6 蛇使い師 ④
広場に戻った守礼の眼前で、焔氏と蛇眼の死闘は続いていた。蛇眼の詠唱が低く地を這って流れ、地面でのたうつ小さな蛇がぞくぞくと舞台に上がり、蛇眼の蛇に吸い込まれていく。
蛇眼は蛇の尾部に包まれ、おぼろに光りながら原始の舞踏を続けていた。小さな蛇を吸収した蛇眼の蛇はより鮮明になり、艶やかな鱗の1枚1枚がはっきりと見える。
焔氏の体から這い出た鰐が、大きな口で蛇の胴体をくわえ、噛み砕こうとした。蛇は鰐に巻きつき、締め上げながら牙を立て、毒液を流し込む。
人々が固唾をのんで見つめるなか、蛇の胴体が真っ二つに噛み切られ、頭部につながった部分が宙を飛んだ。尾部に立つ蛇眼の周囲で黒い靄が渦を巻き、襲いかかる鰐を弾き返す。黒い渦は蛇眼を包んだまま舞台にめり込んだかと思うと、瞬時に消えた。
後に残ったのは、残骸だけである。ちぎれ雲のように漂う蛇の頭部に獣が殺到し、肉を喰いちぎる。
鰐に似た獣は主の体に戻り、焔氏の体がぐらりと揺れた。そのまま彼は地面に倒れ伏し、動かなくなった。
焔氏の薄暗い部屋に、いくつものランプが灯されている。診察を終えた治療師を送ろうと守礼が廊下に出ると、皇氏の側近だった男3人と牙羅が立って待っていた。
「焔氏様の具合は?」
側近の一人が尋ね、小柄な治療師が額の汗をふきながら答える。
「毒が全身に回っていますので、しばらく安静が必要ですが、命に別状ありません。焔氏王は、驚異的な回復力をお持ちです」
目を合わせた側近たちの顔に走ったものは、安堵ではなく落胆だろうと守礼は思った。側近たちは焔氏に会うことなく帰って行き、守礼一人が部屋に戻る。焔氏は寝台に横たわり、眠っていた。
「みんな……死ね」
苦しげな呼吸の合間に吐き出される、うわ言。守礼は眉をひそめ、目を閉じた。
「救うには、滅ぼすしかなさそうだ」
再び開かれた守礼の目が、厳しい光を伴って王に注がれる。守礼は深々と頭を下げ、きびすを返して部屋を出た。
藍色の夜空を彩る、無数の白い輝き。月と星が饗宴する奇跡の下、加奈は龍宮に向かう道を歩きながら困惑していた。
烏流は不機嫌そうで、一言も喋らない。彼女が見つめると横目でちらっと目をくれるが、すぐに前を向く。俺に話しかけるなと全身で拒絶しているようで、気づまりなことこの上ない。緑青が「ふぎゃふぎゃ」と話しかけてくれるけれど、何を言っているのかさっぱり判らない。
「何か面白い話をして」
彼女は、意を決して言った。
「面白くない気分の時に、できるわけないだろ」
「面白くない気分だからこそ、頑張って面白い話をするのよ」
「そういう気分じゃない」
「何が面白くないの? あなたの計画通りに進んでるじゃない」
加奈が言うと、彼は目を吊り上げる。
「獣杯が手に入って用済みになったおまえと、喰ってくださいと言わんばかりに猫になった緑青を連れて、何で俺がいつ敵に襲われるかも分からない山道を歩かなきゃならないんだ。足手まといのおまえらを連れて。あん?」
あん? って言われても……。加奈は、ますます困惑した。
「この前みたいにカラスの絨毯に乗って、空を飛べばいいんじゃないの?」
「俺の獣を疲れさせたくない。敵の獣に襲われたら、餌になっちまう。一番いいのは緑青をカラスに喰わせ、どっか静かな場所におまえを連れ込んで、ゆっくりじっくり楽しむことなんだけどな」
美少年が凄みのある笑みが浮かべると、ことさら凶暴に見え、加奈はぎくりとした。
