏敬した。


 本能が知っているのだ。

 世界に刻まれた遺伝子とでも呼ぶべきものが、遥かな時を経たはずの全生命に、その剣の記憶を呼び覚ましたのだ。


「輝き、広がり、覆い、集まれ! ―――『天の剣』よ!!」


 松明を何十本と集めたよりも明るい光が、天に広がった。

 それは証明の光。

 その儚い刃に込められた力がどれほどのものか、それを天下に証明する光である。


 もはや光そのものと化した剣を握り、エルヴィス=クンツ・ウィンザーは空へと舞い上がった。

 宙を駆け上る彼の一歩一歩に、蜃気楼が瞬いては消える。

 世界そのものに自身の足跡を刻み込む、それは王たる者の疾駆であった。


 抗する術なしと思えたのも今は昔。

『天の剣』が放つ輝きの前に、八つ首の魔物はもはや卑小ですらあった。

 八つの首がなけなしの咆哮を絞り出し、エルヴィスを喰らうべく殺到する。

 しかし、目撃した誰もが思った。


 ―――僭越だ、と。


 光の剣が世界を裂く。

 エイトザドラは、それに巻き込まれたに過ぎなかった。

 大きく垂直に残った光の軌跡から、束の間、衝撃が吹き渡り、次の瞬間には収斂する。

 抵抗し得ない引力に、第三巨獣の巨体は折り畳まれて消滅した。


 瞬殺。

 巨獣が勇者の進軍を阻んだ時間は、ほんの1分にも満たなかった。


 エルヴィスは蜃気楼の床に着地し、仲間たちのもとへと戻る。

 ルビーが唇を曲げて、


「その剣ならあの爆弾もどうにかできんじゃねーの?」


「射程が足りないよ! 実体のある剣なんだから!」


 彼らにとって、エイトザドラなど障害物でしかない。

 すべてを呑み込み続ける『ヴォイド・ボム』は、すぐそこにあった。


「さあ、ようやくだ! 頼むよ、二人とも!」


「あいよ! 来い、お嬢様!」


「うん!」


 ルビーとアゼレアが走りながら手を繋ぐ。

 その後ろにガウェインが回った。


「飛ばしてやる! 備えろ!!」


「遠慮すんなよムッツリ!」


「減らず口を……!!」


 ガウェインが構えた盾の上に、ルビーとアゼレアがタイミングを合わせて飛び乗った。


「むううううんッ!!!」


 直後、盾の表面が伸びあがる。

 円筒状に伸びた盾に、二人はピストンのように勢いよく押し出された。

 さらに、


「ダメ押し!」


 盾の伸長が終わり、空中に放り出される寸前、アゼレアが自分の足元に蒼い爆発を起こす。

 爆風が二人の身体を押し上げるも、彼女たちの肌には火傷一つ残りはしなかった。


 投石器に放たれた石のように、アゼレアとルビーは『ヴォイド・ボム』へと飛翔していく。

 地面、木々、建物、そして人。

 吸い込まれた様々なものが無抵抗に浮遊する無質量空間に飛び込む、その直前。

 ルビーが精霊術を発動した。


 幻想のヴェール――『贋界膜』が二人を覆い、その存在を世界から完全に隠匿する。

 傍目に見れば、単に二人が消滅した。

 しかし、彼女たちは確かに存在している。

 無質量空間の干渉を完全に遮断しながら、その中心の岩塊へと一直線に進んでいるのだ。


 二人が再び世界に姿を現したのは、岩塊の10メートルほど手前だった。

 瞬間、あれほど凄まじい勢いで彼女らを運んでいた慣性が、嘘のように消失する。

 二人は死んだ魚のようにふわふわと無抵抗に浮かぶが――しかし。


「ぶちかませえッ!!」


「せっ……えええええええええいッッ!!!!」


 アゼレアが手から蒼い炎を迸らせた。

 そう、そこはすでに射程圏内。

 良く晴れた朝のような健やかな蒼炎が、巨大な岩塊を丸ごと覆う。

 ルーストだけに許された蒼き炎に―――

 ―――燃やせないものなど、ありはしない。


 黒く焦げ。

 炭と化し。

 塵と散る。


 街をも消し去らんとした爆弾の核は、しかし、燃え尽きてしまえば紙切れと変わりはしなかった。

 風がそよぎ、残った塵すらも大気に溶ける。

 すでに、破壊的吸引は終了していた。




 ―――そして、貯め込まれた質量が解放される。



 

 中断されたにせよ、その威力はジャックが指先から放った『太陽破風(モーメント・バースト)』の何十倍にもなる。

 市壁は薙ぎ倒され、街にも甚大な被害が出るだろう。

『ヴォイド・ボム』は、適切に処理したとしても威力を発揮する不可避の爆弾なのだ。


 爆心地にいたアゼレアとルビーは、再び贋界膜の内側に隠れて難を逃れた。

 エルヴィスとガウェインは、大盾の陰に隠れて耐え忍んだ。

 無質量空間に巻き込まれていた人々は、すんでのところでエルヴィスが蜃気楼の殻を作って守った。


 しかし、それ以外は?

 いかに世界(・・)を救う勇者といえども、すべて(・・・)を救うのは手に余る。


 ―――そのはずだった。






「――――――『空震』――――――」






 ブ、ウウン!!

 そんな音が聞こえた気がした。

 風を、大気を、直接震わせるような、そんな音が。


 瞬間、市壁に、街に吹きつけるはずだった豪風が、不意に消滅した。

 あたかも、今のほんのかすかな音に、掻き消されたかのように―――


「今の、は……!?」


 エルヴィスは当惑しながら、風の凪いだ空を見上げる。

 そこに―――

 男が一人、浮遊していた。


「え?」


 外套をそよ風に棚引かせ、男が何の支えもなく浮遊している。

 彼は、大破壊の痕跡を残す地上ではなく、彼方に浮かぶダイムクルドに目を向けているように見えた。


「あっ」


 瞬きをした瞬間、その姿は消えていた。

 空に隠れる場所などあるはずもないのに、どこを見回しても見当たらない。

 まるで幻だったかのように……。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「撤退する」


 大指令室に帰還するなり、魔王ジャックはそう告げた。

 代理司令官を担っていたアーロンが眉根を寄せる。


「被害は甚大だが、やろうと思えばまだやれるぜ。『ヴォイド・ボム』をもう一発かます準備もある」


「撤退だ。〈ベリト〉は断念し、セカンドプランにて『方舟計画』を遂行する」


 魔王の声音は、有無を言わさぬ響きを伴っていた。

 アーロンは息をついて肩を竦める。


「オーケー。了解。撤退しよう」


 ジャックは頷くと、ベニーやサミジーナを連れて、大指令室に背を向けた。

 撤退の指揮も一任する腹積もりだ。


 しかし、大指令室を出る寸前。

 一瞬だけ立ち止まり、千里眼モニターを一瞥した。

 正確には――それに映っている空を。

 ついさっき、ほんの一瞬だけ、外套の男が佇んでいた空を。


「……ふん」


 言葉なく、鼻だけを鳴らして、ジャック・リーバーは大指令室を辞した。


 こうして、ロウ王国は魔王の猛威を退けた。


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