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第55話フェスティバルミサ

「それでは、ただいまよりフェスティバルミサを開始する」

 ふたりはグランドブール大聖堂に移動していた。満席状態の講堂で、スタン長老がミサを開催する。この国では魔導士は正教会と強く結びついてきた。魔力は神が起こす奇跡の一部を人間に与えたものだと考えられていたからだ。魔力が強い者は、つまり神から才能を与えられた人間として無条件で尊敬されている。


 ただし、これも魔導士たちが長い歴史をかけて培った信頼性によるところも大きい。この街の創設者たちもまさかここまで少数派である自分たちが世界に受け入れられるとは思っていなかっただろう。


「うむ、毎年、これが最後のミサになると思ってここに立っているが、そう思って何度目のフェスティバルミサだろうな?」

 スタン長老は、白いひげをさわりながら苦笑いする。会場の皆もつられて笑ってしまう。


「今年はいろんなことがあった。中央の政治に目を向ければ、王太子殿下の廃嫡と彼が犯した数々の過ちが明らかになっただろう。わしも驚き、そして内戦が起きるのではないかとヒヤヒヤした」


 一瞬、マリアは長老と目が合った。彼は優しく笑う。


「だが、平和は維持された。我々の生活が脅かされる危険はなくなったのだ。それは喜ばしいことだ。さて、本題に入ろう。なぜ、廃嫡された王太子殿下は道を踏み外したのだろうか。今回はそれについてみんなと一緒に考えていきたいと思う」


 なぜ、彼は道を踏み外したのだろうかとマリアは考えた。責任の重さに耐えられなかったからとぼんやりと思いつく。


「いろいろと要因はあるだろう。責任からの逃亡、側近からのささやき。それはすべて正解かもしれない。わしが考える彼の失敗は、周りを信頼できなかったことだ。わしは何度も王太子殿下にお会いしていた。彼の周りには優秀な人たちがそろっていた。にもかかわらず、彼は失敗したのは、彼は周りから何かをもらうことばかり考えていたことがいけなかったのだと思う。側近からは知恵を、婚約者からは忠誠を、国民からは信頼を与えられていたのに、彼は何も返そうとはしなかった。逆に、もっと何かを欲しがった。しかし、それでは本当の意味での信頼は生まれない。彼は自分から孤立を深めたのだ。そして、暴走してしまった。なにかを与えることができない人間は、結局すべてを失う。我々は何かを与えることができる人間にならなくてはいけないのだ。それが人を愛することにもつながる。殿下はおそらく、誰も愛することができなかったのだろう。どんなに富と名声があっても、それでは砂漠の人生しか生きられないのだ」


 長老のミサは続いていく。


 ※


 ふたりはミサが終わっても、その場から離れようともせず余韻にひたっていた。

 そんなふたりにスタン長老は気づく。いや、最初から気づいていたがあえて知らないふりをしていたとするほうが正確かもしれない。


 長老は二人に近づく。


「おやおや、有名人ふたりがお忍びでいかがなさったのですかな?」

 すべてを知っているはずの立場の長老はあえて道化を演じている。


「秘密です」

 マリアと長老はすでに顔見知りだ。だからこそ、こんな軽口も許される。


「それは失礼しました。しかし、このスタン、おふたりの大活躍は聞いておりますぞ」

 長老はさきほどよりもさらに砕けた口調になった。


「ありがとうございます」

 マリアは少しだけ表情を硬くする。その様子を長老はすぐに読み取った。


「ラファエル殿、申し訳ないが、マリア殿と少し話したいことがあるのでな。ほんの少しだけ時間をくれるか?」


「わかりました。では、お嬢様、私は入口でお待ちしております」

 マリアはラファエルの後姿を見送った。


「それでスタン長老、お話とは?」


「うむ、あなたからは迷いを感じてな。人生の先輩として少し話しておきたかったんだ」


「迷い?」


「おそらく、あなたは王太子殿下のことを気にしているのだろう。自分がもう少し関与できれば、あのような悲惨の破滅は避けられたんじゃないかとね?」


「ないといえば噓になります」


「たしかに、そうかもしれない。だが、そうではないかもしれない。人間に選ばなかった世界の結末なんてどうなるかなんてわかるわけがない。それを考えることが傲慢ごうまんなのだよ。さらに、最終的な責任は周囲ではなく、選んだ本人が負わなくてはいけない。王太子殿下の選択にまで、責任はないんだよ?」


