幸せ
手を取り合った二人に、侍女が
「では、なにか形代を」
と声をかけた。ジュベータが手を引っ込めるので、手を離しつつ、何のことか戸惑っていると、執事から
「契約ごとには、身に着けたものを交換いたしますもので」
と口添えがあった。ジュベータは首元に手をやり、服の下につけていた細い鎖をを外している。トマは身につけたものと言っても何もない。また執事に
「男性ならボタンがよろしいでしょう」
と、上着の胸のボタンを取り外すのを手伝ってもらい、ジュベータに向き直る。ジュベータは男爵夫人に、鎖に下げた白い丸い宝石を示していたが、トマの首にかけてくれた。首のすぐ横にジュベータが手と顔を寄せて留め金を止めるので、くすぐったくて顔がにやけてしまいそうだ。全力で口の中を噛む。留め終えたジュベータが宝石の位置を整えて
「これ、母から受け継いだものです」
と懐かし気にいう。
「ムーンストーンは、幸せな家庭を守る石だと言われるのですよ」
男爵夫人が涙声で教えてくれた。
「大切ににいたします」
と応えると、目頭を押さえながらうなずかれた。宝石に比べると、ただの制服のボタンは見劣りがして、申し訳ない気持ちになる。それでも心を込めて渡すだけだ。軽く唇を付けて、ジュベータに渡すと、両手で受け取って、しばらくもたもたしていたが、トマが必死に目で語りかけたのが通じたようで、ジュベータもボタンに唇で触れてくれた。達成感がすごい。
「おめでとうございます、男爵様からお祝いのお酒でございます」
小さなグラスに黄金色の蒸留酒が注がれ、執事の寿ぎの言葉とともに一同で乾杯をした。とろりとした酒を口に含むと、果実と花とアルコールの香気が立ち上る。
「ジュベータさんの生まれた年に樽詰めしたものでございます」
ということは、21年物だ。貴重なものに違いない。この美酒の一滴一滴がジュベータの生まれてから今日までの人生の一日一日でできている、かのような感慨を覚えるがトマは少し雰囲気に酔ったようだ。
男爵夫人はグラスを干すと席を立たれた。
「ではそろそろ私は部屋に戻ります。テペシ殿は明朝出立でしょう?では、今日の午後はジュベータの仕事はなしにしますから、これからのことを、テペシ殿とクラーラと3人で出来る限り話をつめてしまっておくれ」
「大奥様、ありがとうございます」
男爵夫人はジュベータの頬にキスすると、
「幸せになりなさい」
と命じた。それからトマにも手を差し出したが、立ったまま受けるのは気が引けて、トマは膝をついてその手を戴いた。
「テペシ殿、お楽に。この子は世間知らずで頼りない娘ですので、テペシ殿のようなしっかりした方と出会えて本当によかった。この子の母も、生きておりましたら、きっと安心したでしょう。どうぞ末永くジュベータをよろしくお願いします」
「いいえ、お、私の方こそ、軽輩の身ですで、お許しをいただけて、身に余る光栄です。ただ私ではジュベータにあまり贅沢もさせてやれそうになくて申し訳、ないです」
男爵夫人はふふんと笑って、
「この子は贅沢だのわがままだの言う性分ではありませんから、そこは安心なさいませ。ただねえ、もうずっと王城におりましたので、料理から何から、主婦として家庭を切り盛りするということがまるで身についておりません。今から仕込まなくてはなりませんが、付け焼刃でテペシ殿ご迷惑をかけるのではないかと」
ジュベータがこっそり首をすくめている。
「大奥様、そろそろ」
と侍女が声をかけた。
「ああ、そうだったわね。ジュベータのことはお前に任せるっていいながら、やっぱりねえ、口を出したくなってしまうのよ」
「では大奥様をお部屋にお連れしますので、そのあとで改めまして」
男爵夫人と侍女は立ち去った。執事はトマにもう一杯注いでくれたが、
「ジュベータさんには、お茶でもお持ちした方がよさそうですね。強い酒ですから」
と言って部屋を出る。扉が閉まる。二人きりだ。これは、気を遣われている、のか?トマは咳払いした。それでも息苦しくて、蒸留酒で咽喉をしめらせる。ジュベータは椅子に腰を下ろして、
「あの、テペシさんもお掛けになっては」
といった。
「お?おう」
今日は大机は壁際に寄せられ、部屋の中には椅子ばかり、ばらばらに置かれている。一脚をジュベータの斜め前に引き寄せて座った。
「あの、急な話で、驚かれたかもしれませんが、お約束をさせていただくことになりまして」
「いや、俺が頼んだ事だで」
「私はなんだか、夢の中みたいです」
「酔ったか」
「こんな小さなグラスでは、酔わないです。つ、つまり、幸せなんです」
こういう言葉をぽろりと出されては、仕方がない。トマはジュベータのひじ掛けに片手をかけて、もう片方の手ではジュベータが顔を隠そうとした手を素早く掴み、瞼のあたりにキスをした。続いて、慎ましく抗議の声を上げようとする唇もふさぐ。
トマが椅子に座り直すと、ジュベータが真っ赤になってうつむくので、
「幸せだと、キスしたくなる」
と言ってみると、ちょっと肩の力が抜けたのが分かった。




