第二十話 獣人さんたち穏やかな生活。
イリスに元の姿に戻ってもらうと、ジョンズになんとか普通の対応を取ってくれるようにフレットにお願いした。
ジョンズも自分の主に言われてしまったら、そうしないわけにいかない。
若干怯えながらも、なるべく意識しないようにしてもらうのが精一杯だったようだ。
「──それで、僕の我儘でこの国捕らえられている獣人の人たちを解放して回っているのです」
「そうだったのですか。今エリスレーゼ様はもしや?」
「はい。僕の家に一緒に住んでいます。元気にしていますよ」
「それは良かったです。亡くなった妻も心配していましたからね」
「ご心配していただいて、ありがとうございます」
ルードはフレットがエリスの身を案じてくれていると感じていた。
彼は本当に優しい人なんだな、と思ったのだった。
「いえ。本来であれば、私はあなたよりも位の低い、ただの末席貴族なのです。こうしてお話ができるだけでも嬉しいのです……」
「いえ、僕はこの国を捨てたんです。気にしないでください」
「そうは言われましても……」
「あの、皆さんと話をしても構いませんか?」
「えぇ。ぜひ話してもらえますか?」
「ありがとうございます」
ルードは庭木の手入れをしているジョンズに近寄っていく。
実に手慣れた感じの手つきだったので、ルードは感心して見入ってしまっていた。
さすがにジョンズはルードの気配に気づいたようだ。
「あ、仕事を中断させてしまってすみません」
「いえ。あの……」
「はい」
「ルード様からも、あの女性と同じ匂いがするのですが」
やはり犬人の嗅覚は侮れない。
ジョンズはわかっていたのだろう。
もう、隠す必要もないことから、ルードは素直に話すことにした。
「はい。僕もフェンリルです」
「では……」
「やめてくださいね。僕、あの服従のやつは苦手なんですよね」
ルードが苦笑いしていると、ジョンズの表情も徐々に和らいでいった。
彼は手を休めてルードに話をしてくれるようだ。
「主人であるフレット様は私たちに言葉を教えてくださいました」
確かに獣語ではなく、ジョンズは人間の言葉を話している。
ところどころたどたどしいのだが、十分に使えている感じだ。
「そうですね」
「はい。先ほどお茶をお持ちした猫人のフレンダと、彼女の妹のブレンダ。もう一人犬人のミレディと私の四人でこの屋敷を管理させていただいているのです」
「あれ? あの庭で男の子を抱いている女性は?」
「あぁ、あの方は正式ではないと聞いていますが、奥様でございます」
「えぇっ? そ、そうだったんですか」
「坊ちゃまを起さないようにお話されてみてはいかがですか?」
「はい。そうさせてもらいますね」
「お願いいたします。あの方のおかげで私たちの今日があるようなものでもありますからね」
ジョンズは笑顔と深々とした一礼をして、ルードを促してくれる。
ルードは中庭になるべく音を立てないよう、白毛の猫人女性に近づいてみた。
その女性もルードに気づいたらしく、男の子を起さないように軽く頭を下げて会釈をしてくれた。
「初めまして、ルードと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。ミリスが起きてしまうのでこのままで申し訳ございません。私はワイティと申します。あら? あなたからは私と同じ猫人の匂いが残っていますね」
「はい。僕にも許嫁のお姉さんがいまして、猫人なんですよ」
「そうだったのですか。ジョンズさんから聞いているかと思いますが、旦那様のとは──」
「奥様なんですよね?」
「わ、私などそんな立派なものでは……」
「しーっ。ミリス君が起きてしまいますよ?」
「あ、申し訳ございません……」
「この国の先にある森の奥にも猫人の集落があるんです。そこで僕は許嫁のお姉さんと会ったんですよ」
「そうだったのですね。ですが、人間ではございませんよね?」
「わかりますか? 僕の母は狐人の血が混ざっています。色々ありまして、僕は複数の獣人の血が流れているのですよ」
「そうだったのですね。それでそのような匂いが。私はミリスを抱いていましたので、旦那様の方を見ることができませんでした。ですが、先ほどフェンリルという言葉を聞いたので少し驚いていました」
