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unspell  作者: 久保田千景
その後
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それぞれの言い訳

 床に座って本を読んでいたサラは、小さな布擦れの音で顔を上げ、ソファーの上で横になっているセイアッドを振り返った。ぴくりとも動かない姿に一瞬不安を覚えたが、規則正しく上下する胸にほっと肩の力を抜いた。起こそうと開けた口は、アスワドの言葉を思い出し、声を発することなく閉じた。


 魔族は信頼した相手以外の前では深く眠らない。

 浅い眠りだけでも体調には影響がない、とアスワドから聞いたとき、人間であるサラには信じられなかったが、確かにレクスもレイも僅かな気配や物音で目を覚ましていたことを思いだし納得した。


 サラは自分の部屋から薄手の毛布を持ってくると、彼の身体にそっと掛けた。

眠っているセイアッドに嬉しいと思う反面、つがいという感覚がわからないサラは不安になる。

 鎮めの巫女が種の呪いを持つ古代種のつがいだと教えてくれたのはアスワドで、セイアッドから言われたことはない。

 つがいだから好きでいてくれるのだろうか。つがいじゃなかったら、好きになってくれただろうか、と密かに悩んでいる。


 セイアッドのつがいが別にいたら、彼はあの優しい眼差しをその人に向けるのだろう。二度とこちらを振り返らないセイアッドの背中とその隣にある見知らぬ女性の姿を想像しただけで胸が苦しくなる。

 

 サラはセイアッドの腕にそっと額を乗せ、彼の服の袖を軽く掴むと瞼を閉じた。



******



 心地よい温もりと重さを腕に感じた。

 セイアッドが目を開けると、見慣れた栗毛色の頭がソファーに突っ伏していた。どうやら眠ってしまっているらしい。

 サラを起こさないようにゆっくり上体を起こすと、薄い毛布が身体を音もなく滑り落ちた。

 彼女が掛けてくれたのだろう。

 セイアッドは無意識に彼女の頭を撫でていた。


 魔族は人間よりもはるかに強く丈夫だ。病気には罹りにくいし傷もすぐに治る。サラもそれを知っているのに、怪我をしているとわかると傷薬と包帯を持ってくる。「すぐに治るから大丈夫だ」と言っても「でも傷が治るまでは痛いし、塞がるまでに何かあったら嫌です」と真剣な表情で見上げてくる。

 今までそんな風に心配したり言ってきたりする相手のいなかったセイアッドにとって、とても新鮮で心が温かくなった。


 つがいかどうかは古代種にしかわからない。感覚のようなものだから説明してくれと言われても納得させられる自信はない。でもはっきり言えるのはつがいだから大事にしたいと思うのではなく、何よりも大事にしたいと思った相手がつがいだということだ。

 

 あの夜の街道でサラと初めて出会った時、彼女がつがいなのだとすぐにわかった。目が合っただけで魂が喜びで震える感覚は初めてだった。呪術で記憶を失っていても意識が薄れていても、それだけは確かだった。

 

 この思いは最後まで変わることはない。

 だから最も大切な彼女をこの腕の中に閉じ込めてしまいたくなる。誰にも触れさせたくない。

 そして、不安になる。

 傍えの腕輪による契約は、魔族の魔力で「不老」にするだけで「不死」にする訳ではない。魔族と同等の治癒力を得るが、致命傷を負ったり重い病に罹ったりすれば死んでしまう。


 手にした毛布をサラの身体に掛けた。微かに触れた彼女の身体はひどく冷えていた。

 また熱をだしてしまうかも知れない、とセイアッドは心配になった。

「サラ」

 肩を揺ったが、同時にサラの寝起きの悪さを思いだした。

 一緒に暮らしてみてわかったことだが、疲れている時ほど深く眠ってしまい、何をしても起きなくなる。最初の頃は意識を失っているのかと慌てたほどだ。


 案の定、今も起きる気配はない。無理やり起こすこともしたくないので、横抱きにして部屋まで運ぶことにした。

 薄い毛布に包まれていても彼女の柔らかさを腕に感じ、よこしまな考えに支配されないよう、落とさないことのみにあえて意識を集中した。そのせいかいつもの廊下がやけに長かった。


 主の帰りを待っていた部屋は暗く冷えている。華奢な身体をベッドに横たえさせた。そこで彼女の目の縁が赤くなっていることに初めて気が付いた。指で頬に触れたが濡れてはいない。涙はすでに乾いてしまったらしい。

