27
知らない部屋で目を覚ましたサラは柔らかくて大きなベッドの中にいた。痛む頭で重い身体を起こそうとして、腕や手の傷がなくなっていることに気付く。
ジュードがガラスの破片を付けたまま抱き付いてきたせいであちこちに切り傷ができていたはずだ。混乱する頭の片隅で、またお兄ちゃんに怒られる、と咄嗟に思ったのだから間違いない。その証拠に、服には小さな傷や血痕があちこちに残っている。
不思議に思いながらも上半身を起こすとベッドが時間差で揺れた。咄嗟に身体を縮ませ振り向くと、レクスがベッドに乗り上げていた。
安堵の溜息が漏れる。
「レクスさん、怪我は」
レクスは返事の代わりに綺麗になった掌でサラの頬にそっと触れる。腕の文字も綺麗に消えていた。
「良かった」
サラはふと思ったことを口にした。
「怪我を治してくれたのはレクスさんですか?」
「あなたが傷つくのは嫌です」
解術しようとした時もサラが傷をつけると知ると頑なに拒んだことを思い出した。
「それに、あのままではまた怒られるでしょう?」
自分と同じことを彼も思っていたことにくすりと笑った。
サラは目の前のレクスを見つめた。呪術に掛けられ記憶を失っている魔族で素性も過去もわからない。でもサラは初めて会った、顔の判別すらできなかった時から怖さは感じていなかった。
改めて不思議に思った。
「サラ?」
名前を呼ぶ声に我に返る。見上げると、俯いたまま動かなくなったサラを心配しているレクスがいた。
彼が何者でも構わない。サラは考えるのを止めた。
頬に触れたままの手の甲に自分の手を添える。
切り傷程度とは言え、あれだけ多くの傷を治すには相当な魔力を要するはずだ。しかもサラは破魔のせいで治癒術による治療が難しい。
「ありがとう」
ひんやりとしたレクスの体温が心地良かった。
不意にあの声が耳元で蘇る。
『捕まえた!』
『でも今あいつ機嫌が悪いから、嬲り殺さないように大人しくしていてね』
『さぁ、早くおいで』
理由もわからず向けられた悪意に、震え始めた手を固く握る。
死体のような不気味な顔が脳裏に浮かび目を瞑ったが消えてはくれず、それどころか冷たい手に触られた感触までもがよみがえり、身体を丸めて抱きしめた。
ベッドが揺れ人の動く気配に目を開けた。涙が潤む瞳で見上げるとレクスの顔が至近距離にあり、唇が軽く触れてすぐに離れた。
突然のことに驚く。けれど嫌ではなかった。それどころかもう少し、と望んでいる自分がいる。
先ほどまでの恐怖や嫌悪感は消えていた。見下ろす金色の瞳を真っ直ぐ見つめ返し、握りしめていた掌をゆっくりと解く。しびれの残る指先がベッドの上でレクスの手に軽く触れた。
レクスはサラを抱き寄せると、もう一度唇を重ねてきた。さっきよりも深く激しい口付けにサラの手は思わずレクスの背中を掴む。
前は傍えの腕輪の契約のためだった。
でも今は違う。
唇と身体が突然、同時に離れていった。目を開けるとレクスが掌で口元を押さえて俯いている。
「レクスさん?」
少しだけ顔を上げた彼の表情は後悔を滲ませており、サラは落ち込んだ。
「すみません」
聞こえて来た謝罪に、サラは恥ずかしさと嫌われたかもしれないという恐怖で項垂れる。
「私こそすみませんでした」
「いえ、そういう意味ではなく――」
サラは顔を上げた。
「つい理性が吹き飛んでしまいました。これ以上は歯止めが利かなくなるので止めます」
瞬きを数回繰り返したサラは、しばらくしてからその意味を理解し顔を真っ赤にして俯いた。
それは面と向かって言うことなの?
こんな時どんな言葉を返せばいいの?
この後どうすればいいの?
恋愛経験が皆無なサラは混乱するばかりだった。




