修行風景with少女
ラケルの修行は翌日から始まった。
「がんばれ~」
などと手を振っている見学者も一人。
なぜか朝から遊びに来ていたフィルである。
彼女は訓練場の隅にあるベンチに座って、向かい合う俺とラケルを高みの見物していた。
「ここで寝て。うつ伏せ」
開口一番、ラケルは地面を指差してそう言った。
は?
と思った俺だったが、とりあえず従っておくことにする。
と、
「よいしょ」
「ぐええーっ!」
ラケルが何の躊躇もなく、うつ伏せになった俺の上にお尻を乗せた!
「お、おもっ……おもっ……!」
「このまま腕立て伏せ~」
鬼か! 7歳の子供にどんな筋肉期待してやがる!
きゃらきゃらと楽しそうなフィルの笑い声を聞きながら俺は、
「む、むりっ……むりっ、むりっ……!」
と師匠に対して全力で不可能性をアピールした。
「無理なことはない。やればできる」
言葉のバイオレンス!
「精霊術で、わたしの重さを消せばいい」
…………そういうことなら先に言え!
俺は背中に乗るラケルの重みに意識を集中し、【巣立ちの透翼】を発動した。
そして腕を突っ張り、身体を持ち上げていく。
「あなたは、まだ自分の精霊術を自分のものにできてない」
言いながら、ラケルは指先で俺のつむじをいじり始めた。やめろ。
「精霊術は、わたしたちに与えられた第三の手であり足。あなたは、手足を動かすとき、『手足を使うぞ』『動かすぞ』、なんて、いちいち意識する? 精霊術を使っているときのほうがむしろ自然、というくらいにならないと、論外」
「ろ、論外……」
「そう、論外。最終的には、寝ながらでも使えるようになってもらうから」
「だからまずは、術を使いながら腕立て伏せをしろって?」
「そういうこと。あと、あなた、ヒョロいから」
ヒョロい……。
確かに、術の訓練ばっかで筋トレとかしなかったけどさあ。
「腕立て伏せ、とりあえず20」
「20か……」
「――を、5セット」
「鬼! 悪魔! 性悪エルフ! ――いでっ!?」
「し・しょ・う」
「……師匠」
ヤバい。この隠れ巨乳スパルタだ。
俺は仕方なく腕立て伏せを始める。
うおお……思ったより疲れる……!
腕立て伏せに慣れてないっていうのもあるけど、精霊術を切らさないようにしなきゃいけないってのが……!
これ、脳みそ二つ要るだろ……!
現実逃避気味に視線を前にやると、フィルの顔が上、下、上、下と、俺が上下するのに合わせて揺れていた。
たぶん、俺に座っているラケルを見ているのだ。
……嫌な予感がする。
「…………わたしも乗るーっ!!」
フィルがてけてけ駆け寄ってきて、勢いよく俺の上に飛び乗った!
「どーんっ!」
「ぐええーっ!!」
新たに出現した重さに対応できず、俺は潰れた。
「ジャック。止まってる」
「止まってるぞーっ!」
「お前ら……お前らなあ……!」
マジ、覚えとけよ……!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……ぜえ……ぜえ……ぜえ……」
「走れ走れー」
言われんでも走ってる。
各種筋トレ(with重石ガールズ)を終え、水分補給と少しの休憩を挟んだあと、今度は走り込みを命じられた。
もちろん、ラケルを肩車しての走り込みだ。
息が切れてきて、脇腹が痛くなったりすると、意識がぼーっとしてくる。
そうすると精霊術が切れて、哀れ俺はぺっちゃんこという構図だ。
そうはなりたくないから必死に術を維持するんだが、これがまあ、非常に体力に響く。
大して走ってないのに早くも音を上げそうだった。
それに――
「スピード、落ちてる」
肩の上に乗ったラケルが、俺の頭をぽんぽんと叩く。
――それに、だ。
肩車しているということは、ラケルの太腿で顔を挟まれているわけで、すべすべで柔らかなわけで、これを気にするなというのは無理がある。
ラケルから見れば7歳のガキかもしれないが、すみません、中身は立派な大人なんです……。
第二次性徴が来てたらだいぶ情けないことになっていたかもしれない。子供の身体に感謝する俺だった。
「……ねえ」
そんな感じで、精霊術の維持でいっぱいいっぱいになっている俺に、ラケルが無情にも話しかけてきた。
「物心ついたときから、術の訓練をしてた……って、聞いたけど。どうして、精霊術がうまくなりたいの?」
「そんなの……」
疲れ切った俺の脳裏に去来したのは、思い出したくもない光景。
親しい人間が――
近しい人間が――
妹の形をした理不尽によって、壊されていく光景。
