第六話 家族合流とルードのお願い。
ミリスが疲れて再び眠った後、ルードたちは暫くここに滞在することを二人に告げて屋敷を後にしようとする。
仕事が滞らなかったことをジョンズに感謝され。
クロケットに遠慮して遠巻きに見ていたフレンダとブレンダに、クロケットが許可すると同時に二人にもみくちゃにされるルード。
それを見て、指をさして大笑いしているミレディ。
くたくたになりながら、そんな優しい皆に送られてフレットの屋敷を出てきた。
ルードとクロケットが屋敷を出ると、そこにはすでにイリスが待っていた。
「ルード様、クロケット様。お疲れさまでした」
「あー、うん。ちょっと疲れたかな」
「ですにゃ……」
「屋敷はそれほど遠くない場所にありましたので、このままご案内いたします」
「ありがと。お願いね」
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イリスに先導されて着いた場所は、王城とフレットの屋敷との間あたりの場所にある屋敷だった。
シーウェールズにあるルードの家よりもかなり大きい。
そこは見覚えのある場所だった。
つい先日、ルードが犬人の女性を解放した屋敷。
今はエランズリルドの管理下に置かれているらしい。
エヴァンスから『廃品利用みたいなものだから、自由に使ってくれていいよ』と言われたものだった。
屋敷の横には倉庫が隣接されている。
エランズリルドでのエリス商会の拠点として、使い勝手はいいと思ったのだった。
屋敷に入ると、ルードが潜入した際の嫌な匂いがしなかった。
きっとイリスが掃除を既に終わらせて、空気の入れ替えも済ませていたのだろう。
シーウェールズより北に位置するここエランズリルドでは、夜になると底冷えするくらい涼しくなっていた。
イリスのそんな気遣いのおかげで、ルードはシーウェールズの家のような借家を確認するような、そんな気分になれたのだ。
ルードは早速キッチンを見に行った。
部屋より先にキッチンへ行くところがルードらしいのだろう。
「ルードちゃん。手伝いますにゃ」
「うん。ありがと。クロケットお姉さん」
「あの、……ルードちゃん」
「ん?」
「その『クロケットお姉さん』というの、ちょっと遠いにゃと思ってるんですにゃけど……」
「遠い……、ね。それなら、普通に、んー」
「(わくわく……、ですにゃ)」
「お姉ちゃん。で、いいかな?」
「うにゃぁあああん」
その呼び方は、クロケットのツボにはまったのだろう。
クロケットの尻尾はぴんと垂直に立ってしまっている。
スカートが持ち上がってしまっていて、あちら側は大変なことになっているだろう。
喜びのあまりに両手で頬を挟んで、身体をくねくねさせて悶え苦しんでいるようにも見える。
「いいですにゃ。もう一回、呼んでくれにゃいですかにゃ?」
「うん。何度でも。お姉ちゃん」
「うにゃぁ……。もう、このまま死んでもいいですにゃ……」
「あははは。さ、晩ごはん作ろっか」
「は、はいですにゃ」
そんな二人のやり取りを見ていたイリス。
じーっと羨ましそうな目で見ているのを二人は気づいていない。
「(いいなぁ。お姉ちゃん、ですか。わたくしも呼ばれてみたいです……)」
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今晩の夕食は、イリスが町で食材を仕入れてくれたおかげで作ることができた。
クロケットとルードの二人で適当に作ったのだが、それなり以上のものができ上がってしまっている。
シーウェールズでの夕食とそん色ないものが食卓に並んでいるのだ。
最近はイリスも遠慮しないように気を付けているのか、ルードたちと席を同じくして食事をするようになった。
とはいえ、遠慮するような表情をしつつ、実のところ彼女の食べっぷりは遠慮しているとは言えないほどの豪快なものだった。
イリスは自身の身体能力に比例するように、ルードたちの倍は食べる。
それは見ていて嬉しくなるくらいに、美味しそうに食べてくれるのだ。
「……ごちそうさまでした。とてもおいしゅうございました」
「はい、ですにゃ」
「うんうん。これだけ綺麗に食べてくれると、作った側も嬉しいよね」
「……わたくし、料理だけは苦手なのです。串焼き以上のものを作ったことがありません。なので、出された料理は残さず食べるのを心がけています」
「イリス、無理しなくてもいいんだからね?」
「いえ、実は、まだ余裕なんですが……」
三人分とは思えない量を作っていたのだが、残されたものはそこにはなかった。
今夜も、その細い身体のどこにそれだけ入るのだろうと思えるほどの食べっぷりだった。
クロケットもルードも、それが嬉しくてたまらない。
作り甲斐があるというものなのだろう。
