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復讐屋さんの奴隷くん  作者: 志久タクイチ
8/12

復讐屋さんの奴隷くん⑧

復讐屋さん第八話、投稿しました。書き貯めって素晴らしい。

 詰まる所、とばり姉と長谷。二人の『決闘』は、数週間で決着が着いた。

 俺は、とばり姉を見くびっていたのだと思う。というより、『見くびらせた』という方が正しいだろう。彼女は、道化を演じていた。

 長谷にも、そして俺にも。

 が、それだけじゃない。復讐代行部は――いやとばり姉は、とんでもない力を手にしていた。俺のような一般人なんかでは測りきれない、大きな力。

 長谷は、それを見誤ってとばり姉に負けた。

 とばり姉の宣告が実感出来るものとなるのは、思っていた以上に近かったのだ。

 長谷は、信じて疑わなかったから。自分の虚構の優勢を。ここまでの見かけだけの状況を。

 彼女の言った小さな一勝は、勝ちですらなかった。それすらとばり姉の手のひらの上であり、ただの『撒き餌』に過ぎなかった。

 こうなるまで、そんなことにもまったく気付かなかった。とばり姉は、長谷が自分に牙をむくことをずっと知っていて、初めからこの状況に追い込むつもりだったのだ。

 ――――〝そのために、俺まで利用して〟。

「……まあ、怒りたい気持ちは分かるけどさ。自分の知らないところで、自分に関係することが勝手に進んでいくのって、何か腹立つよな」

 あの日、とばり姉が復讐を宣告した日。

 あの時のような、夕暮れ時の教室。差し込む西日が、この場の明暗をくっきりと彩る。

 俺と、そして一人の少女が、向き合うようにしてそこに佇んでいた。

 その様は、まるで今から決闘でもするかのようだ。そんなつもりはもちろん、俺には無いけど。

 目の前に立つ彼女に向かって、俺は声を上げた。

 多分、今俺の顔は困ったように笑っていると思う。

「でももうちょっと、愛想のいい顔してくれよ。せっかく、俺なりに頑張ってみたのにさ」

 俺に向けるそのしかめっ面が、また少し険しくなった。

 ――――……話は、あの宣告の日の翌日まで遡る。



❖❖❖



 朝早い校舎内。突然大きな怒号が響いた。

 ヒステリックな叫び声に、その近くにいた生徒は全員動きを止めた。

 色々と悶々として眠れなかった俺の頭は、その声一つで目を覚ました。

 聞き覚えのある声だった。その出所が、俺のクラスの中からだというのも後押ししているかもしれない。

 胸騒ぎがする。

 慌てて、俺は教室に入った。

 そこには、既に登校してきていたクラスメイトと、呆気にとられた彼らの視線の先に、長谷と女子たち数人が向かい合っていた。

 向かい合っていた、というのは正確じゃない。

 まるでお互いが敵であるかのようにして、睨み合っている。口を挟むのも躊躇われる緊張がそこにあった。

「だからー、あたしじゃないってば。あたしなんもしてないから」

「とぼけないで! ずっと前から無かったのよ、アンタが盗んだに決まってるじゃない!」

「はあ? ちょっと、なに言ってんの? 全然意味わかんない」

 苛立たしげな語調をお互い隠そうともしない。

 特に長谷は、かなり素に戻っている。周りの目まで忘れてしまっているらしかった。

「ま、どっちでもいいじゃん? 結局見つかったんでしょ? んじゃもうどうでもいいっしょ、はい仲直り」

「ふっざけんな!!」

 長谷が勢いよく机を叩いた。

 教室中に乾いた音が木霊した。

 そして、長谷が叩き付けた手から覗く物を見て、俺は思わず動けなくなった。

 あれは、財布だ。

〝昨日、俺がとばり姉に言われて昨日返しておいたはずの白い財布だった〟。

 大場という女子の元に返したはずのあれが、何故長谷の手にあるんだ?