「……わたし達を殺すの?」
「ああ、さぞ楽しいだろう。楽しいはずだ。楽しいに決まってる。でも面白くない。ちっ」
仏頂面で顔を逸らす烏流の横顔を見ながら、加奈は目をぱちくりさせた。この人は、何を怒っているんだろう。
「わたし達、友達で仲間よ。友達を殺すなんて、面白くないと思う」
「友達ぃ?」
烏流の手が伸び、加奈の首をぐいとつかむ。避ける余裕もなく指が食い込み、加奈は咽喉を詰まらせた。烏流は力が強いうえ、確か爪が尖っていたはずと、初めて彼に会った時のことを思い出す。
「細い首だなあ。片手でぽっきり折ってみたいが、簡単に死なれては困る。大事なのは血しぶきだ」
そう言いながら加奈をのぞき込む烏流の目に、彼女は見入った。口は悪いし性格は凶暴だし、美しい顔が彼をさらに人でなしに見せているけれど、目は澄んでいる。烏流の指がゆるみ、加奈は咳き込みながら言った。
「……あなたの目、綺麗ね」
「何言ってやがる」
烏流がしぶしぶ離した指に爪は無く、あれ?と加奈が思った瞬間、猛禽のような尖った爪がするりと伸びる。
どうやら彼は、爪を伸ばしたり引っ込めたりできるらしい。わたしの首をつかんだ時は爪を引っ込めていたんだと、加奈は烏流の苦虫を潰したような顔を見上げた。自分で言うほど、悪い人じゃないかも……。肩に乗った猫がふうっと息を吐き出し、丸い手で烏流の耳をぺちっと叩く。
「カラスの餌にするぞ」
「ふぎゃああっっ」
「ああ、面白くねえ。何かこう、夢中になれることはないか。いっそ敵が来てくれた方がいいかもしれない。退屈だ」
「物騒な話はやめて」
今襲われたら戦えるのは烏流だけだと気づき、加奈はぞっとした。彼は猫と、剣を振り回すことしかできない女の子を守って戦わなければならない。どう考えても不利だ。せっかく守礼が逃がしてくれたのに――――。守礼だって、わたし達のせいで捕えられているかもしれない。
「急ぎましょう。敵が来る前に龍宮に着きたいから」
急ぎ足になった加奈の後ろで、どさりと何かが倒れた。振り向くと烏流が仰向けに倒れ、彼の上に人の姿に戻った緑青が乗っている。まるで緑青が烏流を押し倒したかのような姿勢。緑青は――――全裸である。
(また? またなの?)
加奈は顔を引きつらせて前に向き直り、声を限りに叫んだ。
「あああああああああ――――っっ!!!」
絶叫を繰り返す加奈の背後で、緑青と烏流がもがいている。
「おまえっ、そんな趣味があったのか!」
「誤解だっ。髪が……くそ、何で留め金がついてるんだよっ。髪が引っ掛かった」
「外套には留め金がついてるもんだってことを……おい、俺の体から早くおりろ!!」
「僕だって、そうしたいんだっ」
緑青の癖のある黒髪が一房、烏流の外套の留め金に巻きついている。片手を緑青の顔にかぶせ、烏流は力まかせに髪を引き抜いた。
「痛ってえっっ! 何しやがるっ」
一房まるまる留め金に絡みついたまま。緑青は痛そうに頭を押さえて起き上がり、巻き衣とサンダルを投げつけられ、のけぞった。
「何しやがるは、こっちの台詞だ。とんだ変態行為に巻き込まれるところだった」
「誤解だと言ってるだろっ」
そそくさと衣を体に巻きつけながら、緑青は怒りに顔を赤らめている。その間、加奈はずっと叫び続けていた。十数回目に叫んだ後、清々しい気分で大きく息を吸う。――――何だろう、この気分の良さ。叫ぶごとに、心の中の苛立ちや不安が飛び出ていく。
