32・現実とフィクションは違う
胸 く そ 注 意
ここはアルストロメリア市役所の深部に存在する大ホール。
照明の明滅する部屋の中心から、この街の"市長秘書"は周囲を観察していた。
祭りのボルテージも上がりきり、市長と共にいざコロシアムへ向かおうとした矢先に、市役所へ正体不明の武装勢力が突入――――市長や他の職員もろとも拘束されてしまった。
手足や口が自由なのは幸いだが、取り囲むようにして魔導士が油断なく杖をこちらへ向けている。
少しでも不穏な動きを見せれば、魔法で業火に包むつもりだろう。
秘書は隣に顔を向けた。
「大丈夫ですか? エリーゼ市長......」
傍らには、顔に憔悴の色を浮かべたこの街の市長――――エリーゼがいた。
今年で42歳を迎えた彼女は、改革的な手腕を振るうことで知られる誇りの上司だ。
「えぇ、えぇ大丈夫よ......秘書のあなたがいてくれて心強いわ」
「とんでもありません、元魔導士でありながら何もできず市役所の占拠を許してしまいました......」
「無理もないわ、連中の非道さや"あの光景"を見たならそれは正しい判断よ」
エリーゼ市長の言うあの光景とは、グローリアと名乗る武装勢力が市役所へ押し入った時の直後に起きた。
結論から言うと、今この大ホールにいる職員の数は"半分未満"だ。
語るまでもない、秘書はその光景が脳裏に今も鮮明に焼き付いていた。
ヤツらはエントランスにいた者はもちろん、警備のガードマンごと目につく役所職員を無差別に殺し回ったのだ。
炸裂魔法で爆殺される者、水属性魔法で溺死させられる者。
最も多かったのは斬殺の類いで、非武装の職員は抵抗もできずに虐殺されてしまった。
秘書の友人がいる地域交流課の職員も、休憩時間中を襲われて皆殺しと聞いた。
今や市の中枢であるこの城は、テロリスト共の巣窟だ。
「刮目せよっ!! 同志アーノルド人民解放長のお越しである!!!」
恰幅のいい剣士の声と共に、護衛を引き連れたローブ姿の男が入ってきた。
青髪で顔に刻まれたタトゥーは不気味であり、ひと目でトップだとわかる。
集められた人質である職員たちが、一斉に怯えた目を向けた。
「人質諸君、朗報を持ってきたぞ! たった今騎士団の連中が突入作戦を行ったとのことだ。しかし! 我々グローリアはその敵へ逆に大損害を与えることに成功した」
なんということだ、信じがたいことにグローリアは騎士団すら撃退したという。
さっきの揺れや爆発音で戦闘があっただろうとは思ったが、まさか騎士団が敗北していたとは......。
秘書の胸に暗雲が立ち込めていく。
「っとまぁ、言うなればしばらく暇になったんだ......。そこでだ、人質諸君と遊ぼうと思う」
「遊びだと......?」
「そうだ"市長秘書"くん、まぁ緊張してくれるな......軽いミニゲームだよ」
なぜ俺が市長秘書だと知っている?
名札は捕らえられる寸前に破壊し、市長とも別の場所にいた......。なのにどうしてだ。
おまけに連中の言葉の使い方、訛り方からしてたぶんだが共産主義者だ。
一体なにを目的にこんな......、ここは資本主義国家だぞ。
「誰でもいいが......よし、そこのお前」
指差されたのは、配属されてまだ1ヶ月の新米女性職員。
年端も行かぬ外見から、まだ20歳前後だろう。
念願の職場に就職できて、親を安心させられたといつも周囲に自慢していたのを見かけた。
「騎士団が頼りにならない、こういう時には人質となった人間が大活躍する......と、俺はこの国の小説で読んだことがある」
アーノルドはニタリと下卑た笑みを浮かべ、1人前へ歩ませた職員の足元へナイフを投げた。
カランと金属音が響く。
「そこに腕っぷしに自慢のあるヤツがいる、彼は元上級冒険者だったらしい。見事アイツを殺せたら人質を解放してやろう」
「や......、そんなのでき、ません......」
「この王国の人間は、若い年頃なら英雄だの勇者だのに憧れるんだろう? ヒーローになれるチャンスだぞ?」
指名されたグローリアの男が、ゴキゴキと鍛え上げた筋肉を鳴らす。
たまらず秘書は声を上げた。
「彼女は冒険者でも騎士でもない!! 勝負になるわけがないだろう!!」
「秘書の言うとおりです! そんなのはゲームですらありません、ただの強要ですッ!」
秘書に続いて、エリーゼ市長も声を荒らげた。
「これはこれは、市のトップたちは部下想いだな。だがこれは俺たちの仕切るゲームだ......余計な真似をすれば全員の命がない」
「グッ......!!!」
歯を食いしばるしかない。
男がツカツカと、華奢な女性職員へ近づく。
「やぁ......っ! でき、ないです、勝てるわけない......! いや」
頬に涙を流した女性職員がふいに硬直する。
男が彼女の腹へ、慣れた手付きでナイフを突き刺したのだ。
「がっ......ぁ!」
血が溢れ出し、つい先日まで自信満々に着こなしていただろう制服が赤く染まった。
全身を弛緩させ、女性職員はうつ伏せに倒れた。
ホールが悲鳴に包まれる。
「ったく、女が1人死んだくらいで大げさな......」
軽い炸裂魔法を付与した杖だろう、アーノルドが床を強く叩いた。
激しい音により、再び職員たちは沈黙へと戻される。
他の女性職員のすすり泣く声だけが残った。
「貴様らは偉大なる竜の生贄となる、それまで俺たちは一蓮托生、運命共同体だ......。まぁ仲良くしていこうじゃないか」
クソが、クソがクソがクソがクソが!!
秘書は血を流すほどの力で、唇を噛みしめた。
状況は一方的......外部からの支援も絶望的、打つ手がないのは明らかだった。
「さて、レクリエーションは終わりだ。人質兼生贄の諸君は建物の数カ所に分散してもらう。半分にしといたおかげで、こういうときに楽ができるな。おっと、市長閣下だけは俺と一緒に来てもらおう」
「なぜ......ですか?」
「人質がダメになった時の保険とか、理由は色々ある。とにかく連れてこい」
ガタイのいい男たちが、エリーゼ市長を連れ出そうとした。
「待てっ!! ならせめて秘書の俺も――――――」
瞬間、天地がひっくり返った。
鈍い痛みが走ったことで、思い切り殴られたのだとわかる。
「お願い! 乱暴はやめてちょうだいッ!!」
「なら大人しくついてくることだ。ヴォルコフ! その秘書も含めて生贄共を2階事務室と1階兵器置き場に連れて行け!!」
「ウラー!」
神、いや......英雄は、この世界にはいないのか?




