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unspell  作者: 久保田千景
本編
71/98

66

 朝から始めた解術は、術式を組み直し終えた時には夜になっていた。

 疲労と緊張の中、サラはゆっくり慎重に言葉を紡ぐ。


「解放者は知る。魔名は『エキュール・ジェバイ・ピサロテム・ディリレヴィア』」

 

 これほど長くて舌を噛みそうな魔名は初めてだ。

 少し掠れた声で読み上げた後、魔法陣は震え出した。

「解放の楔で消滅せよ」

 人差し指がその中心に触れた途端、それまで綺麗な円を描いていた陣は光の欠片となって砕け散った。

「やった!」

 アスワドの明るい声で振り返った。

 呪殺術を解術するためにアスワドの助言は大いに役立った。なぜなら掛けた張本人なのだから。


 笑顔の少年の隣に、黒い文字の消えたレクスの顔が見える。

 呪術は解けた。これで命が削られることも苦しむこともなくなる。

 サラは嬉しさと安堵で目頭が熱くなる。自然と手が綺麗になったレクスの頬に吸い寄せられた。

「大丈夫ですか? どこか辛いところはないですか?」

「大丈夫です」

 レクスはサラの手を自分の掌で包み込み微笑んだ。


 甘い雰囲気の中、サラはもう一つ確認しなくてはいけないことを思い出した。

 アスワドの呪いは『王』に掛けた呪術の失敗による反動なので、大本の術が解けた今、それも消えているはずだ。

 自分への視線を振り切ってサラはアスワドへ向き直る。けれどそこには少年のままの姿があった。不安になったサラは確認のため手を伸ばす。触れてまだ痛みがあれば、呪術が残っている証拠になる。

 確認する前に後ろに引き寄せられた。背中に密着した感触に、気が付けばサラの身体はすっぽりと包み込まれていた。振り仰ぐとサラを自分の胸に抱き寄せたレクスが不機嫌な顔で見下ろしている。

「レクスさん?」

 解術師としてまだ仕事中のサラには、何故レクスが自分の邪魔をするかわからない。

「どうしたんですか?」

「嫌です」

「何が?」

 一向に気付けないサラにレクスは大きく溜息を吐いて肩を落とした。


 え? えええっ! 私、何かした?


 混乱でますます答えを導き出せそうにないサラに、救いの手が伸ばされた。


「自分以外の魔族に触れないでくれってことだよ」


 そうなのか。

 ようやくサラはレクスの意図を理解した。と同時に教えてくれたその声が、少年のものではなく、男性のものだったことに気付く。

 声の方に顔を向けると、角も翼も生えた古代種が床に座っていた。

 

 レクスに比べ身体の線が細く中性的な顔立ちは、魔人であるジークヴァルトに雰囲気が似ていた。

「ア――スワドさん?」

 名前を呼ばれ、長い赤毛の古代種は綺麗な顔でにこりと笑った。彼も無駄に色気を漂わせていた。

「おかげで元に戻れたよ」

 

 出会った数は少ないけれど魔族の血を引く者の見目の良さと纏う色気に、サラは普通とは違い意味で恐れ戦いた。


「呪いを解いてくれてありがとう」

 サラは出ない声の代わりにぶんぶんと首を縦に振った。

 おもちゃのような動きにアスワドは微笑んだが、視線を少し上に向けると表情を曇らせた。

「悪いけど何か着るものあるかな? これ以上裸で君の前にいると誰かさんに追い出されそうだ」

 よく見るとローブは羽織っているが上半身は裸だ。胡座をかいている座っている腰回りには破れてしまった服が山になっている。

「は、はいっ!」

 うわずった返事を悲鳴のように上げ、サラは真っ赤なまま身体を翻した。


 時々泊まりに来るカイの着替えを差し出した。細身のアスワドには少し大きかったが、それでも背中の翼は服を着ると邪魔になるのでレクスと同じく魔力を抑えて角と一緒に消していた。

「色々とありがとう」

 照れたように笑うサラにアスワドは大きく息を吸うと表情を戻した。

「身体も戻ったし、騎士団からの監視も免除されたし、明日旅に出ようと思う」

 驚きで見上げるだけしかできないサラにアスワドは優しく微笑んだ。

「君のおかげさ」

 思い当たらないサラは首を傾げる。

「洞窟で俺のこと怒ったでしょ?」



『そんな捻くれた根性のまま逃げるなんて許さない! あなたにはレクスさんとか捕まった解術師の人とか私とか――とにかく、謝るまで逃がさないから!』


『呪われたまま死ぬなんて、許さないんだから――』


「呪術に失敗してからはただ生きているだけで目標も目的もなくて。だから自暴自棄になってその途中で死んだらそれはそれでいいかな、なんて思っていた。でも久しぶりに誰かに本気で怒られたら頭の中がすっきりして、無性に彼女に逢いたくなった」


 俺もよく怒られていたからさ、と懐かしそうにアスワドは笑った。その笑顔で、彼女というのは亡くなったつがいのことだ、とサラは気付いた。


「迷惑掛けた人達に謝ってくる。許して貰えないとは思うけど、とりあえず自分の中で清算できたら、最後に彼女の墓に行く」

 アスワドは呪いのせいで契約できなかったため、つがいでありながら彼女の亡骸はこの世に遺り、南の果てにひっそりと埋葬されていた。


 アスワドの表情がふと不安そうに曇る。

「俺が死んだら、逢ってくれるかな」

「アスワドさんが寿命を全うしたら、逢ってくれると思いますよ」

 サラは慰めや繕いでなく本当にそう思った。だからなのか、確証のないその言葉にも、アスワドはどこかほっとしたように表情を緩めた。

  

 亡き人に抱く愛情の深さに、サラは胸が締め付けられた。


「その後はどうするのですか?」

「つがいが死んでも生きている古代種なんて今までいないしね。だから自分がいつまで生きていられるか想像つかないよ」

「あの――会わなくていいのですか?」

『王』の名前はない。

 だからサラはなんと呼んでいいかわからず言葉を濁したが、アスワドには通じたようだ。

「生きていてくれただけで十分だ」

 アスワドは自分と同じ目線のレクスに向き直った。

「すまなかった」

 そう言うと頭を深々と下げた。

 レクスは無表情でそれを見つめている。

「色々迷惑掛けたのは事実だ。言い訳はしない。俺のしたことを許してくれとは言わない」

 レクスやレイに向けての言葉は、別の誰かにも伝えたいものだ、とサラは気が付いた。

「だから恨まれても――」

「謝らなくていい」


 レクスはアスワドの言葉を遮った。驚いて顔を上げたアスワドにレクスは表情を変えず淡々と言葉を発した。

「サラに出会えた。だから、誰もお前を恨んでいない」


 誰も。

 それはきっとレクスもレイも、そして『王』も。


 アスワドはもう一度深く頭を下げた。その背中は僅かに震えていた。



 

 翌朝の空気は澄んでいて、太陽の光が柔らかく降り注いでいた。

「本当にありがとう。元気でね」

 アスワドの笑顔に、言葉を発すると涙まで一緒に出てしまいそうで、サラは頷くことしかできなかった。

 憎んでもいいはずの自分との別れを寂しがるサラにアスワドは苦笑して呟いた。

「君は本当に人が良すぎる」

 ふとサラの背後に視線を向けた。

「王も良い奴だよ。きっと君を大事にしてくれる」


 親友の俺が保証するよ。

 アスワドはサラを安心させるように笑って付け加えた。

「また会いに来てください」

「約束はできないけれど、覚えておくよ」

 アスワドは眩しい朝日の中、晴れやかな笑顔を残して去って行った。



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