「ですが、ぬぐいきれない後悔というものはあるんですよ」

 マリアを苦しめて、ラファエルへの感情を自覚しているにもかかわらず一歩も踏み出せないのはそれが原因でもある。


「だが、その後悔をずっと心にしまい込んで、自分が苦しみ続けることもまた不幸の連鎖でしかない。王太子殿下の暴走が作り出した不幸の連鎖を止めることが、あなたの使命だとわしは思う」


「不幸の連鎖?」


「そう、不幸の連鎖だ。この不幸の連鎖はあなたが止めない限り他の人にまで伝わっていってしまう。だからこそ、あなたが幸せになってその連鎖を止めることが一番大事なんだよ。あなたは幸せになる義務がある。あとは、正直な気持ちのまま行動すればいい。後悔のない人間なんていない。過去や未来に生きるのではなく、今を生きなさい」


 ※


「ありがとうございます。少しだけ、気持ちを整理することができました」

 マリアはスタン長老にそう礼を言った。スタン長老は、マリアの悩みはほとんどわかっていた。ふたりが王都から消えたという情報を知ってから、おそらくそう言うことだろうと予測もしていた。だからこそ、マリアの性格を分析し、不幸の連鎖を断ち切るようにアドバイスをしたのだった。


 責任感が強いマリアにとって、自由に生きろと諭されるのは難しいことだ。彼女は常に責任感によって動かされて生きてきた。彼女はある意味では貴族の模範になるような行動原理を持っている。それは、皆が幸せになるように動くということだ。しかし、それは利他的な精神であり、自分の幸せを第二に考えるようなものだ。


 このような混乱を生じさせてしまった責任は、自分にあると強く後悔している。マリアをよく知る者ならそう考えていることは手に取るようにわかる。


 だからこそ、悩んでいるマリアに別の責任を上書きしたのだった。それが幸せになる義務があると認識させることだ。


 スタン長老には、一つの自論がある。それは、人の上に立つ人間は幸せを味わなければいけないという考えだ。自分が幸せだと知らなければ、民まで幸せにすることはできないし、そうしようとも思わなくなってしまう。悪政の根幹は、王や貴族が不幸せなことにある。


 実際、悪政をおこなった王のほとんどは家族関係に問題があった。兄弟や親族間で骨肉の争いをしていたり、権力闘争で両親のどちらかまたは両方を殺されていたり……


 今の王は、周囲に恵まれていた。たしかに、兄弟間や親族間での対立はあっても、友人たちには恵まれていた。彼が誤りを犯そうものなら、体を張って止めてくれるマリアの父のような親友がたくさんいたのだ。そして、子供はいなくても、常に同じ目線に立ってくれる聡明な王妃もいる。親友の娘であるマリアは、実の子供のように自分を慕ってくれてもいた。


 だが、王太子はそうではなかった。だからこそ、彼は道を踏み外してしまったともいえる。自分のために動いてくれる婚約者や側近がいながらもそれをしんじることはできなかった。


 だからこそ、マリアには幸せになる義務がある。彼女は、次世代を担う貴族のひとりであり、将来のこの国を担うものだからだ。


「ああ、あとは心が教えてくれる。お祭りを楽しんでおいで」


 孫を見るように長老はそう言った。こくんと彼女は頷き、お礼を言いながらその場を後にする。


「新しい時代の始まりだな」

 その様子を見ながら長老は嬉しそうにそう言った。


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