 悲しい夢でも見たのか、それとも泣いていたのだろうか。

「――ん」

 サラが瞼を閉じたまま小さく声を漏らす。

 気が付けば黒の前髪が栗毛色の前髪と重なるように触れあい、引き寄せられた唇は重なる寸前だった。

 我に返りベッドを軋ませながら身体を離した。


 こんなことで彼女の信頼を裏切りたくない。


 セイアッドは彼女の目が覚めないうちに(自制が利くうちに)部屋を出ようとして踵を返したが、縫い止められたように動かない右腕に顔を向けた。

 サラが右手の袖を掴んでいる。

 起きたのかと焦ったが、彼女の瞼は閉ざされたままだ。起きた気配はない。


 これ以上ここにいては駄目だ。

 静かな部屋に自分の心臓の鼓動だけがうるさいほど響く。


 袖に絡む細い指を解こうとそっと触れると、指先もやはり冷えていた。


 この身体が温もりを取り戻さなかったら? 

 部屋を出た後に彼女が消えてしまったら?


 馬鹿げた不安は消えることなく膨らみ続け、触れた指先を離すことができなくなっていた。

 契約の代償として亡骸は遺らない。サラが自分の前から消えてしまうと考えただけで、暗く深い闇に飲み込まれてしまいそうになる。

 

「――っくしゅん」


 小さなくしゃみで我に返った。見るとサラが身体を丸く縮込ませていた。



******



 翌朝。

 サラは驚きで瞬時に目が覚めた。

 いつもは広いと感じるベッドがやけに狭いと思ったら何かに包まれていた。しばらくしてそれがセイアッドで、彼の胸に埋まるような形で寝ていたことを理解し、叫び声を上げそうになった口を掌で塞いで何とか堪えた。けれど一気に熱くなった身体は緊張で強ばり、どうすることもできずにいた。


 昨日はお風呂に入って、本を読んで、セイアッドさんがソファーで寝て、毛布を持ってきて掛けて、それで――それで、どうしたっけ?


 混乱する頭で必死に昨夜のことを思い出すが、途中から記憶がない。疲れていたのか、夢も見ずにぐっすりと眠っていたことだけはわかっている。


 血の気が引いたサラは慌てて布団の中をのぞき込んだ。自分の姿がどうなっているかを確認すると汗ばむ身体から力を抜いた。

 見ればセイアッドも服を着て眠っている。「良かった」と安堵した後に「そうだよね」と残念な気持ちになっていたことには気付かなかった。


 セイアッドはサラの頭を右手の掌で包み込み、頭頂部に顔を密着させて眠っている。頭や身体を動かせば彼を起こしてしまうかも知れないし、幸いなことに今日は二人とも仕事の予定はない。


 もうちょっとこのままでいいよね。

 

 この心地よい温もりから離れたくないサラは、言い訳をして一人納得すると、セイアッドの胸に額を預け再び瞼を閉じた。



******



 ベッドに入ったが、それはセイアッドの予想以上に大変なことだった。

 自分で決めたこととはいえ、このまま抱きしめていたい気持ちとそれだけでは満足できなくなりつつある欲望との狭間で迷い続けていた。ようやく落ち着いたのは夜が明ける手前だった。うとうとしかけた頃にサラが目を覚ましてしまったが、彼女の意外な反応は、ようやく訪れた眠気が去ってしまうほどだった。

 てっきり飛び起きて慌てるかと思っていた。

 目覚めた直後のサラは流石に驚いたらしく身体を強ばらせた。しばらくするとぎこちなく、でもそっと布団の中を覗き込んだり、髪の隙間から覗く耳を真っ赤にしてもぞもぞと動いたりしていた。

 彼女の反応が面白く、この後どうするのかと純粋に気になり、寝たふりをして様子を伺っていた。

 叫んだり、身体を離して起きたりすることはしなかった。頭を動かしてセイアッドの顔を見上げることもしなかった。

 それが自分を起こさないための配慮だとセイアッドは気が付いた。

 

 サラはその後、額を埋め直すとしばらくして安らかな寝息を立て始めた。彼女の手は脇腹辺りの服の裾を遠慮がちに握っている。まるでまだ離れたくない、と言っているみたいに。


 何だ、この可愛い生き物は?


 無性に愛おしさが募る。この反応を見られただけでも昨夜の葛藤が無駄ではなかった、とセイアッドは一人満足する。

 すやすやと眠るサラの身体を改めて引き寄せ栗毛色の髪に唇を落とした。


 これくらいは許して貰おう。

 

 心の中で言い訳すると、心地よい温かさと眠気に意識を委ねた。


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