「明日はもう少し多く作らないとね。ママたちもこっちに着く予定だし」
「はい。その予定でございます」
「あのさ、僕。作ろうと思ってるのがあるんだ」
「そ、それはにゃんですかにゃ?」
早速クロケットが食いついた。
期待の目を輝かせて、ルードに詰め寄るように。
「お、落ち着いて、お姉ちゃん」
「す、すみませんでしたにゃ……」
「タバサさんがさ、柔らかいパンの製造に成功したじゃない?」
「そうですね。あれは美味しかったです……」
「もう食べたんだ」
「いえ、その。味見、ですよ?」
「美味しかったでしょ?」
「はい。それはもう。おいしゅうございました……」
「そうですにゃね。ふかふかもちもちでしたにゃ」
クロケットもイリスも同じようなうっとりとした表情をしていた。
それだけこの世界のパンは固い。
柔らかいと言われているパンでも、バゲットくらいの固さなのだ。
一般的に流通している物に関しては、それこそ顎の鍛錬になるくらいに固いのだ。
「うん。この地域ってさ、果物が多いじゃない?」
「そうですにゃね。砂糖漬けも種類が豊富ですにゃ」
「あのさお姉ちゃん。ジャムって知ってる?」
「じゃむ? ですかにゃ?」
「簡単に作れるものなんだけどさ。果物をね、砂糖と一緒にじっくり煮るとね、とろーっとした甘いものができ上がるんだ。それをあのパンに入れると、どんな感じになるかなーってね」
「ふかふかもちもちのパンに、あまーい果物を煮たものですかにゃ……。そ、それはとてつもなく美味しそうですにゃ」
「あのパンに、甘くてとろーり。……はっ。申し訳ございませんっ」
姉妹かと思ってしまうような同じような恍惚とした表情。
これは期待できるかも、とルードは確信したのだった。
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この地域にはシーウェールズのように温泉があるわけではない。
ルードが育った森の奥には温泉が湧く場所もあるのだが、引いて来れるほど近いというわけではない。
お湯は湧かさないとお風呂に入れないのだ。
だがそこは非常識なルード。
綺麗に掃除されている湯船に水を張ると、その中に手を突っ込み。
『炎よ、炎よ、もういっちょ炎よ』
実に適当。
火がおこると同時に湯気を上げて消滅する。
ちょっとずつ水の温度が上がっていき、あっさりと湯が沸いてしまうのだ。
「んー、これくらいでいいかな?」
「ルードちゃん。適当過ぎて何も言えませんにゃ……」
「あはは。便利でしょ?」
「私も魔法が使えればよかったんですにゃけどね」
狼人のタバサが魔法を使えるのだ。
猫人のクロケットが使えないということはないのだろう。
ルードはその適当さ加減に付け加えて、小さいころからの非常識な能力もあって、あっさりと使えるようになってしまった。
「魔法ってね、小さいころからこつこつと覚えないと使えにゃいみたいにゃんです」
「そうなんだ。僕はすぐできちゃったから……」
「いいんですにゃ。ルードちゃんが手伝ってくれますにゃ。私はそれが嬉しいんですにゃよ」
「うん。でも、タバサさんにその辺ちょっと聞いてみるかな、今度」
「本当ですかにゃ? 使えるようににゃれば、便利にゃんですよ」
「そうだね。使えたら便利だもんね」
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翌朝から昼くらいまでゆっくり休んでから、その後クロケットと一緒に町を見て回る。
どんな果物を扱っているか見て回ったのだ。
その日の夕方、猫人の集落にエリスたちが着いたとイリスから報告があった。
ルードたちが迎えに行くと、エリスが疲れたような表情を見せていた。
「ママ、お疲れ様ー」
「あら、ルードちゃん。さすがに疲れたわねー。揺れるし、運動不足かしら……」
「ちょっといい?」
「ん? なぁに?」
ルードはエリスの手を両手で握った。
『癒せ』
ルードの両手から光がぽうっと光ったかと思うと、淡い光がエリスの腕から全身を巡っていく。
「あら? あらあらあら……。これ、どういうこと? すっごいわね。疲れが飛んじゃったわ」
「うん。前にさ、ママの身体を治したんだけど、それの軽いやつだよ」
「……ということは、ルードちゃんに無理をさせちゃったじゃないの?」
「そんなことないよ。軽いやつだからね」
「ありがと。嬉しいわ、ルードちゃん。でもね、無理しちゃ駄目だからね?」
「うん。大丈夫、ありがと」
エリスはルードを抱きしめた。
久しぶりだったからルードも少し嬉しかった。
「そういえば聞いたわよ、ねぇ。リーダ姉さん」
「そうね、ルード。あなた、この村を任されたんですって?」
「そのことね……。うん、お姉ちゃんと村の両方責任取ってって……」