「はい。僕にはフェンリルの血も流れています。というより、フェンリルの血の方が多いかもしれませんね」
「すみません。このような恰好でなければ、服従の……」
「あ、それ勘弁してください。僕、慣れてなくて」
ルードの苦笑いでワイティは察してくれたようだった。
「私は運よく旦那様に買い取っていただいたのです。そのあと、亡くなった奥様に少し似ているからとお世辞をいただきました。それで、その……」
「今の間柄になられたわけですね」
「えぇ、旦那様はこの国の貴族でいらっしゃるのに、私のような下賤な──」
「そういう考え、直した方がいいですよ? 僕の大事なお姉さんも猫人なんですからね」
「そうでした。申し訳ございません……」
「あのね。そのような考え方をしてしまうのは、この国がいけないんです。僕はね、今日までこの国に捕らえられている犬人さんや、猫人さんを助け出してきました。今日もそのつもりだったのですが、ワイティさんたちを見てね、考え方を改めなければならないと思ったんです。フレットさんのような人が増えてくれたら、それは嬉しいことだと思ってるんです。僕はね、色々な種族の人と仲良くしたい。それだけで動いているんですよ」
「嬉しいですね。ミリスもそうなってくれたら、と思っています」
「まぁ、見ててください。近いうちに、ミリス君と一緒に外を散歩できるようにしてみますよ。それは僕の使命なんですから」
「あなたはいったい……」
「僕はね、ここだけの話ですよ? これでもウォルガードの次期国王なんです」
「そ、それは……」
「だから、服従のポーズはやめてくださいね。あははは」
これ以上話をしているとミリスを起してしまうからと、ルードはウィンクをしてその場を離れた。
次に向かったのはキッチンだった。
忙しく仕事をしているかと思っていたのだが、なんと三人で井戸端会議をしているではないか。
ルードはそれを見て、少し微笑ましくも思っていた。
「ねぇ、フレンダ姉さん。あのお客様、ちょっと可愛くなかった?」
「えぇブレンダ。可愛かったのだけれど、何でも高貴なお方らしいのよ」
「うん、すっごい強そうな匂いがしたのをあたしも気づいたわ。でも、可愛いわよね」
「そうよね。ミレディもそう思ったのね。可愛いわよねー……」
「どうしたのブレンダ?」
「あ、あ、あ……。も、」
「も?」
「申し訳ございませんっ!」
ミレディが服従のポーズをとる。
ブレンダもフレンダも反射的に同じように寝っ転がってしまった。
「あぁ、お願いだからやめてくれませんか?」
ルードは『遅かった』と思ってしまった。
虎毛のフレンダ、ブレンダの猫人姉妹。
長毛種赤毛の犬人、ミレディの三人はこの屋敷で侍女をしているそうだ。
「本当に私たちは運が良かったとしか思えないのです」
「そうね、あたしも人間に捕まったときは、もう終わったと思ってしまいましたね」
「えぇ、旦那様はちょっと変わった趣味の持ち主のようでした。私たちを可愛がってくれたんです。ミリス坊ちゃまもそうでした。この国では獣人は忌避されているとしか聞いてなかったので、それはもう驚きの毎日でしたね」
なんというか、女性が三人集まるとルードは圧倒されてしまった。
『遠慮はいりませんよ』とルードが言ってしまって、そこからは抱き着かれるわ、撫でられるわ、落ち着くまで大変だったのである。
「私は妹のブレンダと一緒だったので、どこへ行っても頑張れると思っていました。ですが」
「あたしはこんななりだから。使用人にしかされないと思ってたんですよね」
ミレディの額と頬には捕まったときの怪我だろうか。
結構酷い傷跡が残っていたのだ。
「ちょっと触ってもいいですか?」
「えぇ、ルード様なら喜んで」
何を勘違いしたのだろうか、とルードは苦笑いをする。
ミレディの頬に触れ、ルードは詠唱を開始した。
『癒せ。万物に宿る白き癒しの力よ。我の願いを顕現せよ』
ルードの手から温かな感触と光が発せられる。
徐々にだったが傷口は綺麗になっていく。
フレンダもブレンダもきょとんとしてそれを見ている。
