第37話船上パーティー
マリア達は、外の風景を眺め終えると、船の中に入る。
休憩室には、すでに数人の客たちが談笑していた。
「いらっしゃいませ。おふたりですね。お飲み物はいかがいたしますか?」
休憩室担当のボーイは笑って出迎えてくれる。制服をしっかり着こなして、せをしっかりと伸ばした男性だ。
「では、ハーブティーを2つ」
ラファエルはそう注文して、マリアをエスコートしてくれる。
執事として洗練された態度で彼女の椅子を引いて座りやすくしてくれる。いつもしてくれているエスコートだけど、こういうフォーマルな場ではドキリとしてしまう。彼女は、王太子の婚約者としてこういうエスコートはよく受けていたが、彼のエスコートは特別だ。いや、特別なものに変わってしまったと言った方がいいのかもしれない。
恋に落ちてしまえば、意中の相手の行動はすべて特別なものに変わってしまう。
「お待たせしました。ハーブティーとスコーンでございます。ごゆっくりおくつろぎください」
ボーイは、はきはきとしゃべってその場を後にする。
「海の軍人は、外交官の役割も持ちますからね。遠距離航海をすれば、諸外国の港に寄港することも多くなります。その国の高官を船に招いて食事をすることも多いですし、その際に失礼があってはいけないから、一水兵でも徹底的にマナーを叩きこまれると言います」
「そうね。下手な貴族のパーティーよりも大切にされている気がするわ。それに船ってもっと揺れるのかなと思ったけど、そうでもないわね」
「ええ、この船は元戦艦ですからね。船体も大きいし、横揺れ防止措置も取られているようですよ」
「そうなのね! 観艦式とか参加しても、遠くから眺めるだけで実際に乗ったことはなかったから知らなかったわ」
マリアは、公爵家の当主の顔になって、優雅にクロテッドクリームをスコーンにつける。
クロテッドクリームとは、脂肪分の多い牛乳を煮詰めて表面に固まった脂肪分を集めて作るクリームだ。スコーンとの相性も良く、ジャムの次に定番の付け合わせでもある。バターよりもさっぱりとしていて、生クリームよりも濃厚なもので、淡白な味わいのスコーンと相性がいい。
「さすがですね、お嬢様。お茶とスコーンがよく似合う」
「これでも公爵家の当主ですからね。あまり、からかわないで!」
ふたりはゆっくりとお茶を飲み、スコーンを食べる。旅の途中の年相応の笑顔と、今目の前にある気品あふれる笑顔を比べて、ラファエルは幸せそうに笑った。
※
スコーンとお茶を楽しみながら、ふたりはまったり外を見つめていた。
会話は少なくても、ふたりにとっては気まずくならない大切な時間になっていた。旅行によって二人の信頼関係は、数週間とはおもえないほど深まっている。
だから、沈黙すらも心地よい時間になっていた。まるで、数十年寄り添った夫婦のような安定感を見せている。
「お茶のお代わりはいかがですか?」
外を眺めていると、ふたりは男の声に呼ばれて振り返る。
そこには、ハル船長が笑っていた。
金髪のやせ型の船長は、立派に蓄えたあごひげを動かして笑っている。
まさか、船長自ら給仕に来てくれるとは思っていなかったので、ふたりは驚いてしまった。
「これは驚かせて申し訳ございません。海軍軍人には、"ユーモアは一服の清涼剤"という伝統が続いておりまして、今回はそれに習わせてもらいました」
おどけたように船長は笑い、ふたりのカップにお茶を注いだ。
長距離航海をおこなえば、数週間から数カ月は軍艦という密閉空間に閉じこめられる船員たちはストレスがたまる。それを放置していれば、いずれは喧嘩になり最悪は船員全体がパニックになり全滅する危険すらある。
だからこそ、士官自らがユーモアを披露し、緊張感をほぐすのだ。ユーモアによって船員たちの信頼関係は強化されてお互いに命を預けることができる。
長い船旅にはユーモアと美味しい食事が重要になるのはそういう理由だ。
「驚きました。まさか、船長さん自らおもてなしをしてくださるとは……」
ラファエルのほうが先に口を開いた。
「ええ、おふたりのお顔は一方的に知っていたので、ご挨拶をさせていただきたくて……なに、身構える必要はありませんよ。わざわざお忍びで旅をしているのにはなにか理由があるのでしょうから……」
ふたりはそう言われて、緊張感を解いた。
「ありがとうございます、船長。できれば、私たちのことは内密でお願いします」
マリアはそう言うと、船長は優しく頷く。
「もちろんです。ですが、おふたりに見てもらいたいものがあるのです。大変申し訳ございませんが、少しお時間をいただくことはできますか?」
船長はさきほどまでの優しい笑顔から、厳しい軍人の顔になる。
ただならぬ雰囲気を察したふたりは、すぐに同意した。
「では、夕食後に船長室でお話をさせてください。王太子殿下についてのことでご相談があります」
ふたりが頷くと、船長は深々と頭を下げて帰っていった。
王都で何かがあったと二人は何も言わずに察した。
※
「なんでしょうね、船長さんのお話って?」
マリアは少し心配そうな顔になる。