 心臓が、一際大きく跳ねる。何かがおかしい。

〝気付かないうちに、後戻りの出来ない何かが進んでしまった、そんな気がする〟。

「大場さん、アナタ万札抜き取ったでしょ。ねえ、バレないとでも思った? ――――こっすいことしてんじゃねえよバーカ! さっさと返しなさいこのアバズレ!」

 長谷の発言に、ざわついていたクラス中が一気に静まり返る。

 驚きに目を見開く者、まるで見向きもしない者、ちらちらと彼女達を伺う者と様々だったが、嬉々として関わる人間はいなかった。

「……うわ、何コイツ。うっざー」

 大場と呼ばれた女子、そしてその友達らしい取り巻き達は、冷たい瞳で長谷を見据えていた。クラスメイトというよりも、浮浪者でも見ているかのように、憐れみながらも人を見下す瞳だった。

 正直、今は長谷よりもその目つきの方に、背筋に汗が伝うほどの寒気がした。

「ねえ、みんなもそう思うでしょ?」

 人当たりの良い口調で、長谷が振り向く。

 その顔は、これ以上ないほど笑顔だった。

「コイツ、私のお財布どころかお金まで抜き取ってしらばっくれてるのよ。ねえみんな、私の言うことを信じてくれるよね?」

 ――――〝だった、のだが〟。

 俺は、その瞬間のことをずっと忘れないだろう。

 凍り付く長谷の笑み。わずかな沈黙ののちに浮かべる、露骨な困惑。

 ――――その長谷に一斉に向けられる、不信を孕んだ視線。

 このクラスの的という存在に向けるには、あまりにも冷たすぎるものだった。

「な、何……みんな、どうしたの? 何で……」

「……ねえ、長谷ちゃあん? ちょっとこんな話聞いたんだけど、本当?」

 くすくす、という忍び笑いが耳に届く。

 いやに粘っこい、挑発するような猫なで声が長谷に掛けられた。

 大場だ。

「……? 何を、いきなり――」

ニヤけた笑みから、決定的な言葉が飛び出す。

「ま・ん・び・き」

「っ……⁉」

 驚愕が、長谷の顔を染める。目を見張り、何も言えず固まっていた。

「あはは! その様子じゃマジなんだ、舞チューの万引き常習犯って噂!」

 辺りが再びざわつく。

 本当だったのか、という声がどこからか俺の耳にまで届いてきた。

「アンタさあ、万引きバレて補導までされたんだって? あはっ、見つかっちゃうほどやるなんて馬鹿ねー」

「何で……何でそれを……」

「結構有名な話よ? せっかく成績も良かったのに、結局友達もなくして、内申響いてこの学校くらいにしか行けなくなったんだよね? 典型的なエリートの失敗例じゃん。ださっ!」