「……嫌だからっ……だよっ!」
酸素不足と精霊術の維持で、頭の中はむちゃくちゃ。
だから口からは、飾りのない言葉が零れた。
「何もっ、できなくてっ……無力でっ……無能でっ……守れないのが、嫌なんだっ!」
冷静に考えれば、7歳のガキが何言ってんだって話だけど。
金持ちの家でぬくぬく育った子供には、言えるはずのない台詞だけど。
ラケルは――そっと、俺の頭を撫でた。
「……そう」
そして、その白魚のような指を、俺の頬に添える。
「――だったら、もっと速く走って」
「いだだだっ! ほっぺ! ほっぺ抓るなっ!!」
ほんと、マジ、絶対、いつか仕返ししてやるからな……!!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「じーくん、おつかれ~?」
「ぜえ……はあ……ぜえ……はあ……」
頬をつんつんしてくるフィルの手を振り払うこともできず、俺は大の字に寝そべっていた。
日もだいぶ高くなっている。もうすぐ昼食の時間だ。
「さすがに……もう……終わりだろ……!」
「まだ。あと一つだけ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
師匠の無情な宣告に俺は叫んだ。
終いには泣くぞ。
「と言っても、筋肉使う系じゃないから。安心して」
「やっと……精霊術の使い方を……教えてくれるのか……?」
「そんなところ。息が整ったら、森に行く」
「わたしも行くーっ!」
走り込みにはついてこなかったフィルが、森と聞くや嬉しそうに跳びはねた。森の民め……。
そんなわけで、俺の体力が回復するのを待ち、3人で森に入った。
いつの間に地理を調べたのか、ラケルは迷いなく俺たちを先導する。
そうして辿り着いたのは、切り立った崖の上だった。
「ふわー……。たかーい!」
フィルに倣って俺も崖下を覗き込むと、地面が20メートルは下にあった。
こえー……。こんな危ない場所、この森にあったのか。
「師匠。こんなところで何の訓練を――」
と。
後ろを振り返った瞬間だった。
「どーん」
ラケルの手が――躊躇なく、俺を突き飛ばした。
「え?」
俺の身体が、崖の外に出る。
足の下にあるのは――当然、地面ではなく。
20メートル下まで続く、虚空。
「は、あああああああああああああああああっ!?」
浮遊感が全身を包んだ。
風が下から吹きつけてくる感触。
目の前の崖が高速で上へと流れていく。
そして視線を下げれば、急速に近付いてくる地面!
――【巣立ちの透翼】!
崖の半分を過ぎた辺りで、俺の落下は止まった。
ほっと胸を撫で下ろすが――
「――こ・ろ・す・き・かぁあぁあああああああああああ!!!」
全力で抗議しながら、俺は崖の上へと舞い戻った。
弟子に対して修行初日から殺人未遂をかました師匠は、平然としたすまし顔で、
「10メートル、ってところか……。まだまだ遅い」
「それが弟子を殺しかけた直後の台詞か!!」
「今のは、咄嗟に精霊術を使うための訓練」
ラケルは淡々と言った。
「どんなにすごい術が使えても、不意を打たれて発動もできなかったら何の意味もない。
だからわたしはこれから、突発的にあなたを術を使わざるを得ない状況に追い込む。
あなたはそれに対して、できるだけ早く対処すること」
「……つまり、今みたいなのがときどき、何の予告もなく起こると?」
「そう」
…………死ぬだろ! いつか!
「えいっ」
愕然としていると、フィルが唐突に、浮かび上がっていた俺の足に飛びついた。
俺は咄嗟に対応できず、フィルの重さに引きずられて地面に激突する。
「ぐえ-!」と悲鳴を上げる俺をよそに、フィルはラケルのほうを見て、
「こういうことー?」
「そういうこと」
グッと親指を立て合う2人。
……マジで……? この2人の突発的悪戯に四六時中警戒するの……?
「今のあなたの対処速度は1.5秒くらい。そんなに時間があったら、懐に入って首を切るのは簡単」
首を切るジェスチャーをしながらラケルは言う。
……言ってることは真っ当だ。やってることはめちゃくちゃだが。
「最終目標は0.2秒。達人はもっと速いけど、0.2秒で術を使えればたいていのことには対処できる。
何も四六時中警戒する必要はないから、何をされたときにどう対処するか、イメージトレーニングだけはしっかりしておいて」
「……わかった」
「よろしい。じゃあ、今日はひとまずここまで」
「おっ!? 今日終わり!?」
「そう、終わり。――基礎メニューはね」
へ……?
