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unspell  作者: 久保田千景
その後
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unspell 中編

「触るな」


 いつもより低く唸るような声がすぐ傍で聞こえる。顔を上げると同時に執事の身体が吹き飛んだ。

 驚きと反動でよろめくサラの身体をいつもの温もりが優しく支える。古代種の姿をしたセイアッドがサラを腕の中で護るようにして立っていた。


「え、あ、い、いつの間にっ!?」


 セイアッドはクリスティナの驚きを無視して掌でサラの頬にそっと触れる。

「大丈夫か?」

 それまでの緊張が解けたせいか、サラの目に涙が溢れてくる。

「すまない」

 どうしてセイアッドさんが謝るのですか? 仕事を請けたのは私で、一人で行くと決めたのも私。だからセイアッドさんが謝る必要はないのに。

 

 申し訳なさそうに謝るセイアッドにそう言いたかったが、言葉を発せば涙も零れてしまいそうで、サラは口を固く結んで大きく首を横に振った。


「魔族なの? その角と翼は? こんな魔族は初めて見たわ!」


 クリスティナは古代種の姿に驚きながらも、嬉々とした表情で声を掛けた。けれどセイアッドは視線を寄越すこともなく無視している。


「私と一緒になれば何も我慢しなくて良いのよ? 好きなことを好きなだけ、その力も思う存分振るうと良いわ。魔族らしく好き勝手に生きていけるわ」


 セイアッドはクリスティアの提案にも全く興味を示さず、腕の中にいるサラに「どこか怪我はないか?」と声を掛けていた。


 無視され続けたクリスティナは眉を顰め、魔族の視線の先にいるサラを見て呆れたように口を開いた。


「その女のどこが良いの?」

 言うや否や、自分の問い掛けに自分で答えを出す。

「あぁ、そうか。情が移って憐れんでいるのね」

 自尊心を傷つけられた女の瞳が怒りで燃える。


「あなたが望めばどんな物でもどんな女でも、何でも用意してあげる。だからそれは処分するわよ」


 セイアッドの顔から表情が消えた。

 以前にミシェルに向けられたもの以上の怒りを感じ、サラは慌てた。

「ダメッ!」

 閉ざされた室内に鋭い風切り音が響く。

 悲鳴にも似たサラの制止で、クリスティナは自分の目の前に鋭い切っ先が向けられ、剣を握る黄金の双眸が明確な敵意を持っていることに初めて気が付いた。

 作り物のような表情には僅かな迷いも躊躇もない。サラが止めていなければ自分の顔が真っ二つにされていただろう。慌てて逃げようと後ずさったが震える足は動かず、その場で崩れるように座り込んでしまった。


「セイアッドさん」

 腕に縋り付いているサラが声を掛けると、セイアッドがゆっくりと顔を向けた。


 貴族の息女であるクリスティナを傷付けるようなことがあれば、どんな理由であろうとも罪は重く、死罪の可能性だってある。しかもセイアッドは魔族だ。やっぱり魔族は危険で怖い存在なのだ、と誤解されたくない。


 サラは自然とセイアッドの手に触れた。

「大丈夫ですよ」

「サラ」

 声も表情もいつも通りに戻っていた。サラは安堵してセイアッドの腕に額を付けた。


 剣がおろされてからクリスティナはようやく口を開いた。


「こ、こんなことして無事に済むと思っているの? 私が言えば、あなたたちなんかすぐに捕まるわよ!」


 捕まる、という言葉にサラの身体は強ばった。

 ぎゅっと袖を掴んだサラに気付き、セイアッドは口を開いた。


「では、この屋敷ごと消してしまえばいい」


 セイアッドの迫力に脅しではないとわかったのか、クリスティナは言葉を詰まらせる。顔を歪めて何かを言おうとしたが、駆け寄ってきた足音と勢いよく扉の開く音と叫び声によって掻き消された。

「お嬢様っ!」

 部屋に駆け込んできたのは、侍女らしき若い女性だった。けれど彼女は混沌とした部屋の中の状態にそのまま固まってしまった。

 しびれを切らしたクリスティナが八つ当たり的に叫ぶ。

「もうっ! あんたまで何なのよ!」

 息女らしからぬ一喝に、侍女は我に返る。

「あ、き、騎士団が――奴隷不法所持と禁止術行使の令状を持って来ています!」

「何ですって!」

 開け放たれた扉から大勢の怒号と足音が入り乱れて聞こえ、それはどんどんと大きくなっていく。

「お、お父様は! お父様は何をやっているの!」

「それが、すでに別の容疑で連行されているようで――」

「どうして、どうして、こんな――」

 青ざめるクリスティナは目を見開いたまま放心している。

 

 サラを含め驚きと混乱にいる周りを余所に、一人冷静なセイアッドは足元に二重の魔法陣を敷いた。

 サラがそれに気を取られている間に、セイアッドは片手で彼女をひょいと抱き上げた。

「では帰るか」

「あ、はい――って、え?」

 再び驚くサラを転移術の光が包み込んだ。



******



 目を開けるとそこはもう家の前だった。

 自分を大事そうに抱える古代種を見る。セイアッドはその視線だけでサラが何を言いたいのかわかったようだ。

「魔術は不得手だが魔力が戻ればこのくらいはできる」

 魔術の得意なアスワドは体調が万全なら五重掛けくらいできるらしい。

「じゃあ、どうして今まで空を飛んで帰ってきていたのですか?」

 家の前には『印』が刻まれている。セイアッド一人の時は転移術を使って帰ってきていたようだが『破魔』の魔力を持つサラが一緒の時には空を飛んで帰ってきていた。転移術の重ね掛けができるのなら、わざわざ飛ばなくても一瞬で帰ってこられたはずだ。

「転移術はつまらない」

 セイアッドは心底つまらなそうな表情で顔を逸らす。今回は場所が室内だったことと騒動の最中だったため、仕方なく転移術を使用したようだ。


 術を使うのにつまらないってどういうことだろう?

