2 出会いは終幕への第一歩となるや
「すうー、はあー……」
大きく深呼吸をしてから扉をノックする。ペイジは緊張していた。それもそのはずで今から会おうとしているのは侯爵家の嫡男と雲の上ほどに家格が高い存在なのだ。男爵家の三男坊の自分と比較しようとすることすら烏滸がましい相手だった。
しかも、訪問のための先触れも出していなければ許可を得てもいないときている。優秀な平民特待生を受け入れるようになって以降、『王立貴族学園』内では「みだりに身分を振りかざすことをしてはならない」となってはいるものの、当の昔に有名無実化した建前であることは周知の事実なのだ。
いきなり無礼討ちをされることはないだろうが、最悪二度と視界に入れてもらえない可能性は十分にある。
ならば最初から礼儀に沿った行動をすれば良いと思われるだろうが、そうもいかない事情があった。どうやらペイジが面会を希望する侯爵家嫡男はかなりの難物なようで、学園入学のために寮に入ってから面会の申し出の全てを断っているようなのである。
貴族学園は学びや鍛錬の場であると同時に、将来のための人脈作りの場でもある。そのような場所で高位貴族のしかも嫡男が一切の社交を行わないというのは異例の事態だった。
もっとも、縁もコネも持ちえない新興の男爵家出身のペイジではどちらにしても面通りは敵わなかったであろうが。
と、こうした経緯もあって、直接彼の人物に宛がわれた寮の部屋へと訪問しているのだった。
「……………………」
緊張で掌や背中に嫌な汗が流れていくのを感じながら、ひたすらに待ち続ける。ペイジが宛がわれた下位貴族用の部屋が並ぶ階であれば、行き交う学生たちから訝しむ視線が向けられていたことだろう。だが、幸か不幸かここは高位貴族向けの階である。誰一人通りがかることはなく不審に思われることはなかったのだった。
まあ、だからこそひたすらに待ち続けるしかない状況に陥っているとも言えるのだが。
そうして待つこと数分。無礼の上塗りとなることを承知で再びノックをしようとペイジが覚悟を決めた時のことだ。
「……いつまで待っても無駄だ。僕は誰にも会うつもりはない」
扉の向こうからもたらされたのは完全な拒絶の言葉だった。が、そんなものは想定の範疇だ。いきなり護衛が出てきて摘まみだされることに比べれれば、はるかに理性的で温情のある応対だと言える。
「であれば、この場で御礼の言葉を述べることだけをお許しください」
「礼の言葉だと?」
「はい。先日とある茶会にて我が父母がアビリテア侯爵様ご夫妻より作法をご享受たまわったのです。そのおかげを持ちまして恥を晒すことなく無事に挨拶を終えることができました」
譜代の上位貴族の中には新興の貴族家を目の敵にしている者たちもいて、茶会や舞踏会に呼びつけては無理難題を言いつけて醜態を晒すように仕向けることがあった。ペイジの両親であるケプゴスト男爵夫妻が参加することになった茶会もそうした類のもので、状況によっては爵位を取り上げられる危険性すらあったのだ。
だが、これは口実に過ぎない。もちろん先の一件は事実なのだが、当事者でもないペイジがこれまた当人ではない侯爵家嫡男に礼を言うのは筋が通らない。なお、男爵家夫妻からは既に多数の品と共に礼状が侯爵家へと送られていた。
ケプゴスト男爵の真の狙い。それは子ども同士の誼を通じてアビリテア侯爵家の庇護を受けること、あわよくばその派閥の傘下へと入り込むことだった。
「……父上たちめ。どこかへ出かけていたかと思えばそんなことをしていたのか……。分かった。お前からの礼の言葉を受け取ろう。父上たちにも文で伝えておく」
「ありがとうございます」
頭の片隅で「父たちの思惑などお見通しなのだろうな」と考えながら、扉越しに深々と頭を下げる。