「あらー。ヘンルーダさん、ついに言っちゃったのね。遅かれ早かれこうなると思ってたのよ。細かいことは私たちが何とかするわ。ルードちゃん、あなたはどっしり構えていたらいいのよ」
「そんな風に言われてもねぇ。……あ、ママ。泊まるところあるからね。エヴァンス伯父さんが用意してくれたんだ。倉庫もあるからエリス商会の拠点に使えそうかなって」
「そう。それは良かったわ。部屋数はどうなのかしら?」
「イリス」
イリスは音もなくルードの斜め後ろに立った。
「はい。大小ございますが、おおよそ二十くらいかと」
「それなら安心ね。父さん、今日から宿取らなくていいみたいよ」
少し離れた馬車からアルフェルの声がする。
「あぁ。宿を借りなくてもいいのは助かるねー。それにここも人が増えてるから、私たちが泊まる場所はなさそうだからね」
「アルフェお父さん。お疲れ様ー」
「ルード君か。ありがとう。いやー、最近の達成感。商人として生きがいを思い出した感じがして、毎日が楽しいよ」
「アルフェルお父さん。期待してますからね?」
「あぁ。任せえておいてほしい。ルード君に負けないように頑張るよ」
ルードに手を振って荷下ろしに戻っていくアルフェル。
エリスを助けたときのような、あのときの悲壮感はもう残っていない。
息子に期待される父のように、元気な姿をルードに見せてくれる。
ウォルガードにいるフェイルズもそうだったように、ルードに期待されるのが嬉しいのだろう。
エリスの元に戻ったルード。
「ママ。お願いがあるんだけど」
「どうしたの?」
「あのね。僕、貴族街で店を持とうと思うんだ。僕がずっといるんじゃないんだけどさ。ちょっと寂しい感じになっちゃってるから、そこでパンを作ろうと思ってね」
「パン?」
「うん。タバサさんにお願いしてたのができ上がってたんだよね。それに甘いジャムっていうのを塗って皆に食べてもらおうかなーって」
「それ? どんなの?」
ルードはエランズリルドで売っている甘い果実の砂糖漬けのことを話す。
ルードが作ろうとしているジャムとの違い。
それをふかふかの柔らかいパンに塗って食べたら、どんなに美味しいものになるかを力説している。
「ルード、それ」
「うん」
「早く作りなさい。私が売ってあげるわ」
「いや、商売じゃなくね」
「いいの。ルードが作る美味しいものは、心を豊かにしてくれるわ。それを広めるのは私の仕事なの。ほら、遊んでないで準備をするのよっ!」
エリスはルードの背中を『パーン』と叩く。
「あたたた……。あのね、作るのはいいんだけど。人手が必要だから。ここにいる人で料理が得意な人がいたら探しておいてほしいな、って言おうとしたんだけど」
「わかったわ。全部任せてちょうだい。ほら、あなたは作ることだけ考えるのよっ!」
「う、うん」
そんな二人のやり取りにイエッタが食いついてくる。
「ルードちゃん、それってジャムパンかしら? そうなのね。菓子パンなのね?」
「う、うん。そう呼ばれてるパンになると思う」
「早く作って。食べたいわ。あぁ、何てことかしら。菓子パンが食べられるようになるなんて……」
「イエッタお母さん、菓子パンって言うのね? そんなに美味しいのね?」
「そうよ、エリス。こう、何て言うのかしら。ミルクと一緒に食べるとね、より一層甘くて、美味しくて……」
「それは、……楽しみね。夢が広がるわ……」
荷下ろしが終わり、エリスもイエッタも張り切ってルードの求める人材を一緒に探してくれたようだ。
二人から聞いたのだろう。
ヘンルーダと話を終えたリーダも目を輝かせてルードに聞いてくる。
「ルード、そのジャムパンって美味しいの?」
「あのね母さん、まだ作ってないんだってば」
「いいから早く食べさせてね。楽しみだわぁ」
食っちゃ寝の火がついてしまったのか、リーダがルードをぎゅっと抱きしめて活を入れてくれる。
やる気のなくなっていたルードを目覚めさせる役目はクロケットに譲った。
リーダだってうずうずしていたのだ。
大好きなルードがやる気を出してくれた。
今はそれだけでも嬉しい。
「クロケットちゃん」
「はいですにゃ」
ルードの横にいたクロケットも一緒に抱きしめる。
順番に頬ずりをしながら、クロケットにウィンクをする。
「ありがとう。あなたが娘になるなら嬉しいわ」
「はいですにゃ。でも、あと三年ありますにゃっ」
「そうね。わたしはあなたがどれだけ頑張ってるかも知ってるのよ。ありがとう。ルードがやる気を出してくれたのは、あなたがいたからなのよ」
「いえ、その。嬉しいですにゃ」
リーダは二人の後ろに控えているイリスに目を移す。
付き合いが長いイリスだからこそ、安心してルードを任せられるのだろう。
笑みを浮かべるリーダの視線に、イリスは礼をした後、笑顔で応えた。




