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新鮮な風を感じ、意識が急速に戻っていく。
身体があちこち痛い。微睡みの中で不思議に思いながら寝返りをうち、ようやく柔らかいベッドではなく硬い地面の上だと気が付いた。
瞼を開けると強い光で目の前が真っ白になり、咄嗟に手を翳した。
目が慣れた視界に広がる景色は、柔らかな日の光に照らされた青い空だった。
瞼同様に重たい身体を起こす。
どうしてここにいる? さっきまで洞窟の中だったはずだ。
不安に襲われ辺りを見回そうと首を動かした途端、頭に鈍い痛みが走った。
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洞窟の中で突然地面から現れた傀儡に襲われた。傀儡はそれほど強くない。一人前の騎士であれば十分に対応できる。けれど圧倒的な数の傀儡に対しこちらは少数で、しかも学者たちを守りながらでの戦いに手練れの騎士達も苦戦を強いられていた。
サラの傍には俺よりも強いあいつがいる。今はサラが無事であればそれでいい。
感情よりも状況を冷静に判断できた自分自身に少し驚いた。
傀儡の大群の中にフードを目深に被った小柄な人影を見つけた。傀儡を従える異様な雰囲気のその人物は呪文詠唱なしに魔術を使っていた。
「気をつけろ! 眠らされる」
ジークの焦る声を久々に聞く。
他の騎士や学者が次々と倒れていく中、残った俺たちは一斉に飛びかかった。
フードの下の顔は、浅黒い肌に金色の瞳を持つ赤毛の魔族だった。驚く俺たちに少年らしき魔族は、見た目に似つかわしくない笑みを見せる。
嘲りでも挑発でもなく、どこか悲しげなその微笑みを最後に意識が途切れた。
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「カイ、大丈夫か?」
振り返ると張り詰めた表情の顔のジークがいた。中性的な顔立ちと細身の身体でそうは見えないが、魔人だけあってかなり腕は立つ。そのジークが珍しく綺麗な顔に汚れや傷を作っている。
ひと通り自分の身体の無事を確認して立ち上がる。
「何とかな。お前は?」
「俺も大丈夫だ。けど――」
沈痛な表情で視線を向けた先には明らかに重傷を負った仲間や学者たちが横たわっていた。
「洞窟の入口付近で魔族にやられたと言っている」
証言者によるとその魔族はいきなり斬りかかってきたようだ。
「魔族って――」
無意識にあいつの顔を思い出す。
表情でわかったのか、ジークは小さく首を横に振った。
「いや、白髪の男だったらしい」
違うとわかった途端、ほっとした。サラの悲しむ顔は見たくない。
安堵すると白髪の魔族という特徴で思い出す。
「もしかして、フロウ一族か」
ジークは今度は大きく頷いた。
しばらく息を潜めていた危険な魔族がどうしてこんなところに?
そこでふと気になった。
――サラはどこだ?
急に呼吸が苦しくなった。慌てて周りを確認する。洞窟の入り口前では大勢の人があちこちに座り込んだり横になっていたりするが、どこを探しても小柄な解術師と傍にいるはずの長身の魔族の姿はない。
「どこだ? どこにいる、サラ」
漏れ出した呟きにジークも青くなって辺りを見回しだした。
張り詰めた緊張の中、耳に微かに音が聞こえてきた。集中するべく動きを止めた俺にジークが怪訝そうな顔になる。
「どうし――」
「静かに!」
音は洞窟から、まるで嗚咽のように低く響いてきてくる。
入り口に顔を向けると埃を含んだ湿った風が全身を撫でた。
地鳴りと風。
それが意味する事に気付き、慌てて大声で叫ぶ。
「離れろ! 洞窟が崩れる!」
騎士たちは素早く身体を動かしていた。負傷した仲間や学者たちを連れて洞窟の入り口から距離を取る。
地面がドンと大きく縦に揺れた。
大地の衝撃に森から鳥たちが一斉に飛び立つ。甲高い鳴き声と羽音が激しく入り交じる中、そびえ立つ岩壁が崩れ始める。
一瞬で辺りは突風で舞う塵と砂で覆われる。
轟音と砂嵐が去った後、洞窟の入り口は大きな岩によって塞がれていた。
まさか、まだ中に?
ふらつく足で一歩踏み出す。誰かに強く肩を掴まれた。振り返るとジークが鋭い視線で前方を見ている。
「何か来る!」
視線をたどって目を凝らすと未だ漂う砂煙の中に目映い光が現れた。
何もなかった地面に円形の魔法陣が刻まれていく。
完成したその中心には小柄な人影と、片膝を付いている人影が姿を見せた。
砂煙が薄れてくると、それはあのフードを被った魔族の少年と黒髪から竜のような双角と背中から漆黒の翼を生やした男だった。
「古、代種?」
微かに震えるジークの声が、目の前の男が幻ではないことを物語っていた。
初めて見る古代種はサラを抱きかかえていた。無事だと知った安堵感だけで異様な雰囲気も構わず駆け出した。
「サラッ!」
「来ちゃ駄目だ!」
フードの少年が必死の形相で声を荒げた。その凄みに足が止まる。
「何を――」
赤くなったサラの背中が目に入る。それが誰かの返り血でないことは、破けている服と広がり続ける赤い染みでわかってしまった。
何故サラの背中からまた血がでているんだ?
俺のせいか?
あれはもう治ったんじゃないのか?
自分とは違う小さくて柔らかい背中の皮膚をえぐる感触に、思わず己の手を見た。
そこには何もない。けれど気持ち悪さに吐き気がした。
「――サラ」
震える声で我に返る。
それは古代種の声で、あいつに似ていた。けれど俯いているせいで表情は窺えない。
サラは自分を呼ぶその声にも人形のように動かない。青白い顔を古代種の胸にぐったりと預け、瞼も唇も固く閉ざしたままだ。
古代種はゆっくりと手を持ち上げ、血で染まる自身の掌を見ている。
「サ――ラ――」
サラに視線を戻し、たどたどしく名前を呼び、目を覚まさない彼女の頬にその手を近づけた。
真っ赤に染まる鋭い爪を見て、怒りや恐怖や後悔が絡み合う感情が爆発した。
「やめろっ!」
古代種の動きがピタリと止まる。
「サラを放せ! そのままだと死ぬぞ!」
瀕死のサラを抱え途方に暮れる古代種の姿が、あの時の自分と重なっていた。
「馬鹿がっ!」
苛立ちを吐き捨てた声で我に返った。俺を睨んだ少年はすぐに古代種に向き直った。
「巫女は死なない。だから早く彼女を――」
「ウ――ゥウォォオォオオオオオオッ!」
宥めるような説得を遮って咆哮が空気を振動させた。
絶望を纏う声に全身の毛が逆立つ。今までに感じたことのない強大な気迫に、身体が竦んで動かない。
「暴走したらお前も巫女も助からない!」
少年が必死に叫ぶ。
顔を上げた古代種――レイは大きな牙を剥き出し、黒く変化した強膜に浮かぶ黄金の瞳で俺を睨んだ。