余談であるが、ペイジが名乗りもせずに本題のみを語ったのは、何か問題が発生した時には「礼儀のなっていない下位貴族の子ども」で押し通すためである。頭が固く融通が利かないと苦言を呈されることが多い彼でも、それくらいの処世術は身に着けていたのだった。
「用はそれだけか?」
「はい。お時間を取っていただきありがとうございました」
しつこく食い下がったところで悪印象を与えるだけだ。ここが引き際だと感じたペイジは改めて礼を述べて踵を返そうとする。
「待て。気が変わった。……名乗ることを許す」
「え?」
怒らせることなく接触を終えることができれば御の字、そう考えていたため扉越しのこの一言には彼の方が驚くこととなった。
「どうした?」
「……あ!?その……、まさか名乗りを許されるとは思っていなかったので」
「ふん!僕の悪評は知っているようだな。嫌なら構わないぞ。無理強いをするつもりはないからな」
「い、いえ!そうではありません!面会の約束も取り付けずに直接訪ねるという無礼を働いていたので、まさかそのように温かなお言葉を頂けるとは思いもしなかったのです!」
戸惑った理由を決め付けられかけて、慌てて言い繕う。とはいえそれは本心であり、彼の行動はそれくらい貴族の作法を失したものだったのである。
なお、侯爵家嫡男の悪評、「我が儘で癇癪持ちのために同学年となる第二王女殿下の学友候補から外されている」という噂については耳にしたこともあれば、両親からも「その点には絶対触れないように!」と言い含められていた。だが、似たような悪評や噂は高位貴族の子弟にはありがちなものなので、さほど気にはしていなかったのだった。
実際、あちらから茶会等に招待してきたにもかかわらず、挨拶を受け取らなければ下人か何かのように扱おうとする高位貴族も少なからずいた。そうした直接的に悪意をぶつけてくる連中に比べれば、漏れ聞こえてくる子どもの悪評などそよ風にも等しい。
「そ、そうか……。下位貴族たちも苦労しているのだな……」
「お耳汚しをしてしまい、申し訳ありません」
「気にするな、じゃなかった。……許す」
「はっ。ありがとうございます」
急いで言い直す様子にくすりと笑いそうになり、ペイジは急いで頭を垂れたのだった。
そして改めて名乗りの言葉を口にする。
「ケプゴスト男爵が三男、ペイジ・ケプゴストです。今後学園でお会いする機会もあるかと――」
「ペイジ・ケプゴストだとお!?」
バタン!と大きな音を立てて扉が開かれる。目を丸くして顔を上げれば、そこには同じく驚きの感情で一杯になった顔をした少年が立っていた。
これが『悪役令息』ことヴィルライヒ・アビリテアと、その『取り巻き』ペイジ・ケプゴストとの出会いだった。
〇悪役令息: ヴィルライヒ・アビリテア
王国の譜代の重臣であるアビリテア侯爵家の嫡男。長らく子に恵まれなかったことから両親を始め周囲からも甘やかされて育つ。そのため強欲で自分の思い通りにならなければ気の済まない我が儘な性格となる。
貴族学園入学以降もその性格は改善されずに、身分関係なく目についた相手に喧嘩を吹っかけたり取り巻きたちに命じてたりして次々と問題を起こす。が、『主人公』たちによってことごとく阻止されて鬱屈をため込むことになる。
ついには王女を誘拐して無理矢理ことに及ぼうとする暴挙に出てしまうも、この悪事も主人公たちの活躍によって暴かれ、断罪されることになる。
しかし、密かに侯爵家によって匿われており、闇社会の犯罪組織と繋がるようになっていく。やがて闇組織に乗せられて国家転覆をはかるも主人公たちの活躍によって露見し、追い詰められることに。ペイジの検診によって逃げ延びることに成功するが、闇組織の裏切りにあい邪神へのいけにえにされるという最期を迎えた。