光りが収束する頃には、傷口は綺麗になっていた。
「ふぅ。こんなもんかな?」
「み、ミレディ、傷が……」
「えぇ、傷が」
「どうしたの二人とも、こんな傷見慣れて……、あれ?」
「「治ってるのよ」」
「えぇええええっ!」
長年諦めていた傷口が治ってしまった。
「ミレディ、ほら」
フレンダが手鏡をミレディに渡す。
「うっそ。傷がなくなってる……。ルード様、これ」
「秘密にしてね。僕は魔法が使えるんだ」
「あ、あの」
ブレンダが懇願するような表情でルードを見る。
何を思ったか、フレンダの背中のボタンを外してしまったのだ。
フレンダは慌てて『きゃっ』と声を上げて服を押さえながら背中を向けてしまった。
そのとき、ルードの目にフレンダの背中が見えてしまったのである。
そこには鞭打ちされたかのような、大きな傷があったのだった。
「お願いします。お姉ちゃん、私をかばって、背中に……」
「うん。ちょっと触るよ」
「は、はい。優しくしてくださいね」
「あのねぇ……」
ルードは詠唱と共に魔力を解放する。
ゆっくりと傷口が消えていくのを見たブレンダは、泣きだしてしまった。
「あ、ありがとうございます。私のせいでこんな風になってしまって……」
ルードが魔力を注ぐのをやめると、背中の傷はもうなくなっていた。
「もういいですよ。その、綺麗な背中になりましたから、服を着てください」
「フレンダ。傷、あたしと同じようになくなってるわ」
「ルード様、なんとお礼を」
「あ、服従のポーズはやめてね。僕、慣れてないから。あははは……」
かなり自虐的な苦笑になっていたルードの表情。
三人は本当に嫌がっているのがわかっていたようだった。
「フレンダさん、お茶美味しかったです」
「あ、それブレンダが入れたんですよ。ブレンダの方がお茶を入れるの上手なので」
「お料理はフレンダ姉さんのが上手じゃないの」
「そうね。フレンダもブレンダも羨ましいわ」
「何謙遜してるのよ。縫物は私たちミレディに敵わないじゃないの」
「そう? こんなの誰でもできるわよ」
ルードの魔法で更に笑顔になってパワーアップした三人。
「あの、僕もうフレットさんのところに戻るからお仕事続けてくださいね」
「「「えーっ」」」
なんと仲のいい女性たちだろう、とルードは額に汗するのだった。
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ルードはキッチンから戻ってきて、とてもリラックスできていた。
この屋敷に勤めている獣人たちと話をして、フレットの人となりがなんとなくわかってきたのだ。
彼は獣人に対してまったく人間と同じように扱ってくれている。
それだけわかっただけでもルードは、今日ここに来てよかったと思ったのだった。
そんなフレットの亡くなった奥さんに会ってみたいとルードは思った。
ルードは右目の奥に力を込めた。
すると徐々に見えてくるフレットの右肩に手を置いて、苦笑している彼女の姿がルードには見えているのだ。
それに気づかず、フレットは話し始めた。
「あそこに白毛の女性がいますよね」
「はい」
「ワイティといいまして、実は内縁の妻なのです」
「ほ、本当ですか?」
「つい昨年ですけどね。内縁関係になったのは。実はね、あの女性は亡くなった妻に似ていたのです。ミーシェリア商会とは渋々付き合っていたのですが、私は一目見て衝動的に連れ帰ったのです」
「なるほどですね」
「それで息子のミリスが二歳だったときでした。会わせたらすぐに懐いたんです。私もあの子をひとりで育てるのに苦労していまして、本当に助かりました」
「そんなことを言っていますが、いいんですか?」
「はて? 誰に言われているのです?」
「フレットさんの横で苦笑いをしている、長い栗色の髪の毛で、真ん中から前髪を分けている女性ですけど」
「はっ? それは、えっ?」
ルードはもう少し力を強くした。
『あぁ、見えているのですね。あのときのお兄ちゃんがこんなに大きくなられていたなんて……』
「そ、その声はシスティア?」
フレットは声の方向を振り向いた。
亡くなったはずの最愛の妻の姿がそこにあったのだ。




