7 戦士の死に場所 ②
死に場所――――。
牙羅のむくろから目をそむけ、加奈は言葉を失くした。
シギは死者の国だけれど、肉体の喪失を死と呼ぶならば、シギにも死はある。
死に場所を求めた牙羅の気持ちが、加奈には理解できなかった。主君を守れなかったから? 絶望したから? どんな理由か知らないけど、やり直せばいいじゃないの!
生きたくても生きられなかった人がいることを思うと、やるせなかった。牙羅が捨てた命を拾い、亡くなった両親に移せたらいいのに。粗末に捨てられた命が哀しくて腹立たしくて、加奈は烏流に食ってかかった。
「どうして死なせたの? 生きていれば、何度でもやり直せたのに。あなたは彼のやり直す機会を奪ったのよ」
「おまえに何がわかる。戦士は、死に場所を探しながら生きるもんだ」
「恰好つけないで。牙羅は、死んでやり直したかったんじゃないの? 生きてやり直せって言えばよかったのよ」
「戦場で命を賭けて戦ったことのないおまえに、牙羅や俺をとやかく言う資格は無いぞ」
「家族に死なれたわたしだから、資格はあります。牙羅に家族はいないの? 友達や仲間ならいるでしょ? 人の死が周囲にどれほどの悲しみをもたらすか、あなただって知ってるでしょ?」
一瞬だけ、烏流の視線が揺れた。彼の脳裏に懐かしい友――留心の面影がよぎり、すぐに消える。
加奈は牙羅のむくろに近づき、短剣を振り回してカラスを追い払った。あらわになった遺体の凄まじい損傷に目を剥き、背中を向ける。激しい吐き気に襲われ、彼女は両手で口を押えてしゃがみ込んだ。
「ふん、強いことを言っても所詮その程度だ。ああ、面白くねえ。戦場で手柄を立てて罵られるとはな。おい、行くぞ。こいつらが寝てる間に出発だ」
よろよろと立ち上がる加奈を置いて、烏流は怒り混じりに大股で歩き出した。カラスは牙羅から離れ、熊と一緒になってハイエナに群がっている。狼は兵士を見張るようにうずくまり、立ち上がる気配はない。
かさかさと音が聞こえ、振り返った加奈の目の前で牙羅の頭部が消えていく。比例するように胴体上部に頭が現れ、首が胴体に向かって伸びている。
生きてる――――牙羅は生きてる。加奈は目を見張り、慌てて烏流を追いかけた。
「牙羅を殺さなかったのね? 彼は生きてるのね?」
「だったらどうした」
「ありがとう!」
「おまえのためじゃねえ」
「それでも、ありがとう」
背後から緑青の笑い声がやって来る。
「烏流は、感謝されると怒るんだよ」
「そうなの? 変わった性格ね」
「うるさい」
ざっくりと割れた肩。腕にも足にも深手を負った烏流を見やり、加奈は申し訳ない気持になった。彼は、一人で牙羅たちに立ち向かったのだ。わたしと緑青を守るために。
「怪我、大丈夫?」
「今頃か? 敵を心配して牙羅を助けて、ようやく俺の番か」
「最後になってしまって、ごめんなさい。でも、もの凄く心配してるのよ」
「ふん」
烏流は前を向いたまま歩き、加奈は小走りになって彼の歩調に合わせた。彼女の横で、緑青が剣を鞘におさめている。烏流は歩調をゆるめ、ちらりと横目を彼女にくれた。
「……誰が死んだんだ?」
「え?」
「さっき言ってただろ。家族に死なれたって」
「ええ。……両親」
「死者の国では気の合う者同士が村を作って、のんびり暮らしてるらしい。なかなかいい暮らしだそうだ」
「うん」
慰めてくれているんだろうかと加奈が見上げると、烏流は怒ったように目を逸らす。自分に合わせゆっくり歩いてくれているのかなと彼の足を見おろし、再び目を上げた。彼は彼女の全身に視線を走らせ、まるで怪我は無いかと気遣っているかのようだ。加奈の顔がほころび笑顔に変わっていくのを、烏流は訝しげに見つめた。