「…………」

 大場は、勝ち誇った表情で長谷を見やる。

「まさかあの長谷ちゃんが万引きなんてねー。今度はいちゃもんつけてお金せびろうって魂胆だったんだろうけど、残念だったね」

その大場の視線につられるように、蔑視の瞳が長谷に集中する。

 そして、続けざまに放った一言が引き金となった。

「アンタの言うことを信じるやつなんて、ここにいるわけないじゃん、この犯罪者!」

 ――その瞬間、長谷の身体が、弾けるように飛び出す。

 教室中にけたたましい音が鳴り響いた。

 頬を張られた大場が、勢い余って後ろに倒れ込んだ音だった。机がいくつかなぎ倒される。どこからか小さな悲鳴が、錯綜する音の合間を縫って聞こえた。 

 大場の取り巻きが、ワンテンポ遅れて倒れた彼女に声をかけ、近寄った。

「い、痛あっ……! こ、このゴリラ女っ……」

「…………」

 長谷は何も言わず、その取り巻き達を強引に引き離した。大場の上に馬乗りになり、襟首を掴んで頭を持ち上げさせた。

 その時、俺には確かに見えた。

 大場の目つきは、先程までと打って変わって、深い敵意にぎらついていた。

 が、長谷にそのことを気にする素振りは見られない。

「――ぅぐっ⁉」

 それどころか、長谷は大場の首に手をかけ、絞め上げ始めた。

 ぎりぎりと。徐々に徐々に、苦しめながら。

「あ、がぅっ……くる、し、や、やめ……」

「っ、やめろよ長谷! やり過ぎだ!」

 そこまで見ていてようやく、俺は長谷に向けて声を上げた。我に返ったように、身体が動く。

 俺の制止の手は、長谷の両手首を捉えていた。いつの間にか、俺は二人にそう遠くない位置まで近寄っていたらしい。でもなければ、俺は何もせずに動けなかっただろう。

「放せ、放せっつの七原! 殺す、こいつ絶対に……!」

「だからやめろって‼」

 もうこれ以上放っておけなかった。大場の首に絡みついた長谷の指を、一本ずつ解いてやる。

 観念したのかどうなのか、少しの抵抗の後、すぐにその手は緩められた。

 長谷の手から解放された大場が、苦しそうにむせ返る。あのままだと本当に、首を絞め続けていたかもしれない。

「……どうして」

 長谷の顔が、こちらを向いた。

 そして、驚く。

 何故止めるのかと言わんばかりの表情に浮かぶ、ほんの一筋の涙の跡。

 声も上げずに、長谷は怒ったように泣いていた。

「……やり過ぎだよ、長谷」

 それを見た俺はただ、そう答えてやることしかできなかった。

「おい、ここでケンカしている生徒がいるという話を聞いたが、本当か!?」

 その時、話を聞きつけたらしい若い教師が、鬼気迫る表情で教室に入ってきた。

 そして、すぐに俺たちの様子に気付いて、ずんずんと大股で近づいて来る。

「大場と七原、それに長谷か? これは一体どういうことだ、説明しろ!」

 険しく皺を作り、威圧的に怒鳴った。

 机や椅子の大きな乱れっぷり。当事者二人は、疲弊したように床にへたり込んでいる。

 この状況を見て、何もないなんてことがあるわけがない。

 とっさに弁解をしようにも、俺に上手い言い訳が浮かぶはずもなく、何も言えない。長谷も同じように、憔悴しきった様子でうつむいたままだった。

「……とにかく三人とも、今すぐ授業はいいから俺に付いてこい。くわしく話を……」

「ちょっと待って、先生」

 しかし、そこで口を開く人間がいた。

 こほこほ、と今も軽くせき込んでいる大場だった。

「確かに、ちょっと言い争っちゃったけど、別に大したことないって。私がちょっと大げさに転んじゃっただけだし」

 だが、意外にも、大場の口から出たのは、長谷を庇うような内容の言葉だった。長谷が、ちらりとそちらの方を向いた。

 教師も、流石に困惑したように眉をひそめる。

「いや、大場……そうは言うがな、流石にそれで終わりにするわけには……」

 当然の言葉だが、大場は小さく首を振った。

「お願い、先生。本当、ささいなことだったの。もうしないから、許してくれない? 私も言いすぎたし」

 先程までの顔つきが嘘のように、大場の顔には穏やかな笑みまで浮かんでいる。

〝長谷とは違うとでも言いたげに、寛大さを見せつけるように〟。

「ごめんね、長谷さん。少し言い過ぎちゃった。謝るから、これでお互いチャラにしよう? ね? 友達じゃない」

 おそらく、長谷も俺と同じように感じただろう。いや、長谷の方が俺以上に感じ取っているかもしれない。

〝絶対に嘘だ、と〟。

 ついさっきの一瞬の、憎々しげなあの顔と、それまでの言動。

 俺からすれば、見え透いていて意味の無い嘘だった。歯の浮くようなその言葉が、違和感となって不気味だとさえ思った。

「アンタ、何言って……!」

「ううむ……言いたいことは分かった。お前らはまだ出会ったばかりだしな。ある程度の衝突はあるのが普通かもしれない」

 だが、よく状況を知らない教師や、クラスメイトは、そうは思わなかった。

 大場と長谷を見る目の温度差は、もはや言わずとも明らかだった。

「お前はそれでいいのか、大場」

「はあい、お騒がせしちゃいましたー。もうしません」

「そうか、以後気を付けるようにな。……長谷、問題はお前だぞ」

「え……」

 おもむろにため息を吐きながら、彼は長谷に向けてこう続けた。

「俺はちゃんと全部分かってるからな。それでもここであったことを、敢えて見逃しておいてやってるってことを忘れるな。正直、お前はもっと利口な奴かと思っていたが……大場に感謝しておけよ」