今までのが……基礎メニュー、ですか?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「はあっはっはっは!!!」
昼食の席で顔を合わせた父さんは、俺を見るなり上機嫌に爆笑した。
「ずいぶん可愛がられてるようだな、ジャック! お前のそんな疲れた顔、俺は初めて見たぞ!」
「この人……ほんと……めちゃくちゃで……」
「あなたに体力がないだけ。あと、この人じゃなくて、師匠」
同じテーブルに着いているラケルがそう言うと、父さんはまた呵々大笑した。
ちなみにラケルの前には、やはり大量の皿が並んでいる。
ちゃっかり相伴に与っているフィルが隣から盗もうとしては、高速で飛んでくるラケルの手に防衛されていた。
……ずっと俺に乗ってたくせに、なんで俺より食ってんだよ。
「やはり俺の目に狂いはなかったようだ。誰に教えられてもつまらなそうにしていたジャックが、たった半日でこんな風になるとはな!」
「こんな生き生きした顔のジャックは何年ぶりかしら……」
母さん……この顔が生き生きしているように見えるんだったら、死体だって充分生き生きしてることになります……。
「ラケルさん。一体どんな訓練をしているんだ? 俺にも聞かせちゃくれないか」
「基礎的なこと……です。術を使わせながら走らせたり」
「ほう! 懐かしいな……。俺も似たようなことをした覚えがある。ジャックでもやはり有効なのか?」
「ルーストだろうと何だろうと、基礎は大事……なので。それと」
「もがッ!?」
いきなりふかし芋が飛んできて、俺の口に埋まった。
「こんな風に、突発的な攻撃に対処する訓練も、同時並行でやります。……ジャック。今のは簡単に予想できた」
「ふぉくじひゅうにふるほわほほわふぁいひゃろ(食事中に来るとは思わないだろ)!」
「敵対者に襲撃されたときも、同じことを言うの?」
うぐぐぐ……!
ぐうの音も出ない。
「はあっはっは!! 予想以上に実践的じゃないか! ラケルさんは教官の経験が?」
「少し……ですけど」
「こいつは楽しみだな、マデリン。俺たちの息子はきっと大成するぞ」
「ええ。いい教師に巡り合うこともまた、才能の一種ですもの」
いい教師……まあ、確かにそれは認めんこともないけども。
口の中に突っ込まれたふかし芋をもごもご咀嚼していると、フィルが妙に静かになっているのに気付いた。
ラケルのことをじーっと見ている。
食べ物を盗み取るタイミングを計っているのか? とも思ったが――
「ねえ!」
――と、自分からラケルに話しかけた。
ラケルが振り返ると、フィルは大きな瞳を輝かせ、こう言った。
「わたしにも『せーれーじゅつ』教えて!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
昼食のあと、俺とラケル、そしてフィルは、再び訓練場に出ていた。
「じゃあ、やってみて」
「うんっ!」
ただし、見学は俺。
今の主役はフィルだった。
案の定というか、フィルは俺とラケルの訓練を見ていて、混ざりたくなったらしい。
すでに充分混ざってただろというツッコミはさておくとして、フィルの弟子入りは、保護者であるポスフォード氏の許可を取ってないのもあって、最初は渋られた。
だが『だって楽しそうなんだもん!』と駄々をこねる暴走お嬢様を止めることはその場の誰にもできず――『じゃあとりあえず精霊術見せて』ということになったのだ。
フィルは「んーと」と辺りを見回すと、
「あ。いたいたー! 鳥さんおいでー!」
空に向かってそう呼びかけた。
すると、空を飛んでいた鳥が3羽ほど、一直線に滑降してきた。
鳥たちはフィルの頭や肩を止まり木にして、何か訴えるように鳴き始める。
「ふんふん。……えー!? そうなのー!? すごーい!」
……談笑してる?
俺の目には、フィルが鳥たちと談笑しているようにしか見えなかった。
「……なるほど……」
その様子を見て、ラケルは納得深げに頷く。
「精霊〈バルバトス〉の【無欠の辞書】……。人間以外の生物と対話し、命令を聞かせられる精霊術……」
「鳥さんとも猫さんとも、蟻さんともね? お友達になれるんだよ!」
肩に乗った鳥に嘴でつんつんとつつかれ、「もーっくすぐったいよー!」とフィルは笑う。
確かに『命令を聞かせられる』っていうよりは『友達になる』って感じだった。
光景こそ微笑ましいが……これ、使いようによってはめちゃくちゃ有用な術なんじゃないか?
