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この辺りのはずだ。
コルヴォは馴染みの受付嬢から聞いた住所の番地に当たりを付け、少し離れた空き地に着地した。
王都の中心地から少し外れた、ぽつぽつと点在する住宅の中に目当ての家を見つけると、化粧は似合わないだろう可愛らしい顔立ちを思い出す。
どこか放っておけない雰囲気を纏いながらも内に秘める強さを持つ彼女に、仕事とはいえ、また会えると考えただけで落ち着かない。女性の扱いは慣れているはずなのに、これほど緊張するのは久しぶりだ。
彼女の、あの男を想う真っ直ぐな気持ちに胸が震えた。演技でも偽りでも押しつけでもなく、自分の気持ちを殺してでもただ相手の幸せを願う、葛藤の中から産み出された美しい涙を見てしまったせいだろうか。面倒で時間のかかる仕事を請けるのも久しぶりだった。
あの微笑みが自分だけに向くかもしれない、と、あり得ない、くだらない想像を心の片隅に残してしまう自分がいる。と同時に、それがどれだけ不毛なことかをしっかり理解している自分もいる。
古代種とそのつがいは出会った時から見えない糸で結ばれる。そしてこれがあれば、その糸は結び目のない一つとなって、永遠に解けなくなる。
ガナフとユエのように、死が二人を分かつまで。
腰のベルトに括り付けた袋を無意識に手で確認した。友人から託された大事な形見を落としていなかったことに一安心する。
それらは互いの存在を確かめるように触れ合い、軽やかな音を響かせた。
コルヴォをあざ笑うかのように清廉な風が頬を撫でる。高揚した心と身体が急速に冷えていった。
餓鬼か、俺は。
幾分冷静になったコルヴォは自分自身を諫めるように舌打ちした。
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一人で暮らしていると聞いていたその家は平屋とはいえ決して小さくはない。
いや、あの男も住んでいるから二人か、と苦々しさを噛みつぶしながら住所を確認する。深呼吸で自分を落ち着かせ玄関扉の叩き金を打ち付けた。その音が少し遠慮がちになるのは仕方がない。
家の中から軽やかな小さい足音が近づいてくる。しばらくして扉がゆっくりと開いた。自然と笑みを浮かべていたコルヴォの顔は、出てきた人物を見てすぐに曇った。
辺りを見渡し、住所の書かれた紙を見直し、一通り確認作業を終えた後にようやく口を開いた。
「えーと、ここ、サラちゃんの家だよね?」
「そうだよ」
目の前に立つ赤髪の魔族の少年はあっさりと肯定する。
一瞬、彼女とあいつの子供なのかと錯覚したが年齢的に合わないと気付き、一人胸をなで下ろす。
「君は――」
「君は誰?」
少年の鋭い声で質問を遮られた。
幼さの残る顔立ちには似合わない老成した瞳と、柔和な雰囲気に紛れている警戒感に背筋が伸びる。
「俺は――」
「何の用だ?」
再び言葉を遮られた。
できれば顔を合わせたくなかった声の主が、いつの間にか姿を現していた。
確か、レクスとかいう名前だったと必死に記憶を辿る。
女性の名前ならすぐに思い出せるのに、男の名前となるとうろ覚えだ。情報屋としてどうなのかと自分でも思うが、覚えられないので半分諦めている。
初めて会った時と変わらず端整な顔には古代文字が刻まれており、古代種の証である角も翼もない。
けれど感じ取れる魔力は以前よりも強くなっている。
不自然さにコルヴォは首を傾げた。
「知り合い?」
少年が後ろを振り返り尋ねる。
レクスはしばらく黙っていたが、二つの視線に渋々「知り合いという程ではない」と最低限の単語で説明した。
「ここは魔族の集会所なのか?」
「ははっ。なかなかうまいこと言うね」
少年は俺の軽口に反応したがその目は全く笑っていない。レクスも眉一つ動かさない。
魔族二人の放つ警戒感と威圧感に生きた心地がしない。
何で俺が野郎の、それも魔族を二人も相手をしなきゃならないんだ?
コルヴォは盛大なため息を吐いて項垂れた。
「コルヴォさん?」
重苦しい沈黙を破る軽やかな声に顔を上げると、レクスの背後からサラが顔を覗かせている。顔色が優れないのは室内の暗さのせいだと勝手に思い込んだ。
「サラちゃん!」
救世主の登場に、安堵と喜びで表情が緩むのが自分でもわかる。
『彼女、すごく困っている時にひょっこり現れて助けてくれるの。この前仕事を請けてもらっていた貴族も、仕事以外で――確か、娘さんを助けて貰ったとか言っていたし。本当に女神様なのかもよ』
斡旋所を出る前に聞いたビビアナの言葉を噛みしめる。
コルヴォはどさくさにサラに抱きつこうとしたが、覚えのある魔王の掌で顔面を覆われてしまい、またしても女神に触れることは叶わなかった。




