霜の日
翌朝はぐっと冷えた。厩の様子を見ようとトマが外に出ると、地面も草木も、建物の屋根も白くなっていた。夜はもう明けたはずの時刻だが、どちらを見ても夢のなかのように薄暗く山の影に覆われている。あちこちの木から鳥の鳴き声が落ちてくる。トマが歩きながらあたりを見回していると、厩の手前で一服している使用人と目が合った。
「おはようございます。冷えますね」
厩の衆には丁寧にするに越したことはない。
「ああ、おはようさんです」
「こちらは今頃から、もう雪に、なるんですか」
「いやいや、こりゃ霜です」
「え、雪でねく?」
「はい、よう晴れた今頃の朝は、こうして一面霜でねえ、真っ白だ」
「俺はてっきり雪かと思った、お恥ずかしいです」
「お客さん、南のほうのお人ですか」
「はい、霜もほとんど見ねえのです」
「そうかね。まあ、これくらいの寒さでは、雪が降るには全然足りんね」
世間話をして、預かってもらっている馬の様子を見て、働く人たちに挨拶をして、自分でも世話を手伝う。自分の口と馬の鼻からそれぞれ白い息が出る。ほどほどに手伝って、馬房を出ると、戸口の外に陽が差しはじめ、赤い服の娘が中を窺っていた。ジュベータだった。
トマは大股に外へ出た。
「おい、仕事はいいのか」
「あ」
ジュベータが、気まずそうな表情になった。
「すみません、ちょっとだけ、遅れています」
小声で答えて、うつむく。細い首の後ろ側が、寒々しい。トマは出してしまった言葉を悔やんだ。会うなり小言のようになってしまった。
「んじゃ、あの、歩きながら」
トマが屋敷へ足を向けるとジュベータも、後ろからついてきた。何も言わないので裏庭の砂利を踏みながらトマから問いかける。
「何か、話でないのか」
「いえ、別に」
これに、どう答えるのがいいのか、わからない。考えていると
「テペシさんが厩にいるかな、と思って、今朝は霜で、それで、すごいねえって言えたらなと、、すみません、変なことに、変にこだわってしまって、馬鹿みたいで」
「いや、こちらこそ、いきなりえらそうな口を利いて、すまん」
ジュベータの態度が今までと変わらなくて、もどかしいと思ったが、多分ジュベータのうっとり?した態度というのは、例えば霜が降りれば一緒に見ようとする、そういうことなのだ。変な娘だ。けど、やっぱり好きだ。トマは足を止めると、ジュベータを振り返った。
「わざわざ来てくれて、うれしかったからな」
「え、あっ、はい」
ジュベータが目を見張る。
「それに、霜。俺さっき雪と言って恥かいた。言う通り、すごいな」
さらにトマは言葉を続ける。
「霜の日、お前とここで見たなって、忘れねえよにする、一生」
「あ、本当?一生?」
ジュベータは口元を手で押さえながら震える声で言葉を押し出す。
「おう」
すると、ジュベータは顔を伏せた。トマはぎくりとする。抱きしめるとか、するか?厩から直接来て、手から何から汚れているしと、逡巡したときに、ジュベータが両腕を広げてトマの躰に回した。驚きで呼吸が止まる。
「テペシさん大好き」
早口にささやいたと思ったら、身を翻して、こっちを見ないまま
「すみません、仕事に戻ります!」
と告げて、屋敷の入口へ走って行ってしまった。
「おい、こりゃ逆だべ」
取り残されたトマは、胸を押さえてつぶやいた。
朝食の後、執事に呼ばれて事務室に出向くと、男爵夫人から正式にお返事があるので10時に玄関横の小部屋にくるように、とのことだった。これも心臓に悪い話だ。トマが思わずまた胸を押さえる、執事は特別なことは言わなかったが、笑って握手をしてくれたので大いに元気づけられた。
身なりを整えて、先日男爵夫人と面会した部屋に赴く。執事がいる。ややあって、男爵夫人と高齢の侍女、それからジュベータが入ってくる。トマは緊張してごくりと喉をならす。夫人は執事に合図する。執事はトマの主人の名を挙げて、
「御家中のトマ・テペシ殿と、当家の懸人にて侍女見習いエルジュベート・ノシクとのご縁組みのお申し出をいただきました件、幾久しく御受けいたします由、ご回答いたしますので、よろしくお伝えくださいませ」
承諾だ。ありがたい。トマは返例の挨拶も忘れて、ただ頭を下げると、男爵家からの回答の書状を受け取った。男爵夫人に向き直って、また頭を下げる。
男爵夫人は、
「これからは、私の名代として、侍女のクラーラがエルジュベートの後見役を務めます。テペシ殿からはクラーラ宛に相談をしてください」
男爵家を通さなければ物事はずっと簡単になりそうだ。
「ありがとうございます」
高齢の侍女が進み出て、
「この度は、誠におめでとうございます」
トマの手に指先で触れる。
「ありがとうございます。これからよろしくお願えいたします」
侍女はジュベータを呼び寄せてトマの前に立たせる。
「テペシ様、ふつつかな娘でございますが、末永くお願いいたします」
ジュベータの右手をトマに差し出させる。侍女がしたように指先で触れるのかと思ったら、
「手をお取りください、婚約でございますから」
ジュベータと手を握り合うと、掌を通じて喜びが行きかうようだった。