 それだけ言い残して、クラスの外に群がった野次馬達を追い払っていく。

「机もすぐに直しておけよ! そろそろ一限目始まるからな! ほらお前ら、自分のクラスに戻れ!」

 遠のく声をバックに、ぼんやりと呆けてしまっている長谷。気力をそがれてしまったのか。その虚ろげな目には、もはや何も映っていない。

 無理もない。長谷を味方する者は、もういなくなった。これでがとばり姉を倒す算段は崩れたのだから。

「長谷……」

「言ったじゃん。アンタみたいな女を信じる奴なんかいないって」

 そんな長谷の前に、大場がそっと声をかけた。

 まるで小さい子に目線を合わせるようにして、にっこりと笑いかけながら。

 ……実際は、周りのクラスメイトに聞かれないようにといったところだろうが。

「まあ、っていうか私も嘘は吐いてないしねえ。そもそも財布とか、私にも何のいわれもないことだし」

「……私だって」

「ん?」

「私だって……全くのでたらめで、こんな……」

「ああ、万引きの話? そんなのどうでもいいんだって。本当でも嘘でも、噂は広めちゃえばこっちのもんってね。結果、見事にアンタの信用はガタ落ち。見る影もないってのは、このことよね」

 愕然としてしまっているのか、長谷はもはや何も答えずにに立ち上がり、ふらふらと自分の席へ戻って行ってしまった。

「はっ、何アレ。ショック過ぎて頭イカレちゃった? ざまあー」

 そんな長谷に追い打ちをかけるように、明確な悪意を滲ませながら、大場が言い捨てた。

「あのさ……」

 その憎悪と言っても差しさわりない大場の様子に、思わず俺は口を開いていた。

 そこで初めて、俺の存在に気付いたような顔を浮かべていた。

「ああ、七原だっけ?アンタまだいたの。喋んないからいなくなったかと思っちゃった。アンタって影薄いよね」

「……大場、どうして、ここまでやったんだ? そんなに、長谷を目の敵にする理由って……」

「はあ? 理由?」

 言い終わる前に、大場が俺に詰め寄った。

 親指を長谷の方に突き出し、心底嫌そうな顔でこう告げる。

「〝そんなの、あいつが調子乗っててムカついてたからに決まってんじゃん〟。他に何があるっての?」

「…………」

 たった。たったそれだけのために、長谷を蹴落としたのか。

 その一言で、大場の本質を理解した。

 こいつは、俺が分かりえないほどに嫌な奴だ。そのことを、理解した。

 長谷にはあって大場にはないものの違い。長谷の復讐と、そうでない大場のものの違い。そこに感じる差が、そのまま二人の印象の差なのだろう。

 そう思っていると、すぐに俺に向けてドヤ顔を見せつけてきた。

「ま、これだけじゃ済まないと思うけど? ほら、私の友達ってみんな優しいじゃん? だからさあ、私の事かわいそー、長谷の奴さいてーって思って、私の代わりに長谷に復讐でもしちゃうかもねえ」