「王都で何かあったということはわかりますが……意図的に旅行を始めてから王都や政治情勢の話を避けてきたので、私もよくわかりません。ですが……」
「ですが?」
マリアは彼の言葉を繰り返した。
「せっかくのディナーの時間です。今だけは王都のことは忘れて、楽しみましょうよ」
マリアは、ラファエルの言葉に少しだけ驚いた。王都にいた時は仕事人間だったラファエルがこんな発言をするなんて思わなかった。だからこそ、驚愕したのだ。そして、嬉しくもあった。彼のその一面が自分にしか見せてくれないものだとわかったから。
「そうね。せっかくの船上パーティーですもんね。こんな機会、王都に戻ったら二度とできないかもしれないし、今日という特別な日を楽しまないとね!」
「そうですよ。今日は楽しみましょう」
そう言って彼は女性をエスコートし、食堂へと向かった。
ラファエルも、マリアの言葉を嬉しく思っていた。彼女が今を生きてくれていることが嬉しいのだ。王太子の横にいた彼女は、どちらかと言えば未来だけを見つめていた。未来の自分の評価、未来の国家の在り方、未来の国王がどうあるべきか。
それはそれで次期国母としてあるべき姿なのはわかった。だが、彼女自身の人生を生きているとは思えなかったのだ。自分の幸せをすべて犠牲にして、国家に仕えているような……ノブレスオブリージュ。貴族の覚悟を体現しているとはいえ、近くで見ていると心配になるくらいだった。
だからこそ、彼女が自分自身を大事にしてくれることが嬉しいのだ。彼女は、婚約破棄されてから、少しずつ自分を取り戻しているのかもしれない。
※
エスコートされて会場を訪れると、すでに数人の客が席で歓談している。
軍楽隊を引退した紳士たちが、交響曲を奏でていた。
「すてきな会場ね」
軍隊と音楽は切っても切り離せない関係にある。音で離れた距離の部隊同士が意思疎通したり、通信代わりに使われたりする。
だからこそ、軍には一流の音楽家が所属するのだ。海上ではストレスも溜まるので、この音楽家たちの演奏は船乗りの癒しでもあった。
交響曲が終わると、庶民の人たちが好きな音楽も演奏する。良い曲ならなんでも演奏するという姿勢が、二人にとっては心地よかった。
「ええ、最高の贅沢ですよ。これなら軍と市民の理解も深まるでしょうし……」
ふたりは音楽を堪能していると、ついに前菜が運ばれてきた……
前菜を堪能した後は、メインディッシュの時間となる。
楽団の演奏は、ゆっくりとした落ち着いた曲調になる。外の様子は、少しずつ日が暮れていき海が赤く染まっていた。
「お待たせしました。メインディッシュのタラのポワレです。キノコバターソースをかけてお召し上がりください」
ポワレとは、鍋に油を敷き焼く料理法だ。中はふっくらと、外はカリッとした状態になる。
シンプルな料理だが、それだけに料理人の腕がわかりやすいと言える。
タラの下にはアスパラガスが敷かれて、トマトの付け合わせの横には少しだけオリーブオイルが盛り付けられていた。
色とりどりの野菜とソースによって、見ているだけで楽しくなる。
どれだけ中と外で食感に変化を持たせることができるかが腕の見せ所で、油の量や火の加減、魚の持っている脂で調整しなくてはいけない。
その日に使う魚の具合で火加減を調整しないといけないのは、かなり難しいのだ。だが、料理人はその難業をこなしていた。
「すごい。こんなに美味しいポワレ初めて食べたわ」
「ええ、本当に……」
ふたりは感激していると、会場に顔を出しに来た初老のシェフは嬉しそうに笑って近づいてきた。
「褒めていただきありがとうございます。それはよかった。お若いふたりに喜んでもらえるなんて、料理人冥利に尽きるというものですわ」
そう言うと豪快に笑った。
「シェフ。本当に美味しいですわ。私は王都に暮らしているんですが、こんなに美味しいポワレは生まれて初めて食べました」
「ありがとうございます。ですが、特別な方法は使っていないんですよ、お嬢さん?」
「そうなんですか!?」
「そうです。私は15からずっと船の上で料理人をしていてね。そこらへんのレストランの料理人よりもはるかに多くの食事を作ってきたんだよ。そりゃあそうだろう? 船員さんたちみんなの食事を作らないといけないんだからね。それに味が良くなければ、暴動が起きちまう。毎日が戦争だ」
シェフは少しずつ口調が海の男に戻っていく。
「大変ですね……」
「ああ、大変だった。でも、悩んでいる時に先輩が教えてくれたんだ。『お前、うじうじ悩むな。料理は体で覚えるもんだ。悩むよりも体を動かせ。目をつぶってでもできるくらい徹底的に反復するんだ。基本に忠実に。奇を狙わずに、ひたすら丁寧にやればみんな喜んでくれる』ってね。それ以来、ずっと修行中みたいなものですね。おっと、お若い二人のお邪魔をしてしまいました。お時間をいただいたお礼にいいことを教えましょう。今が一番いい時間です。外を見てください」
そう言うとシェフは厨房へと戻っていく。
ふたりは一瞬顔を見合わせて、言われたとおりに外を見つめた。
港町は、夕焼けに染まっていた。




