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ささやかな自負

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 リーリアとミカエラが、ジュベータの就職について、果たしてトマ・テペシに知らせるべきか?と相談していた頃、実はそのことは河口亭からトマの耳にも入っていた。トマはトマで、逆にリーリア達に伝えあぐねていたのだ。自分が直接口を利いたわけではないのだが、自分の知り合いの店を介してジュベータが就職口を決めた言うと、なにか下心でもありそうに見えないだろうか。就職を紹介して恩を売って、身寄りのない若い娘を縛ろうとしているとか。すべては偶然で、トマにはやましいところはないのだが、ついそういう風に気を回して、固まってしまうのがトマの性分だった。


 あの娘が安定した職を得られたたことは喜ばしいし、河口亭の気のいい夫婦がそれに協力してくれたのはありがたい。ジュベータを河口亭に連れて行って良かった、と思う。あの、頼りなげな娘の役に立ってやれたのが他でもなく俺だったのだから、これは満足感というか自負心というか、とにかくちょっとしたいい気分なのだが、それは人には知られたくない。


 おそらくジュベータはそのうちリーリアに報告するだろうから、そちらから話が伝わるだろう。トマ・テペシは黙っておくことにした。予想通り、ある日トマが長靴を磨いているところに、アルブレヒトが来て、声をかけた。

「お前の大事なエルジュベート嬢の仕事が見つかったらしいぞ」

トマは作業から顔を上げて

「おかしな言い方するんでない」

といさめた。

「そう?じゃあ、<俺のかわいいジュベータちゃん>」

相手にしてもしかたない。それから、ごく自然な感じに見えるように

「何の仕事するんだ?」

と質問して、いかにも知らなかった風を装う。

「中央の海軍廠の手前にある、あの宿屋、海馬亭?」

青馬だろう、と言いそうになるのを押しとどめる。

「そうか、それは何よりだなあ」


そのまま、手を動かしながら

「リーリアが教えてくれたか?」

と、尋ねてみた。アルブレヒトは早口に

「や、ミカエラ」

と答えて後ろからトマの肩に手をかけ、

「ジュベータちゃんの職場は、お前のお気に入りの鯰の店のご近所じゃないか、縁があるなあおい、一度様子を見に行こうか」

トマは肩をゆすってふりほどく。

「できるか、そんなこと」


「でもなあ、宿屋っていうことは客商売だし、ジュベータはほら、大人しいから、うまく務まるか心配じゃないか」

トマは、ちょっと手を止めて考える。そして、

「あれは、大人しいでもない。それと、俺たちが見に行って、何か役に立つこともない」

と答えた。答え終わるとやりかけの作業を続けようと長靴を取り上げる。

「役に立たなくてもいいだろ、ただ顔が見たい、とかないの?」

「そんなんでない」


「あー、えっと、トマ」

アルブレヒトはそのへんの腰掛を引き寄せてまたがると、斜め後ろからトマの横顔を見て言葉をつづけた。

「お前が、今までジュベータほど親身になった女の子はいなかったから、俺はきっとこれは特別な気持だと思ったが、そうでもない?」

トマは長靴をごしごしとこすった。特別といえば特別だろう。好意か嫌悪かといえば好意には違いない。しかし、例えば<ときめき>だの<切なさ>だの、まして<渇望>だといった、そういう、流行り歌にあるような、いわゆる恋心をあの娘に抱いているわけではないのだ。

「特別、心配だったが。けどもう安心だで」


「そうか、余計なことした」

アルブレヒトは立ち上がる。

「おう」

トマは引き続き、作業をしながら、自分にいいきかせた。世間知らずで頼りなくて、おかしな娘だが、ちゃんとした勤め先も見つかったし、もう安心だ。なにかあったら河口亭から、きっと自分の耳にははいるだろうから、それから手助けすれば十分だ。特別なわけもなしに、こっちから勝手に馴れ馴れしくするもんでない。


 それからのひと月は、何かと忙しく、河口亭に出向くどころでなく過ぎてしまった。通常の仕事に加えて国王誕生日に向けて訓練だの準備だのが始まり、主人は相変わらずトマにややこしい使いをさせたし、毎年恒例となっている近衛隊水練のために馬を連れて泊りで海岸へも出かけた。遊びなら、部隊の同僚とのつきあいがあり、一度は、どうやら和解したらしいアルブレヒトとリーリアと一緒に、うまい合鴨を食わせるという店にも行った。ミカエラと、トマの知らないもう一人の侍女もいて、ジュベータの話題はあまり出なかった。トマの方からあれこれ尋ねるわけにもいかず、退職した同僚というのは、こうして次第に忘れられていくものなのかもしれない、とうら寂しい思いをした。合鴨は美味かった。


 やっと午後に非番が巡ってきたので、トマはひと月ぶりに河口亭に足を向けた。故郷のようにいつまでも続く残暑がないぶん、王都の夏は暦通りだ。一番暑い盛りを過ぎて、少し朝夕が過ごしやすくなったと思う。それでも午後の日差しは厳しくて、トマは公園や寺院の木陰を選んびながら運河の方へ下って行った。昼の営業時間には間に合わないから、何か果物でも買って訪ねて行こうと、算段する。ちょうど途中に露店の青果市がある。梨や葡萄を見ていたトマは、通路の向かい側に、細い首の女が買い物をしているのに気づいて、立ち止まった。ジュベータだった。急に、脳ではなく脊椎のどこかが反射的に警報を上げた気がした。ジュベータの傍らには男がいた。




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