 この言葉に、俺は少なからず驚いた。

 予言めいた、先の事を断言するような口ぶりに、聞き覚えがあったから。

「……そこまで予測してたってのか? こうなるようにずっと持っていったって?」

 それじゃ、まるで――……。

「いやいや、私お世辞にも頭良くないし? まるっきり、ただの受け売りよ」

「じゃあ……誰からの受け売りだよ? まさか――」

「んー?〝私はただ、アンタのご主人様の言うとおりにしただけだけど〟?」

 音が立つかと思うくらいに、心臓が跳ねた。

 そうか。やはり、間違いではなかった。ずっと感じていた、嫌な予感。俺では止めることすら許されない流れが起こっている感覚。

 今、ここで確信を持った。

 長谷が潰れるきっかけとなった財布も、そして。

「一応お礼言っといてよ。長谷の事、色々教えてくれてありがとうって伝えといてよね、奴隷くん?」

 ――――それを決定づけた、長谷の噂も。


 それら全ては、とばり姉が仕組んだことだったのだ、と。



❖❖❖



「――――人の本性っていうのは、すぐ剥がれるものね。チョンと動かすだけで、本当に簡単に」

 息が荒いでしまうほど走って帰り、リビングに足を踏み入れてすぐ、とばり姉は悠然とそう話し掛けてきた。

 俺の考えていることは全て分かってると言いたげに、ゆったりと微笑んでいる。こうして見ると、長谷にあんな仕打ちをした人間とは思えない。

「アキも、そう思うでしょ?」

「……なんだよ、唐突に」

「大体の事はもう察してるんでしょ? 今のアキに一番欲しい言葉だったんじゃないかしら。違う?」

「…………」

 何も言えずに突っ立っている俺を尻目に、とばり姉は客人用ソファにごろんと寝転がった。飲みかけのティーカップが小刻みに揺れる。

「……いつ、長谷の財布を盗んでたんだ?」

 重い沈黙に耐えられず、取り繕うかのような小さな疑問が口に出た。もっと他に、聞くべきことはあったはずなのに。

「あら、盗んだなんて。私は『たまたま』財布を拾って『うっかり』間違えてアナタに渡させただけなのに」

 今はそのにやにやした笑みが、ただただ苛立たしい。

「どっちでもいい。いつからあの財布を持ってたんだ?」

「そうね……私がアキなら、長谷沙雪が家に来たあの日をまず疑うかしらね」

 俺が問いただすと、とばり姉が肩をすくめて答えた。

「そんな、前から……? で、でも、タイミングなんて」

「まあ、私が盗めるタイミングなら、いくらでもあったかもしれないわ。例えば、日鞠が彼女のカバンを預かったでしょ」

「……あ」

 確かにあの時、メイドの仕事だと言い張って、日鞠が半分強引に長谷のカバンを手にしていた。

 あれはてっきり、メイドとしての仕事なのだと今まで思っていたが……。

「まあ日鞠に訊いたところで分からないことよ。あの子は自分の仕事を全うしただけだもの、馬鹿の子なりに」

「……とばり姉が自分でティーカップを持ってきた本当の理由は、時間稼ぎじゃなくて、長谷の財布だったんだな。ご丁寧に、その中身までスリ取って。長谷が引っ込みつかない所まで煽ったのか」

「そういう考えも出来るかもね。ちょっと回りくどいけれど、良い筋してるわよ。その『推論』」

 どの口が、と思わず言いそうになったが、結局止めておいた。

 この人は絶対に自分がやったとは言わないだろう。俺がどんな誘導をしようが、絶対にうかつなことは言わない。あくまで可能性の話として誤魔化すだけだ。それが分かる。

 そうなると、俺が何もかもを話したところで、その話はあくまで推論で、証拠はない。

「じゃあ、大場は? 大場がちゃんと長谷をあそこまで自滅させるって確証はあったのかよ?」

「あのクラスの中でなら大場都は、長谷沙雪を追い込むことも出来るでしょうね」

 俺の問いに、事もなげにそう言った・

「というより、あのクラスの多くが長谷沙雪に辟易していたようだしね。私を倒そうと焦るあまりに、少し勝手が過ぎたんでしょうね」

「ああ……」

 そのことは、俺も長谷と昨日会話した時にも、気にかかっていたことだった。

 大場だけじゃない。他の生徒も長谷にはうんざりしていたということだろうか。

「その最たる人間が大場都だっただけよ。彼女みたいな自己中心志向の人間なら、きっと長谷沙雪の中学の頃の話に興味があると思って。つい口が滑っちゃったわ」

そう嘯くと、とばり姉は身じろぎして顔を向けた。

「で、聞きたいことはそれだけなの?」

「……いや。最後にもう一つだけ」

 そう、俺が一番聞きたいのは、『出来たかもしれない理論上の話』じゃない。

 もっと他に、もっと不可解で、根本的なことだった。

「……何かしら?」

 その瞬間、とばり姉の目が細められる。

 今の俺の様子に、何かを感じたのかもしれない。開いた口が、異様に重く感じた。

「……確かに、とばり姉の言ってることは正しいと俺も思う。とばり姉の言う通り、クラスのみんなは長谷を嫌ってたんだろうな」

 結局この一連の復讐劇、何が最後の決定打になったかと言えば、とばり姉自身でも、大場でもない。

 その周りのクラスメイト達だ。

 半分でたらめとも言える過去の話をされて、長谷は彼らに見限られ、信頼を失った。逆に、心情的に大場の味方が大多数となったのが、とばり姉の計画だった。

 もう長谷に、とばり姉とまともに向かえるだけの力は無い。

 改めて振り返ってみれば、とばり姉はほとんどお膳立てをしたに過ぎなかった。つまり、

 その後の過程は誰の手も加えられてない。こうなることはごく自然な流れだったのだろう。

 あるいは、とばり姉が何もしなくても、長谷は自滅していたのかもしれない。

 でも、それにしても、納得はできない。

「でもさ、そうだったとしても、あんな……長谷は内心嫌われてたかもしれないけど、それでもみんなと仲良くしてた。昨日までは会話もしてたし、おかしそうに笑ってたんだぜ?」

