3 絡み取られるは物語ゆえに
ペイジは戸惑っていた。
「アビリテア侯爵家の庇護を受けたい」という実家であるケプゴスト男爵家の下心を背負いながら、侯爵家嫡男であるヴィルライヒの元へ挨拶に向かったところ、寮の部屋へと迎え入れられていたためだ。
他にも、高位貴族にはお約束の侍従もしくは侍女、更には護衛といった者が一人もいないことや、目の前に座るヴィルライヒが頭を抱えるように俯いたままぶつぶつと何かを呟き続けていることも、その困惑の原因となっていた。
その言葉を耳に入れないように努めながら、そっと視線だけで部屋の中を見回す。
扉は対面するように二つある。一つは自身が通った廊下へと繋がる入口で、もう一つは奥にある寝室へと向かうためのものだろう。ワンルームの下位貴族の部屋に対して、高位貴族に宛がわれる部屋には寝室以外に、食事や応接といった多機能に利用できる一室が設けられているのである。
人によっては衝立で仕切り実家より連れてきた者たちの居住スペースにする場合もあるようなのだが、ヴィルライヒの部屋にはそういった物はなく、閑散とした空間となっていた。
(寝室側にも人の気配等はない、か……)
こっそりと探ってみたが、それらしき反応は感じ取れなかった。もっとも、ペイジの気配察知のスキルは辺境の実家にいた頃に冒険者の真似事をして培った対モンスター用のものだ。専門の訓練を受けた人間であれば難なく隠れていられるだろう。
もう少し踏み込んで様子を探るべきか。実家の意向に沿うのであれば、彼と、そしてその向こうにいるアビリテア侯爵家とは長い付き合いとなるはずだ。ヴィルライヒの考えや立ち位置を知っておくことは必要なことだろう。
相変わらず向かいの席で何やら考え込んでいる少年に、意を決して声をかけることにする。
「ヴィルライヒ様は、手伝いの人間を置かれてはいないのですか?」
「……うん?ああ、登城するための礼服を着る訳でもないんだ。学園の制服くらいは一人で脱ぎ着できる」
下位貴族や平民には至って当たり前の話なのだが、その当たり前が通用しないのが高位貴族や王族といった特殊な社会に暮らす人々なのである。そして侯爵家嫡男のヴィルライヒは、間違いなくそちら側の人間のはずだった。
「食事も同じだ。突然の会食に備えてマナーの訓練は継続しなくちゃいけないが、常に行う必要はないからな。それよりも一人でまともに食事もできないことの方が後々の問題になるだろ」
「そういう考え方もあるのですね」
高位貴族と言えば傅かれての生活が当たり前だと思っていたので、ペイジにとってヴィルライヒの言葉は驚きに値するものだった。
「ところでお前……、ペイジはずっと自領にいたのか?」
「はい。ご存じかと思いますが我が家は五十年ほど前に爵位を頂いたばかりの新興の零細ですので。王都への往復も負担が大きく、こちらに来たのは十歳での『祝福の儀』の時以来です」
ケプゴスト家は元々王国の中でも地方を回る行商を生業としていた。その功績でもって男爵の位を与えられたのだが、実際には同時に叙爵されたある家が悪目立ちするのを防ぐためだったと噂されている。
そのためか領地とされたのも辺境にある村が一つと、国への税を納めるだけでも苦慮するような土地だった。
「なるほどな。だから僕の悪評を聞いても実感がなく、親の指示通りほいほいと会いに来たのか」
「…………」
ヴィルライヒの自嘲にペイジは押し黙る。どう答えたところで角が立ちそうなのだから仕方がない。それと同時に感心もしていた。
「どうした?」
「いえ、やっぱり噂話など当てにならないものだな、と」
「はあ?どうしてそうなる!?」
割合本気で驚く様子に、「この人は自己評価が低いのかもしれない」と思う。
「俺、いえ私が聞いた――」
「ああ、無理に堅苦しい喋り方もしなくていいぞ。ようやく表向きには大人の目がなくなったんだ。少しくらいは気楽に過ごしたい」
「は、はあ……?」
つまり、裏からの監視は続いているということなのか?そしてそのことをヴィルライヒは理解している?歴史ある侯爵家だけあって裏の人間とも繋がりがあるのだろうか?
いきなりの情報の過多に理解力が追いつかなくなりそうだ。
なお、ペイジが耳にしていた噂とは「癇癪持ちな我が儘」に加えて、「碌に勉強もせずに侯爵家の権力を振りかざすだけのバカ」というものである。
「まあ、いい。さっきも言ったがケプゴスト家の窮状については父上に文で伝えておく。派閥入りさせるかどうかは父上の判断になるが、少しくらいは気にかけてくれるだろうさ」
「ありがとうございます」
「……よくそこで礼が言えるな。耳聡いやつらがすぐにでも僕の「手下になった」と言いふらすことになるんだぞ」
「それなら問題ありません。どうせ明日からヴィルライヒ様のお側に着くつもりだったので」
「はあ!?おいおい、いくら家が大事だからってそこまでするか!?僕の悪評に巻き込まれてお前まで白い目で見られることになるぞ!?」
派閥の力関係を始めとしたさまざまな政治的な思惑が入り混じった結果とはいえ、ヴィルライヒが第二王女の学友候補から外されているのは事実である。それはつまり王家や国の上層部からの信用がないことと同義であり、将来的にも出世等は絶望的であることを意味していた。
そんな人物に自ら侍ろうというのだ、正気を疑われてもおかしくはない。もっとも、まさかその当人から言われることになろうとは、さしものペイジも予想だにしていなかったのだが。
「元より俺なんて新興の田舎者、名ばかりの貴族扱いですよ。……しかし「おこぼれにあずかろうと纏わりついている」などと言われてしまうと、アビリテア侯爵様からの心象が悪くなってしまうかな?」
「いや、親バカなうちの両親なら「息子に友達ができた」と喜ぶだろうな」
遅くにようやくできた子ということもあり、アビリテア侯爵夫妻の溺愛っぷりは国内でも有名だ。それこそ辺境の田舎貴族であるペイジの両親ですら知っていたほどに。
「それならやっぱり何の問題もありません」
「ぐぬ……。分かったよ。だけど苦情は受け付けないからな。後悔しても知らないぞ」
憎まれ口のような台詞を口走りつつ明後日の方を向いたヴィルライヒは、ほんのりと頬を赤くしていた、……などということはなく、ひたすらに苦々しい表情となっていた。
それはまるで変えられない運命を呪うかのようだった。




