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 ……魔力の濃度がどんどん薄くなってくる。それはリッチと化した私にとって間違っても心地よいものではないけれど、私はダンジョンを移動する。上へ、上へと。

 最も浅い階層である一階層までたどり着き、全力で気配を殺して私は時を待った。周囲にも入口近くにも、どこにも生き物の気配がなくなる時を。

 このダンジョンの入口には常に見張りが立っている。ダンジョンに異常がないか、子供などがうっかり近付いたりはしないか。負傷して出てきた冒険者の一時保護なんかもしている。見張りの彼らはギルドに雇われた者達だ。彼らは基本的に二人一組で、交代時にも入口から人がいなくならないように配慮はされているけれど、ごく短時間であれば見張りの目がなくなることもある。例えば……負傷した冒険者に一人がついてその場を離れ、もう一人がどうしてもトイレに行きたくなってほんの数分席を外す……とか。

 そういったごく短時間の隙を、私はじっと待ち続けた。元より、食事も何も必要としない身だ。彼らも私が機をうかがっていることを知っていれば間違っても見張りに穴など空けないだろうが、普段から何もないことの方が圧倒的に多い見張り業務である。待っていれば機会はあるもので、ほんの少しの隙をついて私はダンジョンを脱出した。

 ……さて、私がダンジョンを出たのは他でもない。ダンジョン内で冒険者を襲う生活にさすがに限界を感じたからである。異常個体のリッチの姿は既に目撃されてしまっている。おそらく派遣されたであろう討伐隊は上手くやりすごしたが、階層を変えつつ冒険者を襲っていても、相手がリッチ対策を持っていることが多くなった。不意打ちを基本にしているとはいえ、聖属性の準備万端で来られると殺される可能性がぐっと上がる。それでも早く進化するため、多少の無理を押しても頑張ってきたが、そろそろ限界だ。

「早く、動かないと」

 ここからは時間との勝負だ。リッチ種の魔力はできるだけ隠しているけれど、ダンジョンから出た身でずっと見つからずにいられると思うのは楽観的に過ぎる。冒険者もギルドもそんなに甘くない。

 しかも、ダンジョンから出たことによって何もしなくても魔力を消費するようになってしまった。生命の維持にはエネルギーがいる。普通の生き物なら当たり前のことが、ダンジョンの魔物には当てはまらない。ダンジョンにいるうちは何もしなくてもダンジョンに生かされていた。それを失った私は今、進化するための自分の魔力を食い減らしながら生きている。大した量ではないとはいえ、進化のためを思えば急ぐしかない。

 私は森に突入した。ダンジョンにいる頃から何度もシュミレーションした動きだ。この森にはゴブリンがいる。巣を作る彼らは、繁殖力が最大の武器の……雑魚だ。リッチとしてはおいしい。数が多く、かつ、メイジ系に進化しているやつだけ用心すれば、私にダメージを与える手段はほとんどないはず。

 彼に教わった冒険者時代の知識を総動員して僅かな痕跡から見つけ出した群れを、私はまとめて殺した。巣の中には人間の女が捕まっていたけれど、それもおいしく私の糧になってもらうことにした。元よりリッチの姿を見られたらもう殺すしかない。魔力がもったいないけれど、壊滅させたあとの巣も念入りに焼いた。吸い尽くされてミイラになったゴブリンとか、冒険者に見つかったら私の破滅に繋がる。

 死体がミイラであったことが分からない程度に燃やし尽くし、一息ついた時だった。……ばきり、と。その音が聞こえた方に目を向けると、森から五匹ほどのゴブリンが戻ってきたところだった。

 その五匹のリーダーであろうゴブリンの判断は早かった。壊滅した自らの巣と私を確認するや否や、すぐに仲間に指示を出して私に背を向け、バラバラに逃げ出したのだ。知能が高いから、おそらく通常のゴブリンよりはひとつ進化している個体だ。狩りにでも行っていたのだろう、抱えていた荷物も躊躇い無く放り出す鮮やかな逃走だった。

 一瞬だけ追おうとしてから、私は足を止めた。……リッチは少し浮かんでいるから、厳密には足を動かしてはいないけれど。

「まあ、いいか。お土産もくれたし」

 少し残しておけば、時間があればゴブリンはまた増える。冒険者であるなら失格だが、ゴブリンを糧にする身としてはむしろ歓迎すべき事態だ。リッチにやられた、と、冒険者たちに伝えるすべも当たり前ながら彼らは持たないことであるし。

 そんな損得勘定をしつつ、私は彼らが置いていった「お土産」に近付く。

「……ひっ……」

 人間の女だ。ゴブリンに担がれていたところを固い地面に投げ捨てられたのは見たが、おそらくそれ以前も散々抵抗してボロボロになっていたのだろう、満身創痍の女。腰が抜けているのか足を痛めているのか、起き上がれもせずに無様に後ずさろうとしている。……もちろんこれは残せない。このあたりにリッチがいたなんて、間違っても証言されるわけにはいかない。

「い、いや、……いやぁぁ……」

 舗装なんてされていない森の中で這いずるように私から離れようとするものだから、女の動いた地面に血の跡が残る。私の見た目は未だ黒いローブの骸骨だ。リッチは珍しいから知らなかったとしても、自分を捕らえたゴブリン達が一目散に逃げ出すような相手。さぞ恐ろしいだろう。逃がす選択肢はありえないし、全く逃げられていない痛々しい足掻きも見るに堪えない。早く終わらせてやろうと骨の腕を伸ばした私に、女が恐怖でぐしゃぐしゃになった顔を向けた。

「…………っ!」

 息を呑んだのはどっちだったか。恐怖のあまり失神しそうな女の顔を改めて確認して、私はしばし凍りついた。

 ……女に見覚えが、ある。あってしまう。……私がまだ人間だった、その頃の記憶に。

 別に親しかったわけではない。ただの、冒険者時代によく利用していた食堂で働いていた娘だ。恐怖のためかかなり老け込んだような気がするが、おそらく間違いない。

 親しくはなかった。そもそも人間だった頃も、私には親しい人間なんてほとんどいなかった。彼が私の世界の中心で、他人にはさほどの興味がなかったから。でも、いつも笑顔の、よく気が利く店員だったと記憶している。それを思い出すと、その食堂に彼と共に食事に行った時のことも連鎖的に思い出し……いや。

「あぁ……やめ……て……」

 私は再度腕を伸ばし、女を抱きしめるようにして、その命の全てを奪い取った。呆気なかった。

 少し知り合いだったからなんだというのか。そんな感傷がなんだというのか。目的を見失うわけにはいかない。そもそも姿を見られた以上は殺すしかないのだ。

 私は女の亡骸を、灰になるまで燃やすことにした。

 そうしていたらふいに視界を白いものがちらついて、私は空を見上げた。白いものは音もなく降り注いで、地面に触れては消えてゆく。……雪だ。

「気付かなかった……」

 雪が降るほどの、きっと刺すようである、寒さに。

 ひどく積もればいいと、なんとなく思った。人間が生活に困るほどに深く、全部覆い尽くすくらいに白く。その寒さも不便も全部、私にはもう関係ないことだから。

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