「…………」

「なのにみんな、証拠だって無いでっち上げみたいな万引きの話で、簡単に手のひら返してさ……」

 長谷に向けられた、あの冷たい視線。失望を隠そうともしない語調。

 実は今も、あの一連の出来事が現実のものと思えなかった。思いたくない、が正しいだろうか。

 そこまで話したところで、大きなため息がこぼれた。

「人が誰かを嫌うのに、証拠なんていらないのよ。その逆には証拠がいるのに、ね」

 ずっと黙って聞いていたとばり姉が、俺に語りかけた。

「この仕事(復讐代行)をしていれば、いやでも目に入るものよ。人は簡単に他人を裏切るし、見捨てる。復讐はえてして、そういうものを生々しく映し出すものよね」

「…………」

 そう言って、もう一度、つまらなそうに息を吐いた。

「この世の有象無象、森羅万象をひっくるめたとしても、人の感情ほど醜いものはないと私は思うわ」

「そんな……そんなことないだろ!」

 思わず、声を荒げた。そうでもして反論しないと、本当にその通りだと思ってしまいそうで。

 もし人の本性が本当にそんなものばかりなら、もう何も信じられなくなりそうな気がした。

「…………」

 怒鳴り声とも違わない大声にも、とばり姉は人形のようにピクリとも顔色を変えない。

 瞬間、身体の芯がぼうっと燃えるように熱くなった。

 その達観したような表情を、粉々に壊してやりたい。

 彼女を見た瞬間、そんな獰猛な欲求が心の中で渦巻いた。それをどこか冷静な自分が、心の遠くで驚いていた。

「……アナタは本当に甘ちゃんね、アキ」 

 そんな俺に対し、柔らかく、どこまでも優しげな言葉で俺を包む。

 不出来な子供に呆れる母親のように、とばり姉はそう言った。

「けど、その甘さは早めに捨てておきなさい。これからも苦しくなるだけよ? まだまだ復讐もこれからなのに」

「なっ……ど、どういうことだよ! まだこれ以上何か――」

「私は何もしないわ。私もそろそろ復讐代行部(お仕事)開業の準備で忙しいもの。そんなことばかり気にしてられないのよ」

「じゃあ、どうして……」

「だけど、すっかり悪目立ちしちゃった彼女を……他の人間は放っておくかしらね?」

「ど、どうなるんだよ? 別に、あんなことだけで何か変わるわけ……」

「うふふ。やっぱり、アナタは人間を分かってない」

 緩慢な動きで、とばり姉がようやく身体を持ち上げた。気だるそうに伸びを数回繰り返し、立ち上がった。

 そして、俺を見やる。

「……何故かアキは、長谷沙雪を肩入れしているようだけれど、私は彼女を許す気は、絶対に、決して、断じて、最後まで無いわよ。長谷沙雪には、本気で破滅してもらうわ。冗談でも比喩でもなく、徹底的にね」

 すっと、とばり姉がすぐ俺の目の前まで近寄る。手が届くような距離で、俺を仰ぎ見た。

 その瞳は、俺に警告を促すようにも――そして、俺を脅しているようにも見えた。


「〝だからアキ、アナタもう何もせずに黙って見てなさい。今のアナタが下手に首を突っ込んで復讐の邪魔になりかねないのなら、私の敵とみなすわよ〟?」


 その刹那、俺の中で何かが切れた。

 部屋一杯に鈍い音が響き渡る。

 後ろ手で殴りつけた扉が上げた悲鳴、その残響だった。

 じわり、と手に熱と痛みが遅れて伝わる。

怒りだけじゃない、全ての感情――それこそ、悲しみすら―が入り混じった、複雑な思いが去来していた。

「……どいて頂戴、アキ」

「…………」

 俺は、とばり姉になにをするでもなく、のろのろと脇にどいた。

 何食わぬ顔で、リビングからさっさと出て行くとばり姉。そのすぐ後、日鞠が遠くで何事かと騒いでいるらしい声が聞こえた。

「……くそっ」

 痛むこぶしをきつく固めたまま、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。






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