「服、着たよ。加奈、驚かせてごめん」
緑青の申し訳なさそうな声に自然と笑みがこぼれ、彼女は振り返った。緑青はぎょっとして、目を見開いている。
「ああ、すっきりした。烏流、気分が滅入る時は叫べばいいよ。爽快な気持ちになれるから」
「おまえ、自分が何したか判ってるのか。わざわざ獣どもに、居場所を知らせてやったんだぞ」
「とっくに知られてるじゃない。鷲が飛んでるんだから」
加奈は光り輝く夜空を見上げ、黒い点となって飛ぶ鷲を指さした。
「歩きながら叫ぼうよ。騙されたと思って、やってみて。本当にすっきりするから」
「誰がっ」
「僕は――――」
緑青が息を吸い込み、大声をあげる
「変態じゃな――い――っ」
「嘘つけ」
「緑青は、すーてーき――っ」
「いや、それほどでも」
「馬鹿か」
にやつく緑青を、烏流があきれ顔で見やる。
「馬鹿とは何だよ」
「馬鹿を馬鹿と言って悪かった。当たり前過ぎて、つまんねーよな」
「烏流は――口が――わ―るーい――っ」
加奈が叫ぶと、緑青はからからと笑った。
「悪いのは、口だけじゃないけどね」
「何だと」
「本当のことだろ」
次第に険悪になっていく2人の間に、加奈が割って入る。彼女を真ん中にし、3人は横並びになって歩いた。
「悪口は、そこまで。もっと前向きなことを叫ぼうよ」
「やめろ。獣が寄って来たら面倒だ」
加奈は周囲を見回した。東胡に連れられ歩いた道を、龍宮に向かって戻っている。道の両側の森は切り開かれ、豊かな畑が広がっている。獣の姿はどこにもなく、畑に生い茂っているのは美味しそうな瓜である。
そう言えばシギの住人が食事をする場面は見たことがないと、加奈はこちらに渡ってからの日々を振り返った。自分のことで頭が一杯で、見過ごしたかもしれないけれど。烏流に問うと、毎日2食とる人や滅多に食べない人など、人によって様々なのだと言う。
「山にいる獣は、野生か?」
緑青が、話を獣に戻した。
「野放しになっているが、すべて焔氏のものだ。結構な数さ」
「今頃はもう、蛇眼と焔氏の争いは終わってるんだろうな。どっちが勝ったんだろう」
「さあな。鷲が飛んでるところを見ると、焔氏の負けではなさそうだ」
烏流は言い、2羽に増えた鷲を見上げ、顔をしかめる。
「追っ手はもう出発したと思う? 焔氏が直々に来るかしら」
「あいつは自分の手は汚さない。誰かを差し向けるだろう。皇氏の元側近が、表舞台に再登場したがってるらしいから……来るかもな」
「牙羅とか?」
怖ろしそうに牙羅の名を口にする加奈を、烏流は横目で見た。
「牙羅に会ったのか」
「側近の方々が、焔氏に会いに来たの。その時に」
「牙羅って誰?」
「隆氏の元護衛隊長。隆氏を守りきれなかった責任を取らされ、職を剥奪された。以来屋敷にこもりっきりだったが、最近じゃ皇氏の元側近とつるんでるという噂だ。以前は誇り高い武人だったが今は……よく判らない奴さ」
「腕は立つの? 獣はたくさん持ってる? おまえとどっちが多い?」
「腕は立つが、獣の数は俺の半分もないな。職のない兵士に、焔氏は獣を持たせたりしない」
「それなら襲って来ても、返り討ちにできるな」
緑青はほっと安堵の息を吐き、白夜の空を見上げる。
「2羽の鷲って、何か意味があるのか?」
「別に……」
言いながら深刻な表情に変わっていく烏流の横顔を、加奈は不安な面持ちで見つめた。