 

 解術しかできないサラは言葉の意味がわからない。

「私を抱えて飛ぶのは疲れませんか?」

 心配そうに見上げるサラにセイアッドは表情を和らげた。

「疲れないし、空を飛ぶほうが好きだ」

 自分のせいで負担を掛けているのではないかと気にしていたサラは、抱える腕に力が込められたことにも彼の真意にも気付かず、ただセイアッドの迷惑になっていないことだけに安堵していた。


 サラの足が地面に着いたと同時に、ミシェルが家から飛び出してきた。

 今日、オールストレーム家に騎士団の捜索が入ると聞いたミシェルは、その屋敷にサラが仕事で行っていることを聞いて心配していた。


 どうしてミシェルが知っているのだろう。

 サラが疑問を口にするとミシェルは「公爵から教えてもらったの」とあっさり白状した。


 クロスフォード公爵は意識を取り戻すと密偵や情報屋などに心当たりのある人物数名の周辺を調べさせた。オールストレーム家の息女クリスティナの名が浮上し、動かぬ証拠や証言を得て騎士団を動かしたようだ。


「あそこは一族で奴隷商人達に資金提供したり貴族達との仲介をしたり、自身も奴隷を所有したりとやりたい放題だったけど、賄賂と恐喝を使い分けてうまく尻尾を出さなかったみたい。でもこれでお仕舞いだわ」


 普段は絶対見せないミシェルの冷たい微笑みにサラの目が釘付けになる。

 その視線に気が付いたのか、ミシェルはいつもの緩い表情に戻った。

「あ、そうそう。サラちゃんに渡すようにって預かったものがあるの。ちょっと待ってねぇ」

 ミシェルはサラの肩をぽんぽんと叩くと軽やかに家に入っていく。しかしサラが首を傾げる間もなく何かを手に持ってすぐに戻ってきた。

「クロスフォード公爵から」

「え――ええええっ!」

 きめ細やかな手触りでありながらしっかりとした紙質の、高級感溢れる手紙だ。サラは自分宛てにも関わらず、恐る恐る封を開けた。

 そこには端正な文字で先日の解術の礼が署名付きで書かれていた。ミシェルによると代筆ではなく直筆らしい。一介の解術師に高名な貴族がわざわざ直筆で手紙を寄越したことだけでも驚くサラに、文末の一行が止めを刺した。


「娘をよろしくお願いしますって――娘って誰だろう?」


 理解の範疇を超えたせいで、つい声に出してしまう。

「やぁねぇ。いつまでも子供扱いして」

 溜息混じりのミシェルが呆れたように肩を竦めた。しばらくしてサラの中で絡まっていた糸が一本になった。

「えっ? あ、娘――えっ、えっ、えええぇ!」

 驚いてついセイアッドを見上げたが、彼の表情は全く変わらない。自分一人だけが慌てふためいていることにもサラは再び衝撃を受けた。




 病気で妻に先立たれた公爵と旅一座の踊り子の間に生まれたのがミシェルだった。

 身分の違いやミシェルの母の強い希望から正式な後添えとはならなかったが、亡妻との間にもうけた二人の子がいずれも男児だったせいもあり、侯爵は産まれる前からミシェルを庶子として認めとても可愛がった。ミシェルの家や現在サラが住んでいる家も、公爵が愛する二人のために建てたものだ。

 

 立場上頻繁ではなかったが、折に触れては長年信頼している執事だけを連れて会いに来ていた。ミシェルの母が突然の病でこの世を去った後も残された娘を心配して、自分が動けない時は魔道具で連絡を取り合ったり、執事を寄越したりしていた。

 

 先日、サラが鑑定した指輪は若かりし頃の公爵がミシェルの母に贈った形見だった。家の掃除の際に偶然見つけたもので、ミシェルは公爵に返そうした。

 公爵は最初「贈った物だから」と頑なだったが、生前は一緒に居られなかったのだから、せめて指輪だけでも傍に置いておいて欲しいとの娘の願いに受け取った。今では肌身離さず持っていてくれていると執事が教えてくれた。

 その後、執事を通して異母兄から公爵が危険な呪いに掛けられていると聞いたとき、ミシェルは激しく動揺した。


「愛人だとか思っていたぁ?」

「はい――いえいえいえ、そんなことは――あ、いや、すみません、ちょっとだけ――」


 思った通り素直でいつもと変わらないサラに、ミシェルは心の底から安堵し、そして思い切り笑った。



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