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第35話泣き崩れる王子

 絶体絶命の危機に陥った王太子は、部屋に閉じこもってずっと泣いていた。まさか、こんなに簡単に自分の立場が崩壊するとは思っていなかったのだ。自分は押しも押されぬこの国の次期国王であり、最高権力者の一人。自分が歩けば、女どもは俺に憧れる。将来の国王に媚びを売ろうと大貴族だってへりくだる。


 皆がちやほやしてくれていたのだ。さらに、自分の婚約者であり、王国内4名家の当主マリアすら、生殺与奪の権利を持っていると過信していた。


 結局、若い時からもてはやされていた彼は、ゆがんでしまったのだ。そして、最後のストッパーでもあったラファエルすらないがしろにして、欲にくらんで悪事にまで手を染めた。すでに自分の手は血で汚れている。


 マリアのことを面倒だと思い遠ざけて、浮気に走ったことで、彼は窮地に陥った。マリアはやはり、公爵家の当主でもある。常に、自分たちは狙われているというのがよくわかっていた。だから、王太子がその誤った道に進もうとするときは常に注意していたのだ。


 それが、彼にとってはうるさかったわけだが……


「俺は、悪くない。悪くない。将来の国王になるのは俺だ」

 彼は暗い自室にこもり、そうつぶやいてなんとか心をつなぎとめていた。


 外から兵士たちのうわさ話が聞こえた。


『おい聞いたか、王太子殿下のこと?』

『ああ、聞いたぞ。なんでも国王陛下と対立して、廃嫡寸前なんだろう?』

『後ろ盾も次々と引退に追い込まれたり、手を引いたりしているらしいな』

『あの怪しい子爵令嬢のせいだよな。マリア様とラファエル様を追放したら1か月もしないで破滅寸前ってどうなんだろうな』

『国王としての器じゃないのかもな』


 何度も聞いたうわさ話で彼の心は揺さぶられる。

 あと、彼に付き従ってくれるのは、わずかな派閥のメンバーと近衛騎士団員の側近、そして、ミーサだけだ。


 彼は何度否定しても、追放した二人の重要性が嫌でも思い知らされる。

 だが、ふたりは姿を隠して、もう絶対に自分の元には戻ってこない。その事実が、彼をどうしようもなく悲しくさせる。


「戻ってきてくれ」

 彼は絶対に言ってはいけないと思っていた言葉を口にする。それは、完全に彼の敗北宣言だった。


「殿下!! お待たせしました」

 部屋にはミーサが入って来た。聞かれたらどうしようか。そう不安に思った彼は、彼女が先ほどのセリフを聞いていないようで安心する。


「どうしたんだ、ミーサ」


 笑った彼女は悪魔のように言った。


「ここから逃げるのです、殿下!!」


「逃げるって?」

 彼はミーサにそう問いかける。ミーサは笑った。


「逃げましょう。ここではないどこかに! はっきり言います、殿下。このままでは廃嫡となりどうなるかわかりますか?」


「……幽閉されるだろうな。例えば、時計台の塔とかに……」

 王太子が考える塔への幽閉はこの国ではよくあることだ。反乱を企てた王族は、大抵はそこに幽閉される。そう、死ぬまでそこに……


「ええ、ですが王太子殿下? そこで楽に死ねるとか思っていないですよね?」


「えっ!?」


「知りませんか? 例えば、過去にそこに幽閉されたマクシミリアン公爵は、食事に毒を入れられて、3日間苦しんだうえに医者すら呼ばれずに殺されたとか? 公爵はその苦しみの3日間で、がいこつのような体になって髪の毛も全部抜けてしまったんですって!」


 彼女の説明を聞くと、王太子は真っ青になる。


「だが、それはあくまで噂だろう?」


「では、それが真実ではないという確証はありますか、殿下?」


「……」

 無言で王太子は黙ってしまう。


「でしょう? まだ、お味方がいる内に、早く逃げましょう。その方が成功する確率が高いですわ」


 ここにマリアやラファエルがいれば絶対に反対しただろう。王族が責任を放棄して民を見捨てて逃げるようなことになれば、破滅しか残らない。もし、うまく逃げおおせても、一生消えない汚点となる。


 無責任なことをしてしまえば、もう誰にも信用されなくなるのだから。


 だが、すでに王太子は追い詰められていて正常な思考ができなかった。そもそも、ミーサは自分の実家がどうなっても構わない。彼女にとって実家の父親なんてあくまで自分を道具のように使うだけの悪魔だ。取り潰されようがどうでもよい。


 だからこそ、彼女は無責任でいられた。父親は、自分が王太子の婚約者になったことで喜んでいたが、あくまでも自分がつかんだ地位にしか興味がない。そんなふたりには親子の情などはまったくない。


 失うものは何もないのだ。彼女の願望はあくまで豊かに暮らすことだ。王太子は他国からすればかなり政治的な価値がある人間だ。ふたりでどこかの国に亡命してしまえば、塔で幽閉よりもはるかに楽しいはずだ。


 彼女にとっては、もうすでに王太子も単なる道具になっている。ふたりは政治的な権力闘争に敗れた悲劇の王子と妃として振る舞えばいい。自分が生まれた時の境遇を考えれば、そちらははるかに幸福だから……


 王太子は、正常な判断力を失って、魔女ミーサの手を握ってしまう。

 ふたりは破滅へと向かう坂を転がっていく。



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