「死者が光になって空を飛ぶ話を聞いたの。死者の国で暮らす人と光になる人と、どう違うの?」
「思いが強いと飛べないらしいよ。飛ぶには、何もかも捨てないといけないんだって。人としての感情も何もかも。思いは重いから」
緑青が言い、加奈は王宮地下にいた男を思い出した。衣が重くて舟から降ろされたと言っていたけれど、彼が着ていた黒い衣が『思い』なんだろうか。思いというより悪意という気もするけど。
緑青の家族は獣に殺されたと聞いたけれど、烏流の家族はどうなんだろう。今なら聞けるかも。でも……どうしよう。加奈が口を開きかけた時、すぐ横を狼が駆け抜けた。
青い狼は加奈たち3人の前方で立ち止まり、丸い月の下で長い尾を静かに揺らめかせる。狼の輪郭がぼやけ、青みがかった黒の靄に変わり、人の姿をかたどっていく。
「……あんただったのか」
烏流が、つぶやいた。
狼がいた場所に立っていたのは、守礼である。いつもの青い裳をまとい黒い短衣を着て、腰に長剣を差している。藍色の髪が月光に照り映え、優雅な足取りで近づいて来る。烏流は渋い顔で、緑青は仰天の表情で彼を見つめ、加奈は呆気にとられた。
「あなたが……青ちゃん?」
「はい」
守礼の顔に面白そうな笑みが浮かび、加奈は顔を紅潮させた。青ちゃんなんて軽い名前を付けてしまった上、狼があんまり優しいからてっきり雌狼だと思い込み、いいお母さんになれるよとも言ってしまった……。
「ご、ごめんなさい……」
「いいんですよ。名前、気に入っていますから」
「焔氏の目から、よく隠し通せたな」
烏流が感心したように言い、緑青は不審そうに目を細めて守礼を睨んでいる。
「魂の奥深くに閉じ込めましたから。そのせいなのかどうか、私はあなたのように内なる獣を外に出すことができない。自ら獣となることでしか、獣を使えないのです」
「獣の量は? どのくらいある?」
「かなり。今すぐすべての獣が使えるわけではありませんが。獣は私の中で長い間眠っていましたから、目覚めさせるのに時間がかかりそうです」
「焔氏の忠実な家来が僕らに何の用?」
緑青の口調は素っ気なく、おまえに用はないと言わんばかりである。
「仲間に加えて頂きたい」
「冗談だろ?」
「本気です。それより烏流、少し休んだ方がいい。先は長いのだから」
守礼は、目にも留まらぬ速さで烏流の腹部に拳を打ち込んだ。ううっと呻いた烏流は腹を押さえ、膝を突き、崩れ落ちる。
あれほどの強さを見せた烏流が、たった一発で気を失った――――。目を丸める加奈と緑青の前で、守礼は素早く烏流の服を脱がせた。あっと目を逸らそうとした加奈の視界に烏流の傷が飛び込み、彼女は凍りついた。服が破れているとは思ったけれど、これほど深い傷を負っていたとは――――。
斧に切り裂かれたのだろうか、ぱっくり口を開いた腹部。胸はめった切りにされ、平気な顔で歩いていたのが不思議なほどである。
腰布一枚になった烏流を地面に横たわらせ、守礼は腰に吊るした革袋から薬草を取り出し塗布した。意識を取り戻した烏流が顔をしかめ、起き上がろうとする。
「じっとして。あなたのことだから、少し休めば回復するでしょう」
「その少しの間に、牙羅に追いつかれる。時間が惜しい」
「牙羅なら来ませんよ。焔氏を戦場に引っ張り出せるよう力を貸してほしいと、頼んでおきましたから」
「あんた、何を企んでるんだ……」
烏流は口をつぐみ、手際よく治療する守礼を見つめた。
「焔氏の獣を滅ぼしたいのです。そのためには獣を焔氏から引き離す必要があり、王宮では不可能と判断しました」
「あなたは、獣を守りたいんじゃなかったの?」
加奈は、緑青の隣に腰をおろした。守礼は辛そうに目を伏せ、決然として視線を上げる。
