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「ここです、よ――ね?」
昼を少し過ぎた時間でも薄暗い裏路地の突き当たりで、サラは手にした小さな紙と目の前を交互に見て確認する。
レクスは足元に落ちていた看板の一部を拾い上げ差し出した。目指していた店名と同じ文字が刻まれている。
「確認ですけど、これは元からこういう形の建物でしょうか?」
看板を瓦礫の山の中に投げ入れると、さすがのレクスも呆れたような顔をした。
「違うと思います」
「ですよね」
サラは溜息を吐いた。
ビビアナが教えてくれたのは『緋色の跳ね馬亭』という酒場だ。その二階に情報屋――コルヴォ=ブランドは住んでいるという話だったが、現在何故か瓦礫の山と化していた。
「あんたもコルヴォに弄ばれたクチかい?」
崩壊した建物の向かい、古びたアパートの四階の窓から煙管をくわえた白髪の老女が顔を出していた。
「もて――ち、違います、違います!」
不名誉な濡れ衣をサラは必死で否定する。
老女は皺だらけの顔でにっと笑った。
「でも、そのコルヴォさんに用があって――」
「残念だったねぇ」
言葉と一緒に紫煙を吐き出す。
「昨日の夜の大騒ぎの末、その有様さ」
顎で瓦礫の山を指し示した。
「何があったんですか?」
老女は良い暇潰しとばかりに話し始めた。
「俺の娘に手ェ出しやがって!」と叫んで乗り込んできたのは牛の獣人で、一晩中大暴れをした結果、酒場は全壊した。
コルヴォの女癖の悪さは有名で、その手のトラブルは日常茶飯事だった。当の本人は慣れているのか悪運が強いのか、大した怪我もせずどさくさに紛れて姿を消したらしい。
「流石にあの馬鹿も、今回はしばらく帰って来られないだろうよ」
貧乏くじを引いた家主兼酒場の主も血眼で探しているらしい。
とりあえず情報屋の人間性には目を瞑ろう。
サラは自分を無理矢理納得させると、一縷の望みを託して老女を見つめた。
「連絡は取れますか?」
「馴染みの女のところだと思うけどね。さて、何人いるのやら」
「――そうですか」
サラは視線を落とした。当の情報屋はいつ戻ってくるのか、待っていても連絡をくれるのかはわからない。
吹っ切るように顔を上げた。
「お話、ありがとうございました」
「おや、もういいのかい?」
「知り合いに紹介して貰ったんですけど」
サラは小さな紙を丁寧に畳むとポケットにしまう。
「あまり時間がないので他をあたります」
老女に軽く頭を下げると踵を返した。
「つれないお嬢さんだねぇ」
軽い調子の男の声が呼び止める。サラは辺りを見回すがレクス以外に誰もいない。
「こっちだよ」
空から降ってくる声に顔を上げた。老婆が顔を出しているアパートの屋上に誰かが腰掛けていたけれど逆光のせいで影にしか見えず、太陽の眩しさに思わず目を瞑る。
バサリと大きな羽ばたきが聞こえ、それと同時に腕を掴まれ後ろに引っ張られる。
背中に大きな温もりを感じて目を開けると、サラのいた場所に男性が立っていた。長身で細身の背中から大きな黒い翼を生やしている。長めの黒髪を軽く後ろで縛り無精髭を生やした有翼族の異種混血の男性はサラを見るとにこりと笑った。
サラもつられて微笑み返す。
「たまにはこういうあっさりした感じも良いかもね」
男は嬉しそうに呟いた。下げた目尻の黒子と大きく開いた胸元がやけに色っぽい。色気の塊のような苦手なタイプにサラは身体を強ばらせた。
レクスがサラを庇うように自分の背後に隠す。男はレクスを見上げ、そして意外そうな顔をした。
「あれ? あんた――」
「コルヴォ! その娘はお客さんだよ! 何でもかんでも手ぇ付けんじゃないよ!」
男――コルヴォ=ブランドは窓から怒鳴る老婆に笑顔で手を上げた。
「ヨランダさんは今日も元気だね」
老女――ヨランダはふん、と鼻を鳴らす。
「ケツに殻のついたヒヨッコに心配されるとは、アタシも落ちぶれたね」
ヨランダはお手上げと言わんばかりに肩を竦め、見上げているサラに視線を合わせた。
「そこのカラスがあんたの探していた情報屋のコルヴォ=ブランドだよ」
そして窓を閉めながら言った。
「そいつに関わると酷い目に遭うよ。気を付けな」
ヨランダの予言が当たることを、この時のサラは知らなかった。




