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夜の雨

しょぼしょぼと秋雨が降って、客足も途絶えがちの夜、居酒屋「河口亭」の扉が開いて、店主が

「いらっせい!」

と声をかけたところに入ってきたのはテペシの旦那だった。

「おう」

と言葉少なに答えて小僧に雨具を渡し、隅の卓につく。内儀さんがエールのジョッキを持っていく。

「生憎とこの雨で生魚は入ってませんだよ。干し肉か、塩だらでも上がりますかね。」

「んじゃ、たら」

そのまま旦那は黙ってエールをすすり、景気はどうだともたずねない。


 店主は手早く料理を盛り付けて皿を卓に置きながら

「へい、旦那、お久しぶりで」

と水を向けてみた。

「そうか?まあ何かと、忙しくてな」

「今日はゆっくり召し上がってくだせえ」

「ああ、うん」

たらの身を見つめて答える。店主と内儀は目を見かわした。こりゃちょっくらキてなさるんじゃねえか?内儀は夫に顎をしゃくる。例の件を話せという合図だ。

「あー、旦那ねえ、そういえばね、前に一緒にお連れなさったあのお嬢さんがこないだお見えになりましただ」

旦那はジョッキを持ち上げ、ぐいっとあおっったのち、

「そーか。この近くに住んでんだったな」

「いやあそれがね、遠くに行きなさるって挨拶に見えましただ。丁寧なこって」

内儀が慌てて口を挟む。

「もしかしてお輿入れですかってお尋ねしたら違いますって。遠縁のご親戚のところで奉公することになったって」

「ふーん」

そして沈黙。


 他の客が注文をし、店主と内儀が離れていくと、旦那は付け合わせの芋をフォークで突き刺してながめていたが、店主の手が空くのを見計らってワインを注文し、

「よかったらおめえもここで一杯飲め」

と言い出した。

「こりゃどうも」

店主は浮かびかけた笑みを押し殺す。思ったとおりでねえか。


 旦那の卓につかせてもらうと、ワイングラスをちょっと掲げて口をつけてから

「親もねえ、兄弟もねえっておっしゃってましたが」

と話を続ける。誰が?と聞き返すこともなく旦那もワインを口に運ぶ。

「山の方のご領主さんと縁続きになるそうで、トランとか」

「トーラスだなあ」

「なんせそっちで働きなさるってことですだ」

「その」

「へえ」

「この近くで、えー、何かあって出て行ったとかそういう事情みてーなことがあったりしねーのか」

「はあ」

旦那が何を言い出したのかわからない。

「いやだからその縁談みてーなのがあったりとか駄目になったりとかまた妙なのにつきまとわれたりとか、せっかく王都でいい口を見つけたのに田舎に引っ込むていうのは何かあったんじゃねーか」

「いやあ、旦那ちょっと」

「だって機嫌よく働いてたでないか」

拗ねたような口調に、ご存じなんで?と突っ込みを入れてもいいものか、店主は迷った。


「旦那さん」

と内儀が声をかける。

「ここらの仕事っていっても長く続く話でなかったですだ。私どもでお嬢さんにお勧めした宿の女房の具合が悪くって、代わりの者が見つかるまでって、ご親切に助けてくださっただけで。おかげさんで宿の方も、なんとか商売立ち行けたって、皆喜んでおりましただ」

「ふーん」


 旦那はまた芋を眺める。

「へい、ごちそうさまですだ」

ご相伴したワインのグラスが空いたのを機に、店主は厨房へ戻った。しばらくして旦那が内儀を呼んで勘定を告げたときに、何か話している様子を遠目にうかがう。おっと、押さえていた重しが取れたみてーな顔色だ。


「旦那は何って?」

内儀はちょっと肩をすくめると

「あのね、宿の主人てのは頭の黄色い、ひょろっとした奴かって。まあどっかでご覧になったんでねーか。そいで女房の具合はよっぽど悪かったのかって。早産で赤子もろともに危なかったで、一時は自分も死ぬように思い詰めてましたっていったら、そうかって」

「どうやら男の焼餅ってわけでねーか、こりゃ」

「焼餅だか、あきらめだか、なんだかねえ。なんにせよ、これでまたご縁がつながると良いんだけんど」

「さてなあ。近くにいるならともかく、離れ離れだで」

「まんの悪いことで」

二人はそろってため息をついた。

これが、「甘い言葉をひとしずく」の中で最初に書いた部分なのです。店主が最初の登場人物で、書きながらテペシさんの名前を考えました。まだジュペータだどんな娘なのかわからずに予約投稿をしました。


春に書き始めて、秋になってようやくここに追いつけました。感慨深いです・

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