「滅ぼすことでしか、守れないものがあります。焔氏の獣は彼の奥深くに潜み、焔氏の命令に従って出て来るように見えますが、実際は尻尾を外に出しているに過ぎません。潜んでいる頭を引きずり出さなければ、滅ぼすことは出来ない」
「外側を切り刻んでむしり取れば、全体が出て来るだろう。切り刻む外側ってのは、焔氏のことだけどな」
横たわったまま烏流が言い、守礼は仄かに笑った。
「また裏切りか。シギを裏切り、焔氏を裏切り、僕らを裏切らない保証はどこにもない」
緑青が、口を尖らせる。守礼は烏流に手を貸して起こし、服を渡した。
「信じて貰えなくても、私はあなた方を助けますよ」
「助けるのは勝手だけど、仲間にはできない。もしかしたらおまえは焔氏の間者で、僕らがやろうとしていること考えてること、全部焔氏に筒抜けになるかもしれないんだから」
「狼に何度も助けてもらったじゃない。狼が牢屋から出してくれたんでしょう? 恩人に対して、ひどいことを言ってない?」
怖くて心細かった時、狼の温もりがどれほど救いになったことか。王宮地下に送られた時も、彼は助けに来てくれた。守礼に対する印象は、自分を騙した青年から何度も助けてくれた狼へと変化している。
加奈は、初めて守礼に会った時に感じたことを思い出した。この人は信頼できる――――。理屈ではない、言葉では言い表せない直感だった。今でも守礼が悪人だとは、どうしても思えない。
「助けてくれてありがとう。感謝してるけど、恩と信頼は別だ。守礼は危険過ぎて仲間にできない」
意外と頑固な緑青である。烏流の口角がわずかに上がり、苦笑を形作った。
「俺は狼に傷を負わされたし、今は手当をしてもらったし。あんたのこと嫌いじゃないぜ。だが焔氏に忠実な姿を長く見過ぎたせいか、信頼するのは無理があるな」
「わたしは青ちゃ……いえ、守礼を信じる。守礼は獣を滅ぼしたい、烏流は焔氏をやっつけたい、緑青とわたしはシギを救いたい。みんなの目的は一致してるんだから、力を合わせようよ」
「いやだ」
緑青が即答し、加奈に睨まれ首をすくめ、提案した。
「時間が無いから多数決で決めよう。守礼と行動を共にすることに、賛成の人は?」
加奈が「はいっ」と勢いよく手を上げる。
「1人。反対は僕と烏流で2人。はい、決定」
「手を上げてる奴が、もう1匹いるぞ」
服を着終わった烏流が、緑青の背後を指で示した。いつの間にか緑青の後ろに熊が立ち、片手を上げている。
「熊さん! わたしと同じ意見?」
熊は手を上げたまま大きな頭を縦に振り、加奈は熊に駆け寄った。
「言葉が分かるの? 話せる?」
熊はうなずき、首を横に振る。言葉は分かるが話せないという意味なのだろう。
「あなたは、わたし達の味方よね?」
熊の頭が縦に振られ、加奈は出っ張ったおなかに抱きついた。背中まで回りきらない両腕に力をこめ、「ありがとう」とつぶやく。剛毛に見えた熊の毛は意外に柔らかく、顔をうずめるとフワフワしている。獣の臭いがしたが、不快ではない。
「名前はあるの?」
加奈が顔を上げると、一瞬の間があって熊は口を開き、笑ったような顔で頭を横に振った。
「感謝します、熊さん」
守礼が、軽く礼をする。熊はおどけた調子でひょいと頭を下げ、その姿が加奈の目には熊の着ぐるみを着た人間に映る。
「あなたは人間?」
尋ねると熊は首を横に振り、彼女はがっかりした。
「人間じゃないなら、数のうちに入れていいのかどうか……ああ、わかったよ、加奈。数に入れる。入れたとして、2対2だよ。賛成多数にはならない」
「引き分けだから、様子を見ましょうよ。一緒に行動してるうちに、きっと信頼も友情も生まれて来るから」
緑青は不服そうだったが、嬉しそうな加奈の様子に文句を言えなくなり、烏流は「どっちでもいいや」と無関心を決め込んだ。




