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unspell  作者: 久保田千景
本編
70/98

65

 かたえの腕輪が手の中にある。あとは契約をして呪術を解けばいい。

 けれど、対の腕輪を持ったままサラは何もできずにいた。


 レクスはソファーに浅く腰掛けたサラの身体と背もたれの狭い隙間に仰向けで眠っており、その顔には呪術が刻まれている。


 気が付けばその頬に指で触れていた。無意識だった。

 我に返ると慌てて手を引っ込めた。


 契約は本来あるべき姿に戻るだけだ。彼が死ぬでも、いなくなるでもない。

 でも今、存在しているレクスやレイは消えてしまう。

  

 二人を自分が殺してしまう。


 そんな風に考えてしまい、身体も心も竦んでしまう。


 契約せずに呪殺術だけ解くことはできる。でも契約しなければ種の呪いは消えずに別人格は残り続ける。いつ、どんなきっかけで暴走するかわからない。

 古代種はつがいが亡くなれば数日後に息絶えるが、今の状態ではそのわずかな間でも暴走してしまう。


 世界とまでは言わないけれど、この国とその周辺は壊滅だね。

 アスワドは軽い調子で言ったけれど、それは冗談ではないだろう。

 平凡な日常を送るサラにはそんな非常事態を現実的に想像できない。けれど暴走すれば誰が一番辛いのかはわかっている。


 レイはあれから一度も現れない。レクスが言うには、自我はなかったが暴走した時のことは覚えていて、サラを窮地に追いやったと落ち込んでいるらしい。

 そんな優しいレイをもう苦しめたくなかった。


 どんなに考えても後回しにしても、道は一つしかない。


『問題は後回しにすればするほど面倒になる。さっさと片付けた方が楽だぞ』


 亡くなった父のことで悩んでいた時にかけられたレイの言葉を思い出した。

 結末はわかっているのに、それでもまだ決断できない自分がいる。


「ごめんね」

 それは自分の口から発せられたものではなく、少年のものだった。

 消え入りそうなその声で顔を上げると、アスワドが部屋の入り口で立ってこちらを見ていた。まだあどけなさの残る顔には深い後悔が滲んでいる。

「君にこんな辛い思いをさせてしまって」

 サラはどう答えていいかわからず口ごもる。苦しそうなアスワドを見ていることもできず視線を腕輪に戻した。


「俺があの時失敗なんかしなければ――」

 それは違う。

 サラは首を大きく横に振った。

「でも、そのおかげでレクスさんにもレイにも出会えました」

 アスワドはサラと目が合うと泣きだしそうな顔で俯いてしまった。

「けど二人に出会ってしまったから君はこんなに――」

「出会いを嘆くのは無意味だ。なぜならそれは運命なのだから」


 アスワドの言葉をサラは遮った。彼にこれ以上後悔を口にして欲しくなかった。


 瞬きを繰り返してこちらを見るアスワドに、サラは慌てて付け加えた。

「って言っていました。うちの父が、です」

「父って、あの屈強な獣人?」

 医院でサラの家族と顔を合わせていたアスワドは意外そうな顔をしている。

 サラは苦笑しながら頷いた。


 当時、再婚を躊躇っていたエレナへの口説き文句だ、と父本人から聞かされた。 

 そんなことを恥ずかしげもなく義理の娘の前で言ってのけるところが豪儀というか図太いというか、何とも形容しがたい。けれど当時、傭兵として常に死と隣り合わせ、明日はどうなるかわからない日常にいた父には似合い過ぎる言葉だった。

 

 当時子供だったサラは色々な意味で「すごい」としか思えなかった。けれど今はその言葉の重みが、何となく理解できる気がした。


「だからアスワドさんが悔やむことはないです。父の言葉を借りれば、私とレクスさんとレイは最初から出会う運命だったわけだし」

 瞬きを繰り返すアスワドにサラは表情を和らげた。

「もちろん、アスワドさんにもね」

 

 でもそれが、呪術でという点には素直に頷けないですけれどね、とサラが口を尖らせて呟くと、アスワドはようやく表情を緩めた。


「サラ」

 名前を呼ばれ振り返る。レクスと目が合った。一瞬で全身が熱くなる。

「いつから――」

 起きていたんですか、とは怖くて聞けなかった。最初から起きていたのでは、と嫌な予感が拭えないからだ。


「あなたがここに腰掛けた時から」

 あっさり白状しながらレクスは上半身を起こした。


 あぁ、やっぱり。

 頬に触れたことも気付いていて、「運命の出会い」と言ったことも聞いていたんですね。


 サラは火照ったまま顔を両掌で覆う。

 うろたえるサラを見てレクスがふっと笑ったことには気付けなかった。


「あなたさえ良ければ、契約を」

 サラはその言葉に身体を強ばらせた。顔を上げると、真剣な表情のレクスが真っ直ぐにサラを見ている。

 重い沈黙と視線に耐えられず勝手に口が動く。

「でも――」

 苦し紛れで出した言葉はそれ以上続かない。こぼれ落ちそうな涙の重さでサラは俯いた。

「あなたをこれ以上苦しめたくない」

 レクスは慰めるように項垂れてしまったサラの頭を撫でた。

 

 レクスさんやレイに比べたら、私なんて――。

 サラも潤む瞳で真っ直ぐ見上げた。

「お願いがあります。聞いてくれますか?」

 

 レクスは意外そうな表情になったが、それでもすぐに頷いた。

「契約の前に解術させてください」

 以前に契約前の解術が断られたことを忘れたわけではない。それでもあえてもう一度頼んだ。

「レクスさんやレイを呪術から解放したいんです」


 呪術によって産み出された二人は、意思を持った時から呪術に縛られている。苦しみから解放されないまま、消えて欲しくない。


 サラの必死の願いにもレクスは首を縦に振らない。

「あなたを傷付けるのは嫌です」

 

 レクスは以前にサラの首を絞めたことを気にしている。レイは暴走してサラを傷付けることを恐れている。

 でも、ここで説得できなければ本当に最後だ。

 

 自分を気遣う言葉にもサラは引かなかった。


「傷は身体だけに負うものじゃないんです」

 意外そうな顔をしたレクスの腕を掴んで、サラは身を乗り出した。

「解術しないまま契約してしまったら私は必ず後悔する。きっと自分が許せない。そんな心の傷を残していくの?」

 レクスは目を瞠った。

 サラの中で抑えていた感情が溢れ出す。わがままだと思われようと嫌われようとも、もう止められなかった。


「このまま消えてほしくないんです」


 初めて出会った夜と同じ台詞を口にした。

 まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。でもその言葉に込められた意味はまるで違っていた。


 あの時は笑顔で言えたのに、今はこんなに苦しい。


 呪術を解いて二人を楽にしてあげたい。

 でも解術してしまえば、契約を先延ばしにはできない。

 契約すれば二人は――。 


「――だから、まだ――」

 涙で声が詰まり言葉がでない。

 項垂れたサラをレクスはそっと引き寄せた。温かく優しい腕の中でサラは泣いた。


 覚悟を決めるから――だから、まだ――消えないで。


 声にならなかったその言葉を心の中で繰り返しながら。

 近づいてくる別れの足音に怯えながら。


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