表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/41

父の影

ジュベータは手早く顔の汗を押さえて髪を手櫛で整えると、お客が待っているという青馬亭の食堂に向かった。考えない、考えない、と心の中で唱える。営業時間外の食堂に入ると、日差しの届かない卓に向かって腰かけた若い男が見えた。テペシさんではなかった。背中が細い。


「お、お待たせいたしました、エルジュベートが戻りました」


ジュベータが呼びかけると、男は立ち上がって振り向いた。見覚えのない、ジュベータより年上の男で、上質そうな生地で簡素な服装をしていることから、富裕な商人か、役人のようだ。


「やあ、お忙しいところ申し訳ありません。エルジュベート・ノシクさんですね。私はリネン商組合から参りました、サボーと申します」

「始めましてお目にかかります」


差し出された手に軽く触れると、サボーは微笑んだ。


「覚えておられませんか、私、昔、お父様の店で働いて押しまして、お嬢さんとご一緒にモンド通りのお宅に住んでおったのですが」

「え、あ、す、すみません、いつ頃のことでしょう」

「もう、10年になりますね。お忘れになるのも無理もない。お嬢さんが王城に勤められてからは全くお目にかかっておりませんので」

「10年…」


ジュベータが11歳の計算になる。13歳で王城に移ったので、2年ほどの間だ。実家には父の店の雇人がいつも4,5人ばかり住み込んでいたが、食卓も別で、正直あまり記憶がない。ジュベータが考えていると、サボーは苦笑いして、


「あの、立ち話もなんですので」


と水を向けた。


「あ、はい、すみません、どうぞおかけください」


椅子に座ってあらためて向かい合う。サボーの前には、井戸水と葡萄が出されていた。あとで主人にお礼を言わなくてはならないと思う。


「本日お伺いしましたのは、亡くなられたお父様が、リネン組合に残されたものがありまして」


まさか、負債ではないだろうか、とジュベータは内心でおののいた。


「わが組合では、組合員の子弟のために、毎月少しづつ費用を積み立てをして、ご結婚時に品物をお贈りする<講>がございます。お父様はお嬢さんために加入しておられましたが、お亡くなりになったときに手続きされず、宙に浮いた状態になっておりました。組合からのご連絡が遅くなりましたことをお詫びいたします」


「あ、そんなことがあったのですね、すみません、私ども、父がそれに加入していたことを知らなくて、かえってお手数をおかけしました」


「いえいえ、当然のことです。つきましては引積み立て額分の品物を受け取っていただきたいのです。組合員の誇りにかけて、最高の品質のものですよ」

「はい、あの、すみません、品物とは?」


「お父様の積み立て額ですと仕立て上がりの寝具何十組、クロス100枚、あとはテーブルクロスなどで、長持1竿に納まるかどうか、ぐらいになるかと思いますよ」

「それは、なかなかすごい量ですね」


ジュベータは現在青馬亭の雇人部屋に住む身である。そこに長持を持ち込むことは出来ない。王城に預けていた衣装箱を引き取ったものの、扱いに困っているところだ。


「折角の品物ですが、使い道もございませんので、もしかして、お金で受け取るというわけには…」


サボーの眉が一瞬ぴくりと動いたが、口調はよどみなく


「使い道がないとは、お嬢さんは、王城を退職なさったと伺いましたが、ご結婚のご予定はまだ先でおいででしょうか?」

「結婚はいたしません」

「さようですか」


そこへ、若いほうのメイドがジュベータにも井戸水を運んできてくれた。ジュベータがありがたく喉を潤すと、サボーもコップを口に運んだ。


「お金でお渡しするということは、組合としては前例がございませんが、なんとか致しようがあると思います」


コップを置いてサボーは静かに言った。


「ど、どうもありがとうございます。助かります」

「書類を用意して出直してまいりますが、お嬢様はいつまでこちらにご滞在でしょうか」

「えっと、少なくとも秋の国王誕生日までは、お勤めするお約束です」

「では、遅くとも月末までは伺うようにしましょう」


サボーが帰るのを見送っるため、ジュベータは階下に降りた。厩で用事をしていたヨアキムが、その様子を見ていたらしく、

「お、ジュベータ、男前のお客がおいでだな、彼氏ができただか?」

と、呼びかける。

「あの、違います」

ジュベータは厩に近づいて、うつむきがちに話した。

「死んだ父が残してくれたものがあるそうで」

「おう、そんだか、そりゃ良かったでねえか」

「ヨアキムさん、そうなんですけど、変な話なんですけど、私、うれしくない、です」

「お?そりゃ生きてくれるのが何よりだい」

「そうかもしれません、すみません、変な話」

ジュベータは厩に背を向け二階に戻った。ヨアキムさんの口調は、妙に話しやすいけど、ジュベータが思うことを何でも言える相手ではない。考えない。考えない。そろそろ忙しくなる時間だ。ジュベータは仕事の段取りで頭をいっぱいにすることにした。















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