69
唇が重なったまま、急に力強く抱きしめられた。肺から息が押し出されると同時に「むぎゅ」と妙な声がサラの口から漏れた。
それに驚いたのか、抱きしめる腕の力が緩む。
「サラッ! 大丈夫か?」
目の前の顔が心配そうに見下ろしている。
堪えていた涙がサラの目から溢れ出た。
「わ、悪い、痛かったか?」
ますます慌てるレイにサラはぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違う――心配したん、だから――今まで、全然、出て、こなかった」
涙声で抗議するサラにレイは苦笑する。
「子供みたいに泣くなよ。可愛い顔が台無しだろ?」
そう言いながら少し乱暴に溢れる涙を指で掬った。
「レイはあの後、大丈夫だったの? 今は平気?」
驚いたような表情になったレイは見上げるサラを自分の胸に引き寄せると、頭を優しく撫でた。
「俺のことなんかより自分の身体を心配しろよ」
「レイが怪我を治してくれたし、く、薬も飲ませてくれたし、もう大丈夫。ありがとう」
途中で言葉が詰まったのは、思いだしたせいだ。
「怪我をすぐに治せていればお前をあんな危険な状態にしなくてすんだのに――悪かった」
レイは小さな声で謝った。サラは身体を離し、辛そうな表情のレイを見上げた。
「レイは何も悪くない。私を守ってくれたよ」
それでも視線を落としたまま落ち込んでいる綺麗な右頬を、サラは指でつまんで引っ張った。見惚れるほどの端整な顔は残念ながらこの程度では崩れなかったが、目を丸くした美形にサラは吹き出した。
「いつかのお返し」
「俺が怖くないのか?」
笑顔で大きく頷くサラにレイも嬉しそうに微笑み返す。けれどサラの指を掴んで自分の口元に寄せたその顔には昏い翳がさしていた。
「俺は自分が怖いんだ」
独り言のように呟くとサラの肩に額を乗せた。
「お前と離れたくない。傍にいたいし守りたいと思っている。でもこの手はいつか必ずお前を傷付ける」
そんなことはないよ、と言ってあげたかったが、その言葉が無責任で軽はずみに思えて声にはできなかった。
「あのチビたちも手に掛けるかもしれない」
サラが入院していたとき、レイは弟妹たちが「会いたい」と泣いて訴えても頑なに出てこなかった。その理由と、仲良く遊んでいた弟妹とレイの姿を思い出し、サラは胸が締め付けられた。
「気が付いたとき、この両手が守りたいと思っていた誰かの血で染まっている。もうあんな思いはしたくない。どうせなら何もわからなくなるくらいに狂ってしまえればいいのに」
弱音を吐き捨てたレイがこのまま消えてしまいそうで、サラは背中に回した腕に力を込めた。
「契約すれば、もうこの手はお前を傷付けない」
レイの大きな手がサラの背中に宛がわれた。
「だから俺は自分の感情を優先させる。悪いな」
サラは首を横に振った。
「悪くない。レイは優しすぎるよ」
レイはようやく顔を上げた。
「契約は一種の呪いだ。お前は年も取れず、親しい友人や愛する家族とも死に別れ、一人取り残される」
契約に伴う変化はアスワドから聞いていた。契約したままの姿で寿命を遙かに超えて生き続け、ようやく死を迎えたとき、その亡骸は残らずこの世から消えてしまうことも知っている。
「嫌なら――少しでも迷ったのなら契約はしなくていい」
最後まで気遣ってくれるレイの優しさにサラは愛しさが募る。だから迷いはなかった。
「一人じゃないよ。だって二人でしょ」
レイは泣きそうな顔でサラを抱きしめた。
「お前の瞳が永遠に閉ざされるその時まで傍にいよう」
「約束だよ」
引き寄せられるように唇が自然と重なる。そして強く互いの身体を抱きしめ合った。
レイは棚の上に乗っていた二つの腕輪を手に取り、一つをサラの腕に通した。大きすぎる腕輪はあっという間にサラの二の腕に吸い付くようにぴたりとはまる。
レイはもう一つを差し出した。サラは両手で受け取ると、それをレイの腕に通した。
「お前に会えて良かった。この思いだけは忘れない」
涙が溢れて止まらない。すぐ目の前にある顔すらぼやけている。
「ありがとう、レイ。私も忘れないから」
触れた唇はとても優しかった。




