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幽霊でなく

 ジュベータの唇が震えて、閉じなくなった。何がなんだかわからないが、ずっと会えなかった人が、大叔母様の前で腰かけている。テペシさんを見ると、いつもの怖い目で睨んでいたのがわかって、それで奇妙にジュベータは安心した。すぐに上座を向くと大叔母様のもとにカップを置き、続いてテペシさんの前にも並べると、急須のお茶を交互に注いだ。ほんの少し手が震えて、カップがカチカチ鳴ったのは勘弁してほしい。お菓子を添えて身体を起こし、一礼して部屋を出た。


 ドアを閉めると、震えて動けなくなった。お盆を抱きしめて立ち尽くす。全身が心臓になったようにどきどきする。テペシさんに会った。なんでトーラスまで見えたんだろう。不思議で仕方ない。立ち去りがたかったが、玄関の横で立ち尽くしているわけにもいかず、ジュベータはお盆を返しに厨房へ向かった。顔見知りの調理人に

「どうした、幽霊でもみたような顔して」

と声をかけられて、ジュベータは今度は心臓が止まりそうになった。テペシさんがいるように見えたが、あれが幽霊だったらどうしよう。だってあの人がここに来るはずがないもの。怖くなって、そばの卓に手をついた。

「ちょっと、大丈夫?」

誰かが背中を支えてくれる。

「すみません、めまいがして」

水を一杯貰ってから、大叔母様の居間へ戻ったが、ジュベータの顔色を見た侍女たちが心配して椅子に掛けさせた。仕事にならないままに気をもみ続けていると、大叔母様が居間にはいってこられた。ジュベータが慌てて立ち上がると、

「どうしたの」

とジュベータの両頬に手を当ててお尋ねになった。

「大奥様、さっきのお客様は」

「具合が悪いの?」

「いえ、大丈夫です、あの、さっきのお客様は、お元気でしょうか」

「いつからこうなの?」

と大叔母様は周りの侍女に尋ねている。お茶を出して戻ってからこんな具合です、と答えがある。

「大叔母様、お願い」

ジュベータは子供のように呼び掛けていた。

「あの方が心配なんです」

「あらまあ、落ち着きなさい。ジュベータ。ちょっと雨に濡れたくらいでどうにかなるような男ではないでしょうよ」

大叔母様は、気付け薬を手に近づいてきた年嵩の侍女に手を振って下げさせると、

「何より顔を合わせさせた方が効き目がありますよ。客人は<鳥の間>の控室ですから、ジュベータに付き添っておくれ」

と命じた。年嵩の侍女は、ジュベータを誘って、屋敷の反対側にある客室の方へ歩かせ、廊下の腰掛に座らせると、控室の扉を叩いた。


トマ・テペシは前回と同じ小部屋に通されると、身も心も疲れ切って、火鉢の火で煙草をつけた。ほぼ一日馬を駆って、雨に打たれて、そのうえ男爵夫人との対面ときた。しかしこれでやれるだけのこととはやり終えたし、ジュベータと顔をあわすように計らってもらえたので、よしとせねばなるまい。お茶を運んできた娘がジュベータだったが、男爵夫人の前で緊張しきっていたトマには声をかけることなど思いもよらなかった。せめて会釈ぐらいするべきだったかもしれない。ジュベータは赤い服を着て、青い顔をして、黙ってお茶を入れて下がっていった。

そのあと、男爵夫人にあれこれと尋ねられ、トマは頭を振り絞って答えたのだが、結局許されたのかどうかよくわからなかった。もう少し検討したいと言われたように思う。トマはゆっくりと煙を吐いた。


ジュベータはここで元気なのだろうか。トマを見て喜んだようでもなかったが、考えてみればいつも困った顔をしている娘だった。そうしているところへ、扉を叩かれたので、立ち上がって応える。中年の侍女らしき女が扉を開いた。

「失礼します。エルジュベート・ノシクがお目にかかりますので、廊下までお出でください」

トマは反射的に上着も着ず、片手に煙管を持ったまま廊下へ進み出た。窓の下の腰掛にジュベータが座っていた。こちらを向いた唇が<テペシさん>と動いたのが分かったので、

「おう」

と答えた。ジュベータが立ち上がって手を出す。あわせて手を伸ばしかけたが、ジュベータは両手でトマの腕や肩をばしばしと叩き、

「これ、本物ですか、本物のテペシさんですか」

と尋ねる。わけがわからなくて笑ってしまった。

「俺でなければなんだ」

「私、幽霊なんじゃないかと思って。テペシさんに何かあったんじゃないかと」

「そりゃ縁起でもねえ」

「良かった。幽霊じゃなくて」

ジュベータの目から涙が零れ落ちた。

「おい」

トマはちょっとためらったが、いつかもこんなことがあって、その時は背中を一発はたいてやったことを思い出し、ジュベータの背後に腕を回した。しかし今日はそのまま、自分のほうに引き寄せてしまう。

ジュベータの肩が、トマの胸のあたりに触れる。ジュベータは両手を体の脇につけたまま棒立ちの姿勢だし、トマは煙管を持っていない方の腕だけをできるだけ軽くジュベータにのせているし、これぐらいは、構わねえべ?それも背後の中年の侍女の気配に、ほんの一瞬限りで、すぐに腕を下ろした。

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