「ふむ……」
ラケルはしばらく考える素振りをして、
「フィリーネ」
「フィルでいいよー! 『でし』にしてくれるの!?」
「……フィル。弟子にするかどうかは、あなたのお父さんに話してから決める」
「えー!」
「でも、それとは別に――午後のジャックの訓練を、少し手伝ってくれる?」
「お手伝い? 何をすればいいの?」
「ちょっと……」
ラケルはフィルを手招きして、こそこそと何事か耳打ちした。
めちゃくちゃ嫌な予感。
「……うん。わかった! いいよー!」
「じゃあ、お願い。……こら、逃げるなジャック」
「はなせーっ!!」
俺はずるずると引きずられる形で、再び森へと連れ込まれた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
気付けば、俺は狼の背中に乗せられていた。
「……え? なに? 何すんのこれ?」
「狼に乗ったままできるだけ姿勢を保つこと。以上」
「いや、以上って―――」
「それ行けわおーん!!」
「―――ぁあぁああああああああああ!!」
フィルの号令で走り始めた狼の背中に、俺は必死でしがみついた。
速い! 速い速い速いっ!!
木々を縫うようにして縦横無尽に走り回る狼は、まるでジェットコースター。
しかも身体を固定するバーも掴まっておける手すりもない!
落ちる落ちる落ちる落ちる――――っ!!
「振り回される瞬間、タイミング良く術を使って! 自分の重みを受け流すの!」
重みを、受け流す……!?
振り回される瞬間に……!
俺は狼の動きをよく見た。
いつだ? いつ曲がる?
まだ……まだ……まだだ……もうちょっと……!
今だっ!!
「――どぅおわああああああああああっ!!」
重みを受け流すどころか、俺はすぽーんと狼の背中から放り出された。
木に背中からぶつかって、それからゆっくりと落下する。重さは消してたから痛みはない。
「タイミングが早い」
駆け寄ってきたラケルは淡々とそう言った。
フィルがその隣でけらけら笑っている。
「いきなりすぎるんだよ!! まず説明をしてくれ! 説明を!!」
「余計な知識を入れるより、肌で覚えたほうがいいと思ったんだけど」
珍しいことにラケルは俺の抗議を受け入れ、説明を始めた。
「あらゆるものには『そのままの状態でい続けようとする力』がある。動いているものは動いているまま、止まっているものは止まっているままでい続けようとする力が。
それは基本的に、重いものほど強く働いている。だから重いものを動かしたり、逆に止めたりするには大きな力がいるの」
「はい、ししょー! わかりませーん!」
フィルが元気よく降参を宣言したが、俺にはちゃんとわかった。
たぶん質量の話だ。
無重力空間上ならどんな重いものでも簡単に動かせるように思えるが、そうではない。
極端に大きなもので例えるとわかりやすい。
宇宙ステーションを人間の手で押せるか?
人工衛星は?
月は?
そう、できない。それらには重さはなくとも質量があるからだ。
ラケルは俺の顔つきを見て、話を進めた。
「あなたはわかっていると思うけど、【巣立ちの透翼】は、重さだけじゃなくて、この力も消している。
しかも、消すかどうかを選択できる。
じゃないと、どんな重いものをぶつけたって傷一つつかない」
そうだ。『物をぶつける』とはすなわち、質量攻撃だ。
俺は術を使って何かに物をぶつけるとき、無意識のうちに、投げる瞬間だけ質量を消去して直後に復活させている。
質量のない物体には慣性が働かないので、そうしないと1ミリたりとも進まないのだ。
「慣性――あ、そうか」
俺は得心した。
「慣性を消す訓練なのか。遠心力で振り回される瞬間だけ自分の質量を消せば、無駄な力を使わないで済む?」
「そういうこと。それを使いこなせれば、常人にはとても不可能な動きができるようになる」
「……師匠。なんでいきなりそんな難しそうなのやらせるんだよ」
「術の発動速度を上げるのも兼ねて。これができるようになったら、不意打ちへの対処も速くなる」
……いちいち合理的なんだよなあ。
「どうする? やめる?」
「……やるよ。今度は成功させる」
「よろしい。……フィル」
「おっけーししょー! ワンちゃんおーいで!」
あの狼がワンちゃんですか。2~3人食べてそうな感じなんですけどね。それがまた怖いんですけどね。
だけど……まあ。
狼ごとき、あの妹に比べたら怖くもなんともない。
自分と同じくらいのサイズの狼に向かっていく俺の背中を、元気な声が追いかけてくる。
「がんばれがんばれじーくん! 負けるな負けるなじーくん! 今度は上下にもいっぱい揺らすぞーっ!!」
「落とそうとしてるだろそれ!! 完全に落とそうとしてるだろ!!」
「いいから早く乗る」
こうして、俺の修行の日々が始まった。
フィルも翌日には父親から許可をもらってきて、俺の妹弟子になった。
俺、フィル、ラケル。
3人で精霊術の訓練に明け暮れる日々が矢のように過ぎ去り――
――やがて、冬になった。




